15.隠された一面
ヴァスカが魔の力を取り除いてくれたおかげか、その後レイナの体調は快方に向かった。
食事も普通に食べられるようになり、セルヴィからベッドを出てもいいという許可が出た日、レイナはどこか気持ちが吹っ切れて、ついに散歩の範囲を屋敷内に広げた。セルヴィにはどこを歩いてもいいと言われたし、都合が悪いところはヴァスカが何か対策をしているだろうということだ。
(都合の悪いところって、一体何があるのかしら……)
どうも、この屋敷とヴァスカ、そしてセルヴィには何か秘密がある。それはレイナも一緒だったが、やっぱり、隠されると気になるものだ。ここから逃げることは一時保留にした今、セルヴィたちや魔族について何か情報がつかめないかと期待もしていた。
(それにしても、大きなお屋敷)
一家十人に大勢の使用人を引き連れていたとしても十分すぎる広さだ。でも、小道すらない森にぐるりと囲まれている上に街の喧騒もまったく聞こえてこないところを見ると、ただの住居ではなく、つむじ曲がりな金満家が世を嫌うあまり建てた隠れ家、という感じだ。こんなところにたった二人で暮らすというのは本当に寂しいことだと思う。
(しかも、あんな無口で何考えてるか分かんない人と二人きりだなんて! いくら主人と言っても、私だったら三日で音を上げるわ)
セルヴィはヴァスカに仕えて長いと言っていたが、それが魔族にとっての「長い」なら、人間のレイナには途方もない年月なのかもしれない。魔族は半永久的に生きると聞く。
(そっか……じゃあ、あの二人の間の微妙な空気は、気の遠くなるような月日の上にできた主従関係だから、っていうこと?)
それだけで説明がつくようには思えなかったが、そうなのかも、と一応の納得はついた。
二人はお互いの存在に何かを求めていながら、それが手に入るところにあるというのに努めて無視しようとしているように見える。本当は相互とも大切に思いながら、そんな気持ちを相手に気付かれまいとしている……そんな感じだ。
(第三者的には何かぼんやり見えるんだけど……うーん、はっきりしなくて気持ち悪い……)
情報収集もそこそこに悶々としながら歩いていて、ふと、廊下の先の人物に気付いた。まさかこうもあっさり鉢合わせてしまうとは思いもよらず、レイナは自分を呪った。しかし、不幸中の幸い、相手はこちらにまったく気付いていなかった。レイナは息をころして壁のかげにひそみ、ヴァスカの様子をうかがった。彼は一つの扉の前にじっと立ち尽くし、動かない。
レイナはそのヴァスカの表情にはっとした。
(なんて、なんて人間らしい顔を……!)
そこにいるのは、無表情で冷たくて、何もかもを見透かしている冷徹な魔族ではなかった。レイナと同じように悩み、苦しみ、思いつめていた。扉を開けようとそっと手を伸ばすがやめるということを幾度か繰り返し、呻吟する。奥歯を強く噛んでいるらしく顎の筋肉が強張っていた。
やがて、諦めがついたのかヴァスカはふいと扉から離れ、レイナのいるのとは反対の角へと消えた。
レイナは足音が聞こえなくなってからこっそりその扉に近づいた。中に誰かいるのかと思って耳を当ててみても何も聞こえないし、何の気配もしなかった。取っ手に手をかけたが、そのひんやりした感触に触れた途端、さきほどのヴァスカの苦悶の表情が脳裏によぎって、そのまま大人しく手を放した。
部屋の場所をしっかり記憶に刻んでから、もとの道を戻ることにした。
――あんな顔、見たくなかった。と、レイナは思った。
あんな表情を見せられては思考が揺らぐ。ただひたすらに極悪非道な敵役を演じてくれれば、レイナはなんの迷いを感じることもなく相手に立ち向かっていける。だけど、あんなに人間らしい普通の一面を持つと知れば、彼がこうなってしまった理由があるのかもしれない、と雑念と甘さが出てきてしまうのだ。
いつかはここを抜け出さなくては、レイナの“旅”は終わらない。その過程にはセルヴィへの気持ちのけじめとヴァスカとの対決は避けて通れないはずだ。
思い出すのは、あの苦しげな表情。
(私以外にも、囲ってる女の人でもいるのかな……)
そんなことを考えると、なぜか胸がざわざわした。