9 回想
朝8時。
美乃梨は目を覚ますと両手を天に突き上げ、大きくノビをした。
「うーん。」
体内を血流が駆け巡る感覚が、寝ぼけている脳を覚醒させる。
今日は日曜日。
振り返れば怒涛の一週間だった。
目が青く変わったのも相まって、学校での注目度は表現しようがない。
下駄箱には毎朝、大量のラブレターが入っていて処分に困った。中学校の校舎は土足だったので上履きに履き替える必要がなく、下駄箱なども無かった。下駄箱にラブレターが入っているなど、ラノベか少女漫画の世界の出来事と思っていたので、戸惑っているだけなのだが。
沙也加に言わせると、読まずに捨てても問題ないらしい。沙也加の下駄箱にも美乃梨に負けないほどのラブレターが入っていたのだが、沙也加は美乃梨の目の前で自分の下駄箱に入っていたラブレターを読まずにビリビリと破いてゴミ箱に捨てていた。
高校でも美乃梨派と沙也加派の覇権争いが勃発しそうである。何を制覇したいのか、今度は正確に把握したい所だ。
それは置いといて。
美乃梨は破り捨てる事に抵抗があって、とりあえず家に持ち帰ったのだが、結局可燃ゴミの日に廃棄された。
昼休みや放課後に、人気の無い所でポツンと佇む男子生徒があちこちで散見されたていたと知るのは後日談。
『それにしても…』
美乃梨はこの一週間に見た夢を思い出す。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
小学2年生の頃だ。
「綾香ちゃん、手伝うよ。」
私が掃除当番で教室の大きなゴミ箱をゴミ収集場て持っていこうとした時に声をかけられた。
「ありがとう、翔悟君。でも…気にならへん?」
「なにが?」
教室の隅で男子がヒソヒソと話していた。
「またカッコつけとるで。」
「でもなぁ、あいつ、柏崎さんのお気にやしなぁ。」
「俺も依怙贔屓されたいなぁ。」
私は男子達をキッと睨みつけた。男子達はヒッと言うと黙ってしまった。
翔悟君は何も言わず、私からゴミ箱を奪い取ると、スタスタと歩き出して行く。
「待ってぇなぁ。」
私は彼の後を追って教室を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お前らがやったんやろ!」
小学6年の翔悟が怒っていた。
机の上にはビリビリに破かれた私のノートが置いてあった。
四人の女の子が体を震わせながら、机の前に立っていた。
「うち達がやったって証拠は?」
一人の女の子が意を決する様にして言った。翔悟はジロりとその子を見る。
「証拠か?俺はな、お前らが放課後にこのノートを破ってるとこ見たんや。」
四人の顔から血の気が無くなるのがわかる。
「それだけやない。綾香の上靴隠したり、ランドセルにゴミ入れたりしてたんもお前らやろ。」
四人は泣きそうになっていた。あまりにも彼女達が可愛そうで止めに入った。
「もうええよ、翔悟。」
「よう無い。お前ら、綾香がモテる事に妬いて虐めなんかして。そんな事して、自分の価値下げてどないすんねん。どあほ!」
そう、私は知ってる。翔悟は私の為に怒ってる。でも、無意識に相手の事を叱ってる。どこまでも優しい人やね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『中学生柔道選手権 近畿地区大会』
目の前の横断幕に書かれた文字。
今から決勝戦が始まる。
「頑張りや、翔悟。ここまで来たら優勝やで。」
「まかしとき。ほな行ってくるわ。」
翔悟はそう言って控室から出て行った。私も観客席へと移動する。
翔悟と相手選手が入ってきた。審判が声をかけてお互いに礼をする。
「はじめ!」
審判の掛け声で試合が始まった。
相手の選手は翔悟より背が高い。リーチを活かして翔悟の奥襟をとりにきた。
翔悟は見計らっていたかの様に、奥襟をとりにきた右腕を軽くいなすと、そのまま腕を掴み、体を相手の懐にすべりこませる。そのまま腰をポンと跳ねる様な仕草をすると相手はクルリと宙に舞っていた。
ドターン!
「一本!それまで!」
鮮やかな一本背負い。始まって僅か十数秒の出来事に、受け身を取っていた相手選手も呆然としている。
翔悟は勝って傲る事なく、相手選手の肩をポンと叩くと握手をして一礼した。
翔悟ってホンマに凄い。小さい頃、強くなるって言って、有言実行してみせる。
何故だろう。涙が頬を伝っている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「綾香、今日の授業のノート持ってきたで。」
「おおきに、翔悟。毎日大変やろ?」
私は病院の電動ベッドを起こした。
「気にせんでもええ。綾香のノート録り出してから、俺の成績も良くなっとるから一石二鳥や。」
「それホンマなん?」
「この前の期末テスト、学年3位やったで。」
「凄いやん。翔悟はやればできる子やもんな。」
「煽てても何もでぇへんで?」
「あはは…もうすぐクリスマスやね。」
「なぁんや。クリスマスプレゼントの催促かいな。」
「その後、お正月来てぇ、バレンタイン来てぇ、ホワイトデー。桜が咲いたら三年生や。」
「…」
「うちな、桜見たい。」
「それまでに治さなあかんな。」
「多分無理やと思う。」
「綾香!」
「手鏡取ってくれへん?」
翔悟はサイドボードの引き出しから手鏡を取り出して渡してくれた。手鏡に自分の顔を映す。
最近は食べても直ぐにもどしてしまう。栄養を補う為に点滴が欠かせない。
体はゲッソリと痩せこけている。
自慢だった艶やかな金髪も、光沢を失いボサボサだ。
「あはは…何やろね。骨と皮だけの顔。」
「…」
「自分の体の事や。自分が一番わかってる。」
翔悟は黙ったままだった。
私は手鏡に映る瞳だけが青く輝いている事に少しだけ安堵した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夢というのは、大抵がモノクロームでカラーの夢を見る事は稀のようだ。しかも睡眠から目覚め、脳が覚醒すると夢を見たなぁという感覚は残るが、夢に見た内容は具体的には残らない事が多い。
具体的に夢を覚えているケースは、その夢の内容について体験した事、希望した事など自意識がイメージしている場合である。
だが、美乃梨の見た夢は、美乃梨が体験したことでは無い。小説を読んだ、テレビドラマで見たと言う疑似体験のものでも無い。
綾香と言う少女の回想を見ているのではないか?
と美乃梨は思った。
もう一つ、ひっかかる点。綾香の目が碧眼であった事。
自分の目が青くなった事と関係があるのか?
色々と考えてみるが結論が出る事はなかった。