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2.月夜の対峙

 レイナが次に目を覚ました時は、夜だった。全身がだるく、ひどくのどが渇いている。手を背中に伸ばして見ると、大きなかさぶたができていた。右の肩甲骨から左の脇腹まで、そうとうひどくやられたらしい。怖々体を起こすと、まだかなり痛みは残っている。激しく動くとかさぶたが割れるだろう。貫かれた左肩は傷口が丸くただれていて、動かせはするが、やはりそうとう痛い。

(何日眠ってたんだろう……)

 ぼんやりと部屋を眺めているうちに頭もだんだんはっきりしてきた。ベッドサイドのテーブルに、水差しとシルクの夜着が置いてあった。ありがたく拝借することにし、袖を通すと、しっとりと肌になじむ感じはかなり上等なものだと分かる。水差しの中身の匂いをかぎ、指につけた少量をなめて毒が入っていないことを確認すると、レイナはそれをゆっくりと飲んだ。ほのかなレモンの香りがやさしい。

 ふうーっと大きく息を吐き出し、そっと扉に向かって歩き出した。毛足の長いじゅうたんが足音を吸い込んでくれる。扉に手をかけ、そっと引いてみる。鍵はかかっておらず、ずいぶん重い扉だったが、音はしなかった。首を出して見ると、そこは左右に長く伸びた廊下だった。窓からわずかに入ってくる月明かりでかろうじて様子が分かるだけで、燭台には火が灯っておらず廊下の先は闇に沈んでいる。そのあまりの暗さ、不気味さに、レイナはそれ以上進めなくなってしまった。常人よりは夜目が利くとはいえ、ここには“夜の住人”の魔族がいるのだ。下手に動いて見つかりたくはない。そう考えて、レイナは首をひっこめ、重い扉を閉じようと手にぐっと力をこめた。

 しかし動かない。じゅうたんに引っかかってしまったのだろうか、そう思ってドアの隙間を覗くと――そこには、靴があった。

 あ、と思った時には、黒ずくめの青年が部屋に入っていた。彼は後ろ手に扉を閉め、レイナに近づく。レイナは恐怖で震えだす膝を必死に動かし、後ずさった。しかし小さな逃走劇はすぐに終わる。レイナの肩が窓にぶつかった。その衝撃で、背に痛みが走った。レイナはその場に座り込んだ。青年もまた、レイナの前に片膝をついて身をかがめた。そして、緩慢な動きで彼女の顎をとり、上を向かせる。

 そのとき、レイナは初めて青年の瞳を見た。

 ――吸い込まれるような青紫。

 月明かりに浮かぶ頬は白く、霜の降りたように見える黒髪はくせがあり柔らかそうにはねている。世の中で麗人と呼ばれる人々も、これほど整った顔はしていないだろう。

 レイナは、彼に見とれている自分に気付き、はっと目を伏せた。一瞬、時を忘れていた。

「……お前は、〈白き力〉の持ち主だな」

 低い声に、びくりとする。

 〈白き力〉――それは、悪しきものを祓う聖なる力。魔物から人々を守るため、天なる神が与えたという――。

「……そうだな」

 無視を通そうとしたが、威圧的な声音に負けてしまった。レイナはかろうじて頷いた。

 その返事に、青年は思案しているようだった。品定めするようにレイナを見つめる。

「名は」

「レイナ……」

「……はっ、“女王”とは大層な名だ」

 嘲笑でさえ、美しい。その超絶な美は冷たさと鋭さも持っている。しかしレイナは、その鋭利な雰囲気にも勝る怒りを覚えた。父上からもらった、自分の名を馬鹿にされたのだ……それに、あながち外れでもない、この名を!

「あなたの名も“王”の意を負ってますわね、ヴァスカ様。わたしたち、お似合いかもしれませんわ」

 嫌味をこめて言うと、魔族の青年は、燃えるような青紫をレイナに向けた。レイナも負けじとにらみ返す。ひどく恐ろしかった。でも、ここで逃げてはいけない、と自分を強く持った。

「面白い、この俺に盾つこうというのか……」

 そう言うと、青年はレイナの顎をつかんでいた手を首にずらし、残った片手で右肩をつかんだ。そして彼女の首筋をぴんと張らせる。レイナはすぐに気付いた。自分は今から、この魔族に喰われる、と……。大量の出血による貧血で体力も底をつきかけているため、魔物を追い返す力を使えない。

 レイナは目をつぶった。知能の低い下級の魔物に殺されるより、このとてつもなく強い力を持った魔族に殺されるほうが、ましだ。

(死んでも悔いはない、どんなときも誇りだけは捨てないわ……)

 青年の吐息がむきだしの肩にかかる。そして、かすかな痛み。歯を立てられたのだ。生きながら喰われるとは、なんと残酷な運命だろうか……。

 そう思った時だった。青年の冷たい唇がレイナの首に吸いついた。痛みの代わりに走る快感。力が抜けてゆく……。

 貧血状態からさらに血を吸われ、レイナは床に手をついた。くらくらして頭が上げられない。

「……あなた、吸血魔族なのね……」

 息が上がっているのが妙に悔しい。伝説では、異性の魔族による吸血には性的快感が伴うというが、まさか、これがそうだというのか。ざわめく胸に、暴れる心臓。レイナは、ふと思い出した面影に罪悪感を抱き、唇を噛んだ。

「早く殺して……それから、好きなだけ、血をすすればいいわ」

 レイナが言うと、青年は立ち上がった。こころなしか、先ほどよりも顔色がいい。満足そうに唇を舐めていた。

「俺は、お前を糧としてこの屋敷に置く。殺しはしない……生きていれば血を作り続けるからな。肉を喰らうだけのような、下等な魔物と一緒にされるのはごめんだ」

「そんな……っ」

 背に、ひやりとした、青年の手が当てられた。傷をわずかに触れていない位置にあるが、その手つきは明らかにレイナを脅していた。言うことを聞け、さもなければこの傷をえぐってやる――そう、言っていた。レイナは想像される激痛で青ざめた。その様子を見て、青年は片側の口角だけを上げて笑った。

「それでいい……恐怖もまた、俺の糧だ」


 青年が去ったあと、一人部屋に残されてしばらくしても、レイナは恐怖と怒りと困惑と……あらゆる感情の渦にのまれ、動くことができなかった。



ちなみに、

・魔物……人にあらざる禍々しい怪物

・魔族……魔物だが、特に知能・能力が高い


作者の勝手な解釈です…

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