はじめての仕事
伸ばした手に痛みを感じた。切りつけられたあなたの言葉に。
鋭い刃物みたいに、切れ味がいい。
「他に好きな人ができたんだ」
そんなありきたりな言葉なのにね。
泣けばよかった?恨めばよかった?
けれど私はどっちもできなくて、ただ笑った。そしたらあなたは
ありがとうなんて、最低な言葉をくれたよね。
太陽の熱はどんどん上がり、外を歩く、ただそれだけで額に大粒の汗をかく。それなのに、ビルの中は行き届いた空調で涼しさすら感じた。
目の前、3人の大人がペンを握り、睨むように見つめる視線に絶えながら優菜は最後の音まで丁寧に歌い上げた。陽菜は1歩後ろでギターの弦から手を離す。歌うことは許されなかったが、ギターとして演奏に参加することを許されただけ、ましなのだろうか。
真ん中に座る中年の男性が軽く拍手をする。乾いた音が小さな部屋の中に響いた。
「…綺麗な声だね。歌詞も君の声に合っている」
「ありがとうございます」
「浜田さんの目に留まったのも納得できるよ」
敬称つきの浜田の名前。この業界での浜田の立ち位置は悪くないのだろう。
「僕は結構いいと思うけど、どう思います?」
「私もいいと思いますよ。この悲しい歌詞が番組に合ってると思います」
「番組内の再現VRのBGMですからね、主張しすぎない方がいいと思うんで、これぐらいがちょうどいいのかもしれませんね。ただ、橘さん、デビューしたての彼女たちを使うのは少しリスキーじゃありませんか?」
「名前が知られている人たちばかり使ってたら下が育ちませんよ。それに、番組のBGMだからこそ、新人起用できるんじゃないでしょうか?」
「確かに橘さんの言うとおりですが…」
「それに、浜田さんが押してきたくらいですから。きっと跳ねると思いますよ」
橘と呼ばれた男性はにこやかに笑った。けれど目の奥は笑っていないように見えて優菜と陽菜はお互いの顔を見た。自分たちの起用は浜田との駆け引きに使われるのだろう。けれど浜田ならそれすら利用する。まだ浜田を知って短いが、優菜にはそれがしっかりとわかった。そして陽菜も同じように思っているだろう。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
声を出した優菜に陽菜が続いた。橘は笑みを浮かべたまま頷く。
「明日からレコーディングだ。またこの時間にここに来れるかい?」
「はいっ」
優菜と陽菜の声がぴったりと重なる。はじめての仕事だった。
事務所に戻りすぐに浜田に報告する。けれど浜田の反応は淡泊だった。
「あっそ。それより長谷川、早くレッスンに行け」
それだけ。その反応に苛立ちさえ覚えた。どうにかこいつに満面の笑みを浮かばせてやる。
「わかってます!」
優菜はそう思いながら、レッスンに向かった。