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紫髪の少女と救いの悪魔  作者: 松友 ほたる
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紫髪の少女

目を開けると、そこには色があった。

夜風に流されて揺れる木々は青々とし、空には逞しくもどこか柔和な光を放つ黄金色の満月が煌々と輝き、地には弱々しくも決してめげること無く、ただひたすらに天だけを目指し続ける緑が、視界いっぱいに生えていた。


「なんて……綺麗なんだ……」


ゼルクがいる周辺の景観は、鬱蒼とした森の中、そこだけ丸くくり貫かれたかのように木々が消えている、だだっ広い平原と思われる場所だった。


「あそこの景色とはまるで違うな」


地獄には色と呼べる物が極端に少ない。正確には3種類しか存在しない。

1つは悪魔の中にも確かに流れている、人間と同じ血の色……即ち赤。

1つは仄かな魂達が、その姿を辛うじて保つことのできる雪の色……即ち白。

そして最後は、あらゆる光を吸収し、全てを絶望へと塗り変える悪魔の色……即ち黒。

このたった3つの色だけで地獄は成り立っている。


悪魔の体は基本的に黒色をしているが、執行者のように直接魂に手を下すことが許可されている役職を持った悪魔のほとんどは、魂達の返り血を浴び続ける影響で、自らの体の色である黒と、血の色である赤が混ざり合い、黒紅色の見た目に変化している。

そしてそれは同時に、悪魔自身のランクを、一目で判断できる材料となっている。


体が赤ければ赤いほど、その悪魔は魂に何度も手を下せる程の高位の存在であることを表し、逆に混じりけのない黒色のままの悪魔は、血を浴びる機会を持てない低位の存在だということを表していることになる。


因みに魂の血とは、生前人間の肉体に流れている、所謂血液と呼ばれる物とは全くの別物である。


魂とはいわば、人の心が外皮や防具を纏わず、裸のまま剥き出しでいる状態のことを指している。

人間は生きている間、あらゆる困難や苦痛に再三にわたって悩まされる。そのトラブルをバネとし、更に跳躍するための糧とする者もいれば、心が耐えることができず、救いのために死を選ぶ者や、解放のために殺戮を犯す者がいる。


その最中心は、無意識の内に鍛えられているのだ。

災難をはね除けた者は勿論のこと、自死を選んだ者も、殺人を犯した者も、しっかりと成長している。

ただ後者2つの成長とは、前者が得るであろう困難に屈しない力や、生に貪欲なまでにしがみつくための渇望を見出だす力などではなく、心が本当に望んだ物への抵抗を無くすことを言う。


人はいきなり行動を起こすわけではない。行動に至るまでには必ず過程が存在する。

その過程の中で、心は自らが熱望した結果を受け入れるための準備をする。

死んでこの世から消える恐怖や覚悟、殺人を犯した場合の自責や喪失。

それら全てを正当化するために、心は都合のいい物だけを引っ張り出して、周りを固めていく。

いざ行動を起こした時、自分自身が傷つくことがないように。


そうやって少しずつ強固にして、微塵も心が揺るがないほどの精神力を身に付けたとしても、魂になればその壁全てが失われる。

心が生身のまま受ける罰は想像を絶する痛みを生み、魂は滂沱の涙を流す。血と見紛うほどの赤い涙を。


この時に出る涙を、悪魔達は魂の血と呼んでいる。

人間の血液と涙は同じ成分でできていると、どこかの悪魔が伝え回ったのが歪曲して、涙と呼ばれる物がいつの間にか“血“と名を変えて根付いたのだ。



「ん?……あそこの……景色?」


恍惚とした表情で周囲を見渡していたゼルクにふと懸念が生じる。

そしてその懸念が何なのか理解した瞬間、ゼルクは戦慄する。


おかしい……。死んだはずなのに記憶がある。


地獄に存在している物達は皆、地獄から去る際に、各階層ごとに在席している最高責任者……魔王によって記憶を全て消されることになっている。

それは悪魔でも変わりはない。

ただ、魔王の中には物臭な者もいて、たまに記憶を消す作業を放棄して、そのまま輪廻転生させるような者もいる。

前世が分かる人間と言うのは、単純に魔王が仕事をサボったから生まれるに過ぎない。

そのおかげと言うべきなのか、人間達が無駄に地獄に詳しい訳は、地獄にいた頃の記憶が残ったまま輪廻転生させられた者が、現世で人々に言い伝えていったからであった。


と、他の階層にいる魔王ならばそのような可能性もあったかもしれないが、ゼルクがいた場所の魔王となれば話は別だ。

8つの階層に別れた地獄の中で、最下層に位置しながら最上位の存在である阿鼻地獄。そのトップである魔王は、誰よりも規律を重んじる堅物の王だった。

役割を果たさず怠ける者がいれば、例え相手が他の階層の魔王だとしても容赦はしない。


そんな堅物が魔王の中の魔王と呼ばれる存在……“大魔王“として阿鼻地獄を統括することが決定した当初、粗暴な性格が大半を占める悪魔達は、あんな堅物で悪魔らしさの欠片もないヤツの下に付くことはできないと、反旗を翻す事件が起きた。


反乱分子と大魔王の戦力差は外面的には大きく、最終的には大魔王たった一人に対して、全悪魔の7割近くが敵対するまでになっていた。

これほど差が開くことになった1番の要因は、反乱を起こした悪魔の中に、別の階層の魔王が何人か含まれていたことが挙げられる。

不満に思っていた大勢の悪魔が、躊躇うことなく蜂起できたのは、魔王という最高位の存在が、他の悪魔達の良いバックボーンとなっていたからだ。


そうして大戦の火蓋は切って落とされることとなった。



結果は圧勝で終わった。……大魔王の。


悪魔にとって力は全てで、1番大事なステータス。

それを大魔王は真っ向から証明してみせたのだ。

大魔王は知略に富んでいた訳でも、人脈に富んでいた訳でもなかった。勿論皆無というわけではないが。

ただ純粋に『力』ただそれだけで無数の相手を屈服させたのだ。

だがそれこそが、反乱を起こした者達が堅物の大魔王に従うようになる、何よりの理由になったのは言うまでもないだろう。


その後、ゼルクがよく知る規律と規則で縛られた地獄へと姿を変えていった。

そんな堅物魔王が自らの仕事を怠るとは、ゼルクには到底思えなかった。


となると答えは1つ。


「俺はまだ……生きているのか」


導きだした答えをこれ以上無いと言わんばかりの陰鬱な表情でゼルクはポツリと呟く。


生きている場合なら、今述べたような記憶を消されるといったことは行われない。

消されるのはあくまで死んで転生されるものだけに限られる。


魔王は生命の終わりを察知する力を持ち、その力は死を迎える者が例えどこにいようとも、自らが支配する地獄の範囲であれば必ず認識できるほど強力なものである。


そうして見つけ出した者の気配を辿って、魔王はその者の前に突如として現れ、記憶を消去する魔法を施す。

ただしこの方法は、イレギュラーな場合にのみ講じる対応策。


本来であれば、魂は刑期を終えた者から順に、魔王の元まで連行され、日毎に決められた人数分の魂の記憶を消していくのが規定の方法なのだが、魂を甚振ることに興奮して暴走した執行者の悪魔が、勢い余って魂を嬲り殺してしまうケースがある。


また、悪魔の場合で言えば、寿命が秒単位で決まっている事が大きく関係してくる。

悪魔は病気で死ぬことがないどころか、そもそも病気といった概念そのものが地獄には存在しない。代わりに……という言い方が正しいのどうかは分からないが、命の期限が各悪魔ごと詳細に定められている。

それ故に、何も問題(つまりは悪魔同士の殺し合い等)を起こさなければ、定められた通りの期日に死を迎えることになる。


執行者の行き過ぎた拷問。悪魔同士の抗争。これらのような例外が起きた時のみ、魔王はその姿を表に現すのだ。

と言っても、今の大魔王になってからはめっきりなくなっているが。


もしあの時、不可解な男の魂がゼルクの腕を掴み、何らかの方法でゼルクを死に追いやっていたのだとしたら、それがイレギュラーな事態であることは明白であり、間違いなく大魔王はゼルクの前に現れて記憶を消しに来たはず。


しかし、魔王が現れることはなかった。


つまりゼルクは、生きたままどこかの世界の現世へ飛ばされてしまった……。

そう考えるのが、今起きている現象を説明するのには1番辻褄が合うことになる。



そうなると俄然気になってくるのはこの妙な建築物。

正方形に象られた、一辺が5メートル程の大石(たいせき)を繋ぎ合わせた石床が土台として存在し、その四隅には石柱が設置されている。

見上げると年季の入った壊れかけた石屋根の隙間から、月の光が石床の上をスポットライトで照らしているかのように点々と振り注いでいた。

振り向くと簡素な祭壇が目に入るが、供物らしき物は特に置かれてはいなかった。


そんな中でも一際異彩を放っているのは、石床の中央に書かれた魔方陣と思しき紋様。


ゼルクはその真上に立っていた。まるで召喚でもされたかのように。


今まさにこの魔方陣が起動していたことを裏付けるか如く、紋様は煌々と輝きを放っている。

となれば必然的に、ゼルクをここへ呼び出した魔術師が近くにいるはずだが……。


「ここで何をしているのですか?」


不意に声が聞こえる。

ただゼルクは既に、その存在を少し前から認識していた。


特に驚くこともなく、ゼルクは僅かながらに敵意の含まれた声がする方へと視線を向ける。


色素の濃い紫の髪が風に流され、その佳麗さを際立たせている一方、真っ赤に染まる瞳は、全てを見透かしているのではと錯覚してしまうような冷酷さを秘め、そしてどこか物憂げな雰囲気を醸し出している。

そんな少女がそこにいた。……儚げな少女には似つかわしくない程の重装備をして。



「人間か?」

「……それ以外に何に見えるというんですか?」


最初に確認すべき事実を率直に述べたゼルクだったが、早々に相手の機嫌を損ねたようで少女の眉間に山ができる。



「娘。お前が俺をここに呼んだのか?」

「先に私の質問に答えてください。……ここで何をしているのですか?」


今度は明らかに少女の声色に敵意の色が滲む。


「分からない。むしろその答えは俺が知りたいぐらいだ」

「……ふざけるのもいい加減にしてください」


少女は腰に携えていた細く、白銀に輝いた剣を抜き、その切っ先をゼルクに向ける。


「ふざけてなどいない」


ゼルクは臆した様子など微塵も無く、淡々と答える。


「じゃあ何ですか……。ここにいるあなたはたった今召喚されたばかりの"悪魔"だとでも言いたいのですか?」


敵意と切っ先を向けられても動じることがなかったゼルクだったが、この問いに対しては虚を突かれた表情を見せる。


「……ほう。俺の外見は人間と大差はないのだが、よく分かったな」

「っ!!」

「それに召喚されたと言ったな。やはりここは……」

「この場所(・・)で……紫髪である私に、自分は悪魔だと言うんですか?」


ゼルクの言葉を遮って、少女はゆっくりと一言ずつ、まるで噛み締めるように問う。

その声色は三度(みたび)変化を遂げている。今度は敵意ではなく、殺意の色へと。



「初めからそう言っている」

「はぁ!!」



言い終わるや否や、少女はゼルクに向けていた刀を勢いよく振り下ろす。

刀は虚しく空を切る……だけはなかった。


魔風斬(まふうざん)

斬りつけながら空間に魔力を流し、その威力を保持した状態で、斬撃を飛ばす魔法。

それがゼルクの真横を掠めていった。

飛び続ける斬撃は、ゼルクの背後にあった祭壇に当たると、粉々に切り裂いてみせた。


「……もう一度聞きます。返答が同じなら次はあなたに当てます」


少女が牽制して見せた斬撃など意に介さない様子で、ゼルクは再び同じ言葉を述べようとするが。


「……何度も言わせるな。俺は……」


その答えが少女の耳に届くことはなかった。


「……何?この音」

突如として鳴り響く轟音と共に、大地が大きく揺れ震える。さながら恐怖を感じた人間のようにガタガタと。


「きゃっ!」


立っているのも困難な揺れに耐えることができず、少女はしりもちを付く。

ゼルクはというと、じっと目を瞑り、探知能力の範囲を広げるために集中していた。

大魔王の察知能力とまではいかないが、ゼルクにも特定の物を探知する力を持っている。

ゼルクの能力に反応するもの……それは対象となるべき物体に、魔力が含まれているかどうか。


ついさっき、少女の声が聞こえるより前に、ゼルクが少女の存在を認知していたのはこの力のおかげであった。


しかし、この力自体は別段珍しいものではなく、寧ろ魔法を扱う者であれば誰もが備わっている程度の力である。

ただゼルクは、探知できる範囲と鋭敏さ、その魔力が一体どういう類いの物で、使用者はどう利用するのか……。それらの判断の正確さが、圧倒的に突出していたのだ。


「向こうか」


範囲を広げた効果で、この地響きの元凶であろうものを探知したゼルクは、そこへ向かうべくゆっくりと歩き出すと同時に、妙な違和感(・・・)を抱く。


「ちょ、ちょっと!どこへ行くつもりですか!?」


少女は未だ揺れ続ける大地の上をなんとか立ち上がり、ゼルクの後を追いかける。

石の建造物から飛び降りて平原に立ったゼルクは、迷うこと無く直進し、暫くしてある場所で立ち止まった。


「ここか」

「ここに何かあるんですか?……っ!これは……」


追い付いた少女がゼルクの行動の意図を測ろうとした直後、まるで内側から何かが突き破ってくるかのように、地面が異常な盛り上がりを見せ始め、途端に大きな地響きが起こる。


次の瞬間、我が目を疑う光景に、少女は驚きを露にする。


そこには"手"があった。


これまた均整のとれた形の石で造られた巨大な手が、空を掴もうともがきながら、地を穿って出現したのだ。


やがてもう1つ石の手が現れ、続いて顔、腕、胴、足が浮き上がり、徐々にその全貌が明らかとなっていく。

地響きが止む頃には、静寂な夜の平原に凛として立つ、石の巨人が出来上がっていた。


「ガーディアン……ゴーレム……」


少女は途切れ途切れに、あのデカブツの名であろう単語を漏らす。


「知り合いか?」


ゼルクの飄々とした態度とは裏腹に、少女の顔は困惑に満ちていた。


「ど、どうしてこんなところにガーディアンゴーレム何て物が……?あれは伝承の中だけの存在のはず……いや、そもそもコレが本当にガーディアンゴーレムだという確証は無いわけですから……」


何やらブツブツと呟く少女を横目に、ゼルクはじっとゴーレムを見つめながら、この世界での自分の力はいったいどれ程のものに値するのか。

それをどこかで確認したいと思っていたところに、丁度良さげな相手が現れたこの機会を、どう生かすべきかと思案していた。


いきなり戦闘に入ってみるのもいいかもしれないが、相手の力量が不透明な状態ではリスクが大きい。

戦って死ねるのならば、ゼルクは考え込むことなどせずに、喜んで殺されにいくだろう。

だが、ゼルクは不死の恩恵(のろい)を受けている。

相手が格上の場合、死ぬこともできず、ただ痛みだけを感じる、無意味な苦痛を味わうことになってしまう可能性は否定できない。



「もしかして……」


どうしたものかと、思案に夢中になっていたせいで、ゼルクは少女がこちらを向いていることに気が付いていなかった。


「アレを呼んだのはあなた……なんですか?」


訝しげな目で見つめてくる少女をよそに、ゼルクの脳内では断線していた回路が繋がったかのように、ふっと妙案を思い付く。


「……そうだと言ったらどうする?」


ゼルクがわざとらしく意味ありげな含み笑いを見せると、立ち尽くしていたゴーレムが、おあつらえ向きのタイミングで雄叫びを上げ、ゆっくりと巨腕を振りかぶり、ゼルク達目掛けて拳を振り下ろしてくる。

ゼルクは大きく上に飛び上がり、建物の屋根へ着地する。対して少女は後ろに飛び退く形で、なんとか攻撃を凌いだ。


「だったら……潰すまでです!」


崩れた体勢を立て直しながら、少女は高らかに宣言する。

それはゼルクに聞かせるというよりも、自らを奮い立たせ、脅威と正面から立ち向かうための咆哮。

けれどもゴーレムは、そんなことはお構い無しと言わんばかりに、その巨腕を少女めがけて再び振り下ろす。


ガンッ!と金属同士がぶつかり合うような甲高い音が、夜の平原に響き渡る。

少女は振り下ろされた右の拳を、ゼルクに向けていた剣で受け止める。

しかし、攻撃は止まらない。

身動きがとれない所を狙った左の拳が横から飛んでくるが、少女は剣を右手だけで支え、空いた左手に魔法の力……魔力を込めた後、障壁魔法を出して食い止めた。


「それなりにはできるようだな」


読んで字の如く高見から見物していたゼルクが、少女の動作に幾分か称賛を送る。


「まあ……ヤツの狙いに気づいていればだがな」


ゴーレムは腕を引き、再び少女目掛けて振り下ろそうとする。


少女は今!と心の中で言い放ち、ゴーレムの足元へ一気に駆け出す。

ただでさえ動作が遅いゴーレムの、攻撃に移るためのインターバル。

隙を付くには絶好のタイミングだった。


だが、少女の目論見は大きく外れた。


少女は突然大きく吹き飛ばされ、平原をゴロゴロと投げ捨てられた人形のように無様に転がる。


「な、なにが……」


状況が把握できていない様子なのか、けほけほと咳を吐きながら、少女はしきりに周囲を見渡す。

不釣り合いな鎧を着ていたおかげで、少女は息絶えることはなかったが、相当なダメージを負っていた。


「いったいどこから攻撃が…………まさか」


少女は睨み殺すと言っても過言ではないほどの鋭い目付きで、退屈そうに屋根からこちらを眺めていたゼルクを見上げる。


ゼルクは大きく嘆息をついた後、気だるげに指を差す。

指が示す先にあったのは、最初にゴーレムがその巨大な拳で攻撃してきたのをかわした際にできた穴だった。


「あれがなにか?」

「……まだ分からないか?」


ゼルクの言い方が気に障った少女は、ムッとした表情で穴を凝視し、そして気づく。


「穴が……2つ……?」


ゴーレムが開けた大穴の付近に、それとは別の穴がぽっかりとできていた

何かに気づいた様子の少女は、視線を前方から下へ向ける。


「そっか……地面から攻撃を……。でもいつの間に?」


少女が襲撃を仕掛けた時、ゴーレムは不審な行動は愚か、隙だらけの状態だった。故に少女は好機と思って突撃したわけだが。

その瞬間になにかをしていたようには思えなかった。



「最初にアレが攻撃してきたとき、妙だと思わなかったか?」

「妙?…………いえ、特には」


またもゼルクに呆れられるのを気にした少女は、数分前の出来事に何かを見出だすべく、熟考するが答えは出てこない。


「じゃあ聞くが、娘。お前が油断している相手に不意打ちで攻撃をするとしたら、1番に何に気を付ける?」

「え、なんですか急に……。でも、そうですね……不意打ちですから、やはり気付かれないようにするのが大前提としてあるかと」


何を当たり前の事を聞いてくるのかと、今度は少女がゼルクに対して、呆れた顔を晒す。


「そうだな。……じゃあアレはまず何をしてきた?」

「何って、突然叫んで襲いかかってきたじゃ……あっ」

「お前の答えとは違うな」


少女は自分の言葉で、ゴーレムの不可解さを理解する。


「でも、なぜそんなことを……」


ゼルクと少女が悠長に会話をしているというのに、話の当人であるゴーレムは、一定の距離から動く気配がまるでない。


これが答えであった。


「相手の実力が不明、もしくは明らかに上だと理解している場合、その相手からの攻撃を防御して凌ぐにはリスクが伴う。まして避けることができる攻撃なら尚更そうはしないだろう」


現にゼルクと少女の両者は、ゴーレムの初撃を受け止めることはしなかった。


「その理屈でいくとあのゴーレムは、初めから私達に避けられることを前提とした上で、攻撃してきたということになりますけど……」

「そうだ」


今一度、ゼルクはゴーレムが開けた穴を見つめる。


「初撃はフェイク?………だったら本当の狙いは……」

ゼルクに釣られるように、少女も視線を動かす。


「ゴーレムは私達に攻撃を避けさせた……なぜ……何かを誤魔化すため?……そのまま行動していたら相手に容易に感づかれてしまうような何かを、自然な行動の中に織り込んでいたのだとしたら?……私が攻撃を受けたのは地面から………ということはもしかして!!」


少女は徐に、刀を下から上へと振り、風魔斬を地に這うように(・・・・・・・)して繰り出す。

斬撃は地面を穿ちながら進んで行くが突然、地面が爆発を起こした。

斬撃はその爆発に巻き込まれ宙へ霧散する。


「魔地雷……これがゴーレムの狙いだったんですね」

「そうだ」


魔法の地雷。略して魔地雷。

地表に魔方陣を展開し、その効果の範囲内に接近、あるいは接触した場合、自動で起爆する……いわば爆破魔法に分類されるものを、ゴーレムは仕掛けていた。


ゼルク達が避けることを見越していたゴーレムは、あらかじめ拳に魔力を一点集中させてから、地面を殴り付け、溜めていた魔力を一気に、かつ繊細に放出して、魔地雷を平原の各所に設置していたのだ。


「まさかあの一瞬でそんなことができるなんて……」


ゼルクの探知魔法で感知できた地雷の数は、優に100を越えていた。


「それに、魔地雷から発せられる魔力を感じることができなかった……」


魔地雷には当然ながら魔力が込められている。

ゼルクがゴーレムの策略に気付いたのはあの瞬間、地面に広がる魔力の存在を認識したからである。

しかし少女の方は、魔地雷の存在に気づくことはできなかったようだった。

その訳はゴーレムが魔方陣を設置する仮定にあった。


魔方陣は大きければ大きいほどにその威力を増す。だが、大きくなるにつれ、それなりの魔力を必要とし、必然的に魔力の消費量も膨大になっていく。

どれだけ卓越した腕を持つ者も、魔法を扱う際、魔力の流れというものが必ず起こる。流れの強弱は消費魔力の量に比例し、大がかりな魔法であれば流れは強くなり、逆に小規模な魔法であれば、流れは緩やかになる。

この流れを拾うことで、相手の魔法を感知することができる……というわけである。



少女が戸惑っている理由は、魔地雷の威力は充分なものであるはずなのに、地面から魔力の流れを感知することができなかったから。

前述の通りであるならば、武装した人間に重症を負わせる程の魔法は、余程才の無い者でない限り、魔力の流れを感知することが可能なはずだった。

少女が地面からの攻撃を受けた際、その正体が魔地雷であるとすぐに気付けなかったのは、流れを感知できなかった時点で、魔法による攻撃ではないと判断してしまったからである。



では、なぜ感知できなかったのか……。

それはゴーレムが魔力の流れを抑え、魔地雷の設置を、より相手に悟られないようにしていたからだ。

流れを抑えると簡潔に述べているが、その実はとてつもないほどの技量と才能を兼ね備えていなければ100を越える魔地雷を、1つたりとも相手に気付かせないようにするなんて芸当は到底不可能に近い。


「見た目に反して、随分と手腕家なようだ」

「……どうしてゴーレムの狙いを私に教えてくれたんですか?あなたは私の敵なのでしょう?そんな相手になぜわざわざ……」


少女の疑念は至極真っ当なものだった。


「いやなに、見当違いにも程がある推察で、要らぬ敵意を向けられても迷惑だからな」

「え?……それだけ……ですか?」


予想外の答えに少女は思わず言葉が詰まる。

ゼルクが嘘を言っている可能性は充分ある。だというのに少女は、目に映る、自分は悪魔だと言い切った人間にしか見えないゼルクが、嘘をついているとはなぜだか思うことができなかった。


「そんなことより、地上には不可視の地雷が無数に設置されて、迂闊に近づくことが出来ない状況だが……どうするつもりだ?」

「それなら……」


少女は肩幅に足を開き、ゆっくりと目を閉じる。

足元の草が、凪いだ水面に小石を投げ込んだ時のように、少女を中心にゆらゆらと緑の体を揺らしだす。

ゼルクは少女の背中へ、魔力が集中していくのを感じ取った。


「"飛翔の翼"!」


溜めた魔力を一気に解き放つと、少女の背中から天使が生やしているような荘厳な翼が顕現した。

ただ、造形こそ天使ではあったが、色がそれに伴っていなかった。


黒。


少女から生えた翼は漆黒の色をしていた。

その黒き翼をはためかせ、威勢よく宙へ駆け出した少女は、空中こそが自分のフィールドであるかのように軽快な動きを見せ、ゴーレムとの距離を縮めていく。


「このまま一気にっ!」


更にスピードを加速させて近づく少女に対し、ゴーレムは右腕を前方へ突き出し拳を握る。そして左手で右腕を押さえて、照準を合わせる動きで少女の方向へその拳を向ける。


ドン!っと鈍い爆発音が響く。

ゴーレムは(おの)が右手を、少女に向けて射出した。

何かしらの攻撃は来るだろうと踏んでいた少女は、飛んできた拳をすんでのところでかわし、ゴーレムの懐へ飛び込み一撃を与える。


雷刃(ヴォル)一閃(・エインブリッツ)!」



白銀の剣に魔力を変換させて作り出した電撃を蓄電させ、一薙ぎにその全てを乗せた一閃。

鞘から剣を抜く際に強烈な閃光が走り、相手の虚をついた一瞬の内に、胴切りを狙った一撃であったが、ゴーレムの胴には何かが焼け焦げた時にでもできる、黒く太い横線がついただけで、ダメージを負わせるまでには至らなかった。


「ダメ……か……わっとと!」


すかさずゴーレムは少女を握り潰そうと左腕を伸ばすが、少女はひらりと身をかわし、一旦距離をとるために大きくその場を後退する。


少女が離れたことを確認したゴーレムは、拳が無くなった右腕を地面に思いきり突き刺す行動をとる。

すると、腕を突き刺した地面の周囲が、生き物のようにうねり始め、見る見るうちにゴーレムの腕に吸収されていく。


「腕を治すつもりね……でも、させない!」


パン!と少女は柏手を打つ。

密着した手の平をゆっくりと離していくと、そこには両の手の平を繋ぐ、一筋の細い稲妻が出来上がっていた。


稲妻は徐々に太くなりながらその形を変えていき、数秒後には、バチバチと火花を散らしながら、たおやかに羽ばたく、雷の鳥へと変化を遂げていた。

再び少女は柏手を打つ。

雷の鳥は少女の手によって潰され、その残骸が無数の電気の粒と成って空中に飛び散る。


雷鳥(ターミガン)(エスパーダ)!」


少女の声を皮切りに、宙を舞う散らばった粒の全てが、電撃の剣へと変化すると共に、ゴーレムへ向って一斉に飛んでいく。


1発、1発の威力はたいしたことはないが、矢継ぎ早に降り注ぐ剣の雨は、ゴーレムの足元の地面を抉ると同時に、相手の目を晦ますのにはうってつけだった。


ゴーレムはぐらりと体を反らし、仰向けに倒れる。


腕の再生を食い止めるだけに思われた少女の攻撃は、もう一段階仕掛けがあった。


ゴーレムへ電撃の剣が飛来している最中、少女は自身が持つ、白銀の剣を空へ放り投げていた。

剣は一寸の迷いもなく空を切り裂いていき、ゴーレムの上空に来るとその動きをピタリと止め、切っ先を真下に向けたまま停止する。

そして、ゴーレムが倒れた瞬間、少女の声に呼応するかのように剣は輝きを放ってみせる。

知らぬ間に夜空に漂う雲が、雷気を帯びた黒雲へと姿を変え、星の光が届かぬほどに辺りを覆い尽くしていた。



「降り荒べ!神雷鳥(ヴォルト・シュ)憤怒(ラーク)!!」


大気が揺れ始めると共に、空を覆っていた黒雲が割れる。


その切れ間に停止していた光輝く剣が吸い込まれ、代わりに現れたのは巨大な鳥だった。正確には鳥のように見える雷。


先程少女が作り出した手の平サイズの鳥の時とは違い、細部まで精巧に造形され、その見た目は神鳥と言われても遜色ない程の気品と迫力を持ち合わせていた。

雷鳥の(くちばし)には、吸い込まれた剣が咥えられている。

主人の命令に従うかのように、雷鳥は真下へ頭から突貫していき、咥えていた剣をゴーレムに突き刺すと、自身もその勢いのままゴーレムに直撃する。


自然現象で起こる雷が落ちた時の音とは、比べ物にならないけたたましい音が、手当たり次第に辺りをつんざいていく。

その音に紛れるようにして、ゴーレムの呻く声が重なる。



既に魔地雷による攻撃を受けている少女は、高威力の魔法を使ったことで体に負荷がかかり、状態は更に悪化。

息苦しそうに、大きく肩で息をしている。


「やった……勝てた……」


その代償に少女は勝利を収めたが、もう戦える気力と体力は残っていなかった。

ゴーレムは攻撃を受けたまま、ピクリとも動かない。

意識が朦朧とする中、少女はゴーレムに背を向ける。

途端に、倒したと確信したばかりの敵へ少女は向き直る。恐ろしい程の殺気が、ゴーレムの体から溢れだしていた。

仰向けに倒れていたゴーレムは、その体勢のまま、拳を飛ばした時に見せた構えをする。


だが、拳の再生は少女によって阻まれたため、完全には……というより殆ど(・・)修復されていない。


じゃあヤツは何を……。

少女がゴーレムの腕を一瞥すると、答えはすぐに沸いて出た。


「……下っ!」


先端が細く尖った岩の柱が、今まさに少女の体を貫こうとしていた。

地表からの攻撃を悟られないようにするために、ゴーレムは少女の注意を自分に向けさせていたのだ。

回避は間に合わないと判断した少女は、足元へ障壁魔法を展開するが、衰弱した少女の魔法は容易く打ち破られてしまう。

柱は障壁を突き破りはしたものの、ほんの数秒だけ動きを止める。今の自分ではこの攻撃を防ぎきることは出来ないと想定していた少女は、柱が止まった僅かな時間の中で避ける算段だった……が。

少女に当たることは無かった柱は、代わりに背中に生やしていた翼を貫いていた。

浮力を失った少女は重力に従いながら落下していく。

空中で無防備となった少女にゴーレムは上から押し潰すような形で、残っていた左の拳を山なりに射出する。


少女は宙で身を翻し、剣でかろうじて攻撃を食い止める。

だが、状況は好転しないどころか最早詰んでいた。

拳は動きを止めることはなく、なおも少女を押し潰そうとする。回避しなかったことで少女は身動きがとれずに落下していき、そのまま地面に押し込まれてしまう。

加えてゴーレムは柱を作り上げる前に、魔地雷の位置を少女が落ちてくるであろう地面の周辺に、ひっそりと移動させていた。


今までの魔地雷とは違い、格段に大きくなった爆発音が轟く。

立ち上っていた黒煙が晴れ、ゼルクは音の根源に目をやる。

少女は既に虫の息であった。

似つかわしくなかった鎧は所々が砕け散り、少女の元は決め細やかな白肌だったであろう四肢には、夥しい数の裂傷が存在し、赤い血が止めどなく溢れだしている。

爆発の間際、少女は持ちうる限りの魔力全てを防御に回していたが、集合させた魔地雷の威力は凄まじく、辛くも耐えぬくことは出来たが、瀕死の状態となっていた。


少女の死を悟ったゼルクだったが、特になにをすることもなく行く末を見守っていた。

助ける理由が無ければ義理もないからである。

それに、ゼルク自身が死に対してマイナスのイメージを持ちあわせていない。それどころか、死ぬ事こそが至上の幸福であるという考えが常であるゼルクにとってはむしろあのまま逝かせてしまう方が余程良いと感じていた。


ただ1つ懸念があるとするならば、少女と会話した後、ゴーレムを探しだした時に沸いた正体不明の違和感。

だがそれも、少女が死んでしまえば枝葉末節の問題となる。

やはり動く理由はどこにも無い。

ゼルクが思考を巡らせている間に、ゴーレムは一歩、また一歩と少女に近づいていき、とうとう足で直接踏み潰せる距離になるまで接近を許してしまう。


お仕舞いだ……。

ゼルクとゴーレムの胸中が当人達の知らぬ間に重なったその時、ゼルクの耳に微かな声が届く。


「こ……この……」


声の主であるそれ(・・)は、嗚咽で途切れに途切れになりながらも、己の怒りを悲観しながら、紅涙(こうるい)を絞る。


「この……力だけは……使いたく………ない……のにっっ!!」

「この感覚………まさか……」


少女を踏み潰すには十分すぎるほどの高さまで、ゴーレムの巨大な右足が上げられたが最後、その足は2度と地を踏むことはなかった。

ゴーレムの右足は刹那にして消え去っていた。

否、消え去るというよりは、何かによって乱暴に引き千切られたような痕跡が、消えた足の断面図から伺える。

そんなものがついた理由……それは、少女であったものが引き千切ったからついたため。

他ならない自分の右手で。


ゼルクは目の前の光景を見てやっと違和感の正体に気づく。

最初に少女を見た時の第一声が、少女が人間かどうかを確かめる問いだった。

それは、今この場所が地獄ではなく、"どこかの世界の現世に、自分が存在している"という仮説を裏付けるためだけだと思っていた。

だが実際は、本能的に少女に対して、本当に人間なのかという疑念が生じていたから発した言葉だったのだ。


本来魔力というのは種によってその在り方が異なっている。人間なら人間の。そして悪魔なら悪魔の在り方がある。


ただし、その違いを感じ取ることができるのもまた能力の秀でた者達だけ。

それ以外の者達は皆、魔力は全て一緒くたなものであると誤認している。


地獄から転生されたゼルクが、最初に感じた少女の魔力。それは人間のものでなければならないはずだった。

無論ゼルクは前者側。違いを感じ取ることのできる慧眼の士。

にもかかわらずゼルクが感じ取ったのは、常日頃から地獄の中で嫌というほど感じていた悪魔(・・)の魔力。

だから少女が現れた時、ゼルクは咄嗟に、そして無意識の内に少女を疑いにかかった。



産まれてから1度たりとも地獄から出たことがなかったゼルクにとって、悪魔以外の魔力を感知する機会は同じく1度も無かった。

故に気が付かなかったのだ。少女が人間であるのにも関わらず、悪魔の魔力を持っていることを。


その違和感に気付いていなかったことこそが、抱いた違和感の正体であった。



少女の右手は既に人間のものではなくなっていた。

異様なほどに巨大化し、色は黒く染まっている。指と呼べるものは4本に減少し、伸びた爪は血のように赤く、まるで気高き竜の手のような、将又(はたまた)全てを喰らい尽くさんとする悪魔の手のような。

そんな造形が少女の手を、そしてまた少女自身を異形だと語っていた。



右足を千切られたゴーレムは、狂瀾怒濤の雄たけびを上げる。

圧倒的に優勢を保っていた戦況が突如として覆された。

ゴーレムは自らが危機に陥っていることを直感、その事実に狼狽して闇雲に少女に殴りかかる。

おかしい……。おかしい…。おかしい!!おかしい!!!!!

自分がやられるなんてあり得ないと、癇癪を起こした赤子の如く、ただひたすらに殴る。


その全ての攻撃を、少女は異形の手で受け止め続ける。

一方的に攻撃し続けているはずのゴーレムが焦り、それを防ぐ少女は極めて平静を保っていた。


「ああああああぁぁぁ!!!!」


突然、少女が叫びを上げる。

それは限界を越え、ゴーレムの乱打に耐えることができなくなってしまった事を体現する慟哭……ではなかった。


地面へ吸い込まれていくかのように、ゴーレムの上半身だけがぐらりと前方へ傾く。

何が起こっているのか把握できていないのはゴーレムだけだった。


少女は咆哮すると同時に、右手で雷刃一閃を放った所をなぞるようにしながら、ゴーレムの胴を横一閃引き裂いていた。


鈍い音と共にゴーレムが地に倒れこむ。平原に残された左足が満月に照らされ、虚しく影を伸ばす。


「次は……あなたの番です」


少女はくるりと振り返り、いつの間にか後方に姿を現していたゼルクと向かい合う。


「俺は同じことを言うのも言われるのも好きじゃないがもう一度聞いておく。お前は……人間か?」


全身が血で赤く染まり、異形の手を携えたその見た目は人間と呼ぶにはあまりにも容姿がかけ離れていた。


少女の姿は人間と言うよりも寧ろ……。


「わ、私は……!」


少女は俯き、顔をしかめながらも思いの丈を言い放とうしていたが、少女の周りだけが不意に暗くなる。

何が起きたのかと再び振り返ると眼前にゴーレムの拳が迫っていた。


石の巨人はまだ生きていた。

足を千切られ、胴を分断されても、死を迎えてなどいなかった。

ゴーレムは全力を乗せた拳を少女に確実に当てるため、殺意を押し殺し、出来る限り雑音を鳴らさぬよう警戒した。今度はフェイクではない本当の不意討ちをするために。


右手を……。早く右手を……。

少女は己に対して、半ば念ずるかのように命令するが、動く気配はまるでない。


今までの戦闘で蓄積されたダメージ量は、とっくに少女の限界を越えるものになっていた。

それでもどうにか首の皮1枚で堪えていたところに、命からがら倒したと思った相手が復活した。

その現実が止めとなってしまった。


少女は最後の力で目をつぶり、顔を背ける。

ドン!っと何かと何かがぶつかった衝突音がする。

とうとう私は死んでしまったのか……。でも、これで良かったのかもしれない。

このまま生きていたところで待っているのは、変えることの出来ない未来と世界。

死んでしまおうかと考えたことは今まで何度もあった。それでもここまで生きてきたのは、あの人から受けた恩義を返すため、そして本当に悪魔というものが実在するのならばこの手で必ず殺すこと……そのたった2つだったけれど、それももう果たせなくなった。

こんなことを思うのはあの人に悪いけれど、正直少しホッとしている。これでやっと紫髪の呪いから解放……。


「娘。起きろ」


ハッとなった少女の開けた瞳に映り込んできたのは、少女に当たる(すんで)の所でゴーレムの拳を片手で受け止めているゼルクの姿だった。


敵であるはずのゼルクがなぜそんな行動をとっているのか……その主意が理解できず、驚きと戸惑いを隠せずにいる少女。


「早く答えろ。お前は人間か?それとも……」


詰問紛いの問い詰めは再びゴーレムによって阻まれる。

拳を止められたことにより、半狂乱になったゴーレムは耳をつんざく砲声のような雄叫びをあげた。


「黙れ」


ゼルクは有らん限りの低い声を発すると、拳を受け止めていない方の手の平から、黒い小さな玉を出現させる。


「お前に用はない。……消えろ」


そう言うと、ゼルクはその黒い玉をゴーレム目掛け(ほう)る。

黒い玉は緊張感の欠片も感じさせないほど、ふわふわと暢気に宙を漂いながらゴーレムに着弾。そして一気に体積を膨らませる。

その大きさはゴーレムと同じか、それ以上に膨れ上がっていた。


堪らずゴーレムは仰け反り、ゼルクから拳が離れると、巨大化した玉はゴーレムを凄まじい速度で押し込み始める。

抗おうと必死に足に力を入れるゴーレムだったが、片足しかない故に踏ん張りが効かず呆気なく転倒する。


倒れたために抵抗が減少、ゴーレムを押す速度がぐんと上がる。

そして、ゴーレムがゼルク達のいる位置から、充分離れた頃合いでゼルクの口と手が動く。


()ぜろ!」


ゼルクが玉を放った方の手の平をぐっと握ると、ゴーレムを押し込んでいた巨大な玉が突如として爆発した。

爆発によって生じた風が、遠く離れていた少女の頬を撫で、飛んできた石の破片がゼルクの頬を掠める。

ゼルクの繰り出した攻撃は威力、範囲共にゴーレムの魔地雷とは桁違いのものだった。


少女はいとも容易くゴーレムを消し飛ばしたゼルクを見て、ただ呆然とするしかなかった。

自身が持つ呪われた力を使ってやっと互角か、辛うじて勝っていた相手をゼルクは一撃で粉砕した。

その事実は少女がゼルクを敵と見なし、激昂するきっかけとなった、あの冗談めいた問答が真実だという事を暗に示していた。


「あなた……本当に……悪魔だった……」


張り詰めていた糸が切れるように、少女は気を失う。

薄れゆく意識の中、ぼんやりと映る人間にしか見えない悪魔に複雑な感情を抱きながら。


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