悪魔の伝承
パチパチと木が燃え上がる音で少女は目を覚ます。
「ここは?……」
覚醒しきっていない朧気な意識のまま周囲を確認する。
チクッ。
背に何か当たる物を感じ振り向くと、少女は自分が石の壁にもたれ掛かっていたことに気づく。
チクチクッ。
次に視界を前方に向けると大きな石柱が1つ、平原の真ん中にポツンと佇んでいた。よく見ればそれは、先程少女と死闘を繰り広げたゴーレムの片足だった。
一瞬身構えた少女だったが気を失う前、確かにゴーレムがあの悪魔の手によって破壊されたことを思い出す。
ただ、それ以降何が起きたかは不明。
チクチクチクッッ。
というかさっきから何かチクチクする。
それに背に感じている壁の質感も妙に明確だ。
まるで布を通さず、肌に直接触れているような……。
嫌な予感を抱きつつ、少女はおそるおそる自分の体の状態を確かめる。
「え!?な、なんで私裸なの!?」
少女は産まれたての赤子のようなすっぽんぽんな姿で草原に一人取り残されていた。
ただ、外部からは覗かれないよう枝や木葉が少女の体を覆い尽くしていた。しかし、無造作かつ大量に置かれていたせいで僅かに体を動かすだけで少女の肌に刺が当たってしまっていた。
枝を退かそうかと考えては見たものの、そうなれば今度こそ少女の裸体が夜の平原に有り有りと浮かび上がってしまう。
少しずつ冷静さを取り戻してきた少女は今起きている事態の最も重要な点を思い出す。
自分は今も生きている。
「あの人が助けてくれたのかな……」
その事実はどう考えてもあの人間にしか見えない悪魔に救われたからとしか思えなかった。
あのまま何の処置もされずに放置されていたら自分はとっくに死んでいただろう。
あの人が私を助けてくれた意図は不明だが、とにかくまずはここから離れて起きたこと全てを学園長に報告に行かなければ……。
でも、このままじゃここから動くことができない。
「気が付いたか?」
八方ふさがりの状況。どうしたものかと途方に暮れていると、いつの間にか少女のすぐそばまで歩み寄っていたゼルクに声をかけられる。
「きゃーーーっ!!!」
「喧しいぞ」
「なんであなたがここにいるんですか!?」
「さっきも言っただろ俺にも分からないって。俺は元々阿鼻地獄にいたはずなのに……」
「いや、そっちの話じゃないです!!」
淡々とやり取りを交わすゼルクに、少女は少しばかり苛立ちを募らせていると、ゼルクの腕に茸や木の実などが沢山抱えられていることに気づく。
「そんなことよりお前に聞きたいことがある」
一変して険しい表情を浮かばせるゼルクの顔を見た少女は、自分が何故助けられたのかその理由を瞬間的に理解する。
この人は私の……いや、悪魔の力の片鱗を見た。
その事について言及するべく私を生かしたのだろう。
本当ならこんな力など使いたくはなかった。けれどもこの力は危機に瀕すると、自分の意思とは関係無しに勝手に暴走する。
そしてそれは自らを殺そうとした場合であったとしても否応なく発動してしまう。
あの時も確か……。
一度記憶のトリガーを引いてしまうと、過去の出来事は滝のような勢いで溢れ返ってくる。
例えそれが、決して思い出したくない物であったとしても。
「娘」
少女は怯えきった様子でゼルクの言葉に反応すると、体を小刻みに震わせる。
まるで力の事ではなく自身の過ちを咎められるような気がして。
「これは……美味いか?」
ゼルクは抱えていた物の中から1つの茸を摘まむと、少女の前でフリフリとそれを揺らす。
「…………へ?」
あまりにも予想外な問いに脳が処理しきれず、少女は思わず素っ頓狂な声を出す。
「だからこれは美味いのかと聞いている」
「え……あ……えっと……それはまあ、普通な味かと」
「ふむ……。ならこれはどうだ?」
「そ、それはそこそこ美味しい?……と思います」
「これは?」
「あ、それマズイです」
少女はその後も、ゼルクが持ってきた全ての茸と木の実を、まるで事態が飲み込めないまま選別をさせられた。
「これで一通り終わったか……次ぎは」
少女に再び緊張が走る。
今度こそ力の事を言われるに違いない。
口を一文字に結び、少女はぐっと手を強く握りしめる。
「焼くか」
ゼルクは徐に少女へ近づくと、その体を包み隠している枝の数本を手に取り、選別で残った茸をどんどん刺していく。
そして、刺し終えた枝から順に焚き火で炙り始め出した。
「た、食べるのですか?」
「当たり前だろう。何のために味をお前に聞いたんだ」
ゼルクは座り込んで茸を焼くことだけに集中する。
力の事を聞かれることに対して恐れを抱いていた少女ではあったが、この訳の分からない現状にたまらず声をかける。
「あの……」
「なんだ?……お前も食いたいのか?」
「違います!」
この人を相手にしているとどうにも調子が狂う。
だからだろうか……わざわざ自分で自分を苦しめるような愚かな事をしてしまうのは。
「……どうして私を助けたのですか?」
「助けた?」
ゼルクは少女が言った言葉の意味を理解できていない様子だった。
「え…あの………ガーディアンゴーレムを倒してくれましたよね?」
「ああ、それは俺だな」
「その後ここまで私を運んでくれたのは?」
「俺だ」
「私の傷を治してくれたのは?」
「俺だ」
「私を裸にしたのは?」
「俺だ」
少女は傍らに落ちていた小石を拾い上げるとゼルクに向かって投げつけた。
煩わしそうにゼルクはその小石を手で叩く。
「……何をする」
「いえ、ただ無性に腹が立っただけです」
ムスッとした表情でそっぽを向く少女の態度にゼルクはますます混乱する。
「結局何が言いたいんだ?」
「……私を助けた理由はあの力を見たからですか?」
そこでゼルクは少女の言っている"助けた"という意味を初めて理解する。
「ああ、お前を生かした理由か……その通りだ」
「やはりそうですか……」
分かっていたことではあったが、少女はやり場の無い感情に苛まれる。
こんなにも疎ましく思っている力に1度ならず2度までも助けられてしまうなんて。
少女は思わず自虐的な微笑みを浮かべる。
「お前は悪魔の魔力を持っているみたいだが、それをどこで手に入れた」
それまで少女と視線を交わすことなく会話していたゼルクが、食事を止めて少女と向かい合う体勢になる。
その行動はゼルクの目的が本題に入ったことを仄めかしていた。
「分かりません……」
しかし少女は答えを濁す。
たがそれは単に力の事を話したくなかったからついた少女の嘘だけというわけでなく、半分は事実であった。
「分からないにしては俺がお前の力を悪魔のものだと断定しても、否定も驚きもしなかったがそれはなぜだ?」
「それは……」
物理的な距離は離れているというのに少女は首を締め上げられているような錯覚に襲われ、息が詰まった声を漏らす。
「吐け」
ぐいっと前のめりになりながらゼルクは少女に詰め寄る。
今度こそ本当に距離を縮められてしまった少女は観念した様子で語り始めた。
少女の語りを要約すると、今から約1000年程前にこの地である儀式が行われた。
内容は異界の生命体をこの世界に召喚する……というもの。
しかしその儀式は人類そのものの存在を脅かすとされる禁忌魔術の1種『異生転生』と呼ばれる物であり、腕の立つ歴戦の魔道師ですら成功させるには規格外すぎる難易度を誇る代物であった。
そんな中で儀式を執り行ったのは当時、今ゼルク達がいる国……"ミカルズ王国"で大魔道師と呼ばれ、その名声が轟いていた"ヴェレフ・ヤルダ"という男。
ヴェレフの知名度はミカルズ王国の中だけに留まらず、ミカルズ王国周辺国家でもその名を知らない人間はいないとまで言われていた人物であった。
彼は手始めに4体の異界生命体の召喚を成功させる。
1体目は禍禍しい魔力を宿した仮面をつけ、その素顔は誰の目にも確認されることが無かったと言われる小さき残虐の鬼……『傀儡小鬼』
2体目は炎を司る神と恐れられ、あらゆる大地を燃やし尽くしただけには飽きたらず、蒼く澄んだ空までをも燃やし、赤き夜をもたらした爆炎の女帝……『炎焔美神』
3体目はすらりと伸びた手足に身なりの良い服装を着こなした眉目秀麗な老紳士でありながら、1度主と認めた者の命令は例えどんなものであろうと必ず成し遂げる、絶対順守の魔人……『必成執魔』
4体目は1つの山と見紛うほどに鴻大な形貌を為し、その体躯を動かすだけで、周囲を一瞬の内に凍りつかせてしまう氷魔を纏いし骸の龍……『氷骸巨龍』
ヴェレフはこれら『四災獣』を使役し、次々に国を滅亡させていった。
無論人々は四災獣の侵攻を阻止するべく立ち上がった。名だたる魔導師達が勇猛果敢に挑むも、結果は全て敗北で終わった。それほどまでに四災獣の力は強大だった。
そんな戦火の中、人々はなぜそれ程までに卓越した力を持ち、人格者としても名を馳せていた大魔道師ヴェレフが人の道を外れるような奇行に出たのか……その理由を思案せずにはいられなかった。
ある人は彼が優秀すぎるあまり禁忌魔術という魔道の深淵を覗き、その道を更に極めたくなったのではないかと説いた。
またある人は彼は狂気の魔道師だと叫び、異界転生以外の禁忌魔術も明るみに出ていないだけで、もう既に幾つも行っているのではないかと蔑んだ。
様々な憶測が人々の間で飛び交っていたある時、1つの説が世間に流れ始める。
それはそれまで作り上げられた数多の説を全て打ち砕き、限り無く真実に近いものだとされた。
その説とは……『ヴェレフはミカルズ王の指示で動いている』という内容のものだった。
どうしてそのような説が流れたのか。答えは単純明快であった。
ヴェレフが滅ぼしていった国の全てが、ミカルズ王国と敵対していた国だったのだ。
あらゆる国の民が国王へ猜疑心を抱き、その不審が頂点に達する間際、事件が起きた。
ヴェレフが5体目の生命体を召喚。
その時に現れた者こそが後に悪魔と呼ばれるようになる生命体だった。
悪魔はまず、それまでヴェレフに利用されていた四災獣をヴェレフの手から解放させた。
そして同時に、ヴェレフが施した服従の魔法を自分に付き従うようになるよう上書きした。
支配者がヴェレフから悪魔に変わったことで、四災獣はミカルズ王国の敵対国以外の国……つまりは友好関係にあった国及び、中立国にまでその猛威を振るわせた。
しかしながらその事実こそが皮肉にもヴェレフがミカルズ王国に雇われたという確固たる証拠となってしまった。
結果ミカルズ国内でも不満は高まり、この大災害の首謀者とされる国王『アバド・プロスタニア・アリストス』は処刑されることとなった。
アバドは死亡する最後まで自身はこの一件に関与していないと嘆き続けるも、その叫びは民衆の声に儚くもかき消された。
だが、人々の怒りは王を処刑しただけでは収まることことはなかった。
儀式を行った張本人、ヴェレフ・ヤルダを亡き者にする計画が各国に存在する優秀な魔道師達の間で企てられた。
大魔道師と謳われ続けたヴェレフに牙を剥く魔道師などいるのかと、当初は懸念されたがそれは杞憂に終わる。
ヴェレフは人々の間で英雄のように扱われている一方、同じ魔道師からはあまり良く思われてはいなかった。
理由は簡単で、類い稀なるヴェレフの才を嫉妬してのことだった。
そうして各国から募った、ヴェレフに怨恨を抱き、なおかつ実力が確かな選りすぐりの精鋭を集めた『スクアード』が結成された。
スクアードの個々はヴェレフの力量に遠く及ばないが、多勢に無勢の力で徐々にヴェレフを追い込んでいった。
窮地に立たされたヴェレフは自身に残っている魔力全てを注ぎ込み、異生転生とは別の禁忌魔術を発動させた。
それは自我を強制的に他の生命に乗り移らせる魔術『精神転送』。
そしてヴェレフが転移先に指定したのが何を隠そう5体目の生命体『君主悪魔』だった。
スクアードの魔道師達は一瞬にして自分達の……否、人類の敗北を悟った。
ヴェレフの圧倒的な魔術の才と、悪魔の人智を越えた力……2つの強大なパワーが合わさった今、その力に抗う術など最早この世には存在しないと。
しかしその悪夢のような未来予想図が展開されることは無かった。
悪魔の精神を乗っ取ったヴェレフは何故か悪魔の体のままで自害を図ったのだ。
文献にはその瞬間を垣間見た魔道師がヴェレフは一人で叫んでいるにも関わらず、まるで誰かと口論しているように見えたと語っていたと記されている。
誰もが予期できなかったヴェレフと悪魔を同時に討伐したというこの上ない歓喜が轟いたのも束の間、根本の問題はまるで解決していなかった。
四災獣……この化物達を倒さなければ人類が滅亡してしまうことには変わらなかった。
どうしたものかと頭を抱えていると、これまた人類にとって好都合かつ予想外な事が起きた。
ヴェレフ(君主悪魔)が消えると同時に、四災獣も連なるようにして忽然と姿を消したのだ。
だが、姿が消えたとはいえ人々が本当の意味で安心を得ることはなかった。
いつかまた現れる……必ず現れる。1年後か半年後か明日かはたまた今日か。
人々はそんな不確定な不安を抱えながら1年、5年、10年、20年、100年と月日は流れ、いつの間にか四災獣の存在はヴェレフと悪魔に対する伝承の中で継ぎ足された、空想上の化物として認知されるようになっていった。
そうして1000年経った現在でも四災獣が現れることは無く、その存在は既に人々の記憶から空想上であると言われていたことすら消え去っていた。……ということだった。
一通り語ったと言わんばかりに少女は小休止をする。
暫く沈黙が流れた後、ゼルクが声を発する。
「長々聞いて言いたいことは山ほどあるが……結局その出来事とお前が持ってる力は何がどう関係しているんだ?」
「この話にはまだ続きがあるんです」
再び少女は語りを再開する。
少女と悪魔の力の関係……。それはヴェレフが君主悪魔と一対になり自害を図ってから、約1ヶ月程経った後に起き出す事件と関係していた。
四災獣と悪魔の脅威が消え、人々がかりそめの安寧を得始めた時、とある小さな村で奇妙な出来事が起こる。
その出来事とは歳幾ばくもない少女が次々と、神に隠されたかの如く姿を消してしまう…というものだった。
当初は姿を眩ました四災獣によって連れ去られたと考えられ、消えた少女の両親達は皆悲しみに暮れていた。
だが、その推測は間違いであったとすぐに判明する。
何故なら消えた少女達は誰一人として欠けることなく、再び村に戻ってきたのだ。
五体満足で帰ってきた少女達を、村人全員が慟哭めいた歓迎で迎え入れ、不幸の底にいた少女の両親は一変して幸福を噛み締めていた。
しかし、その喜びは長くは続かなかった。