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第1話『女子高生 朝霧綾』-3

 帰宅時刻がいつも通りなら、その後の日課が定時に行われるのは、道理だろう。


 午後六時半、まごうことなき夕暮れ時だ。

 季節は秋口に差し掛かったが、全面板張りの道場には、晩夏の熱が立ち込めている。

 

 中央で正座をしていた人影は、音もなく立ち上がった。

 トレーニングウェアから伸びる手足は長く、袖口から(あら)わになる肌は、健康的な発色をしている。高身長の体格にバランスをとった頭が乗っているが、奇妙なことにその髪は、道場の格子窓から差し込む夕日と同じ色だった。


「スゥ――、フゥ――」


 どういうわけか、人影の両手には生卵が握られていた。

 繰り返すが、ここは道場である。コンロがなければフライパンもない。

 ならばこの生卵の役目もまた、単なる器具に違いない。……無論、これより行われる『稽古』に使われるのだ。


 一つめの卵が宙に浮く。

 そしてタイミングをずらし、二つめが放り投げられた。


 すかさず人影の拳が、一つめの卵を空中へ弾き返した。

 間髪入れず落ちてくる二つめの卵を、回し蹴りで(すく)い取る。


 片足で卵を支えたまま、上半身を反らして裏拳を打ち放つ。すると、はじめに空中へ弾いた一つめの卵が、拳を形作る親指と人差し指、その付け根にすっぽりと収まっていた。

 

 曲芸である。

 だが、動きはまだ終わらない。


 危ういバランスで拳と足先(そくせん)に乗っていた生卵が、再び宙に舞い戻っていた。


 先ほどと同じ曲芸が、今度は連続で行われる。

 速さを、そして高さを変えて、空中で(おど)り狂う二つの卵。人影は全身を竜巻のように回転させながら、落下する卵を拳と蹴りで、次々に弾き返していく。


 一体どうして卵が割れないのか。その理由は簡単だった。

 人影は手足が卵に触れるその瞬間、完全に脱力して、本来そこにあるべき衝撃力を別の場所に逃がしているのだ。それでいて、卵が空中へ戻るだけの力は自らが送り込む。


 そうして最後の正拳が突き出された。その瞬間でさえ、やはり卵は割れる事なく、人影の手首と肩の上に鎮座していたのだった。


「―――、っぷはーッッ。つ、疲れた……」


 誰もいないのをいい事に、朝霧綾はウェアの上着を脱ぎ捨てて、大の字に寝転がった。もちろん、卵は両手に握られている。


 およそ五分ほどの運動だったが、『型』の鍛錬をしたあとの綾は、いつも大袈裟な汗をかく。

 ウェアの下に着ていたシャツは、吹き出す汗を吸い取っていくが、あまり結果が伴っていない。綾の腹の上で起伏を繰り返す双丘に密着し、お気に入りの下着の模様をトレースするだけだ。

 

 こんな姿を大輔あたりが目撃すれば、とんでもない事になるだろう。

 そんな、ありもしない可能性が一瞬脳裏をかすめたが、綾は苦笑いでごまかして、道場の壁を見た。

 

 板張りの壁の上部に飾られているのは、歴代道場主達の雄姿だった。全員似たような顔つきをしているのは家系だろうが、それぞれに一応の個性はあると思われた。


 だが、居並んだ写真にはただ一つだけ、決定的な共通点がある。


 右端に飾られたセピア色の写真から、一番左端に位置する祖父に至るまで、この道場を()べてきた者達は、すべからく朝霧綾と同じ『赤髪』なのだった。


「こいつのせいで、みんな苦労したんだろうなぁ……」


 指先で前髪を(もてあそ)び、綾は十七年の歳月を共にした『継承権』に毒づいた。


 朝霧家が数奇な運命に翻弄(ほんろう)されはじめたのは、今から四百年以上も前の事である。


――西暦一六〇三年。

 関ヶ原の戦いを制した徳川家康が、日本最後の幕府を立ち上げた頃の話だ。武士階級に属していた者達の中に湧き起こった『とある疑念』がそもそもの始まりだったと、綾は祖父から聞いている。


 それは、乱世の再来である。


 徳川幕府成立の直前まで戦渦のただ中にいた武士達にとって、当然の考え方ではあった。

 全土統一を果たした徳川の世といえども、崩壊の運命を逃れられる道理はない。大名の謀反(むほん)などによる新たな戦、それを危惧する過敏な神経が、当時の武士の中にはあったのだ。


 その結果、江戸時代初期の武士階級には、次のような潮流が起こった。


 新たな戦が起こる事を前提として、武士達が個々に戦いの技術を磨き始めたのである。 

 これが、のちに江戸時代初期における剣術作法を、日本史上最高練度の高みまで押し上げる直接の原因となった。かの剣豪・宮本武蔵の二天一流が登場したのも、この頃だ。


 つまり江戸時代初期とは、まさに殺人技術の乱立時代でもあったのだ。


……そんな中、江戸に混在する新たな剣術流派群にまぎれて、殊更(ことさら)に奇妙な武士がいた。この男こそ、後に起こる事件の元凶を(にな)う者である。

 

 名を朝霧絶命斎(ぜつめいさい)。四十前の男盛りであったという。

 正確には、この頃はまだ別の名前で呼ばれていたそうだ。武士が“絶命斎”などという、エキセントリックな通り名を持つようになるのは、まだ少し先の話である。

 

 とにかくこの武士、考え方が自由奔放を極めていたらしい。日常における奇行はもとより、その人柄も相当な変わり者であったと、御家所蔵の文献には記されている。

 ある時、この朝霧(なにがし)は唐突に思ったそうな。


――――考えてみれば刀って、折れたらもう使えねえよなぁ、と。


 まさかこの馬鹿げた思いつきが、後に朝霧家の命運を決定付ける事になろうとは、この時は誰も予想だにしなかったろう。

 思い立ったが吉日。その日を境に、武士は壊れても勝手に治る拳足の鍛錬に従事した。


 ところが、躍起になった矢先、不幸が武士を襲った。

 

 弟子に真剣を持たせての稽古中、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 もう駄目だった。真剣を用いて稽古をする際には当然つきまとう危険であったから、こうした事態もそう珍しい事ではなかっただろう。しかし、彼の弟子達は別だった。


 利き腕の使えない男の妄言に、それ以上付き合う義理など、あるはずもない。武士はその後まもなく天涯孤独の身となった。そしてここから十年、文献による記録が途絶える。


……きっかり十年後、江戸に片腕のない武士が舞い戻った事は、当時の武芸者の間では評判になった。

 ただし、“弟子に腕を斬られた間抜け”として、ではない。


 猛者として、だ。


 男は鬼気迫る強さをもって、江戸中の他流派を潰して回ったらしい。

 わずかに残る資料によれば、とにかく常軌を逸した“拳法”を使ったそうだ。


 (いわ)く、拳を受けた相手の頭が首から飛んで逃げた、だとか。

 曰く、蹴られた者が道場の天井を突き破り、屋根瓦に打ち付けられて死んだ、だとか。


 立ち合った者は、死あるのみ。


 その挙句、付いた名前が“絶命斎”。当然と言えば、当然のネーミングである。

 片腕の欠損という致命的なハンデを、もろともしない絶命斎の戦いぶりは、すぐさま噂になって江戸中に広まった。そしてある時、見物していた一人の町人が彼に尋ねたのである。


『一体、この十年どこで何をしていたのか』と。


 絶命斎はあっさりと答えたそうだ。


蛇穴(さらぎ)の国で、白蛇に教えを()うた』、と。


 やがて立ち合いにも飽きた頃、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もはや、洗えど洗えど、色落ちぬほどに。


 その後、絶命斎は江戸を離れ、蛇穴の地に戻った。

 彼は妻を(めと)ると、以後は一子相伝で己の拳法を叩き込んだという。


 それから四百年が()って、現代。

 朝霧綾は武士ではなく、女子高生をやっている。


「そして二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし、と。これが――」


――これが、朝霧家に伝わる門外不出の妖拳法、『白仙(はくせん)』の発祥譚(はっしょうたん)である。



◆     ◆     ◆



ここまで読んで下さった読者様、ありがとうございました。


感想・レビューなど頂ければ幸いです。


この後も、お楽しみ下さい。

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