とあるミリオタのロシアとウクライナへの哀愁
ウクライナでの戦争が始まってもう半年以上たってしまいました。戦況を伝える報道は多いですが、戦争が終わる気配は未だにありません。
突然ですが、私はロシアとウクライナという国に、特別な思い入れがあります。理由は、私がいわゆるミリタリーオタクで、ロシアとウクライナが構成していたソビエト連邦に熱中していた時期があったためです。
初めて興味を持ったのは中学生の時です。外国の戦争ゲームでソ連軍を主人公にしたものを偶然プレイして、いやぁソ連軍の軍服、兵器、軍歌がカッコいいなぁ、すごいなぁ、と思ったのが始まりでした。政治学で言う「ミランダ」の誘惑に駆られたわけです。
それから色々調べてみると、ソ連、旧ソ連諸国は、ミリタリーオタクにとって飽きない、そういうネタに事欠かないことを知りました。
まず、歴史ネタとして有名なものとしては、ソ連が誕生したロシア革命があり、独裁者の鏡であるスターリンの大粛清があり、人類史上最大規模の戦争であった独ソ戦などがあります。そこには、名将と戦争の英雄がたくさん出てきますので、とても面白い。なにより、そこで散った命の数はとんでもない桁で、一度知ってしまうとなかなか頭から離れない。そして冷戦期では、ソ連は核大国、スパイ大国として名を馳せ、アメリカを凌ぐ広い地域をその勢力下に置いていたので、戦略ゲーム好きにはたまりません。ソ連崩壊後もロシアは軍事大国のイメージが強いです。
兵器でも有名で強いものが多いですね。Akライフルシリーズがあり、T戦車シリーズがあり、軍服もそこそこカッコいい。
もちろん、こういうのは完全に偏見でしかありません。人によっては、文化や芸術、宗教、複雑な民族の歴史から旧ソ連地域に興味を持った人も多いでしょう。もしくは、陰鬱な歴史を知って嫌いになった人もいるかもしれません。
確かに、前述した戦争とか粛清とかは、あまりにも残虐で、凄惨で、恐ろしいのには違いない。しかし、数々の英雄伝やカッコいい兵器や軍服とともに考えると、その歴史からは怪しげな神秘性が醸し出され、ソ連ロマンとなって、筆者を惹きつけたのです。
そんなわけで、学生時代では、色々な方法でソ連ロマンに浸り、趣味の範囲でずいぶん楽しみました。日常的には、本、漫画、映画、ゲーム、プラモを通して妄想を膨らませました。大学のサークルもロシアと交流できるものに参加してみたりして、実際にモスクワ、ハバロフスク、キーウの諸都市に訪れました。モスクワではバレエを観賞し、クレムリンなどの名所を観光して、スターリンのコスプレもしました。ハバロフスクでは軍事博物館に行って、人生で初めて本物のT-34戦車と対面。現地の人はとても素朴で親しみが持てました。キーウは歴史ある豪華な建物が多く、街並みが綺麗で好きです。なにより広大な黒色度の大地には圧巻です。ロシアとウクライナの両国に友人もできて、良い思い出を作りました。
そんな風に楽しめたのは、戦争や粛清などの闇の出来事は、ゲームや歴史書の中の昔々の過去のお話であり、一種のファンタジーとして消化することができたためでした。今から思うと呑気なことです。
そのため、今回の戦争が始まった時、強烈なショックを受けることになりました。
SNSで第一報を聞いたのはちょうど昼食の時。食べるのを忘れて、インターネットに喰い付き、国内外のメディアを逐一チェックして、戦争の経過を追いました。次々と目に飛び込んでくる情報や映像は、あまりに衝撃的で目を疑ったのを今でも覚えています。巡航ミサイルが人々の行きかう街中に、いきなり着弾する。都市では空襲警報が鳴り響き、無数の攻撃ヘリが都市部へ突入し、戦車や装甲車が進撃する。やがて市街戦が始まり、諸都市が灰燼に帰していく。
これは一体、いつの時代の光景なのでしょうか。
それ以降もショックの連続で、様々な思いが駆け巡りました。
まず、自分が好きになった街が破壊されるのを観るのは、この上なく気分が悪い。
テレビに映し出された難民もそうです。
戦争難民と聞くと、これまでは、ボロ衣を纏い、衰弱しきったシリアなどの中東難民をイメージしてきましたが、今回テレビに映し出されていた避難民は、私が実際に行った、好きになった街の人々です。彼らの生活水準を分かっているので、日常の破壊をかなりリアルに痛感させられてしまいました。
さらに、せめて早期に終結してくれるのではという一縷の望みも虚しいもので、結局、泥沼の総力戦となって、人々の苦しみが長引く結果になってしまったことは、本当に悲しい。
今もずいぶん解像度の高い戦場の情報が色々出回っていますが、きっと戦争が終わった後には、もっと恐ろしい事実が明らかになるのだろうと思うと、それも怖い。
露から宇へ、宇から露への留学生も社会人も多いというのに。どうしてこうなってしまったのでしょうか。
そして、最後は国際関係論です。ネオリベラリズム、コンストラクティビズムやジョセフ・ナイの相互依存論は、今回の戦争をどう説明するのでしょうか。
いずれにせよ、もう筆者は学生時代と同じような感覚で、ソ連ロマンに浸ることはできそうにありません。
ロマンは恐怖、怒り、そして悲しみに変わってしまいました。
では、ソ連ロマンを満喫したことを後悔しているかというと、それは違います。
家族や友人からは、筆者が一般の人よりロシア方面について知っているということで、今回の戦争勃発後、関連する質問を聞いてくるようになりました。例えば、「昔は同じソ連だったのに、ロシアとウクライナって何が違うの?」といったことを時々聞かれます。これは大変な難問なので、しっかり解答できたことはありません。ただ、そういう時、筆者は責任のようなものを感じるのです。それは、ある一つの国や地域に興味を持ち、一程度以上の関りを持ったことに対する責任です。
ソ連ロマンを満喫するにあたって、学生時代の三分の一の資源と時間を捧げ、時には家族と友人も巻き込みました。なにより、マニアックながら、一般の人は得ないであろう知識をつけました。それだけやったのですから、今回の戦争についても、知らんぷりはできないなと思うのです。
そこで、筆者は身近な人から質問された時は、なるべく丁寧に答えるように、答えられるように心がけています。普段からニュースをチェックして、関連の情報には気を配り、分かる範囲で、分かりやすく答える。場合によっては難しめの専門書を買って勉強してみる。そうすることで、少しでも身近な人の役に立てたら、責任を果たせるような気がするのです。
自己満足なのかもしれませんが。
そんなことを日々思う次第であります。
ご精読ありがとうございました。