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17.気にはなるけど

 レイナにはなんとなく分かった。あのハープシコードの部屋は、ヴァスカにとって大切な人がいた場所だ。

 ――それも、女性。

(それがどうしたっていうの。私は、ただ、ここに糧として置かれているだけ。私も、彼らを利用してるだけ……)

 そんなことを訳も分からず反芻しながら、レイナは目をつぶった。自分が唇を噛み締めていることに気付くことはなかった。



 セルヴィと朝の薬草摘みの日課を終え、朝食も済まし、レイナは今、廊下の角でじっと息を潜めていた。セルヴィは厨房で皿洗いと昼食・夕食の仕込みに奮闘しているころだろう。

 今朝は、久しぶりにこの家の主人と一緒の食事になった。

 庭から戻って、定位置となった席に座りセルヴィの食事を待っていると、ヴァスカがふらりとやってきたのだ。猫毛の髪こそ寝癖が分かりにくいが、目は瞼が重いらしく眠そうに見える。しかも、いつもならシャツとズボンに着替えてくる彼が、今日はガウンを着ていた。レイナは、いつもそうであるように、今も自分が夜着であることに突然思いがいって、この奇妙な光景に頬を染めた。彼女の両親も、休日の朝はよく二人して寝間着姿で朝食をとっていたのだ。

(私ったら何を考えているの! ばかばかしい、なぜこんなことを思い出したのかしら)

 両手で頬を包むレイナを知ってか知らずか、ヴァスカは大あくびをしていた。

 そうして緊張しつつも穏やかな朝が過ぎ、レイナはふと思い立ったのだ。そういえば彼の部屋を知らなかったな、と。いつかこの屋敷を抜け出すためにも、知らないよりは知っているほうがいいだろう。だが直接聞くのはもちろん無理だし、なぜかセルヴィには聞けなかった。だったら自分で探るしかない。

 ということで、現在、レイナはヴァスカを尾行中だった。

 気配の殺し方は、逃亡生活の中、勝手に覚えた術だった。ときどきレイナを襲ってくる魔物たちも血の匂いがしなければこれで気付かずにいてくれる。ただ一つ厄介なのは毎月くる障りだった。怪我をしていなくても常に血を流し続けているようなものだけど、こればかりはレイナにはどうしようもない。この時ほど女であることを呪ったことはないかもしれない。ただ、精神的にも辛く慌ただしい日々だったためか、周期はばらばらなうえ遅れ気味で、今日はまだきていないのが幸いだ。そのときになったら、セルヴィに何か適当な布をもらわねばならない。

 レイナは、肌寒い廊下で出そうになったくしゃみを寸でのところで抑え込んだ。 

 ヴァスカも寒いのか、両手で腕をさすりながら、少し俯き加減で歩いていた。やがて、奥まった北側の部屋に入っていき、しばらくしてから再び出てきた。その時にはシャツとズボンに着替えていたから、ここが彼の自室で間違いないのだろう。コートを腕にかけているので、これから出かけるのかもしれない。レイナはそれだけ見て、さっさとその場を離れた。彼の部屋の場所だけ分かれば十分で、中まで見ようという気はなかった。

 再びすることがなくなり、レイナは厨房に戻ってみた。やはり、セルヴィは大きな鍋をかきまわしていた。皿はもう洗ったらしい。

「何かすることはないかしら?」

 レイナが入っていくとセルヴィはいつも以上に険しい顔をした。今ここにレイナがいるのは、彼としては都合が悪いらしい。いつもこんな顔をされては、レイナもさすがに尻込みしそうだ。ただ、何もせずにだらだらと過ごすのは思いのほか疲れるものだ。

 レイナは、お願い、と手を胸の前で組み合わせた。

「何かしていないと、頭が溶けて気が狂いそうなの……」

 意識して神妙な表情を作り、レイナは願った。しかし今日のセルヴィは手厳しかった。

「では、主と団欒の場を持つ、なんてどうですか?」

「それは無理」

 即座に言い返すと、セルヴィは失笑した。

「だったら、ここにいないほうがレンにとっては得策かもしれません。そのうち主が来ますから」

「えっ!」

 そういうことなら、という風に、レイナはくるりと踵を返したが、出入り口の扉に手をかけたとき、思いがけずその背に声がかけられた。

「レン、字が読めますか?」

 レイナはきょとんとした顔で振り返った。

「ええ、読めるけど……それが何か?」

 その返答に満足したのか、セルヴィはにっこりと笑った。

「もしよかったら、図書室へ行ってみたらどうでしょう」



 ***



 ヴァスカがいつもの場所に行くと、そこにはすでに切り株に腰かけるギルバードがいた。

「おっ、来た来た。待ちくたびれたぜ」

 ヴァスカが近づくと、にやついた顔にさらに笑みを広げ、ギルバードは立ち上がった。

 彼が先にやってきたことは、思い出せる限り、今まで一度もない。

「……何を企んでいる?」

「心外だな、俺はただ純粋に、お前に会えるのを楽しみにしていたんだぞ」

「気持ち悪い」

 心の底から吐き捨てると、ギルバードは実に楽しそうに笑った。

「こっちがいつものな。それと、これ」

 食料の入った袋よりも大きい袋が二つと、木箱が三つ。

「なんだこれは」

「おいおい、お前さんが頼んだんだろうが」

 木箱の一つを開けてみると、きれいな赤い靴が入っていた。

「いやあ、こんな物を買ったのは久しぶりだよ。実に楽しかった。よおっく選んで、いいもんをもらってきたからな、お前も楽しみにしておけ」

 ヴァスカは口を閉ざした。こいつは何かを勘違いしているに違いない。

 ギルバードは狡猾な男だ。十分すぎる金をやったがそれをまともに使って物を買ってくるとは思わなかった。乞食から布を剥いでくるか、よくても安い服屋でそれなりの物を買い、渡された金はほとんど使わず自分の懐へ、と考えるような奴のはず。それがどうだ、確かに“女が使うようなもの一式”がそろっている。それも随分上等なものばかり。

「恋人さんの背格好がまったく分からなかったんで、少しでも調整のきくやつにしといた。でも、まあ、綺麗な自分の顔を見慣れてるお前が惚れこむくらいだから、そうとうグラマラスな美女だろうと踏んで買ったぞ。もし大きすぎたり小さすぎたりしたら、俺が手ずから裁縫してやっても――」

「品物はありがたく受け取ろう。だが、お前を屋敷には入れん」

 ヴァスカは荷物をすべて抱え、さっさとその場を後にした。

「強すぎる独占欲は、恋の熱をも冷ますぞー!」

 不快な大笑いが聞こえてきたがただでさえ貧血気味なので、無駄な魔力を使わないようなんとか自分を抑えた。

「恋など……俺とは無縁だ」

 そんなヴァスカのつぶやきは、木々の間に消えていった。


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