13 既定
一年C組の喧騒が続いている。その中心にいた翔悟の表情は、悟りの境地に至ったかのように穏やかであった。全ての相手をするのが面倒になり、心を閉ざしただけなのだが。
この終わりの見えない戦に終止符を打つのは、一体誰なのであろうか。
「いい加減にしないか!」
どこまでも届きそうなノビのあるバリトンの声が教室内に広がる。
それまでの騒がしさが嘘の様に静まった。全員が声の主の方を向く。
そこには詰め襟を着用した大柄な男子生徒がいた。身長は180cmを超えているだろう。学ランを着ているが筋肉質な体である事がわかる。髪はオールバックにまとめられ、顔のホリも深く日本人離れした顔のつくりであるが、美男子といっても過言ではないイケメンである。
静かになった教室に足を踏み入れる。翔悟の方へと歩みを進めると、人だかりが割れて花道が作られた。
「桧山さん。」
出入り口付近にいた美乃梨は騒動を傍観していた。名前を呼ばれて振り返ると、視線に生徒会長の冴島涼子の姿が捉える事ができた。冴島はニコリと微笑んだ。美乃梨はゾクっと背筋に走るものを感じつつ、軽く会釈を返した。
『この人から逃げられない!』
「待ちきれなくて、来ちゃった。」
冴島は戯けるように話しかける。
「いつでも良いと会長が言われたので。」
「そうだったわね。ごめんなさい。で、どうかしら。生徒会に入ってくれるのかしら?」
「外堀を埋めようとしましたよね?」
「そうね、質問を間違えました。いつ生徒会に入るのかしら?」
「私が入るのは会長の中では既定なのですね。」
「ええ、そうよ。私は貴女が欲しい。」
「何故ですか?」
「貴女が桧山先輩の妹さんだからよ。」
「姉を知ってるのですか?」
「ええ、とても可愛がって貰ったわ。」
美乃梨の姉、亜矢子は確かに星城学園のOGだ。冴島が一年生の時に、亜矢子が三年生として在学していた事になる。
「桧山先輩はとても優秀な方でした。生徒会の仕事もテキパキとこなされて。私の憧れの女性なのよ。」
「えっ?」
美乃梨は亜矢子が高校生時代に生徒会に携わっていたと言う話を聞いていない。高校時代の姉は何をやらかしたのだろう。帰ったらとっちめないといけないなと心に決めた。
と言うか、姉に憧れている?という事は、この人もいずれは肉食おっさん女子に変貌していくのか?美乃梨は残念な気持ちになった。
「桧山先輩の妹だもの。誰かに取られる前に囲い込んでおかないと…ね?」
冴島は悪戯っ子のように微笑みが深くなった。
囲い込む(愛人にする)だなんて…既におっさん化しているのでは?と身構える美乃梨であった。
美乃梨と冴島がそのようなやり取りをしている間に、学ランの男子生徒が翔悟の前に到着した。
「翔悟。」
「洋ちゃん。」
「「「洋ちゃん?」」」
翔悟が男子生徒の事を「洋ちゃん」と呼んだ事に、その場にいた上級生達が驚いた。
泣く子も黙る応援団団長、早川洋輔を「洋ちゃん」と慣れ慣れしく呼んだコイツは何者?となったのである。
「早川。ってどっちも早川だな。貴様らはどんな関係なんだ?」
誰もが訊きたくて、でも躊躇っているのを代表するかの様に、斎藤が洋輔に尋ねた。
「ああ、俺と翔悟は従兄弟なんだよ。」
全員が翔悟を見る。中学生で輝かしい足跡を残しているのは、さすがに早川洋輔の従兄弟だと理解できるが、風貌がなぁ…どう見ても陰気臭いオタク感が否めない。
しかし、この場に居合わせる二人の少女だけは、そうは思っていなかったのだが。
「皆んな、翔悟は応援団に入団する事になってる。」
「え?洋ちゃん。何言ってんの?」
「翔悟。お前は応援団入団だ。いいな。」
翔悟の意思は無視して、洋輔は圧力をかける。
「ま、洋ちゃんがそう言うんやったら、俺は別にかまへんけど…一つだけ条件がある。」
「条件ってなんだ?」
「桧山美乃梨を応援団に入団させる事。」
「な、何ですって!」
美乃梨は大声で叫んだ。全員が美乃梨を見た。美乃梨の大きく見開かれた碧眼が、翔悟の事をギリリと睨んでいた。
「君が桧山君か。桧山…桧山…もしかして、亜矢子先輩の妹さんか?」
隣にいた冴島がコクリと頷いた。
「そうか、そうか。では決まりだな。翔悟、安心しろ。問題なく彼女は応援団に入るから。」
「ちょっと待ちなさいよ。桧山さんは生徒会(私)が囲う(愛人にする)のよ。」
「いいじゃないか。応援団は生徒会の一部なんだから、涼子の希望も叶う。」
「そう言う事ではないんだけど…」
冴島はやれやれと言うか、半ば諦めた。洋輔と言う人間をよく知っているからだ。加えて、美乃梨のアレも見てみたいと思ったからである。
「という事で、諸兄方。翔悟は応援団が引き取る。」
あ〜あという落胆した面持ちで、全員が解散しようとした。
「私も応援団に入ります!」
一人の少女が声を上げた。美雪である。横にいた香山が驚いた。自分の誘いを断った雰囲気から、美雪は高校でクラブ活動をしないのだろうと感じたからだ。
「私も入団しようかな。」
続けて声を上げたのは沙也加だった。沙也加の口角は上がっていた。美乃梨はそれに気付いて、はぁっとため息をついた。
上級生達がゾロゾロと教室から出ていく中、美乃梨は大事な事を思い出した。
『私、生徒会どころか応援団に入るって一言も言ってないんですけどー!』