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終末世界のラグナロク

作者: ルト

 朽ちていく躯体の部品を数えながら悠久の終末にたゆたう日々は、唐突な始まりによって塗りつぶされた。


「見つけた……!」


  壊れたメンテナンスポッドに反響する空気の振動を、音だと認識するのに五秒。言葉だと認識するのに十八秒。既知の体系化された言語の一つだと解析するのに六十二秒を必要とした。

 その間にも侵入した熱源は、俺の体につなげられたコードを手繰って目で確認している。

 供給されてもいない電源を切るための正しいプロセスが踏まれた。

 目の開き方を思い出す。


「あ……動いた! 動いたっ!」


 少女の碧眼が大きく開かれ、まなじりから涙がこぼれた。

 金髪は汚れ、厚手のロングコートもところどころ破れて血がにじんでいる。細い体に似合わない頑丈なブーツがいかにも重そうだ。


「本物だ……よかった。これで、みんな救われる……」


 力尽きたように座り込む少女は、ぼろぼろと泣きながら、俺の足をつかんで声を震わせる。


「本物のラグナロクを、見つけられた……!」


 違う。

 俺は本物なんかじゃない。ラグナロクなんかじゃない! あんなデタラ<--不明なエラー-->んかなれない!

 悲鳴のように溢れる言葉は、脳裏のなかだけで完結した。声の発し方が思い出せない。

 滅んだ世界は、かつて一度救われかけた。たった一人の男によって。

 右手をかぎ爪の生えたガントレットで(よろ)い、左手に拳銃を携えて、男は武によって和をもたらした。

 男の背に不幸はなく、男の前に障害はなく、まるで昼と夜を分ける太陽のようなただ一人の英雄。

 それがラグナロクだ。

 俺の名はラグナロク。

 天上天下を平らげた唯一の男を模している、機械仕掛けのレプリカだ。

 息を吹き返したセンサーが警戒を惹起した。稼働機械。火薬のにおい。

 少女にポッド裏にあるハッチの開け方と、その先の避難経路を伝えようと思った。長く言葉を発するほど機能が万全でないことに気づかされる。

 言うべき言葉だけを選んだ。


「逃げろ」


 ポッドの隙間から跳躍する。背中に刺さる錆びたコードが引きちぎられた。

 地底区画のメンテナンスベイは武器庫だった。だが、いつの間にかスクラップ置き場になっていたようだ。何メートルも高く積み上げられたスクラップの山は、忍ばされた生ごみの腐臭と入り混じった悪臭を発している。

 右手のガントレット兵装はアクティブ。左手には武器がない。

 上等だ。瓦礫の山を跳び越えて――

 眼前のスクラップが爆発した。


 全身を打ち据えるダメージ報告で、ようやく俺は吹き飛ばされて転がったことに気づく。首を巡らせると、両手代わりに大砲を構えた人型戦車が瓦礫を踏み越えて迫っている。

 知らない機械だ。

 苦笑したい気分になったが、そんな高級な感情表現機能をレプリカは持ち合わせていない。

 両足は折れた。左腕は肘からもげた。

 右手は無事だ、生きている。

 ならば構わない。


 右腕で体を起こし、手のひらに仕込まれた機構を展開する。圧縮燃料を噴霧して点火。爆発の反動で体を高々と吹っ飛ばした。

 迷路のようなスクラップ塊を見晴らし、眼下に人型戦車を捉える。人型戦車は軋みながら俺を見上げた。

 あれは軍事兵器じゃない。

 大方、工業用マシンのAIを書き換えて、腕を武器に取り換えた民製品だろう。

 爪を射出し、ワイヤを巻き上げる。人型戦車の首筋に組み付いた。


「ギギッ」


 ガタが来てるのはお互い様か。

 俺が飛び乗っただけで、人型戦車の首関節は悲鳴を上げた。

 ガントレットの爪――電磁ブレードを起動する。

 人型戦車の双眸に突き立てた。ガラスや周辺フレームが熱したバターよりも容易く融解し、ふさがれていく。

 AIがもう破綻を始めたのか、動作が不安定になっていた。両手の砲を乱射されても困る。胸部に爪を突き立て、腕をねじり込んだ。

 かつては操縦席だったろう空間。そこで燐光を放つメインジェネレータまで腕を伸ばす。

 もう暴れるな。もう壊すな。


「お前の終末は、ここだ」


 爆破。

 内発する爆圧に両腕と首を吹き飛ばしながら人型戦車は停止した。

 沈黙した残骸から腕の力で飛び降りる。足は折れていて地面を蹴ることができないが、杖代わりに立つくらいはできそうだ。


「ラグナロク!」


 少女の声が聞こえた。

 彼女はメンテナンスポッドから顔を出してこちらをうかがっている。逃げなかったらしい。


「無事か」

「すごい……! 街を焼いたウォードローンを、素手でやっつけちゃった!」


 苦笑できないことが口惜しい。

 素手ではないし、ましてや軍用兵器でもなかった。

 顔を輝かせていた少女が、笑みを凍らせる。


「あ、ああ……そんな」


 背後。何か――ではないな。先ほどの改造人型戦車が、五体か。

 仲間が壊されたことを察して、信号が届く範囲の機体が集まってきたのだろう。

 ぼろぼろの少女を見る。

 靴は頑丈だが、太ももから血がにじんでいる。厚手のコートに隠された体は傷だらけだ。

 あれでは逃げることなどできない。

 そもそも、俺の足も棒切れ同然だ。これでは彼女を抱えて走れない。

 カン、カンとぎこちなく足を突いて振り返る。やってきた人型戦車が、いくつか向こうの残骸を吹き飛ばす音がとどろいた。

 逃げられないなら、やるしかない。

 人型兵器の残骸から裂けた鉄を引きちぎった。長剣のように長くとがった鉄材を握る。


「俺は、レプリカだ」


 だが英雄のいない今。この今に。


 誰が彼女を守るのだ。


 爪を射出、巻き上げて高く飛び上がる。吹き飛ばしたスクラップ塊を乗り越えている人型戦車の顔面に鉄材を突き刺した。

 胸部装甲に手を突き、そのまま突き入れて、ジェネレータを爆破する。

 更なる仲間の機能停止を感知したのだろう。次々と瓦礫を爆破しながら戦車たちが迫ってくる。

 かかってこい。植え付けられた闘争欲求は俺が相手をしてやろう。メンテナンスポッドには近寄らせない。


「俺の前で、誰も死なせない!」


 吼えて、爪を打ち上げて振り下ろす。瓦礫の向こうに電磁ブレードを落とし、大砲を切り裂いて誘爆させた。

 まるでスクラップでできた路地だ。キャタピラが金属を踏み潰す轟音を立てるから、『塀』の向こうでも丸分かりだった。


「二つ、……ッ!」


 爪を巻き戻すと同時に背後が爆発する。

 ガントレットを薙ぎ、迫る瓦礫を切り裂いた。破片の隙間に垣間見える。俺を照準する人型戦車だ。

 正面に構え、射出。即座に巻き上げ。砲弾と入れ違いに人型戦車へ肉薄する。

 腹部から突き上げるように腕を入れて、爆破。


「これで三つ」


 右の大砲をもぎ取る。

 やはり簡易な細工だ。工具の電源を入れるように簡単に、大砲の引き金が引けるようになっている。

 大砲を角に向け、戦車を待ち構える。隙だらけの姿をさらす戦車の横腹に大砲を撃ち込む。

 二射、三射。損害計算の機能すらないのか、人型戦車は爆死するまで逃げなかった。


「四つだ。あとは」


 スクラップ塀が弾け飛ぶ。最後の一機が瓦礫を踏み越えて現れた。

 奪った大砲を放り投げて敵の砲弾を防ぐ。爆散する残骸をくぐって、地面を殴りつける反動だけで体を飛ばす。

 天井に爪を射出、急速に巻き上げて跳び上がる。足下を砲弾が駆け抜けていく。

 動く相手を追うだけのシンプルすぎるAI。彼らは戦うための機械ではない。

 爪を掲げ、人型戦車へ落ちていく。

 寸前。

 砲口が閃く。


 炸裂――!


 閃光に焼かれた視覚が戻ってくると、顔に鉄材が乗っていた。腕が重い。電磁ブレードを駆動させて腕に載った瓦礫を切り裂き、鉄材をどかす。俺はスクラップに埋まっていた。

 色覚の乱れる視野を投じる。人型戦車は前面が焦げている。


「自爆か」


 迂闊だった。己の損害計算もできない戦闘機械が、自分ごと攻撃することを躊躇うはずがない。

 人型戦車は軋みを上げながら、再び砲口を持ち上げていく。

 俺の下半身は埋まっている。逃げられない。

 熱と衝撃が五感を薙ぎ払った。躯体が砕けなかったのは奇跡的だ。反響と炎とノイズが体中を駆け巡る。

 俺はまだスクラップの山に五体を投げ出して倒れていた。

 断絶した聴覚と色彩を失った視覚が異常を叫ぶ。足は動かない。ガントレットは妙に頑丈だが、接続する右肩がちぎれそうだ。熱で人工皮膚が焦げていく。


――ここまでか。


 もとより、俺はとうに終わっていたはずだった。手違いで少しばかり時が動いたが、それも泡沫の夢のようなものだろう。

 願わくばあの少女が逃げきれていればいいのだが。


 ラグナロクッ!


 傾いた視界が、とらえた。

 スクラップの陰から飛び出して叫ぶ少女を。その口の動きを。


 音が。空気の振動が。人型戦車を刺激した。

 動きの悪い砲口ががくがくと揺れながら、しかし確実に少女へと向けられていく。

 少女は息を呑み、足を取られて尻もちをついた。逃げられる足の怪我ではない。

 砲口が止まる。

 左腕はない。脚は動かない。瓦礫に体が埋まっている。


 だが、右腕は動く。

 ならば、構わない。


「ォ、ォオオオ――!」


 言語生成に支障をきたしている。爆風を受けながら、そんな自己診断を受け取った。

 人型戦車は自身の腕に突き刺さったスクラップを見て、ついでこちらを振り返る。しっかりと俺を認識したことを確認して、鉄片を投げた右腕のかぎ爪を開いた。動きは悪いが仔細ない。

 右手を人型戦車に向ける。三度のぎこちない旋回を見届けてやる義理はない。爪を射出し、戦車の首筋に突き立てた。

 巻き上げる。

 ワイヤが張り詰めた。べきべきと鈍い音を立て、足を潰すスクラップに引き裂かれていく。砕ける音を体内に感じる。

 せっかく動いた時間なんだ。

 あと少しだけ、止まってくれるな。

 ふいに視界が流れた。人工髄液の尾を引いて身体が飛ぶ。

 呆けたように俺を見つめる人型戦車に落ちていく。


「――受け取れ。これはお前の終末だ」


 電磁ブレードは抵抗なく装甲を貫いた。肘まで突き刺さった腕は間違いなくジェネレータに届いている。

 機構を展開する。圧縮燃料を噴霧して、点火。瞬時に燃焼した高熱と膨張圧力が解放されて荒れ狂う。

 爆発。

 人型戦車はあっけなく終わりを迎えた。


 腕を、引き抜く。

 焦げた装甲が焼き菓子のように割れてこぼれた。

 爆発に焼かれたスクラップが黒煙を放っている。鉄くずと残骸。生命の営みから外れた終着点。


――こんな世界だ。現実は。


 英雄のいない世界など、こんなものだ。

 だから俺が作られた。消えた英雄に憧れて。亡くした平和を羨んで。

 誰も、俺を求めていない。

 誰もがラグナロクを求めている。俺ではなく。

 英雄は、俺ではない。


「ラグナロク……」


 少女が顔をのぞかせた。


「無事か」

「あなたこそ、傷だらけの焦げだらけ。足はひどい有様だし、腕だって……こんな」


 彼女は、もげた俺の左腕を抱えている。

 ふらつく足取りで歩いてくるが、彼女の足には俺が腕だけで動ける距離すら遠い。


「諦めろ。帰れ」

「え……?」

「英雄は、ここにはいない」


 顔を背ける。彼女にとっては残酷だが、事実だ。

 うつむく俺の耳に、笑い声が届く。

 笑い声?

 少女は、笑っていた。


「そうかもしれない。伝説のラグナロクなら、腕がとれちゃったりしないと思う」


 彼女は苦しそうに足を踏み出す。怪我が痛むのか、顔をしかめた。

 なのに、俺の左腕を、守るように強く抱きしめている。

 俺は少女の歩みを眺めるしかできなかった。

 一歩、また一歩と近寄る彼女を。

 逃げることも、助けることもできずに。

 それでも、彼女は歩き続けた。

 瓦礫の上を。

 残骸を。

 俺と彼女を隔てる距離を。


「あ……っ!」


 倒れる彼女を、右手で支える。

 俺の手が届く距離まで、彼女は歩み寄ってきた。

 機械仕掛けのガントレットに柔らかい重みがのし掛かる。


「私を守るために飛び出して、そんなになるまで戦って。それで勝っちゃうなんて」


 俺の腕の中で、彼女は夢見るようにつぶやいた。


「私は見つけたんだ……本当の、本物の、私の英雄……」


 長い息をついて目をつむる。


「ありがとう……」


 ささやきを最後に力が抜けた。

 ぞっとする思いで彼女の生体反応を確かめる。

 生体反応あり。病気なし。負傷あり。処置を要する重大な負傷なし。呼吸脈拍ともに安定。

 眠っている。

 疲労が限界を超え、緊張の糸が切れたのだろう。彼女はあたたかな寝息を立てて眠り込んでいた。

 彼女を抱えたまま慎重に座る。膝枕は高すぎて呼吸が苦しそうだ。コートの袖を挟み、足首で彼女の頭を支えた。


「俺は……英雄ではない」


 とにかく彼女は休ませなければならない。それが終われば、食料だ。体力を回復させるには水と食料がなくてはならない。手当をするための清潔な水も欲しい。

 この瓦礫の檻には、どれ一つとしてないだろう。


「俺の終末は、ここだと思ったんだ」


 けれど。

 どうやら、もう少しだけ続くらしい。

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