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24.黒幕

 二人の関係は秘密でなくてはいけないというわけでもなかったが、特にレイナは王太子ジェフリーと好き合う仲だということを隠したがった。ジェフリーがなぜかと問えば彼女は曖昧に笑って、「不必要な混乱を避けるためです」と言った。

 しかしジェフリーには分かっていた。レイナは、自分の家では王太子妃という立場には少々低いと考えているのだ。確かに愛人・側室ならともかく、侯爵家の出で王太子妃、つまりは未来の王妃というのはなかなかいない。少なくとも公爵家の娘であるのが理想だし、たいていは同盟を強く確かなものにするため、異国の姫をもらうのが普通なのだ。

 王族の結婚というのは当人たちの感情でされるものではない。すべては国のため。愛を感じていなくても、国にとって有益な話なら、男女は周りによって結ばれる。

 だからレイナは、ジェフリーが自分と結ばれることで評判を落としたり、国になんの利益ももたらせないことを心配しているのだった。そしてその心配から周りは二人の仲を引き裂こうとするだろうし、ジェフリーは王太子としてそれを拒めない。もしそうなってしまったとき――ジェフリーがレイナを捨てる時――自分があっさりと彼を諦められないと、分かっていた。

 それでも、色んな不安を抱えて臆病になりつつも、レイナはやはり彼を求めている。ジェフリーも彼女を求めている。

「レイナ、ついに今宵だ。今宵、ようやくわたしたちのことを公にできるね。こうしてコソコソするのでなく、堂々と、人前で会えるよ」

 レイナは嬉しさのあまり、自分からジェフリーの首に抱きついた。

「ええ、とても嬉しい! 国王陛下が寛大なお方で良かった……」

 愛おしげにレイナの頭をなでながら、ジェフリーは苦笑した。

「わたしも、今回の提案には驚いたけどね」

 現国王、ジェフリーの父は、適齢期を迎えてもなかなか相手を見つける気配を見せない我が子に対し、「お前の気に入った相手なら、私は認めよう。次の舞踏会までに花嫁を見つけ、招待客の前でお披露目せよ」と言ったのだった。おそらく、息子に意中の相手がいることに感づいたうえでの命令だったのだろうが、紹介の機会を逃したままだったジェフリーにはありがたい話だった。

「陛下は認めてくださるかしら……しょせん侯爵家の、こんなじゃじゃ馬娘……」

 ジェフリーはくすりと笑った。

「じゃじゃ馬だという自覚はあるのだな?」

「もう、からかわないで! 真面目な話です」

「……ああ、分かっているよ」

 レイナはむすっとしたまま、ジェフリーの空色の瞳を見詰めた。

「大丈夫さ、父上は嘘をつかない堅実な王だよ。それに今回のことは、わたしと恋仲の上流貴族の娘がいるという情報を聞きつけての提案なのだから、はじめから、あなたと知らなくても誰かしら身分ある子女を紹介されると知っている」

 自分に言い聞かせるだけでなく、ジェフリーの口からはっきりと「平気だ」と言われ、レイナはようやく駆られる不安から少し解放された。ほんのりと笑みを浮かべた彼女の唇に、たまらずジェフリーは自身のそれを重ねる。

 しかしすぐに離れると、もう一度レイナをぎゅっと抱きしめた。

「さて、わたしは行かなくては。そろそろ王太子として会場に登場するのでね。……皆の前で、あなたにひざまずいて手の甲にキスするのを楽しみにしていて」

 はい、と返事をするとひらりと身を翻してしまったジェフリーに名残惜しさを感じながら、レイナは彼の背を見送った。闇の向こうに彼が消えた後も、レイナはバルコニーにとどまった。会場が騒がしくなり始めたら戻ろうと思っていた。

 今宵も見事な満月。二人が初めてであった時のような――。

「――麗しき月の女神、レイナ・ローズクレア・ハーシェル……そなただったのか」

 突如背後に立ち上った気配。

 レイナはぎょっとして振り返った。そこには、柔和に微笑む中年の男が立っていた。

「え……?」

 訳が分からず、レイナの思考は止まる。

 男は金髪を月明かりに幻想的に照らされながらレイナを見下ろしている。威厳とも威圧感ともとれる気配は、常ながら人の上に立つ者だからこそ、出せるものだった。

「こ、くおう、陛下……!」

 さーっと体を緊張が走り、レイナは崩れるように膝をついた。王であり首長である彼の人。レイナごときが見詰めるなど、無礼も甚だしい。

「恐れながら、礼を欠いた態度、お詫び申し上げます……申し訳ございません」

 すると王は愉快そうに笑い、手を振った。

「よい、よい。面を上げよ。……そなたのことは知っている、ハーシェルの前当主がたいそう可愛がっていた孫娘だろう? 息子の謎の想い人は、なんとまあ、噂にたがわぬ聡明で美しい侯爵子女だったのか」

 レイナはじっと頭を垂れたまま、重々しくつぶやいた。

「今回はこのような機会をいただき、至極恐縮でございます、陛下」

「ふむ。実に恭しい態度でよろしいが、仮にも家族……もとい義娘となる相手に、そこまで恐縮されても、余は困ってしまう」

 その言葉にレイナははっと顔を上げた。微笑む国王と目が合って慌てて元の姿勢に戻したが、自分が真っ赤になっているのが分かった。

「ご報告が遅れて申し訳ありませんでした。私……ジェフリー王太子殿下と、」

「待て待て、女性にそれを言わせるつもりはないぞ。続きはあの幸せ者な息子から聞こう」

 そう言うと国王はレイナの腕をひっぱって彼女を立たせた。あんまり軽いんで驚いたぞ、などと笑いながら、国王はレイナをつれて城に入った。パーティ会場でなく王族用の通用口だった。

「余とジャフが会場に出るまで、まだ少し時間がある。それまでそなたと水入らずで話をさせてほしいのだ」

 息子をジャフと愛称で呼ぶ国王は、まるで自身も少年かのように若々しく、目を輝かせている。その後ろを若干重い足取りで着いていくレイナ。

 レイナとしては、国王たっての願いで強引にも連れてこられたため無下に断るわけにはいかず、かといってジェフリーがいないところで国王と二人きりというのは想定外の出来事で緊張のしすぎで死にそうな思いだった。

(それに、なぜだか、陛下のお側にいると鳥肌が立つ……悪寒のようなものを感じるわ。これが人の上に立つ者の威厳、なのかしら。だとしたら、凄まじいものを背負っているのだわ、国王というものは……)

 もんもんと考え込んでいると、前方の大きな背中が立ち止まり、一つの扉を押しあけた。国王に続いて部屋に入ってみると、そこはとてつもなく大きな……寝室だった。

(し、寝室?!)

 驚きのあまり、レイナはその場に立ち尽くした。

 王城のこんな奥に入ったこともなければ、もちろん、恋人ジェフリーの閨室に入ったこともない。なのに、まさか、国王陛下のベッドを目の前にするなんて!

 この世の終わり、のような顔をしていたらしいレイナを見て、国王は思わずといったふうにふきだした。

「そんな死にそうな顔をするでない。余は息子の恋人に手を出すような趣味は持っておらん。ここなら、護衛は今はいないし、まさかこれからパーティに出なくてはいけない国王が寝室にいるなど誰も思わないであろうからな。……二人、水入らずで、と言っただろう?」

 にっこりとほほ笑まれ、レイナはカクカクと頷いた。国王に対して低俗なことを考えてしまって、ひどく恥ずかしかった。そういえばなんでこの国王には近衛がついていないんだろう、とか、そういったささいな疑問も吹き飛んでしまった。

 国王はベッドサイドのテーブルセットを勧め、自身がまず座った。レイナもおずおずと向かいの席に座る。ティーセットがないのが残念だ、と国王は笑い、それから、しっかりとレイナと向き合った。

「して、そなたは、ジェフリーのことをどう思っておる?」

 単刀直入に問われた。あまりにまっすぐに聞かれたため、一瞬驚いたがレイナは赤面することもなく、穏やかに言葉を紡いだ。

「お優しくて、寛大で、頼もしい方です。心から……お慕い申し上げております」

「そうか、よかった……そなたのような子女なら、ジャフを安心して任せられる。実直で美しく、おまけに……いい血の持ち主だ」

「そ、そんな……」

 やたらべた褒めで、レイナは困ってしまった。しかし最後の「いい血の持ち主」というのにちょっと違和感を覚えた。一般に貴族社会で血と言えば、十中八九血筋――すなわち家柄を意味する。しかし先に説明したように、レイナは侯爵家の子女で、貴族の中では高位ではあるが王家に嫁ぐにはやや不安が残る。

(それとも、陛下はアディントン公爵家の勢力が強まるのを危惧しているのかしら……)

 アディントン家は古くから続く、由緒正しき公爵家だ。その血は遠い昔の王弟から始まる。そのため三つの公爵家の中で一番勢力が強く、王家とも婚姻関係を含めた頻繁な交流がある。今他の二家には年頃の子女がおらず、このアディントン家に唯一ジェフリーに釣り合う年の娘がいる。貴族たちはみな、王太子はこのアディントン公爵家の子女と結婚するものだと思っているし、それが本来のあるべき姿なのだ。

 しかし近年、王家とアディントン家の不仲説がまことしやかに噂されている。どんどん勢力が増していくかの家を、陛下は危惧し、侯爵家のレイナを嫁がせて牽制しようとしているのかもしれない……。そうだとすれば、レイナはとんでもない災厄に巻き込まれようとしているのかもしれなかった。

 レイナが物想いにふけっていると、廊下の遠くからバタバタと慌てた足音が聞こえてきた。

「っち、もう気付きおったか……」

 そうつぶやいて、国王が立ちあがる。思わず一緒に立ちあがったレイナを振り返って、彼はにっこりとほほ笑んだ。

「まったく、近衛たちは仕事が早くていかんな。せっかくそなたと二人きりになれたというに、邪魔立てされてはかなわん」

 そうして、パチンと指を鳴らした。途端、一瞬だったが、レイナの耳がぷつっとつまった。

「陛下? 近衛が探しているのでしたら、いらっしゃったほうがよろしいのでは……」

 おずおずと切り出せば、国王は再びにこりと微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、レイナの肌がぞわりと粟立った。何かが、違う、と思った。

「あ……の、陛下……?」

「せっかくそなたと会えたのに、この機会を放り出して近衛に捕まりに行くとでもお思いか? なあ、レイナ……」

 ゆっくりと迫る国王に、レイナは膝が震えだすのが分かった。何かが変だ、何か、おかしい。

 トン、と背中が壁にぶつかった。気付けば自分もじりじりと後退していたらしい。レイナは目前に迫った国王の瞳を金縛りにあったように見つめた。

 ――その宝石の如き紫紺は、美しくも、妖しい光を放っている。

 大きな手が、呆けたように動けずにいるレイナの細い首を締めあげた。

「かっ……は……」

 国王の爪が鋭く伸び、レイナの首の皮にぷつりと穴をあけた。彼は酔ったように瞳をとろけさせた。

「なんと……甘美な」

 爪についた血をぺろりと舐め、ほおとため息をつく。

「な、なに、を……」

 一体何が起きているのか、目の前の男が国王なのか、レイナには分からなかった。男は彼女を見下ろして、不敵に微笑む。

「我が名はゼデキア。人にあらざる者、“夜の住人”……平たく言えば、魔族だ」

「まぞく……」

 呆然と、意味も分からず言葉を繰り返す。そんなレイナを嘲笑うように、ゼデキアは目を細めた。

「安心しろ、お前が愛した王太子は正真正銘の人間さ。俺は何年か前から、国王の座を奪って、城中の者に暗示をかけて居座っているのさ。

 うまい血は聖なる力を持つ者に多い。この国は王が同時に首長でもある……教会を使えば、力ある者を見つけ出すのは容易いものだ。その点、“国王”は、都合のよい肩書きだな? もっともお前は力を持っていないようだが……その血は、魔界に在ればお前をめぐる戦争が起きてもおかしくないくらい、魅力的な味さ」

 ゼデキアはレイナの首に顔をうずめ、ふくらみ始めた血の玉を舌ですくいとった。ざらついた感触に、レイナは気持ち悪くて、怖くて、何もできないでいた。

「舞踏会で何度かお前を見かけて、その血の匂いを知って、お前をずっと欲しいと思っていたんだ。幸運にも、何も知らない王太子がお前と恋仲になってくれたおかげで、今日、こうしてお前を手に入れることができる」

 訳の分からない恐怖にガタガタと震えだしたレイナの肩を、ゼデキアはがっしりとつかんだ。

「お前を味わう日を、ずっと待っていた……!」

 ぐわっと口を開けた彼の犬歯は、常人ではありえないほど鋭く長く、とがっていた。それを目にした瞬間、レイナの本能が危険を察知した。途端、なぜか腹のあたりが沸騰したように熱くなった。訳の分からない感覚にレイナの目から涙があふれる。両の手をぎゅっと握りしめた。

「いや――――っ!」

 ジュウと何かが焼けるような音がした。

「なっ……?!」

 続いてゼデキアの困惑した声。肩から圧迫感が消えた。驚いて顔を上げると、その光景にレイナは胃液がせり上がってきた。

 ゼデキアは呆然と、両手を顔の前に持ち上げていた。その両手は手首のあたりまで赤黒く焼けただれたようになって、手の甲の所々から血に濡れた骨が見えた。

「貴様、〈白き力〉の持ち主か……! なぜ今さら力が覚醒した?!」

「ひっ……」

 血に濡れた手で再び、ゼデキアはレイナの首を掴もうとしたが――

「うぅっ!」

 彼女の喉に触れた瞬間、バチッとはじかれ、奥歯をギリリと噛みしめた。

「しかも、稀にみる強大さ……くそっ、やはり血と力は比例するのか」

 紫の瞳がギラリと凶悪な光を帯びる。ゼデキアの周囲の空気が闇をはらんで、ぐるぐると渦巻き始めた。

「娘、お前に選ばせてやろう。今ここでその不安定な力を使って俺と対峙するか、それとも、大人しく、俺にその血を捧げるか。……ただし、よく考えろよ。俺は国王であり首長だ。俺が黒と言えば白いものも黒くなる。選択次第で、お前の愛しい者たちの命の使われ方が変わってくる」

「あ……、わ、私……」

 レイナが逡巡していると、ドンドンドン、と激しく戸が叩かれた。

「陛下! 陛下! ご無事ですか? ここをお開けください、陛下!」

 ゼデキアは扉をちらりと振り返って、不敵な笑みを浮かべた。

「さきほど魔力で戸を封じた。俺が解かない限りこちらからの音はほとんど向こうに聞こえないし、もちろん、扉は開かない」

 ついさっき、ゼデキアが指を鳴らしたと同時に一瞬耳が詰まったようになったのは魔力が発動されたからだったらしい。それまで魔力だとかそういうものに全く無関係だったレイナは、自身の身に起こっている急激な変化についていけなかった。

 国王だと思っていた男は実は魔族で、レイナの血を欲する残忍なやつで、レイナ自身には〈白き力〉とかいうものが備わっていて、今、その力によって男が苦しんでいる。

(そして彼は私を手に入れるために、ジェフリー様や父上やロビンの命で私を脅している……?)

 それが分かった瞬間、レイナは迷うことなく膝をついた。

「どうか……どうか、ジェフリー様や家族を傷つけないでください。私の大切な人たちです……どうか」

「ほう、話が分かるな」

 ゼデキアは、白い力の気配がしぼまったレイナの体を壁に押し付けた。

「大丈夫だ、殺しはせん。その血さえ、作りつづけてくれればいいのだ、レイナ……」

 鋭い牙がゆっくりと近づいてくる。レイナはぎゅっと目をつぶった。

――いやだ、いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!

 ちくり、と首に小さな痛み。その瞬間、レイナの感情が爆発した。

(――いや、だっ……!)

 同時に、部屋に爆発音が響いた。



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