加速する啓蟄
皆様の周りにも変な人が出るかもしれません。気をつけてください。
夜明けのコンビニは混乱に包まれていた。やたらと引き締まった体の中年男性が全裸で叫んでいるのだ。
「プーパッポンカリー!プーパッポンカリー!」
そう叫ぶ男はレトルトカレーを二つ手に取りレジへと持っていった。
「すみません、これお願いします」
「あ、あ……はい」
あまりの異様さに気圧されたベテラン店員はそれでもいつもの流れでスムーズに会計を済ませる。
「240円です」
「交通系電子マネーで」
そういうと男は豊かな黒髪を模したカツラからICカードを取り出しカードリーダーへと当てた。決済完了の電子音がいやにシンとした店内に響き渡る。
「レシートは結構です」
そういうと男は自動ドアを抜け、いきなり道路に躍り出ると「ヘイ、タクシー!」と叫び、そして居酒屋の暖簾を満載にした軽トラに跳ねられ儚い星屑となった。
「な、何いきなり素っ裸で飛び出してきたんだてめえ!跳ねられる前から頭打ってんのか!?」
そう言いながら軽トラの助手席から、タイヤメーカーのマスコットのような見た目をした、全身にねじり鉢巻を巻いた男とも女ともつかない奇妙な風体の人間、おそらく人間が飛び出してきた。運転席には誰もおらず、助手席から車を運転していたようである。
「う、うぅ……」
全裸中年男性は呻く。カツラは外れ近くの電信柱に豊かな黒髪を生やし、限度額まで入っていたカードは表面が擦れてしまっている。そんな様子を見てねじり鉢巻の塊は慌てて車へと戻り、ダッシュボードから何か黒っぽくてテラテラ光を反射するものを取り出した。
「大丈夫か、わかめだ、食えるか?」
「あぁ……」
全裸中年男性はうめきながらワカメを口にする。すると、男の頭から突然豊かすぎる黒髪が溢れ出し、あっという間に腰より少し下程度の長さまで伸びたのだ。
「ありがとう、これで私はまた飛べる」
そういうと男は髪の先を鷲掴みにして両手を羽根のように広げ、そのまままだ群青が拭われていない空の方へと信じられないスピードで飛び去っていった。
「ああ、達者でな」
ねじり鉢巻はどこに感動したのかはわからないが涙を流しながら男を見送った。そして、それは荷台に乗ると腕を数メートル伸ばしてハンドルとアクセルをいじり走り去っていった。人ではなかったようだ。
一部始終を呆気に取られながら見ていたベテラン店員は三度ほど頬を自分で殴った。たしかな痛みが存在している。フライヤーに指を突っ込めば熱く、アイスの在庫補充をすれば冷たい。店員はいよいよこれが現実だと認識せざるを得なくなった。
「ぴゃわーーーーー!」
店員は気が狂ってしまった。あまりにも不可解な現象を短時間に山のようにぶつけられ、脳内で処理ができなくなってしまったのだ。あまりの奇妙さに脳みそはオーバーヒートを起こし彼の体温は160℃まで上がった。そして口からはポテトが揚がった時の音しか出なくなってしまった。
「ティロリ♪ティロリ♪」
彼は名札を引きちぎって食べ、そのまま四足歩行で払暁の方へと走り去っていった。
啓蟄、暖かくなり変質者が出回る季節の始まりであった。
よろしければ他の多少は真面目な作品もよろしくお願いします。