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20.過去の片鱗

 久々のドレスは、これまた久しい踵の高い靴と相まってとても歩きにくかった。自分がいかにがさつになったかを思い知り、レイナは心の中で苦笑した。しかし、まだ物の分別のつかない小さなとき、レイナが群を抜くお転婆娘だったことも事実だ。十を過ぎたあたりから立場の自覚が芽生え、立派なレディとしての教養を身につけてきた。だから、淑女としての自分は猫かぶりで、もしかすると、今の自分のほうが素に近いのかもしれない、と思うのだった。

(こんな私を知ったら、ジェフリー様はどうお思いになるかしら……)

 答えは分かっている……きっとひどく驚いて、レイナを軽蔑するだろう。だがなぜか、今はその予想に以前ほどの悲しみを感じなかった。

 彼のことを愛していた。ただ、彼のあまりの崇高さにプレッシャーを感じていたのも確かだ。彼と会うとき、レイナはいつもどこか緊張して、二人の間には気を許すことのできない一線があった……。

(それを思えば、今はなんて気持ちが軽いのかしら。あの人と接するのは、ある意味緊張だけど、それは自分を飾ることによるものじゃないし――)

 そこまで考えて、レイナははたと足を止めた。

(私……最近どうしちゃったの?)

 数歩前を行っていたセルヴィもレイナが立ち止まったのに気付いてこちらを振り返った。彼は声をかけるでもなく、口元に穏やかな微笑を浮かべ、レイナを見つめている。

(私は、知りたがってる。彼は何者なのか、過去に何があったのか、どんな幼少時代を過ごして、どんなことに苦しんでいるのか――私が、彼のなんなのか……気になっている)

 ハープシコードの部屋、飴色になった象牙の櫛、胸に渦巻く黒い塊、迫るような寂寥。

 レイナは呆然と立ち尽くした。

(まさか――私……?)



「遅いぞ」

 開口一番、不機嫌な声が飛んだ。

「申し訳ございません、主。ただいまご用意します」

 セルヴィは心の中の笑いを押し隠した。

 いつも横柄な態度を演じ、傲慢なまでの不敵さを見せるヴァスカだが、そんな彼が、これからどんな表情をしてくれるのかと期待が膨らむ。

 セルヴィが扉をくぐり、数歩を歩いたとき、盗み見ていたヴァスカが固まった。

 ――正直、期待以上の反応だった。

 ヴァスカは驚愕に目を見開き、何か言おうとしたのか口が中途半端に開いている。いつもは何ものにも動じないその顔に表情が現われたのだ。レイナの椅子を引きながら、セルヴィはそっと会心の笑みを浮かべた。レイナは先ほどから自分の世界に引きこもるように俯き気味でヴァスカの変化を見てはおらず、それが少し残念ではあるが。

 一目見て、セルヴィも臙脂のドレスを身にまとったレイナには驚かされた。白い肌と金茶の髪に、その色は恐ろしいほど似合っていて、彼女に神々しいまでの威厳を与えるように思えたくらいだ。豊かな髪を整え血のように輝く宝石をつければ、もう、完璧だった。妖艶とも言える魅力を持ちながら今の彼女は儚げなほど控えめで、男の庇護欲を存分にかきたてるだろう。化粧をしないことが、かえって自然で、レイナ自身の美しさを引き立てている。

 セルヴィは主の様子に満足しながら、給仕のため、その場を後にした。



 セルヴィが厨房に行ってしまったのも気付かないくらい呆気にとられて、ヴァスカはレイナを見つめていた。

 もとより美しい娘であるとは思っていたが、飾り立てるとこうも変わるのでは、つくづく、女とは怖い生き物だと思う。ただ、その溢れんばかりの美麗さを素直に認めるのは癪だった。

(くそっ、ギルの奴め……悪運ばかり強い)

 ギルバードにはレイナの特徴などは一切伝えていないのだから、彼女の髪の色にも、肌の色にも、こんなにしっくりくるドレスをよこしたのはただの偶然だ。

 ヴァスカは、レイナの瞳が今は伏せられているのに少し安堵して、彼女の顔から視線をはずした。ついと下に目をやれば、そこには輝く深紅の宝石。こんなものも買ったのか、と内心鼻に皺を寄せた。ルビーの赤はヴァスカの――魔の血を騒がす。おそらくこれもギルバードの企みの内なんだろう。

 奴の思い通りになるものか、とヴァスカはレイナを意識の外に追いやるため運ばれてきた食事に集中した。

 元から質素な食事にしており、今晩もシチューにパンだけという簡単なメニューだ。セルヴィに言わせればこだわり抜いた料理になっているらしいが。確かに彼の料理は美味いし、パンだってここで焼いている。主であるヴァスカの体調を気づかってうまく薬草を使っているのも知っていた。本当に、よくやってくれていると思う。

 そんなセルヴィは、すっかり、レイナに懐いてしまった。

 彼に感謝をしているヴァスカとしては、セルヴィのやりたいようにさせるのは苦にならないしむしろ報いてやれるように思っているから、基本的になんでも許しているつもりだ。ただ、最近のセルヴィは何かとヴァスカとレイナをくっつけたがっているように感じてならない。それはヴァスカには受け入れがたい願いだった。

(セルヴィも同じだと思っていたが……あいつはとっくに立ち直っているのかもな。強い男だ……)

 ヴァスカの中で“セルヴィのために”とくすぶりつづけている復讐の炎は、やはり結局は“ヴァスカの自己満足のために”ヴァスカが望んでいることにすぎないのかもしれない。セルヴィは、もとより平穏を好んでいた……。

 もしヴァスカが普通の人間と同じように人を愛し家庭を持ったら。セルヴィは自分の望んでいない復讐のために身を削るヴァスカを見ないで済む、ということなのか。しかしそんなことは、きっと起こり得ない。ヴァスカは女を愛せない。特に人間の女は――

「あの……」

 不覚にも驚きはっと顔を上げてしまった。ミントグリーンの瞳としっかり目が合う。柄でなくうろたえて、ヴァスカはそっぽを向いた。特にこれといった会話を交わしてきたわけではないが、彼女からまともに声をかけてくるのは初めてではないだろうか?

「あの、」

「聞こえている」

 レイナはむっとして、ちょっと口をつぐんだ。彼女はヴァスカが冷たく高慢にあしらうほど反抗的に、そして挑戦的になる。ヴァスカは、本人はそうと思わずとも、そんな今までにされたことのない態度を少し楽しんでいた。

「お願いがあります」

 不機嫌そうな声だったが、一応、言葉だけは丁寧だ。

「ほう、この俺に何を願う?」

 ――そんなにも忌み嫌うこの俺に。

 レイナは膝の上で組んだ手に視線を落としてから、再び、臆することなく紫紺の瞳を見詰めた。ヴァスカはその強さにどきりとする。

「あのハープシコードを、私に、自由に使わせていただけませんか」

「……なに?」

 胸がざわりとした。部屋の空気が冷たくなった。ろうそくの炎も揺れた。後ろではティーカップを持ってセルヴィが固まっている。彼には分かっているのだ。今のレイナの言葉は、ヴァスカの気持ちを乱すということを。

 レイナも空気の変化を感じ取り、取り繕うように早口に言った。

「私……私、ハープシコードが大好きなんです。だからあの部屋にあるのを見て、思わず弾いてしまって……勝手に触ったことを謝ります。でも、私、あの音の虜になってしまった……あのハープシコードは、音が一切変わらないから、」

「だめだ」

 はっきりとした拒絶にレイナは一瞬おびえたが、直後には持ち前の気の強さが表れてきりりと顔を上げた。

「理由を聞いても?」

 そのあまりに堂々とした様子に、ヴァスカはむかむかと腹が立ってくるのを感じた。

 ――自分にもこんな強さがあったなら、と、思った。

「お前はずいぶんと奢侈な娘だな」

 自分でも驚くほど、ヴァスカの声には嘲笑が満ちていた。

「ただこの屋敷にいるだけで――俺に血を捧げるだけで、お前には屋根も、寝床も、食事も、服も、図書という娯楽も、何不自由なく与えられる。それ以上に何を望む? 俺のこと、この屋敷のことを知って、どうするというんだ? お前にどんな得があるのか知らんが、胸の内を無作法に探られ快く思う者はいないだろうな。それはヒトも魔族も同じだ。もっとも、俺たちを獲物ぐらいにしか思っていないお前たちには、こんなこと言っても無駄だろうが」

 その言葉に、レイナは勢いよく立ちあがった。椅子が大きな音を立てて倒れた。

「私は、一度だって、自分からすすんで魔物を殺したことはないわ」

 彼女の声は静かな怒りに満ちている。ヴァスカはハッと息を吐いて笑った。

「強い〈白き力〉を持った教会の祓い屋集団は、自ら魔を探し出し、危害を加えない弱い魔物も狩っているではないか。それなのに、お前は、そうでないと?」

「そうよ!」

 レイナははっきりと傷ついた顔をした。

「確かに私は、自分を襲ってきた魔物には容赦をしないわ……生きるためにね。でも、それに、あなたは誤解をしてる。私は教会には所属していないわ」

「では、お前は異教徒か?」

「……国教を信じてる」

 ヴァスカはほれ見ろと言わんばかりに冷笑した。

 この国は国王を首長とした国教が広く信仰されている。民は生まれると同時に洗礼を受け、いずれかの教会に属す。そのとき〈白き力〉を持っているか否かを試され、その力が強いと分かれば、〈白の聖僧〉という、教会の中枢で国王直属の誉れ高き祓い屋の一員になれる。〈白の聖僧〉が出た一家は、たとえ貧しい農民でもすべてにおいて国王の保護が得られ優遇されるのだ。まさに、民にとっては憧れの立場だ。

 レイナは、そんな〈聖僧〉たちにじゅうぶん匹敵する力を持っている。それなのに教会にすら所属していないなどあり得ないことだ。国は彼女の力を欲するに決まっている。

「俺をだまして、何が目的だ?」

「……私が嘘を言って、それこそなんの得があるの? 私は教えを信じているけど、盲目ではないつもりよ。国王は、首長は、私にとって崇拝の対象ではない」

「口ではどうとでも言えるさ」

 カッと頭に血が上り、レイナは反論しかけた。しかし突然、このどうどう巡りする会話が虚しくなって、きゅっと目を閉じた。

 世の人はレイナの言った言葉を信じるだろう。むしろレイナが国王への忠誠を示したとしても、もはやそちらを信じてくれないかもしれない。世は絶えず動き、状況は着々と変わっていく。

(この屋敷は、そんな世の流れから切り取られた世界……)

 突然、それまでうすい靄の向こうに意図的に隠してきた過去をまざまざと思い出し、レイナは先ほど気付いてしまったかもしれない自分の気持ちに吐き気すら覚えた。でも、それでも、この気持ちを否定することはできそうにない。まさか自分が、なぜ、こんな仕打ちをするこんな男を――

 レイナは怒りでつり上がっていた眉を、悲しげに歪めていた。

「ねえ、あなたは、どれだけ世情にうといのかしら」

 今にも泣き出しそうな、寂しい笑みだった。

「教会は――私の敵、よ」

 レイナはくるりと背を向け、臙脂の裾を翻して走り去った。

 彼女は隠し通したつもりだったかもしれないが、ヴァスカは、はっとするほどに美しい涙をはっきりと見てしまった。


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