10 狼狽
美乃梨がダイニングルームへ入ると、亜矢子が朝食を食べていた。
「おはよう。母さん。お姉ちゃん。」
「おはよう。美乃梨」
「おはよー。」
「お姉ちゃん、今日もバイト?」
「そう。十時から。」
「彼氏とデートとかしないの?」
「アンタ、喧嘩売ってる?」
「だってお姉ちゃん、美人だし。彼氏の一人や二人いてもおかしくないよ?」
「私はそんなに尻軽じゃありませんからね。」
「肉食のくせに、よく言うよね。」
「なんか言った?」
「何も言ってませんよ?お姉さま!」
「今日は亮一君がシフト入ってるしねぇ。」
「条例違反はホントやめて下さい。検挙されたら私が恥ずかしい。」
「赤信号みんなで渡れば怖くない。」
「そのネタ昭和だよ?」
「意味が伝わればいいの、伝われば。」
「いやいや、全然伝わってないし。」
「バカな事言い合ってないで早く食べなさい。バイト遅れるわよ。美乃梨、目玉焼きの焼き加減は?」
「サニーサイドダウンで。」
「オーバーイージーじゃないの?」
「やっぱりオーバーイージーにして。」
オーバーイージーもサニーサイドダウンも同じ焼き加減なんですけど…
『そう言えば亮一君って、夢に出てきた翔悟君と雰囲気似てた気がするなぁ』
「美乃梨。今、亮一君の事、考えてたでしょ。気になるんだったら、お茶しにおいで。」
「べ、別に気にしてないし。」
「ふーん。」
亜矢子はニヤニヤして美乃梨の顔を見た。
「ま、いいか。そろそろ行こうかな。」
朝食を食べ終えたので亜矢子は立ち上がる。
「亜矢子、晩ご飯は?」
「食べてくるから要らない。」
「わかった。いってらっしゃい。気をつけてね。」
「いってらっしゃい。お姉ちゃん。」
「いってきます。」
亜矢子はコーチのキャリーオールを肩に掛けると出かけて行った。
「美乃梨の今日の予定は?」
「昼から沙也加と買い物に行ってくる。私も晩ご飯は要らないかな。」
「わかったわ。」
美乃梨は美代子が用意してくれた朝食を食べ始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ロッカールームで給仕服に着替えた亮一が従業員休憩室に入ってきた。
白のYシャツに蝶ネクタイ。黒のベストに黒のスラックスパンツ。オーソドックスであるが故に、並の日本人には似合わないのであるが、亮一はスマートに着こなしていた。
「おはようございます。」
「おはよう。亮一君。しかし…」
亜矢子が亮一の髪型をみて残念な気がした。ボサボサで下ろされた前髪は鼻が隠れるくらいある。よくそれで前が見えるな?と不思議になる。見た目の印象も例えが良くないのだが、いわゆるオタク系に見える。
「今日もチャチャと決めちゃいましょうかね。」
フロアマネージャーがヘアワックスを亮一の髪に塗りつけ、コームでサッサとオールバックに仕上げていく。現れてきた顔の構成パーツは絶妙なバランスで配置されいて、イケメン以外の何者でもない。
「イケメンなのにもったいないよ?」
亜矢子が何気なく言った事に対して亮一が答えた。
「煩わしいの苦手なんですよ。」
亮一もイケメンである自覚はあり、それに起因する色々な厄介ごとに辟易している様である。
「とは言ってもね。飲食店なので清潔感は要りますから。乱髪のままではトラブルの元になりますので。はい、出来上がりっと。今日もイケメンですねぇ、亮一君。」
フロアマネージャーは仕上がりをチェックして満足げだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
美乃梨と沙也加は、亜矢子がアルバイトをしているカフェが入る商業施設ビルで買い物をしていた。
美少女が二人、しかも美乃梨は当然レイバンをかけているので余計に目立つ。すれ違い様にチラチラ見る男性が少なくない。先程すれ違ったカップルは、かれしが彼女の肘鉄を脇腹にくらっていた。
スカウトらしき中年男に声をかけられたが、断ったのにしつこく付き纏われ、イラッときた沙也加が男の向こう脛に蹴りをお見舞いしたのはご愛嬌と言ったところか。
「なかなかピンとくるのが無いねぇ。」
「沙也加がこだわり過ぎるのよ。」
「そう言う美乃梨だって人の事言えた義理ではなかった気がするなぁ。」
「だって、納得のいく服がないんだもの。」
「ちょっと休憩しよっか。」
「そうね。時間も3時を回ってるし。ティータイムしよ。そう言えば、今日は亮一君がバイト入ってるってお姉ちゃんが言ってたよ。」
「美乃梨は気になるの?」
「べ、別に気にはしてないよ?」
「私は気になるよ。グヘヘへ…喰うべし。」
「沙也加、その笑い方はやめた方が良いよ。あと、喰べたらダメ。生肉はお腹壊すよ?」
などと言いながら二人は1階にあるカフェへと移動した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ウィーーーーーン
自動ドアを抜けると亜矢子が待っていた。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
「亜矢ちゃん、亮一君は?」
「いるよ。席は窓側でいい?」
沙也加が小声で訊くと、亜矢子もつられて小声で返した。
窓側の席に案内され、二人は着座するした。
「お冷やをお持ちしますので、少々お待ち下さい。」
亜矢子が水の入ったグラスを二つ、トレーに乗せて戻ってきた。
グラスをテーブルに置くと尋ねてくる。
「ご注文がお決まりでしたら、お伺いいたします。」
美乃梨はシフォンケーキとアールグレイ。沙也加は苺のタルトとキリマンジャロを頼んだ。
亜矢子は以前と同じ様に、
「亮一君に持って来させるね。」
と言って下がっていった。
「ねぇ、美乃梨。」
「何?」
「サングラス外してよ。」
「どうして?」
「青い瞳に吸い込まれたいから。」
「何を訳のわからん事を。」
「美乃梨の瞳を見つめると、なんだか癒されるんだよねぇ。なので、お願い!」
沙也加はパンッと合掌して祈る様な仕草をした。
「はいはい、仕方ないなぁ。」
美乃梨がサングラスを外した時に、テノールの甘い声が降り注いだ。
「お待たせしました。シフォンケーキのお客様は?」
「はい、私です。」
美乃梨が返事をして声の主を見上げた。シフォンケーキの乗った皿をテーブルに置こうとした亮一は美乃梨の顔を見て硬直した。
「…あ…あ…やか…」
亮一の蚊の鳴くような声を美乃梨は聞き逃さなかった。
「亮一君。大丈夫?」
沙也加の問いかけに、亮一は再起動がかかり、皿を美乃梨の前に置いた。
「こちら苺のタルトになります。」
沙也加の前に苺のタルトの乗った皿を置くと、亮一は何かに急かされるようにして下がってしまった。
「どうしたんだろ、亮一君。一瞬、狼狽えた様に見えたんだけど。」
沙也加は不思議そうな顔をして、去っていく亮一の後ろ姿を見つめた。
すぐに亜矢子が飲み物を持ってやってきた。
「アールグレイが美乃梨で、キリマンジャロが沙也ちゃん。」
「亜矢ちゃん、亮一君の様子が変だったけど。」
「それがね。控室に籠ってしまって。」
美乃梨は一人黙って考え込んでしまった。
『亮一君は綾香さんの事を知っている?なぜ私の顔を見て綾香さんの名前を呟いたの?』
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