惨話 声
※このお話には残酷な描写が含まれます。ご注意ください。
人斬りは躊躇いなど見せる様子もなく、己の首に向けて生命の水で彩られた刀を勢いよく突き刺した。
突き刺した瞬間を見ていた――見てしまった『一郎』が一瞬すべてが真っ白になったかのような喪失間。そして目の前の出来事が夢であるかのような奇異な感覚を味わっていた。
これは現代で言うところの『夢であってほしい』という現実逃避。
それを今『一郎』は体験している。
体験をし、その場から地を這ってでも逃げようとした『一郎』は震える歯茎の音を鳴らしながら離れようとする。ここから離れよう。そしてみんなに伝えるんだ。
もう人斬りは死んだ。この目で見たことを告げようと心に決めた。
その時。
もぉぉぉおおおお。もぉぉおおおぉぉぉぉぉぉ。
『一郎』の鼓膜を揺らす牛の声。
それは牛の鳴き声………………………。
ではなく、聞き覚えのあるその声を聞いて『一郎』は思わず振り返ってしまった。
背後にいる――人斬りのことを見た瞬間、『一郎』は思った。
牛の声は、この男の声だと。
濁点交じりの牛の声は『一郎』の鼓膜を震わせ、牛の声を放っていた人斬りの光景は忘れられないだろう。
だがそれを明確に書くことをしてしまうと自分もおかしくなってしまいそうになる。自分も死んでしまったらこうなるのではないかと思ってしまうほど、『一郎』は畏怖してしまった。
静かに、目の前で生きるか死ぬかの鬩ぎ合いを一人で狂い踊り、周りに赤を落としながら人斬りは零す。
足掻きのようにも感じてしまうが、言葉にもならないその声はまさに断末魔は人斬りの心の声を体現しようとしているのだろうか。
否、否――これは心の声ではない。
人斬りの中に巣食っていた憎しみが顔に現れ、言葉にならないまま出てしまった断末魔。
人とは思えないもののけの顔面。人とは思えないその声を聴いた『一郎』は絶句のまま固まってしまう。松明を持ったまま、みんなのところに行くことすら忘れてしまうほど……、人斬りの顔を、声に耳と目を傾けてしまう。
傾けながら『一郎』は思った。
それは後悔。
もののけの顔が角膜に焼き付き、声も脳に刻まれてしまい、『一郎』はこの光景を見てしまった。
松明と言う光しかない世界で、彼はこの世で最も恐ろしい光景を、最も恐ろしい声を聴いてしまった。
現代で言うところの――トラウマ級の光景を。
…………それ以上のことは分からない。いいや見たくないから見なかっただけで、人斬りがどうなったのかは声しかわからない。
わからないが、牛の声が聞こえなくなった後『ごとん』という音が聞こえ、刀が落ちるような音が聞こえたことで『一郎』は視界を人斬りだったそれに向ける。
人斬りはうつ伏せになった状態で倒れ、辺りに赤いそれを残して事切れていた。
脈など測らなくともわかるほどの赤の量。
それを見た『一郎』は覚束なく立ち上がり、その足取りで村の若い衆がいる場所に向かって足をゆっくと進め、合流した後で『一郎』は伝えた。
「人斬りは己で命を絶った。最後には牛になって事切れたよ」
と。
半分ふざけて言っているのかと思っていた村の者達。『一郎』に追及しても『一郎』は答えなかった。
否――答えることができなかった。
『一郎』はそれから自室に引き籠るようになってしまったが故、誰も聞くことができなかったから。
何かに怯えるように部屋の隅に蹲り、耳を塞いで何かを呟きながら『一郎』が手あたり次第近くにあったものを投げつけた。
投げつけて――『現れるな』『鳴くな』と叫びながら『一郎』は寝ずに何かと戦っていた。
戦い、あの事件が起きた三日後――
『一郎』は自害した。
己の心の臓に包丁を突き刺した状態で、耳の原型が崩れてしまうほど切り刻んだ状態で、己の手を真っ赤に染めた状態で『一郎』は自害していた。
理由は分からない。わからないが言えることがある。
あの時……、人斬りが自害をした時のことが脳裏に焼き付いてしまい、人斬りが放った断末魔と彼の首が脳裏に焼き付いてしまったせいで、『一郎』は恐怖に侵されてしまった。
これがいつしか『牛の首』となったきっかけ。
己を裏切った女と男を牛の様だと罵って斬り捨て、罪のない者達を斬った人斬りの末路。
牛のような断末魔と共に己の首を斬る。
これが『牛の首』の真実である。
――――――――――――――――――――――――
「…………………………」
一通り読み終えた正一は無言のままスマホの電源を切り、そのままベッドに寝っ転がって小さく溜息を吐く。
外はすでに暗く、時間も夜の九時を回っている時間帯になっているが、正一は今の今まで読んでいた内容を思い返しながら一言……。
「これが真実……、なんだ」
正一は呼んだ感想を零す。
それは感動やつまらないというものではなく、ただただ――怖いというよりも悲しさが勝る様な感情だった。
怖い物語というから悍ましいものなのかと思って見ていた正一。正直おぞましく感じるところもあったが、どことなく正一は人斬りがかわいそうだなと思ってしまったのだ。
女にも捨てられ、裏切られた結果あんな凶行を行ってしまった。
これは人斬りが悪いのではなく、女が悪いのかもしれない。もしかしたら女をかどわかした男も悪いのかもしれない。
結局――きっかけがどうであれ誰も救われない物語。
と思った時だった。
「あれ?」
と、正一は何かに気付いたかのようにもう一度スマホに手を伸ばし、電源を入れて再度画面に視線を映す。
食い入るように見つめ、そして見終わった後で正一は呟く。
どくどくと鳴り響く心音を聞きながら、彼は違和感を口にする。
「これ、確か『牛の首』の真実なんだよな……? 確か人斬りにあったのは『一郎』って人だけで、他の村の人は知らない。『一郎』は誰にも話さなかった。怖くてそれどころじゃなかったから。だから恐怖のあまりに死んだ。死んだけど……さ。つまりこのことを知るのは『一郎』だけで、誰も知らない」
正一は口にする。
違和感の肥大化と共にどんどん大きくなる心音を感じながら、彼は言う。
この物語に隠された違和感を――
「じゃあこれ――
誰が書いてんの?」
夜の風が静けさを壊し、静寂を与えないように窓を揺らす。
ガタガタなるその音を聞きながら正一はスマホとにらめっこをする。
にらめっこをして、じゃぁこれは一体誰が書いたのか。一体誰があのツイートを流したのかと思いながら考えた時……。
もぉおぉおおおぉぉおお。
背後から牛の声が聞こえてきた。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。