3 いきなりの
「こいつが、納屋に入り込んでた若造か……」
恰幅のいい男が、縄に縛られ、見苦しいものを隠すためだけの、あり合わせの布を身につけた、地面に座らされた勇者を見下ろしている。
「そうだよ、お父さん! こいつ、お父さんと違って筋肉ムキムキだったから気を付けてよ!」
オーバーオールの女の子が、父と呼ぶ大男の後ろから恐る恐る覗いている。彼女がそう言うと、父と呼ばれる男は少し複雑な表情をした。
結局あの後、この勇者はあえなく捕まってしまったのだ。逃げようとはしたのだが、馬の強烈な後ろ蹴りを食らってしまい、気絶している隙に縄でぐるぐるに縛られたのだ。しかしそれにもかかわらず、怪我一つ負っていないところを見るに、さすがは勇者といったところか。
「お前さん、ここらじゃ見ない顔だな……何しに納屋に入り込んだんだ? まさか、馬を盗もうってんじゃないだろうな」
「い、いや、違いますよ! 断じて馬を盗もうなんて……」
「じゃあ何だ? 金目当てか?」
「そんなわけないですよ」
この勇者、かなり動揺している。それが疑念を深めてしまっているのだが、本人はそれに気が付いていない。というのも、今の今まで魔王を倒すことにのみ注力してきたせいか、他人から疑いをかけられるということに慣れていないのだ。
「はぁ……まったく、お前さん、服はどうしたんだ」
勇者は、至極まっとうな事を聞かれた。
「追い剥ぎにでもあったか」
「いや、それは違います」
「じゃあ、何なんだ?」
「ええとですね、実は……」
自分が勇者で、魔王を倒すために旅をしていたこと。そして湖にいきなり転移させられた事を正直に話した。当然、信じてもらえるはずも無く。
「それじゃぁ、それを証明できるのか?」
これを問いかけられた。
それを聞き、それならといつものように懐に忍ばせた、国からのお墨付きをもらっている、勇者の紋章を取り出そうとしたが、それはあいにく今現在持ち合わせていない事に気がついた。
(そうだった……これだと勇者だと証明出来ない……)
「…………出来ないです」
男はあきれたような態度を露わにした。
「お父さん、この人頭おかしいよ」
後ろの彼女はそう言った。ごもっともである。客観的に見れば、彼女の言うとおりだ。反論は出来ない。傍目には、哀れな酒の被害者にでも見えていることだろう。
父と呼ばれる男は脇に置かれていた椅子に座りこう言った。
「お前さん、行くアテはあるのか?」
(行くアテ……)
考える。ここがどこなのか分からない。場所が分かっても、そこに行くまでの路銀が無い。勇者の象徴で、なおかつ力の源泉でもある聖剣もどこかに行ってしまった。そもそも、服が無い。
この勇者に、行くアテは無かった。
「……ありません」
「そうか…………」
男はしばらく黙り込んだ。何やら考え事をしている様子。黄金色の無精ひげを手でさすりながらこちらのことをじっと見つめてくる。
「はぁ……全く、仕方ない。アイン、彼に服を」
男は背後に隠れている娘、アインにそう言った。
「お父さん!?」
「ザックの古着があっただろう。サイズは……多分、大丈夫だ」
「お兄ちゃんのものをこの変態に使わせる気なの!?」
アインと同様に、勇者もとても驚いた。
「いいから、持ってきなさい。彼には仕事を手伝ってもらうことにする」
「……はーい」
アインは渋々納屋の扉を開けて、出て行った。
「良いんですか?」
こんな状況で、捕まっている自分が言うのも何だが、さすがに唐突すぎて、あやしい。何か非合法な事をやらされるんじゃ無いだろうか。それに、見ず知らずの自分をいきなり雇ってくれるものなのか? 彼の故郷では、もう少しばかり他人を疑うものだったのだが。
「あぁ、心配しなくてもいい。仕事と言っても、馬を育てるだけだから」
その考えを見透かすように男は答えた。それを聞いて、少しほっとする。男は勇者の背後に回り、しゃがみ込んだ。恐らく、縄を切るためだ。
「こんな時代だからな……お互いに助け合わなきゃならん。それに、一人息子がいなくなって困ってたんだ。ほら、切るぞ」
パサリと縄が落ちる。
(やっとほどいてくれた……ずっと締め付けられてて、痛かったんだよな)
肩を回し、麻痺した脚を動かしていると、男が手を伸ばしてきた。
「しばらくここに居ても良い。その代わり、しっかり働いてもらうけれどね。私はダイナーだ。さっき服を取りに行かせたのが娘のアイン」
若干の笑みを浮かべながら、そう付け加えるように言った。先ほどの態度とは打って変わってどこかぎこちなく、申し訳なさそうなしゃべり方からは、この人の人柄が見て取れる。
手を握り返し、なんとか立ち上がりながら
「任せてください。働くのは得意ですから」
そう言った。
「私の名前は――――「いい加減、隠しなよ! ほら、服!」
顔を背けながら、少しほつれた服を投げるようにこちらに渡してきた。アインだ。
「あぁ、ありが……」
礼を言おうとしたのだが、服を渡した途端180度体の向きを変えてそそくさと納屋から出て行ってしまった。怒っていることは誰から見ても明らかだ。
「すまないね、アインは……そういう年頃なんだ。おいアイン! 謝らないか!」
ダイナーは大声でアインが出て行った方へと叫んだが、「いやだ」という叫び声が返ってくるだけだった。
「名前は後で聞くことにするよ。えー……勇者くん」
ここでの生活は、今までのものとは明らかに異なり、穏やかであろうことを、この勇者は無意識のうちに感じ取っていた。