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氷づけの天使さま

作者: quiet



 空はずっと雪模様でした。


 もうずっと、何年もそうでした。


 

 むかしむかしのちいさな国のことです。

 あるときから突然に、おおきなぶあつい雲が空をおおいかくして、太陽の光のかわりに、ずっと雪が降りつづくようになりました。


 かつてはゆたかだった大地は凍り、雪の重みに木々は折れ、人々は肩を寄せあって、ちいさく震えるように過ごしていました。


「いつかはきっとよくなるわ」

 夜になると、ちいさな町の明かりから、子供をなぐさめる声がひそひそと漏れてきます。


「ぼくはきっと、この光景を描くために生まれたんだろう」

 こだかい丘の上ではたくさんの画家たちが、真っ白に埋められていく町なみをだれよりきれいに描こうと、場所の取り合いをしていました。


「ひょっとすると、わたしたちはもうだめになってしまったのかもしれないな」

 王さまが肩を落としてつぶやきました。


「そんなことを言ってはなりません」

 ぐるぐるひげのじいやは、はげますように王様の肩をたたきました。


 けれど、ある日とうとう空から天使さまが落ちてきたのです。

 うつくしい顔もつばさも、氷づけになって、空から地面にまっさかさまに落ちてしまったのです。


「おお!」

 王さまはなげいて言いました。


「天使さますら凍ってしまうのだ。わたしたちがこれから先、生きていけるはずがない」

 今度ばかりは、じいやもなにも言えませんでした。


「その天使さまを、どこか見えないところにやってくれ。おそれおおいことだが、わたしはその冷たいすがたを見ているだけで、凍えそうなくらいに寒くなってしまうのだ」


 こうして、じいやは天使さまをあずける場所を探すことになりました。


 王さまの次にえらい貴族さまは、りっぱなつぼをなでながら言いました。

「おそろしい、おそろしい。凍った天使さまなんて、そんな不吉なものはうちには置けないよ」


 かしこい学者さまは、窓から望遠鏡で空をにらみつけながら言いました。

「冗談はよしとくれ。おれは今、明日の天気を予言するのにいそがしいんだ」


 ゆうかんな騎士さまは、ぶんぶんと重そうな鉄の棒をふりながら言いました。

「もちろんわたしは歓迎だ。ただし、凍った天使さまを、何かの拍子にぶちこわしてしまわない保証はないがね」


 そして、最後に町はずれの、ちいさな教会の神父さまが言いました。

「もちろんもちろん。天使さまのおわすところといえば、教会のほかにありますまい」


 こうして、天使さまは教会に引き取られることになったのです。

 けれど、困ったことには、天使さまは冷たすぎたのです。うつくしく凍ったからだは、いつでも吹雪のようにまわりを凍えさせ、たったの数日もしないうちに、神父さまも、教会のこどもたちもまいってしまいました。


「ぼくにちいさなお部屋をください」

 そう神父さまに言ったのは、いっとうからだの弱い男の子でした。


「ぼくはもう、長くは生きられません」

 男の子はごほごほ咳きこみながら言いました。

「だから最後に、だれかのためになることをしたいのです。ちいさな部屋をくれたなら、ぼくはそこで、心から天使さまのお世話をしましょう」


 神父さまは心のやさしい人でしたから、はじめこの男の子を叱りつけました。けれど、たしかに男の子のほか、もっとちいさなこどもたちも寒さのあまり、病気になりはじめているのです。このまま天使さまを、教会のまんなかにはおいておけませんでした。


「だったら」

 神父さまが言いました。

「わたしが天使さまのめんどうをみよう」

「神父さまが病気になったら、だれがこどもたちのめんどうをみてくれるのですか」


 神父さまは答えられませんでした。

 教会にいるのはこどもたちばかり。神父さまがたおれてしまえば、だれもかれもうえ死にしてしまいかねません。


「どうかどうか、ぼくにお部屋をくださいませ」


 こうして町のはずれのちいさな教会の、さらにはずれたちいさな部屋に、天使さまと男の子がくらすことになりました。



「天使さまがいらっしゃる部屋だ。きたなくしてはおけないぞ」

 男の子は、ちいさな部屋を毎日ぴかぴかにそうじしました。


 毎日雪をとかしたつめたい水をバケツいっぱいにためこんで、指先をまっかにしながらすみずみまでぞうきんがけをしました。おかげで、部屋のなかにはわたぼこりひとつもありません。窓ガラスはいつもくもることなく透明で、外にしんしんとつもる白雪が、いつも部屋をあかるく照らしていました。


 ようすを見にきた神父さまは、その部屋のうつくしいのを見て言いました。

「やや、これはすごい。ひとりでどうなることかと思ったが、これは王さまの部屋にもまったく劣らない清潔さじゃないか」


 そして神父さまは、男の子にたくさんの薪を渡しました。

「部屋をあたためるのに使うといい。こうも寒くてはやっていられないだろう」

「ありがとう。たいせつに使います」


 男の子は神父さまが母屋に戻っていくのをていねいに見送ってから、さっそく暖炉に向き合いました。

「ちいさな部屋だから、きっと薪をもやせばすぐにあたたかくなるぞ」

 けれど、男の子の予想とちがって、部屋はまったく冷たいままでした。天使さまからたちのぼる、吹雪のような冷たい風が、暖炉の熱をすっかりかき消してしまうのです。


「そんなばかなことってあるもんか」

 男の子はおどろきました。

「そうだ。もっと天使さまを火に近づけてみよう。そうすればもっとあたたかくなるはずだ。天使さま、無礼にもおからだに触れることをお許しください」


 男の子は、やせたからだでがんばって、一日かけて天使さまを暖炉の近くまで運びました。

 すると天使さまの冷気をまともに浴びた炎はたちまち弱まって、あっという間に消えてしまいました。


「なんてことだ」

 男の子はぼうぜんとしました。

 冷たい天使さまを腕いっぱいで運んだために、男の子のからだはすっかりまっかになって、皮も切れて、顔から血だってながれていました。耳たぶはしびれてしまって、もう自分ではついているんだか、ちぎれてしまったのだかもわかりません。


「かわいそうな天使さま。炎もあなたをあたためてくれない」

 天使さまは凍ったままで、なにも言いませんでした。

 男の子はしかたなく、暖炉にふたたび火も灯せないまま、また毎日部屋のそうじを続けました。


 しばらくして、神父さまが様子を見にきました。そして、その部屋のありさまにおどろきました。

「なんて冷たい部屋なんだ。こんなところ、クマの毛皮だって耐えられやしないぞ」


 男の子は神父さまに言いました。

「ああ、ちょうどよかった。神父さま、薪をお返しします。持っていってはくれませんか」

「ばかを言うんじゃない。こんな部屋に火もおこさず、一日だっていられるもんか」

「どうせこの部屋は、炎くらいじゃあたたかくならないのです。ほかのこどもたちの明かりに使ってあげてください」


 男の子は長いあいだこの氷のような部屋にいたものだから、すっかり顔から血の気が引いて、雪のようにまっしろな顔になっていました。切れた皮も霜がふたをしてしまって、もう血の一滴だって流れていないのです。


「そんなばかな」

 神父さまは暖炉に火を灯そうとしましたが、あんまり寒くて火もふるえてしまったのか、まるで明かりはつきませんでした。


 神父さまは男の子の手をとって言いました。

「これまでよくがんばってくれたな。つらかっただろう。みんなのところにもどるんだ」

「いいえ、それはできません。ぼくがいなくなったら、だれが天使さまのお世話をするのですか」


 言葉につまった神父さまに、男の子は言いました。

「天使さまは凍えてかわいそうです。ぼくがそばにいてあげたいんです」


「どうしてわたしは、きみをこんなにきよらかに育ててしまったのだろう。もっときみが、わるい子になってくれたらよかったのに」

 神父さまは涙をながしました。

「なにかほしいものはないか。わたしをたすけると思って、なんでもわがままを言ってくれ」


 男の子はしばらく考えて、こう言いました。

「だったら、きれいな布をください」

「もちろんだとも。たくさんの布を持ってこよう」

「いいえ、布はひとつでいいのです。それから、もうひとつ、きれいなバケツをくださいませんか」

「おお、もちろんだとも。もちろんだとも」


 神父さまが持ってきてくれた布とバケツを受け取ると、男の子はなごりおしそうにする神父さまをみんなのもとに帰しました。


 そして、氷のように冷たい部屋のなかに、また男の子と天使さまだけが残されました。


「ぼくはあなたにおおくのことはしてあげられません」

 男の子は言いました。

「でも、できるかぎりのことは、してあげたいと思うのです」


 男の子はもうすっかりまがりにくくなった指で布を取りました。

 そして、氷づけの天使さまを、心をこめてみがきはじめたのです。


「天使さま」

 来る日も来る日も、男の子は部屋をそうじして、それから天使さまをずっと、ずうっとみがきつづけました。

「どうしてあなたは、空から落ちてきたのでしょう」


 男の子は毎日、毎日毎日吹雪のような冷たい風にさらされていました。

 いつしか、痛みも、寒さも感じなくなっていました。


「ぼくは思うのです」

 それでも男の子は、やさしい言葉で天使さまに話しかけながら、きれいな布で、天使さまをみがきつづけました。ときには、まだだれにも踏まれていない雪をとかした水で、布をきよめながら。

「あなたは、ぼくたちをたすけにきてくれたのではありませんか」


 げほげほと、咳きこむ音に、血がまじるようになりました。

 そのころには、むねいっぱいに霜がおりていたものだから、まっかなかけらがきらきらと、男の子の息に混ざってとびちりました。


 だけどもう、男の子にはそんな景色も、よく見えなくなっていました。


「ぼくは思うのです。天使さまは、ぼくたちをたすけるために、わざとつばさを凍らせて、地上におりてきてくれたのではありませんか」


 とうとう、男の子はそうじもできなくなりました。

 部屋のどこがよごれているのか、すっかりわからなくなってしまったのです。


「それできっと、天使さまはいつかその氷をとかして、空へと帰っていくのでしょう。そのはばたきで、あのぶあつい雲が、ちりぢりにふきとばされてしまうんです」


 窓ガラスはくもったままになって、いまが昼なのかも、夜なのかもわからないようになりました。

 そのうち男の子は、起きているのもつらくなって、ねむってばかりいるようになりました。


「そうしたらひさしぶりにおひさまが顔をだして、みんなはおまつりさわぎをするんです。みんながわらって、うたって、しあわせだって、夢や希望を語りあうんです。それって、考えたらどんなにいいことでしょう」


 それでも、男の子は凍った天使さまをみがきつづけました。

 足がうごかなくなっても、息がくるしくなっても、さいごまで、みがきつづけました。


「でも、どうしてかな」


 さいごまで、みがきつづけました。


「ぼくはあなたに、帰っていってほしくない」


 ちいさなわがままを言うと、男の子はぴくりとも動かなくなりました。


 だから、天使さまの氷が溶けて、ひとすじほおをつたった水滴は、だれにもぬぐわれることはありませんでした。



 それからずっと、ずうっと時間がながれて、ひとりの旅人がちいさな国をおとずれました。

「やけに寒いな」

 旅人は首をすくめて言いました。それもそのはず、この国はずっと、ずうっと雪ばかりが降っているのです。


 町なみはしんと静まりかえっていました。

 こだかい丘の上には、雪が塔のように積もるばかりで、だれのすがたもありません。


「このままじゃ、この国を出るまえに凍え死んでしまうぞ。どこかに泊めてもらわなくては」

 旅人はきょろきょろとあたりを見まわしました。すると、おおきなお城が目につきました。

「あれだけおおきなところなら、きっとおれを泊めてくれる場所もあるはずだ」

 そうして、旅人はお城へむかいました。


 お城には、王さまがいました。さっそく旅人が「どうかここに泊めてください」とたのもうとすると、王さまは言いました。

「帰りなさい。わたしたちはもう、すっかりだめになってしまった」


 旅人はとつぜん王さまがそんなことを言うので、びっくりしてしまいました。王さまのとなりに立っている、ぐるぐるひげのじいやもうなずいているのです。

「これじゃあ、たのみごとどころじゃないな」

 旅人は王さまに頭をさげると、べつの場所をさがしてお城を出ました。


 次に旅人がおとずれたのは、王さまの次にえらい貴族さまのところでした。

 けれど旅人は、そのおやしきに入ったとたんにこわくなって引き返してしまいました。

 だって、そのおやしきの中には、貴族のおうちにつきものの、じゅうたんも、シャンデリアもなくて、まるきりからっぽだったのですから。


 次におとずれたのは、学者さまの家でした。

 そしてまた、旅人は引き返してしまいました。

 だって、そのおうちは窓をひとつ残らずしめきって、まっくらやみになっていたのですから。


 次におとずれたのは、騎士さまの家でした。

 そしてまた、旅人は引き返しました。

 だって、そこにあるものはなにもかもこわれてしまって、ただのがれきしか残っていなかったのですから。


 最後におとずれたのは、町のはずれのちいさな教会でした。

 今度は、見た目に変なところはなかったので、旅人はおもいきって、教会のとびらをノックしました。


「どうかここに、一晩泊めてはいただけませんか」

 旅人がたのむと、神父さまが出てきて言いました。

「もちろん、もちろん。いくらでもここにいるとよろしい」


 歓迎してもらえた旅人は、どうにか凍え死にせずにすみそうだ、とほっとしました。

 教会のなかはこどもばかりで、旅人はせめてものお礼にと、いくつかの力仕事を手伝いました。そのたび神父さまが、ていねいにお礼を言うものだから、かえってかしこまってしまいます。


 つつましい晩ごはんをわけてもらって、どうにか旅人はうえ死にの心配もなくなりました。

 それから、ずっと気になっていたことを、神父さまにたずねたのです。


「神父さま、どうしてこの町はこんなにも暗く、しずんでいるのです。王さままでもが、もうだめだなんて言って、まるで夢も希望もないようじゃありませんか」


 神父さまはその疑問を聞くと、うなずいてこう言いました。


「もちろん。ここには夢も希望もありません」


 旅人はおどろきました。

 王さまばかりか、神父さままでそんなことを言うなんて、思ってもみなかったのです。


 神父さまは、旅人についてくるように言うと、立ちあがって歩きはじめました。

 旅人はあわててついていきます。


 歩きながら、神父さまはこの国のいろいろなことを旅人に語りました。


 ずっとむかしから雪が降りつづいていること。

 ぶあつい雲が太陽を長いあいだかくしているということ。


 なにより旅人がおどろいたのは、天使さまが落ちてきたということでした。


「そんな」

 旅人は、自分のことのようになげいて言いました。短いあいだでしたが、教会のみんなのやさしいふるまいを、好きになっていたのです。

「それじゃあほんとにおしまいだ。夢も希望もないじゃないか」


 今度は、神父さまは男の子の話をはじめました。

 からだの弱い男の子の話でした。ひとりっきりで、氷づけになった天使さまのお世話をしていた男の子の話でした。


 話の途中で、旅人はきづきました。

「ひょっとして、いまむかっているのは、その天使さまと男の子がいた部屋なのではありませんか」


 神父さまは、うなずきました。

 そして部屋のとびらの前に立つと、言いました。


「たしかに、もうここには、夢も希望もありません。けれど、この世にあるのは、それだけではないのです」

 神父さまは旅人によびかけます。

「どうか、あなたの目で、たしかめてはくれませんか」


 旅人は、うながされるまま、とびらに手をかけました。

 ゆっくり息をして、それからやさしく、とびらを開きました。



「ああ、そうか」


 部屋のなかを見て、旅人は言いました。




「こうして地上には、愛ばかりが残ったのですね」




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