8years ago… 2
「……え…」
リオと名乗った少年は先程の発言を思い出したのか、雪のように白い頬を薔薇色に染めて、悠理が「おぉ」と思う間もなく今度は青ざめた。
綺麗な形の眉を顰めて、再び俯く。
さて、この少年は自らがしたどの行動への怒りに不安を感じているのだろう。
魔女の箱庭へ侵入したこと?
永く生きる魔女本人と知らなかったとはいえ、悠理の見た目を可憐だの美しいだのと宣ったこと?
それとも、魔女の与えた名前を偽ったこと?
悠理が悩ましげに俯く少年を暫し眺めていると彼は頭を軽く振り、意を決したようにこちらを向いて背筋を伸ばし頭を下げた。
「申し訳ない」
少年の雰囲気が子供の怯えから人の上に立てる者のそれへ変わっていることに気づきながらも、悠理は意地悪く問う。
「それは何に対する謝罪だい?」
「あなたの慈しむ庭へ無断で侵入した」
「それだけ?」
「…あなたのくれた贈り物を、理由はどうあれ、偽るようなことをしている」
腰を折ったまま、誠意のこもった返答が聞こえてくる。
なるほどこの少年、幼いながらも言葉の選び方を知っているようだ、悠理は少し気を良くして頷いた。
「顔をお上げ」
再び黒髪が揺れ、美しい瞳が悠理を見つめる。
(んんん、あんなしっかり喋れるのに実はまだちょっと不安そうなの可愛すぎんか…)
「そうさねぇ、この子達が拒絶の反応を示さなかったこともあるし、私が大切に育んでいる庭への侵入についてはこの後ひと働きしてもらって不問にしてやろう」
どうせ薬草を摘もうと思って出てきたのだ、手伝わせるくらいは許されるだろう。
「は、はいっ!」
(私が思った以上に頭のいい子だな…)
言外に先程の返答が正解であることをにおわせてみたが、それも理解しているようだ。
だから余計に、先程続いた言葉は面白くなかった。
「それから、私に対して可憐だとか言ったことについてだが」
「っ!不快にさせたのならすみません…けどそう思ったのはホントでっ…」
敢えて少年が触れなかった部分をつつく。
思った通り、いやそれ以上の良い反応が返ってきた。
(ここは歳相応に照れるとかますます可愛いな!!!!!!)
色が白いからだろうか、頬だけでなく目じりや耳、首筋まで赤くして俯く少年の姿は悠理が今まで生きてきて、大して自分の中に存在を感じなかった嗜虐心をそそる。
「ふふっ、ませてるなー、なーまいき。」
あどけないようにも妖艶にも見える笑みを浮かべながら軽い足取りで少年に近づき、いずれその柔らかさを失うであろう白い顎に指をかけ、顔をこちらに向けさせる。
相手の正体がわかっているのだから不敬にあたるかもしれないが、そんなものは知ったことではない。
彼は先程、謝罪の中で「偽るようなことをしている」と言った。
「偽った」のではなく、「偽っている」のだと。
本人に知られているのに、これからも偽るのだと言ったようなものだ。
歴史の中で個人の名前など、全宇宙の星屑一つと同じくらい小さなものだ、覚えておくべきの偉人の名前だってテストで間違えたりするじゃないか。
だが不愉快なものは不愉快だ。
先程大人らしく誘導するなどと考えていたはずの悠理は意地の悪い笑顔を見せると、少年の耳元に唇を寄せ囁くようにして更に問うた。
「それで?名前を偽った理由があるんだっけ?飼い殺しの魔女がつけたものではお気に召さなかったのかい?ねぇ?レオンハルト・アルテイア?」
飼い殺しの魔女。
それは自由を愛する彼女以外の魔女達が悠理を揶揄する時に使う言葉だ。
守りたい相手がいるわけでもなく、本気で逃げようと思えば彼女を閉じ込めておける者などこの国にはいないことがわかっていながら、留まるどころか国の中枢である王宮の敷地内に居を構え、ただそこで永らく生き続けるだけの怠惰な魔女にはお似合いの文句だと悠理自身も思う。
レオンハルトというのは、かつて彼女がアルテイアの第二王子へ贈った名前だ。
少年の肩が大きく動く。
「ちがっ…、ちがいますっ!!」
「なにが違うんだい?私が呼んだお前の名前かい?」
レオンハルトと呼ばれた“リオ”は弾かれたように振り返り未だ顔に触れている悠理の手を両手で掴むとしっかりと目を合わせ、一際大きな声で言った。
「いいえ、いいえ!あなたからいただいたレオンハルトを気に入らないなどあるはずがない!素晴らしい贈り物をいただいたのだと、心から感謝しております!!」
言葉に嘘はないのだろう、この数分間で初めて見せた強い意思を宿した瞳が悠理を見つめる。
しかしすぐに視線だけを逸らし、苦しそうに、悔しそうに、唸るような声で少年は続けた。
「……だからこそ僕は…そう名乗ることを、許されていません…!」
「………は?」