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砂漠の家  作者: 言代ねむ
1/6

1《親切》

未完の小説のデータを探していたら、掘り出された過去の小説。

私なに書いてたっけ?と思いながら、手直しして投稿してます。

 空豆を潰したスープはとろとろと薄い塩味がして、素朴に美味しかった。パンは乾燥していて堅いが、一口づつスープに浸す時間を長めにすればさほど問題はない。金属の杯にはワインの代わりに薬草を煮たというお湯が入っていた。内側がなにかしらの成分で、元は銀色だったものが黒ずんでいる。お湯自体は変に爽やかな匂いがして、かすかに苦味があった。蜂蜜を加えてあるのか、ほのかに後味が甘い。

 だがたとえ非常に不味くても、半ば行き倒れているところを助けてもらってだされた食事では、文句の云えた義理ではない。

 私は顔をあげ、テーブルを挟んで同じように食事をとる相手を見た。目があったので、儀礼的にほほえみを添えて云った。

「すみません、食事まで用意してもらって」

 相手はパンをちぎる手をとめて、青い瞳を細めてゆったりと笑みを返した。教養のある人間に共通して感じられる洗練された仕種だが、私と違って純粋な好意と、慈しみの感情が瞳に滲んでいる。

 森の外れの荒れ地で私の命を拾いあげた恩人は、男ながら細い首や眉に中性的な印象があり、教会で見かけるシスターたちのように心穏やかで清らかな雰囲気を持っていた。実際、着ているものが黒一色のローブなので聖職者にも見えるのだが、衣服を腰でまとめている細い革ベルトには、使い込まれた様子のナイフと、財布らしき布袋が下がっていて、世俗に生きる人間の気配が漂う。やや癖のあるこげ茶色の髪も、剃髪されずに後ろで一つに束ねてある。

 年齢は二十代半ばか、もう少し上だろう。私とそう変わらない年齢のはずだ。瞳が大きくて見た目だけなら二十歳をようやく超えたくらいに思えるが、彼は土埃にまみれて動かない私を見つけても慌てなかった。手や頭に触れながら五体の怪我の有無を確認し、建物へ運び入れると朦朧とした意識の私に塩を混ぜた水を飲ませた。年若い人間にそれらの冷静で手早い処置は無理だろう。

 この建物に連れてこられるときには肩を貸されたが、私より身長が低かった。もっとも、私が女にしては背が高いのだが。

「かまいません。外でご覧になった通り、近くに他の家もない荒れ地ばかりの寂しい土地ですから、来客はうれしいものです」

 耳に心地好いやわらかな声に教えられて家の中を見回すと、明かりとりに木戸の開けられた窓から、灰色の木板で囲われた広い畑が見えた。一角だけにこぢんまりと野菜の植えられた畑である。その向こうに雑草すらまばらな乾いた土地がひたすら広大に、遥か遠くまで続いているのが見えた。窓の右端に森がわずかに姿を現す。その他には人の姿も、人が作った建物の影もない。

 そして室内は、十数人が一度に食事をとれる長いテーブルと椅子の数があるのだが、表面に飴色の照りがあるのは男と自分が使っているあたりだけで、テーブルの全体は白っぽくかさかさとしていた。普段使っているのが、炉に近いこの机の端だけなのだろう。

 外からこの建物を見たときには、打ち捨てられ天井の一部が崩れた小さな修道院に見えた。装飾らしい装飾もない二階建ての長方形の建物。

「ご家族もいないんですか」

「はい。私一人きりです」

 不躾かもしれないが、やはりここは確認しておくべきだろう。森の道もすぐには戻れない体調と、周囲に他の家もない状況では、今夜はここに泊まらせてもらう以外にない。家主の基本情報は組み立てておきたい。前のめりになった姿勢から顔色を窺うように目線をあげた。

「……あの、失礼ですけど、こんな寂しい場所でなにをなさっているんですか」

 男が複雑な表情をした。気まずそうな苦笑いに、やさしい感情がまごつきながら適当な答えを探すような。

 彼は話をそらそうとはしなかった。命の恩人の立場から自分の事情に立ち入らせまいともしないで、誠実に私の質問に応じようとしていることが感じられた。

「研究のようなものです」

 男は子供じみた仕種で視線を落とすと早口に答えた。答えの指すものが、胸を張るような内容でないのか、それとも満足のいく成果がないためなのか、灰色がかった白い顔色に、恥じらうようなかすかな赤みがさしていた。

 男は街中でも滅多にお目にかかれないほど整った顔立ちをしている。画家ならば絵画にして残そうと考えるだろうか。他人の目をひく表情だった。

 だが私は画家ではない。

「修道士なんですか」

 研究という単語からの連想と、この建物の外観から私は尋ねていた。

「そうだったこともありますが……いまは違います」

「でもこの建物は修道院ですよね」

「ええ、数十年前まで使われていたようですが……、疫病が流行った年に多くが死に絶えて、近所に数軒あった民家と共に、残った人間も別の土地に移ったと聞いています。空き家だったので六年前から私が住んでいます」

「疫病、ですか……」

 思わず唸って、空豆のスープが空になった木製の皿に視線を落とす。

 男がゆったりと私の不安を否定した。

「数十年前の話です。その皿は私が森の樹を削って造ったものですし、杯は持ち込んだものです。心配はありません」

「すみません、失礼な態度を」

「いいえ」

 気分を害した様子はなく、男はパンをテーブルに置くと指をそろえて手のひらを上に右手を差しだしてきた。

「スープのおかわりはいかがですか」

 神経質そうな長い指が誘うが、厚かましくもらってもいいものだろうか。それに一杯のスープで食事を済ませそうな華奢な男の前で、女の私が二杯目を平らげるのはいかがなものか。逡巡していると、男が親切にも云った。

「パンが堅いでしょう。スープに浸さないと食べられない。スープは昼に作り足したものですが、パンは三日前に焼いたものなんです。独りで暮らしていると、毎日焼く必要がないため古くしてしまって。すみません」

 もちろん、男が詫びるようなことではない。私がタダ飯をもらっているだけなのだから。パンを半分残している私は、好意を素直に受けることにした。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 おずおずと皿を渡すと、男は立ち上がって、側にある炉に吊された鍋から温かな二杯目のスープを注いで、聖人のようなほほえみで私の前に置いた。

 相手の無償の善意に、私は飲み過ぎた水がのどに逆流するときの、溺れかかるような気持ちの悪さを味わった。男が皿から手をひくときに残した腕の残像を凝視する。私は次第に彼に共感しようのない不自然なもの、白けていく自分の心を感じた。

「それにしても、小さな手荷物一つの軽装であんな場所で倒れているなんて、どこへ行こうとなさっていたんですか。荒れ地の先にはなにもありませんから、道をお間違えになりましたか」

 食事を再開した男が尋ねた。私は幻の水を食道へ押し込んで、気道を確保した。

「……はあ、なんと云いますか……」

 視線を落として云い淀んでいると、男が気を利かせた。

「ああ、すみません。話したくない事情でしたら質問は忘れてください」

 実のところたいした事情はないので、男の無駄な気づかいから生じた空気を、どう治めたものか微妙に迷う。逡巡したのち、パンをひとくち放り入れて、もぐもぐと考えた。

「いえ、そういうことでもないんですけれど……。目的地は特になくて……」

 自分の甘い見通しと計画性のなさゆえに行き倒れかけた経緯を、正直に説明するのは気がひける。なにより目の前の温かなスープやパンが、同情されるべき不幸への救いとして用意されたものならば、下手な説明で同情心を削ぐことは損益となるだろう。

 ちらりと相手の様子を窺うと、真剣に耳を傾けている。当たり障りのない部分だけを抽出して説明を続けることにした。

「なんと云いますか……心安らかに過ごせる場所……のようなものがないかと歩き回っていたんですけど、街中では若い三人組の男にからかわれるし、どこも騒がしかったりで……街をでて森への道に入ったんです。私が甘かったんですけど、覚悟していたより夜の森は物騒で……ひき返そうにも別れ道のどちらを選んだのか思いだせないし、あきらめて知らない道をひたすらに走って進んできたんです。そのほうが早く森を抜けられるだろうと思ったんですけど、結局二日目の夜も森の中で……遠くで獣の声が聞こえて怖かった……。ふらふらになってようやく森を抜けたと思ったら、砂漠の始まりのような荒野で、食料と水を分けてもらおうと思っていたのに、人の気配がまるでなくて……」

 私の説明のどこにどんな想像が働いたのか、男はなにやら痛ましそうな表情で告げた。

「お気の毒でした。今更ですが、この辺りの森に大型の獣は現れませんから安心してください。それにしても男たちにからまれたとは……あなたのようなきれいな娘さんが攫われることもなく、無事で幸いでした」

 舌を湿らそうと口に運ぶ途中だった杯がとまった。事実と相手の認識が激しくずれている気がする。からまれたと云えばからまれた内に入るわけだが、からかわれた、のニュアンスは軽いものだ。それに鏡を見ていないのではっきりとわからないが、いまの私は土埃を払いきれていない顔色の悪い女だろう。肩から一筋たれる自分の髪に目をやれば、黒い髪が土埃で灰色がかり、死人のもののようだ。「きれい」という形容詞があてはまるはずがない。

 どれだけ目の下には隈ができているだろう。乾いた風と強い陽光を受けて肌もかさかさだ。着ている洋服だって、盗賊に目をつけられないためもあって、古びて野暮ったく褒められるような物ではない。

 もしこの場に人攫いが現れたなら、狙われるのは私ではなく、この男のほうという気がする。

 だから自分より顔立ちの良い身ぎれいな男に、きれいだと形容されるのは不愉快だ。

 まあ、男より見劣りするからと云って、自分の風体を恥じる気持ちもないのだが。現にそのお陰で、盗賊にも人攫いにも会わなかったのかもしれないのだから。

 ところであなたはどうして、と尋ねようとして、私は面倒で後回しにしていた確認事項を思いだした。

「ええと……お名前は」

 男は遅過ぎる質問にも気分を害さず答えた。

「イリスと申します。あなたは」

「ルナリア、です」

 花の名前ですね、とイリスが顔をほころばせた。花というより、花が咲き終わったあとの果実が目立つ草なのだが、それを知っている人間に会うことは珍しかった。

「詳しいですね」

「仕事ですから。……ああ、いえ」

 不意に視線を泳がせて、イリスは下唇に曲げた指をそえた。自分の言葉に考え込んでいる。

「仕事というのは違いますね。研究に、薬を……、いえ、薬草を使うことがあるので……、それで……ついでに、他の植物のことにも詳しくなりました」

 些細な会話に言葉を探し、慎重に選びながら答える様子をいぶかしんでいると、私の強い視線にさらされたイリスが気恥しそうに自己弁護する。

「すみません、あの……こんな風に、誰かと話すことが久しくて、説明がすっかり下手になっているようです」

 自分の頬に手をあて、また赤くなっている。私は現実から浮遊するような冷めた感覚で、まったく可愛らしい人だ、と思う。

 私が気を遣う番だと思ったので、興味はなかったが尋ねた。

「……イリスさんはどうして私が倒れていた場所へ? 岩と小石ばかりの場所で、ここからそれほど近くもなかったと思いますけど」

 イリスの表情がゆっくりと停止した気がした。理由はわからない。

「いえ、近くですよ。思うように歩けなかったために遠く感じたのかもしれませんが。……ペットが逃げてしまって。ルナリアさんを見つけたときには岩陰から岩陰へ走っていましたが、ご覧になりませんでしたか」

 慎重に注意を払うような視線を向けてくるが、ペットなどまったく記憶にない。じりじりと肌から水分を奪う陽光と、鼻に入った土埃の匂いだけが蘇る。

「いいえ」

 返事を聞いたイリスがどこかほっとしたように見える。奇妙な反応だが、単純に他人との会話に浮かれて、一喜一憂しているようでもある。確認すれば、さきほどのように気にするのも莫迦らしい個人的な理由を説明されるのだろうか。

「そうですか、ちょっと変わった姿をしているので、ご覧になっていたら驚いたかもしれませんね。まだ名前のつけられていない珍しい動物で、私は便宜的にホクロと呼んでいます。……ああ、まだ逃げたままなんですが」

 死にかけた人間を発見して、新種のペット捜しどころではなくなってしまったのだろう。 私は儀礼的に質問を重ねた。

「どんな動物なんですか」

「身体は鳩より少し小さいくらいで……鼠のように駆け回ります。……私の一人言の相手です」

 自嘲気味につけ足された一言にイリスの日常が垣間見えて、寂しい人間だ、と思った。

 私は今日、この家に泊まらなくてはならない。他に安全に眠れるような場所はないのだ。イリスにもそれはわかっている。そして善人の彼がこの申し出を断るはずもない。

 他愛無い会話を続けながら、私はそれを切りだすタイミングを計っていた。





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