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25.赤き呪いに奪われたもの

「きゃっ」

 レイナは爆風で吹き飛ばされ、廊下の壁に叩きつけられた。寝室の扉は大破していて、そばには二人の近衛兵が倒れていた。もうもうと立ち込める煙で視界は悪かったが、部屋の奥で、ゆらりと大きな影が立ちあがるのが見えた。うずくまっていた衛兵も上体を起こし、頭を押さえながらあたりを呆然と見渡す。

「陛、下……! ご、ご無事、ですか?!」

 先に立ち直った衛兵の一人が部屋に駆けこんで、ゼデキアの脇に肩を入れた。ゼデキアはそうとうな痛手を被ったらしく、額を押さえて恐ろしい呻き声を出していた。おろおろする衛兵を振り払い、彼はざらついた声を荒げた。

「その娘を捕らえよ、余を傷つけるとは、許さん……!」

 その途端、レイナのそばで座り込んでいた衛兵がぱっと立ちあがった。レイナもはっとして逃げようと床に手をついたが、衛兵に髪を掴まれた。ぐんと引っ張られて軽く体が持ち上がる。

「貴様、陛下を襲うとはっ……その罪の大きさ、どんな死でも償えはしないぞ……!」

「っ……」

 涙目をうっすらと開けると、涙と煙の向こうで、紫の双眸がギラリと光った。

(――だめ、殺される……!)

 そう思った瞬間、レイナは躊躇する間もなく衛兵の手に爪を立てた。一瞬ひるんだ衛兵の手を逃れ、レイナは走りだす。

「小娘がっ……待っ――うぐっ」

 後方で二人の兵士が呻き声を上げて床に崩れたことを、レイナは知らない。

「この俺を怒らせるとどうなるか……思い知るがいい」

 逃げる少女の背を睨みつけながら、ゼデキアは衛兵の血で濡れた手をベロリと舐めた。彼の怒りの捌け口にされた哀れな衛兵たちは、自身の死を自覚する間もなく、目を開けたまま絶命していた。

「腹は立つが、しばらくの間、いい暇つぶしになりそうだ……く、くくっ……」


 しばらく走って、レイナは後ろを振り返った。人が追ってくる気配はない。

 闇夜と騒ぎに乗じて、レイナは城門を抜け出し、今は家に向かう途中だ。馬車で数刻の道のりが歩いてどれくらいかかるのか全く分からなかったが、今の彼女に逃げる場所は我が家しかなかった。整備された通りをそのまま歩くのは危険だと思ったので、道のすぐそばから広がる森の中を、道に沿って進んでいた。

 歩きながら、視線は自然と下向きになり、まとまらない思考はぐるぐると巡る。

(私が〈白き力〉を持っていたなんて……)

 自分の記憶もないころ、レイナもちゃんと教会で洗礼を受けている。それは昔に母が見せてくれた証明書に書かれてあるので事実だ。そのときはレイナに力は認められなかった。生まれつきでなく、成長するにつれて〈白き力〉を発動するというのは前例がないことはないが、それでも稀なことだ。しかも、その力は器であるレイナの身を守るように、彼女の意思に関係なく勝手に発動しているようだった。最後の大爆発だって、レイナは自分がやったことだと未だに思えないくらいだ。

(そして、国王陛下が……魔族で、城の者たちは、だまされている……)

 ゼデキアは、ジェフリーはれっきとした人間だと言った。それを信じるのだとしたら、長くてジェフリーが生まれた十八年ほど前から、あの男は王座に居座っていることになる。ジェフリーの本当の父親――国王はどうなったのだろうか。ゼデキアに殺されてしまったのだろうか。

(生きておいでだといいのだけれど……あの男のことだわ、きっと……)

 そう考えて、レイナはぶるりと身ぶるいした。嫌な予感が胸を蝕む。痛いほどに心臓が脈打った。

 いてもたってもいられず駆け出した。靴はとっくに脱げて裸の足の裏はすでにぼろぼろだ。森が広葉の木々で助かった。針葉では、もはや歩くこともできなかっただろう。

 いくらお転婆と言えど、所詮レイナは貴族令嬢だった。少しも行かないうちに息が切れて走れなくなった。夜はゆっくりと更けていく。疲れが押し寄せてきて、レイナはちょうど見つけた大木のうろの中に体をねじこんだ。じめじめとして、土臭い。しかし不思議とあたたかかった。少し眠ろうかと思ったが、なぜか目が冴え、じっとしていられなかった。ドレスの裾を渾身の力で裂いて両の足に巻き付け、すぐにその場を後にした。

 嫌な予感は胸の中に黒いしこりとして残ったままだ。せっせと歩くうちに、東の空が薄明るくなってきた。それと同じくして、景色は多少見慣れたものに変わってくる。ハーシェル侯爵家の領内に入ったのだろう。

 自然と早足になる。

 空が赤く血のように染まっている。異様な朝焼けだ。今まで見たこともない。

 早足から、駆け足になる。

 嗅いだ事のあるようなないようなにおいが漂ってきた。冬の暖炉のそばにいるような、においだ。

 レイナは前に進むのをやめた。森を真横に突っ切る。道へと飛び出した。

 途端、目に映ったのは――巨大な、赤。

 ゴオオォォ……と、風のような音がする。

「あ……」

 頬が熱い。こんなに離れているのに。焼けるようだ。否、当たり前だ――屋敷は踊る炎に喰い殺されているのだから。

「ああ、あ……!」

 レイナは言葉にならない声を上げ、足の痛みを忘れて走りだした。

「父さま、ロビン……! 父さま………ロビン…………!!」

 姿の見えない二人は。まさか。

「……ひ、ひ……め、……さま」

 消え入りそうな声。耳障りな炎の音の間から、レイナは声を聞いた。左手の先を見やると、女が倒れていた。

「マーサっ!」

 それは屋敷中の侍女たちをまとめる年かさの侍女長だった。

「よくぞ、ご無事にお戻りで……早く、お逃げください、ませ」

「ああ、マーサ、喋らせるのは酷だけれども……一体何があったというの……?!」

 侍女長は全身にひどい火傷を負っていた。声はかすれて口の端から吐血の痕が見られるし、熱で気管を焼いてしまったのかもしれない。

「わたくしは、姫様を、信じております……どうぞ、お逃げくださいませ……」

 侍女長の視点は定まらず、もはやレイナのことも見えていないのかもしれない。言っていることも脈絡がなくレイナにはよく分からない。

「屋敷は……誰かに襲われたの? 父さまとロビンは逃げられた?」

「ああ、レイナさま、恐ろしいことに……」

 マーサは焼けただれた頬を涙に濡らしながら声を絞り出した。

「突然、国王軍の制服を着た男たちが押し入ってきて、出かけようとしていたご主人さまを斬りました……ロビンさまは部屋から引きずり出され、身動きできないように縛られ、まだ意識のあるご主人さまの隣に……。男たちはしばらく屋敷中を物色して、口ぶりから、姫さまを探しているようでした。いないと分かったらあなたを待とうとしていた……」

 ごほごほとせき込むと、口の端から血の混じった泡が飛ぶ。

「しかし、数刻のち数人の〈白の聖僧〉たちが、なんと、檻に入れた醜い悪魔を連れて入ってきたのです……そして、悪魔を放つと使用人たちはそれに喰い殺され、騎士たちは屋敷に火を放ちました……ご主人さまはまだ意識がおありで、ロビンさまも、縛られたままで……」

 炎は一気に広がったそうだ。隠れて気付かれなかったマーサは、仲間を喰い殺した悪魔が、知能が低かったらしく自ら炎に飛び込んで焼け死んだあと、ロビンたちのもとに駆け寄った。主人の傷は深く、もはや虫の息だ。ロビンを縛っているロープもほどけぬほどに固く、複雑に結ばれていた。それでもなお迫りくる炎の中で二人を解放しようとするマーサに、ロビンが言った。

『マーサ、父上は……もう……。ぼくにしたって、これじゃあ、逃げられない。どうかマーサ、あなただけでも逃げのびて。そしてきっとレンに……姉さまに会って、いきさつを話してください。騎士たちの様子では、姉さまはここに向かっているようだったから……早く、一刻も早く、遠くへ、逃げるようにと』

 そう言った顔は、幼かったはずの少年ではなく、すべてを覚悟した、立派な侯爵だったという。

「気が動転して、わたくしは、動けないお二人を置いて逃げてしまった……」

 マーサはついに声を上げて泣き始めた。声といっても、喉を空気がヒュウヒュウと通る音がするだけだったが。

「マーサ、悔やむことはないわ……結果、こうしてあなたは私に情報を与えてくれたのよ。ロビンの判断は正しかったわ……」

 そう言うレイナの声も震えて、涙が止まらなかった。

「レイナ様……お二人の命にも代えて、あなたをお守りしたかった……だけど、マーサの役目は、ここで終わるようですわ」

 最後に薄く微笑むと、マーサはありがとう、ごめんなさい……と呟いて、レイナの腕の中で亡くなった。

 レイナは嗚咽を漏らし、燃え上がる屋敷を見上げる。

「ロビン……すっかり大人になって……」

 弟の最期の雄姿を教えてくれた侍女長の亡骸を、レイナはその場にそっと横たえた。胸の上で手を組み、涙をあとを拭ってやる。魂が抜けた体は不思議なほどに重く運んでやることができなかったので、レイナは素手で土を掘り始めた。せめて、この場に埋めてやろうと思ったのだ。

 しかしいくらも掘り進まないうちに、家の向こうから声が聞こえてきた。数人の男のようだ。笑っている。

「魔物に追われた奴らの姿は、傑作だったなあ!」

「ああ、高名な画家に頼んで、額に入れてももらいたいくらいだったよ」

 げらげらと、下品な大笑いだ。レイナは庭の向こうから現れた男たちの姿を見て、愕然とした。

 本当に、国王軍の制服を着た男と、〈白の聖僧〉たちだった。

(ああ、まさか本当に……。マーサの見間違いであってほしかった……!)

 マーサの遺体にすばやく祈りを捧げ、心の中で謝罪し、レイナは立ちあがった。それとほぼ同時に、向こうも彼女の存在に気付いた。

「おい、あれ……」

「間違いない! 追うぞ!」

 レイナは、一か八か厩舎に向かって走った。もしかしたらレイナの愛馬がいるかもしれない。交通手段の馬を殺すということにまで、奴らの気が回っていないことを祈るばかりだ。

 厩舎に近づいてくると、中から馬のいななきが聞こえてきた。間違いない、これはレイナの愛馬のものだ。

「バドル……!」

 その名を呼んで近づくと、愛馬バドルは何かに脅えているのか、主人の危機を察しているのか、少し興奮気味だった。すぐ後ろには聖僧たちが迫っている。レイナは震える手でバドルのたてがみをなでながらそっと話しかけた。

「バドル、お願い……あなたの力を貸して。あなたの足を、信じてるから……だから、」

 必死さを含んだささやきは伝わったのか、すぐにバドルは落ち着きを取り戻し、乗れと言うように首を下げじっとしている。レイナはありがとう、と言ってドレスのままひらりと器用にその背にまたがった。裸馬にはあまり乗り慣れていなかったが、それがバドルなら、レイナには乗りこなす自信があった。もうずいぶん長い仲だ。

 入ってきたのとは反対の出入り口から、レイナを乗せたバドルは飛び出した。同時に追手も厩舎に乗り込んできたが、一歩遅かった。

「くそっ、やられた!」

「はじめに、すべての交通手段を遮断しておくべきだったな」

「陛下にはすぐに伝書を飛ばせ。半分はここで待機、半分は娘の追跡に向かわせる」

「轍の足跡を追え! 絶対に見逃すなよ!」

 レイナは背中で男たちの怒号が飛ぶのを聞きながら、庭を突っ切り、再び森の中に隠れた。ひたすら、屋敷から離れるため走り続ける。

(ああ、神よ……)

 レイナはバドルのたてがみにしがみつきながら、ぎゅっと目をつぶった。頬を涙が濡らす。

(私に力をください……あの男を葬り去るだけの力を、私に……!)


 ――その日、レイナは家族を失くし、平穏を失くし、帰るところを失くし、愛する人との幸せを失くし、教会への崇心を失くし……多くのものを失くした。

 引き換えに魔の黒き力に対抗しうる強大な力だけを得て……。




長いレイナの過去編終わりですー

次回から、二人の関係に動きがある……かも?

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