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28.侵入者

「また、お話、できなかったな」

 ぼそっとつぶやいたレイナを見て、セルヴィは苦笑した。

「レンがせっかく主に向き合う決心をしてくれたのに、すみません。主も腹をくくらないとだめですよね。……あーあ、やっとぼくの理想に近づいたと思ったのに」

「……理想?」

「いいえ、こっちの話です。お気になさらず」

 なんだかかわいらしい笑顔にはぐらされてしまってレイナはそれ以上聞けなかった。

「さて、こんなに頑張った武装も意味なかったし、いつものローブに着替えてこようかな」

 セルヴィは残念そうにレイナを止めたが、正直、この締め付けから早く解放されたかったので、さっさと自分の部屋に引き揚げることにした。

 開け放たれた窓から心地よい風が入ってきて、レイナは深呼吸をしようとした。が、コルセットのせいで肺が膨らまない。さっさと脱いでしまおうと、ドレスを脱いだ。コルセットとペティコートだけという下着姿がなんだか軽く感じられて、レイナはほっとした。背中に腕を伸ばして、少しずつコルセットの紐を緩めているときだった。

 ――ちゅんちゅん

 愛らしい声にレイナが顔を上げると、バルコニーの桟に小鳥が一羽とまっていた。

「まあ」

 それは銀色の羽をした小鳥で、口に小さな赤い石をくわえていた。物珍しく、レイナは着替えも途中でそのままバルコニーに歩み出た。小鳥はレイナが近づいても逃げようとしない。

「おいで」

 試しにそっと手を差し伸べると、小鳥は素直にレイナの指に跳び移る。

「その口にあるのはなあに? 宝物かしら」

 レイナがふふっと笑ったのに答えるように、小鳥も体を揺らした。

 そして、光がはじけた。



 ***



 ギルバードは“いつもの場所”に来ていた。といっても今日はヴァスカに渡す荷物はない。手ぶらである。

 彼はこれから“謎の娘、垣間見作戦”を実行するのだ。これを思いついてから数日、普段は使わない頭をフル回転させて迎えた決行日。柄にもなくわくわくしていた。

(俺の弱いおつむじゃどこまでやっこさんに通用するか分からんが、まあ、暇つぶしくらいにはなるだろ)

 魔族の一生は長い。下等な魔族であるギルバードもそれは変わりない。短い人生をさっさと終えていく人間の中にいるギルバードは、ときどき強い刺激が無性に恋しくなるのだ。

「そんじゃ、ま、作戦開始といきますかい」

 言うと、ギルバードは懐から小さな赤い石を取り出し、それを両手で包みこんだ。じっと集中して石に魔力を集める。やがて石に力が満たされたのを確認し、髪を一本抜いた。ふっと息を吹きかけてやると、それは銀の羽をした小鳥になる。小鳥に石をくわえさせ、ギルはそれを空に放した。

 銀は、神聖な色だ。それに小さな動物ならヴァスカの結界もきっと通り抜けられると考えての策だった。

(うまくいくといいがなあ)

 気楽に切り株に腰かけ、自分の魔力のこもった石の気配を探る。直後、一瞬ビリリとしびれるような刺激があったが、すぐに元に戻る。おそらく結界を抜けたのだ。ギルはそれでもじっと切り株に座りつづけた。やがて、自分の魔力の気配がひとつの場所で止まった。

(見つけたか)

 そこではじめてギルバードは腰を上げ、何やら複雑な図形をたくさん組み合わせた絵の描いてある布を広げた。その図の中心の円に立つ。そして、自分の魔力の片鱗の気配に意識を集中させ、それに添うように神経を研ぎ澄ましていく。

 数分後、森の中のギルバードの体は強い光とともに消えた。



 ギルバードがぱっと目を開けると、そこは明るい光の差し込むきれいで広い部屋だった。目の前には手を差し伸べている美しい娘。しかも下着姿だ。きれいなミントグリーンの瞳を見開いて、艶やかな唇がかすかに開いている。

 ドクン、と、心臓が暴れた。

 ――なんだ、この感覚。この匂い!

 ギルバードは吸血魔族ではない。彼らのように血を欲し不思議な喉の渇きを覚えることはないのだが……今、初めて、目の前の娘の血を啜りたいと、肉を食みたいと、思った。

 ギルバードの目に妖しい光が宿ったらしい。我を取り戻した娘。脱兎のごとく背を向けて走り出した。反射的にその姿に手を伸ばす。掴んだのは琥珀色の髪。娘の体がのけぞった。がくりと膝をつく。慌てて立とうとしたところを、後ろから首を掴んだ。

「お前……いい匂いがするな?」

 ギルバードは彼女のうなじに顔をうずめた。レイナの肌に、ぞぞっと鳥肌がたつ。それに気付き、ギルはさらに笑みを深めた。片手は首をゆるく締めたまま、もう片手で娘の腰を抱き寄せる。鼻をスンスン言わせて、匂いのもとをたどった。それは、大きな傷だった。娘の処女雪の肌を斜めに走る赤黒い大きなかさぶた。そこをべろりと舐めた。

「やめっ……!」

 レイナは不快感に声を上げた。が、すぐに喉を締め付けられる。

「声をあげたり、抵抗したりしたら、この喉笛を握りつぶしてやるからな」

 耳元でささやかれた。その途端、レイナの胸に死への恐怖が膨れ上がった。

 逃亡生活の中、レイナはどこか、自分の生を諦めてきた。復讐を果たすためと強くがむしゃらでいる反面、それはひどく脆く危うげで、誰かのために生きるのではなく、憎しみに取りつかれた人形だった。だがしかし、今――セルヴィと、ヴァスカのため。レイナは、死ぬことがとても恐ろしかった。それまで魔物を何度も撃退してきたように、この魔族も倒してしまえばいい。そう思うのだが、いざ死に直面して、手も足も出なくなってしまったのだった。

(どうしたの、私……! 動け、体っ……)

 必死に念じるが言うことを聞かない。その間にも男の舌が背を這っている。ぞわぞわと悪寒がした。やがて男はシャンと音を響かせて、腰から短刀を抜いた。

「お前さん、なんていう血の持ち主だろうね……俺は、自分が狂ってるのが分かるぞ」

 お前の血が欲しい、と耳元でささやかれた。短刀がレイナの首筋をすうっと通る。

「つっ……」

 小さく焼けるような痛みがした。そこに男の唇が落とされる。ぐわん、と視界が歪んだ。久々の血を抜かれる感覚。こんなの、嫌だ。

 ――助けて。

(助けて、嫌だ、いやっ……助けて、助けて、誰か――ヴァスカ……!)

「――ギルバードっ!!」

 その時、雷のような怒号が落ちた。

 涙の向こうで黒い影が滲んで見える。

「おう、お早い登場で……ヴァスカ様」

(あ……)

 レイナは、なぜかほっとした。そんな自分に愕然とする。自分は、よりによって敵だと思っていたヴァスカを真っ先に思い浮かべ、彼に助けを求め、そして現れてくれたことに喜んでいる。

「貴様……何をしているか分かっているのか?」

 ヴァスカの低い声には怒りが含まれていた。

 レイナは、自分を襲ったのがギルバードといって、ヴァスカと知り合いらしいということまで把握した。

「分かっているとも、もちろん。ただ、こんなことになるとは予想外だった。俺はただ、お前さんが惚れこんでる女を一目見るだけのつもりだったんだよ……いつかのようにな。けど、この娘、ただの人間じゃないな。血の匂いを嗅いだ途端、魔族の血が騒いだ。おかげでこの通りさ」

 そう言って、ギルバードは再びべろりとレイナの首筋を舐める。

「お願い、やめて……」

 レイナは、そんな姿をヴァスカに見られるのがものすごく嫌だと思った。なぜこんなに嫌なのか、自分でも分からない。しかし、そう言われたギルバードはますます下卑た笑顔を広げ、舌舐めずりをした。

「いいねえ、その顔。魔族としても、男としても、お前を手に入れたくなるよ」

 くつくつと笑い、短刀をレイナの首元につきつける。

「よう、ヴァスカさんよ。俺と取引しないか? この娘をくれたら、お前が欲しがってた情報をいくらでもくれてやるよ」

「……なに?」

「実はな、俺、お前が探してる男のこと、誰なのかだいたい分かったんだよ。確かにこの国に来てるぜ」

 それを聞いたヴァスカは、ぴくりと眉を動かす。

「な、知りたいだろ? そのためにこんなとこに結界まで張って、人間界に留まってんだろ?」

 ヴァスカはふと目をつぶり、口元に歪んだ笑みを見せた。

「――やはり、そうか」

「はっ?」

 次の瞬間。レイナは床に落ちた。締め付けられていた気管が突然解放され、激しくむせてしまった。涙目で見上げると、ヴァスカの手がギルバードの首と短刀を持った手を捕まえていた。涼やかな顔のヴァスカと対称的に、ギルバードはかなり苦しそうだ。

「残念だったな、今はお前のその情報より、この娘のほうが幾分利用価値が上だ」

「なんだ、と……」

 はた目から見ても、ヴァスカの手にぐっと力がこもったのが分かった。

「お前はここで死ね――雇い主(おれ)に逆らった罰だ」

 ヴァスカの魔力が爆発する、と思ったその瞬間――ギルバードは強い光に包まれた。

「殺されてたまるかよっ」

 そんな捨て台詞とともに、彼の姿は消えた。こつん、と床に小さな何かが落ちる。それは銀の小鳥がくわえていた赤い小石だった。ヴァスカはそれを指先でつまみあげると、そのままぐしゃりと割ってしまった。

「移動の魔石とは……小癪なまねを」

 そして、足もとに横たわるレイナに視線を移した。首の傷は浅く、すでに血が乾き始めている。しかしかなり強く絞められたのか、首にはギルバードの指の跡が残っていた。胸の奥がむかむかするのを無視してすっとそばにしゃがんで、その首に両手を伸ばす。はっとして、瞳に恐怖と闘志をよみがえらせたレイナをヴァスカは睨みつけた。

「殺しはしない……さっきも言ったが、お前に利用価値ができた」

「利用、価値?」

 疑問には答えず、両手で彼女の首を包む。その冷たさにレイナの体がびくりと揺れた。そんな、当たり前の反応にもなぜかイライラし、また、反面寂しさを覚えた。

(いよいよ、俺も末期か)

 なぜ寂しさを覚える必要がある。ぎゅっと目をつぶると、瞼の裏に浮かんだのは、下着姿で腰をとらえられ、抵抗もせずにギルバードに血をやったレイナの姿だった。すると胸にどす黒い渦が広がる。 

(くそっ、コレ(・・)は一体、何だって言うんだ……)

 つい力を込めそうになる手を叱って、そのまま彼女の首に触れたまま、魔力を集中させる。すぐに首の傷はふさがり締め付けの痕も消えた。

「ありがとう……ヴァスカ」

 ヴァスカははじかれたように顔を上げた。ばちりとミントグリーンの瞳と目があう。それにうろたえて、さっさと部屋を後にした。

 初めて、名を呼ばれた。それだけだ。熱い。顔が、耳が、首が。それはきっと、全速力で走っているせいだ。――ヴァスカは黒い風のように去っていった。

 一方レイナは、床に座り込んだまま、強い想いにとらわれていた。

 襲われて、ヴァスカでない男に血を奪われ、レイナは初めて自分の気持ちを認めた。

(私は――好き。彼が、ヴァスカが)

 その存在のために生きたいと願い、真っ先に助けを請い、他の男にいいようにされているのを見られたくないと思い、見捨てられるのが恐ろしいと感じた。

 本当は嬉しかったのだ。彼が、あのギルバードからの情報でなくレイナを選んでくれたこと。どういう価値かは知らないが、どんな理由であれ利用価値があると言って、手元に置いてくれること。しかも、また、傷まで治してくれた。

 残酷で、容赦なく強くて、レイナの敵の吸血魔族だけど、ときどき見せる寂寥や人間くささはレイナと一緒。まるで助けを求める小さな子どものように感じてしまうのは、おかしいだろうか? 否、それが彼の冷酷さの根底にあるものなのかもしれない。そうレイナは確信していた。彼の過去には、何か、ある。

(私は、そんなヴァスカを救いたい。楽になっていいんだよって、言ってあげたい……)

 ああ、自覚しただけで、こんなにも幸福になるものか! ヴァスカが好き。憎むべき敵と同族だとしても、彼は彼だ。あの男と同じと思うことがそもそもの間違い。同じ色の紫紺の瞳に宿るのは、奴と彼では全く違うではないか。

 レイナは理由の分からない涙をぽろぽろとこぼしながら、しばらくの間、横たわったまま震えていた。

 胸の内はあたたかい。強い力が、湧いてきた。



 ***



「はあ、はあっ……」

 ギルバードは強い光から飛び出し、“いつもの場所”でうずくまっていた。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。置いてあった魔法陣に、こうして魔力を使って帰ってくることは計画の中になかったのだ。

「ちくしょっ……さすがに死ぬかと思ったぜ……」

 さすがにあれは、怖かった。常にない激情秘めた、高貴なる紫紺の瞳。あれで本人は自覚がないのだろうか。

「ありゃ、完全に嫉妬に駆られた色なのになあ」

 息が整い始め、改めて娘のことを思い出す。美しい金茶の髪は光に輝き、雪のような肌は滑らかでギルバードの荒れた手にも吸いつくようだった。そして、あの血。魔の者を狂わせ虜にする媚薬。さらに体の内に秘めたるは清浄なる聖なる力ときた。手に入れたくても手に入らない、至高の存在、と言った感じだ。

(やっこさん、ああいうのに弱いからねえ)

 よっこらせ、と重い腰を上げた、その時。異様な気配を察して、ギルバードは固まった。あたりの空気がずんと重く冷たく沈み、恐ろしいほどのプレッシャーを感じる。

 ガサ、ガサ……と、一歩一歩を踏みしめながら近づく足音があった。それは中腰で動くことのないギルバードの目前でとまる。心臓がバクバクとなっていた。まさか、この感覚。

「面を上げよ、下等なる同胞よ」

 操り人形のように、ゆっくりと、顔をあげた。目の前にいるのは、背の高い男。

「あ、あなた様は……」

「お前から、愛しい者と憎き者の気配がする」

 ギルバードは呆然としてその場に膝をついた。

 それを見て、男はにたりと笑った。黄金の髪が風に揺れ――紫の瞳が異様な焔を上げながら三日月型に笑みを刻んだ。



穏やかな日常で事件発生。


レイナが自分の気持ちを自覚し、ヴァスカは少しずつ核心に近づいていく。

そしてギルが出会った男とは?


物語が動き出します。

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