4 仕事前の準備
湖沿いの道を歩くこと十数分、先ほどの納屋より一回り大きい、壁が白い家についた。あたりには針葉樹の森が生えていて、そちらの方向は少し薄暗かった。しかし湖のほうを見ると、水面に反射した太陽の光が若干まぶしく、きれいだった。
故郷の家と、よく似ている。これを見て、勇者はおそらく両親のことを思い出しただろう。
「まあ、ダイナー! どうしたのその人!」
玄関から少し離れた所に立っていた、アインと比べると少しばかり老いた女性がこちらに話しかけてきた。その手には、斧が握られている。
(なんで斧なんか…………あぁ、分かった)
勇者は推測する。
彼女はおそらく、薪を割っていたんじゃないだろうか。手袋は滑り止めのためだ。よくよく見てみると、若干だが息も上がっているような気がする。
(それに加えて、見た目から推察するに、おそらくダイナーさんと同じ年齢だ。ということは……)
「前々から人が足りないって言ってただろ。彼を雇うことにしたんだ」
ダイナーがこちらを見ながらそう言った。
「あら、そうなの。よろしくね」
「よろしくお願いします。奥さん」
「あらやだ! 奥さんだなんて。そんなにかしこまらなくってもいいのよ」
若干照れくさそうに笑いながらそんな事を言った。
「私はエリザっていうの。村の子たちにはエリーおばちゃんって呼ばれてるんだから。そう呼んでくれると嬉しいわ」
「それなら、改めて……よろしくお願いします。エリーおばさん」
「あなたの名前はなんていうのかしら」
「ああ、それはですね――――」
〇
「それでですね、海の王は私にこう言ったんです。『参った。おぬしは強い。まさかあの触手を食べてしまうとは……』って。仲間にも思いっきり引かれましたね」
「そうなの! あなたのお話、面白いわね~。ねぇ、今度子供たちの前でお話してみない?」
「いいですね。やりましょう!」
あの後、馬が合うのか、勇者はエリーおばさんとだいぶ長い間話をしていた。今までしてきた旅の話をしていたのだ。信じているかどうかは分からないが、話としては面白いのである。
「なあ、エリザ。彼に仕事を頼みたいんでけど……」
「あら、もう少しいいじゃない。今日は仕事はお休みしなさい」
「いえ、エリーおばさん。そういうわけにもいかないので……」
「あら、そう? 残念」
そんな時、咳払いと共にダイナーが勇者に話しかけてきた。ここには仕事をする代わりに住まわせてもらうことになっていることを、勇者は思い出した。
「勇者くん、こっちだ。ついてきて」
「分かりました。エリーおばさん。仕事が終わればまた帰ってきますんで、その時にまた話しましょう!」
「いってらっしゃい! 気をつけてね」
互いに挨拶を交わす。
その様子を見ていたダイナーはため息交じりに、独り言をつぶやいた。
「はぁ、まったく。仲が良くなるのが早すぎるぞ」
そして、釘をさすように、
「仲が良いのは結構なことだけど、あまり深入りするんじゃないからな」
もしかして、この人は自分の妻がとられてしまうことを恐れているんだろうか。
(さすがにそんなことは……
それに、そんなことをしたことがバレたら師匠に殺される)
「いや、そんなことはしないですから。安心してください」
「本当かい? だったらいいんだけれど」
若干嫌疑を含んだ言葉だったような気がしたのだが、気のせいだろうか。
そんな勇者の考えを感じ取ったのか、ダイナーが付け加えるようにこう言った。
「いやなに、すまないね。彼女との馴れ初めのことを思い出してしまって……」
エリーおばさん、いや、奥さんとの間に何かあったのだろうか。
「どんなことがあったんですか……?」
興味本位で聞くことにした。しかし後になって、この男、勇者は失礼なことを聞いたんじゃないかと後悔した。
「それは…………いや、いやいやいや教えないよ。うっかり喋りそうになってしまった。君とはまだ会って1日も経ってない。そのことを教えるのは、もう少し経ってからだ」
まあ確かに、ほとんど初対面の人に対して自分の配偶者のことを、それも出会いのことを詳しく教えようなんて人はよほどの物好きだけだろう。
それにしてもこの勇者という男は、人の間に潜り込むのがとてもうまい。果たしてそれは勇者だからそうなのか、この男の人柄がそうさせたのか。それはこの男自身も知らない。そして、この世界に住む誰もが知らないことだろう。