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21.それぞれの思惑

「主……」

 セルヴィはティーカップを乗せたソーサーをヴァスカの前に置き、気遣わしげに主人を見た。

 ヴァスカは困惑したような顔をしていたが、それはセルヴィも同じことだった。

 レイナが、あれだけの力をもっていながら教会にすら属していないこと。ましてや教会は敵だと言ったこと。そして何より、なぜ、あんなにも悲しそうな顔をしたのか。

(まさか、主に誤解されるのを嫌った……?)

 それはそれで、セルヴィとしては嬉しいことではある。だがこのままではいけない気がした。

 すべてが解決して、セルヴィが想像する誰もが幸せな未来を迎えるには、レイナの背負っている過去を知らねばならないだろう。ロビンことロバートという弟のことだけではなく、どうやらその弟の死が絡んでいるらしいレイナの心の傷、魔のものに対する拭いきれない警戒と憎悪、どうしてもこの屋敷から抜け出さなければならない理由、ヴァスカに助けられた夜に魔物に追われていたこと……聞きだしたいことは山とある。

 考えてみれば、セルヴィたちはレイナのすべての名も知らないのだ。なんとなく“レイナ”は偽名ではない気がするが、家名を知らないのではこの世に“レイナ”はごまんといる。彼女の正体を見極めるにはあまりにも情報が少なすぎた。

 そしてそれは、こちらも懐を快く開いてやれないからでもある。セルヴィとヴァスカにもすすんで話すことのない過去があった。どうやらレイナはそのことに気付いているようだが、彼らの過去を知りたがれば自身のことも尋ねられ話さないわけにはいかなくなると分かっているから、触れようとしない。

 レイナと、ヴァスカとセルヴィ、お互いにだんまりではなにも進展しないだろう。どちらが先に切り込んでいくのか、それとも何も知らないまま終わるのか、それは当事者の三人次第だ。

(ぼくは……レンと三人でいたい。それ以上に、主に――ヴァスカに、幸せになってほしい。レンはヴァスカを嫌ってはいるけど、憎み切れてるようでもない。むしろ、自分と重ねてるようにさえ思える)

 だったら、もうひと押しではないのか。こちらから壁を取り払えばレイナも心を開いてくれるはずだ。

 壁――すなわち、セルヴィとヴァスカの秘密、そしてここにいる理由。

(ぼくらの大きな影……)

 二人の関係を確実にむしばみ、ゆっくりと水底に沈めていくような傷。それを癒してくれるのは、きっと、レイナだ。ヴァスカとセルヴィの心にここまで入り込み、少なからず影響を与え始めている彼女。

 恐ろしく久方ぶりに頭に響いたあのハープシコードの音が、最後の鍵だったのかもしれない、と、セルヴィは思うのだった。


 ***


「よおギル、いやに上機嫌じゃねえか」

 隣の席にどっかりと腰をおろして、商売仲間の男が笑った。乱杭歯が今にも抜け落ちそうに見えるほどぼろぼろだ。酒で赤くなった鼻をこすっている。

「おお、おかげさまでな」

 ギルバードは男の言うとおり上機嫌だった。今も、高くないがうまくもない酒をちびちびと楽しんでいる。

「どんないいことがあったんだ? これか?」

 男はピッと小指を立てて見せた。

「いいや、まあ、全く関係ないわけじゃないが、違うな」

「なんだ気持ち悪い、はっきりしろや」

 男が手にしていた杯をあおって、酒臭い息を吐いた。

「実は、俺のお得意さんにコレができたみたいでな、からかってやるのが楽しいんだ」

 ギルバードは自身の小指をひらりと振って、にやにやした。

「へえぇ、そう、なるほど。それでその女をお前さんが狙ってるというわけか」

 男はガラガラになった声で大笑いした。もはや酔っ払いに何を言っても無駄、とギルバードは適当に話を合わせてやる。そうしてしばらく話したあと、男は他の仲間を見つけてその場を後にした。

 再び一人になり、ギルバードは口にそっと酒を運びながら目をつぶった。

(お得意さんにできた女、か……)

 見たことも、どんな容姿なのか聞いたこともない女。ただ分かるのは、あのカタブツのヴァスカが多少とも心を傾けている娘だということだ。それはさて、目を見張る絶世の美女なのか、それとも思わず囲いたくなるような庇護欲そそるたおやめなのか。

 ギルバードが知る限り、ヴァスカが心を使ったという女は、ただ一人を除いて知らない。しかしその女は特別だ。

 ヴァスカは人並みに(人ではないが)欲を持ち合わせているが、それに利用された彼女たちはみな、彼に弄ばれ泣かされ血を奪われ死んでいった。ヴァスカが真に想いを寄せた女は一人もいなかっただろう。むしろ彼は、女をいたぶることで自身の傷にかさぶたを作ろうとしているようにも見えた。

 ――そんな彼を、動かしてしまったのだ、謎の娘は。

(会ってみたいなあ……会う価値は十分にあるよなあ)

 昔にも、ギルバードはある女をヴァスカの屋敷で――正確には、当時のあの屋敷は先代のものだったが――垣間見たことがあった。あのときのように、ちらりとでも見られればよいが、今の屋敷は先代のものにさらにヴァスカの力が加わった強力な結界が張ってあり、屋敷の場所がすっかり分からなくなってしまっていた。“いつもの場所”でヴァスカと会うとき、ヴァスカはひどく警戒していて、いつも違う方向から現われるものだからだいたいの方角すら分からなかった。部外者から覆い隠し拒むだけの結界ではなく、結界そのものすら感じさせない、恐ろしいほどに巧妙で強硬な結界だった。

(大事な命を懸けてまで見たいとは思わないけど、でも、気になるねえ)

 ぼんやりと顎をこすっているうちに、ギルバードはふと、先日手に入れた“面白いもの”の存在を思い出した。魔力のない人間たちにはただのガラクタだろうが、いくら下等だと言っても魔の血をうけたギルバードには、それがガラクタではないことが分かった。同類の気配を感じたのだ。それには魔力がこめられている。

 商売仲間たちは守銭奴のギルバードがそんな物品を買い取るのを見て不思議がったが、魔族であることを隠している彼はなるべく不自然にならないようにそれを手に入れたのだった。

(そうか、あれを使ってみようか。どうせ人間にゃ、あれの使い方なぞ分からないだろうしな、持っててもそう簡単に売れやしないだろう。俺が使っちまえばいいんだ。うん、商売人やっててよかった)

 このときギルバードは、ほんのいたずら程度の気持ちで“謎の娘、垣間見作戦”をたてたのであった。


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