舞台に立って その2 偶然の話で
レジェンドを出た。通りを挟んで向かいにある居酒屋サムライの入り口で後ろを振り返るとレジェンドのネオンの眩しさにこの男は驚いた。もう、レジェンドが出来て一年。半年もここに通っているのにそれに初めて気がついた。そして、居酒屋サムライの戸を左手で開けた。
「いらしゃいませ。」
飛田の声が店内に響いた。
入った居酒屋サムライは、満員だった。
「おう。お帰り。カウンターの端、空いてるから。」
飛田が、焼き鳥を焼く手を止めて、まわりを見渡してその場所を指さした。この男は、となりに座っていた人に軽く会釈をし、スッーと座った。
「生ビールでいいか?」
飛田が、この男の顔を見た。この男は、軽くうなずいた。
しばらくすると、アルバイトの女の子が生ビールとお通しを持って来た。また、アルバイトに軽く会釈をして、生ビールを一口飲んだ。さっきまでこの男の隣で会話していた、レジェンドのキャストのかおりやイブとのひとときの時間を思い出して、頭の中に甦った。あの頃の自分の生徒達の笑顔や声、そして、匂いまでも。この男は、ヤマトミュージックサックスポピュラーコンテストで優勝するとCDをリリースして、ある程度、著名なサックスプレーヤーでやっていたが芸能界は引退していたのだった。主に印税と作詞作曲をして生計を立てていた。ヤマトミュージックスクールのサックス講師を経て、一年前まで、この男の妻が経営する音楽教室で、サックスホーンの講師をしていた。突然の病気により休業をせざるおえなくなり、今日まで至っていた。最後の生徒は、女性ばかり45名程受け持っていた。
「みんな、元気かな?会いたくなったよ。最後に会ったのは病院だったな?みんな、見舞いに来てくれたなぁ。」
この男が、心の中で呟いた。
「レジェンドはどうだった?」
飛田が、カウンターごしの前に立った。
「流行るだけの事はあるな。」
この男は、飛田の目を見た。
「そうか。流行るだけあるか。俊の隣には誰が付いた?」
飛田が、この男の目を見た。
「かおりちゃんとイブちゃんだったよ。」
この男は、飛田の顔を見て微笑んだ。
「ありがたい。ナンバー1とナンバー2を付けてくれたか。」
飛田は、この男の顔を見て含み笑いをして続けた。
「それは良かった。なあ、ちょっとゆっくりしていけ。」
飛田は、この男の顔を見た。焼き鳥台の前に立って焼き鳥を焼き始めた。
午前1時が過ぎた頃である。
「あーあ。寒い。」
白髪の紳士が手もみをしながら、居酒屋サムライに入って来て、空いていたカウンター席に座った。
「あ。いらしゃいませ。お疲れさまです。」
飛田は、大きな目をさらに大きくして叫んだ。入って来たのは、マンモスキャバクラ レジェンドのオーナーの大森だった。いつも、ブランドスーツを着こなす白髪の紳士だった。口調はもの静かで言葉使いも丁寧、この界隈でこの紳士の悪口を言う人はいなかった。
「今晩。新記録出たんじゃないですか?」
飛田は、大森の顔を見て微笑んだ。
「飛田さん。おかげさまで。」
大森が、ニコッと笑って飛田の目を見た。
この会話を聞いていた、この男は、売り上げの新記録が出た事だとわかった。たぶん、200万円はいったんだなぁと。凄いと感心しつつ、飛田からの差し入れの焼き鳥を口にして、生ビールを一口飲んだ。
「飛田さん。レジェンドのオープン1周年パーティーを今月の最終日曜日にやります。日頃お世話になっているお客様を招待して。」
大森は、ホットウーロン茶を両手で持ち、飛田に話かけた。
「もう、1年経ちますか?早いものですね。」
飛田は、焼き鳥を焼きながら答えた。
「飛田さん。知り合いに楽器をやっている人知りませんか?そう。サックスホーンやっている人?」
大森は、焼き鳥を焼いていた飛田に問いかけて、話を続けた。
「僕ね、最近、サックスホーンの音楽にはまっていましてね。知ってるかな?ケニーGってアメリカのサックス奏者の事。」
大森は、笑顔で飛田の顔を見て、ウーロン茶を一口飲んだ。
「オーナー。ケニーGの事は知りませんが、サックスホーンを吹く男は、知ってますよ。ほら、カウンターの端に座っているあの男です。私の友達なんで、話をしてはどうですか?」
飛田は、焼き鳥を焼く手を止めて、大森の顔を見ながらこの男を指さした。そう言われたこの男は、大森の顔を見ると目が合い軽く会釈をした。この居酒屋サムライで、2〜3回、大森の事を見かけていたので顔だけは知っていた。
「サックスの事、詳しいのですか?よかったら、隣に来ませんか?」
大森は、ちょっと大きな声を出し、この男を誘った。この男は、会釈をして、大森の隣に座った。
「飛田さん。こちらにお酒と焼き鳥だしてください。」
大森は、飛田の顔を見た。
「自分でよろしければ、サックスの事ならなんでもお答えできますが?飛田さんの古い友達で 赤間川 俊と申します。宜しくお願いします。」
この男は、自信たっぷりに大森の目を見た。この時、だいぶビールは飲んでいたが、サックスの話と聞いて目がシャキッとしている自分に気がついた。
「僕ね。ケニーGにはまりましてね。この歳で。笑わないでくださいね。この間、アルバム全部買いました。車の中での音楽はケニーGだけですよ。すべての曲が大好きですね。いいですよね。ケニーGって。」
大森は、目がちょっと遠くを見るように興奮していた。
「自分も大好きなサックス奏者のひとりですよ。」
この男は、大森の顔を見て微笑んだ。
「ケニーGの日本でのコンサートは、すべて、いかせてもらってますよ。生も最高です。」
この男が、大森の目を見た。
「えっ?コンサート?僕も行ってみたいな。」
大森は、この男の目を見て、悔しそうな顔をした。
「ところで、赤間川さん、サックスをやるんですか?」
大森が、右手を出してたずねた。
「やりますよ。実は、訳がありまして、この一年くらいは吹いていませんが。」
この男が、左手で頭をカキながら答えた。
「オーナー。この男、こう見えてもいろんなコンテストで優勝する程の腕前の持ち主なんですよ。昔は、CDもリリースしてるし、テレビなんかも出てたりしてました。著名なサックスプレーヤーで、ライブ活動なんかもしてファンが多いんです。本人も言ってましたけど、今、休んでいますが。サックスの先生をしていて、教え子もたくさんいるんですよ。それに、芸能人にも知り合いがいるんです。俺は、音楽の事まったく興味はないし知らないし、それと、この男のサックスも聴いた事ありませんがね。」
飛田は、手が空いたので、腕を組んで微笑みながら口を挟んだ。
「実はね。レジェンドのオープン1週年記念パーティーに誰かにサックスを生で演奏してもらいたいと考えていた所なんです。」
大森は、ふたりの顔を見た。
「オーナー。よかったら、そのパーティーの生サックス演奏?この男にやらせていただけませんか?ほら、見た目も悪くないイケメンだし、それに、俺もこの男のサックスを聴いてみたくて。」
飛田は、本日はじめてタバコに火をつけて、大森の顔を見た。
「飛田さん。それは、いいですね。これから別の演奏者探すのも大変だし、先程、ケニーGの話で意気投合しましたしね。へえー。著名なサックスプレーヤー。僕、知らなかったなぁ?優勝、ライブ活動、俄然、僕も聴いてみたくなりました。赤間川さんのサックス。それで、やっぱりケニーGの楽曲を吹くの?」
大森が顎に手をあててたずねた。
「大森さん。すいません。ケニーGの楽曲はあまり、吹きません。」
この男は、大森の目をまっすぐ見て答えて続けた。
「簡単に言えば、ケニーGは、自分の中では神様なんです。誰が吹いても神様以上には吹けないんです。それ以上の音にはならないので、それが悔しくて自分はやりません。生意気な事を言ってすいません。でも、自分色の音で良ければ出来ます。それで皆さんに喜んでいただければ。大森さん。プライベートで機会があればいつでもリクエストください。宜しくお願いいたします。」
この男は、大森の目に訴えるように最後にニコッと笑った。
「それは、それでわかりました。じゃあ、どんな楽曲を演奏するの?」
大森が、また、顎に手をあててたずねた。
「ポピュラーミュージックの歌をサックスで演奏します。たとえば、宇多田ひかるとかミーシャとか日本のアーティストの歌を自分なりに解釈して、サックスの音に乗せるんです。自分がリリースした、アルバム後で差し上げます。聞いてください。」
この男は、大森の目を見た。
「へえー。そういう楽曲をやるんだ。僕には、イメージがわかないのだが?」
大森は、両手を組んで頭の後ろに回して身体をのけぞらせて意外そうな顔をした。
この男が、生ビールを一口飲んで続けた。
「大森さん。よかったら、自分のサックス聴いていただけませんか?」
この男は、大森の目をじっと見た。
「そうですね。僕も赤間川さんのサックス聴いてみたいので、明日、レジェンドのチークタイムとエンディングで演奏していただけませんか?2曲用意してください。お客様と従業員の前でサプライズで披露していただきます。急ですが、宜しくお願いいたします。楽しみにしてますよ。頑張ってください。」
大森は、笑顔でこの男に宿題を出した。ふたりは、アイコンタクトし、握手を軽く交わした。
「僕が駄目なら、パーティーのサックスプレーヤー、紹介しますよ。良いプレーヤー知ってますから。」
この男は、大森を見てニコリと微笑んだ。