舞台に立って その1 思い出した過去
この男が、一年前、脳梗塞に倒れ半年の入院を経て、毎日病院に通い、辛いリハビリを受けていた。友達の飛田が経営する居酒屋サムライに入り浸りになって半年が過ぎていた。けして、酒に逃げていた訳でもないが、頭の中が腐りそうな日々を過ごしていた。年が明けて最初の土曜日の事である。新年の風がまだこの街に残っていた。
「なあ、俊よ。(主人公)今晩もレジェンドには、20人くらい並んでいるな。」
飛田が焼き鳥を焼きながら立ち上がる煙りを避けて目を細めてこの男の顔を見てにらんだ。
飛田とは、この居酒屋サムライの店主でこの男、俊の高校時代からの同級生である。今晩は土曜日なのに居酒屋サムライには、この男と他に一組2名のお客さんしかいなかったので飛田の顔色は少しだけ渋かった。
「とびさん。でも、この後レジェンドに入れないお客さんがいつものようにこっちへ流れてくるから心配するな。そんな雰囲気だよ。」
俊が、笑顔で飛田の目を見て微笑んだ。
居酒屋サムライは、この街で結構有名な一品300円均一が売りの店だった。6名様テーブルが4席、4名様テーブルが4席、10名様テーブルが1席、6名が座れるカウンター席のこじんまりしたお店である。
また、居酒屋サムライは、この界隈のキャバクラグループの提携店になっていて、キャバクラからのおつまみの出前を承っていた。キャバクラからの出前は、居酒屋サムライの売り上げの大きなウェイトを占めていた。だから今、飛田が一生懸命焼いている焼き鳥もキャバクラからの注文と言う事になる。だって、お店にはお客さんがいないのだから。
レジェンドと言う名のお店は、この街で一番人気のキャバクラである。定員100名のマンモスキャバクラでもある。マンツーマンでキャストが接待を売りにしているお店でもある。それが、昨年の12月に居酒屋サムライの目の前にオープンしたのであった。レジェンドは、キャストの出勤人数しかお客を店内に入れない徹底した営業をしていた為、定員オーバーともなれば、今晩みたいにお客がお店の前に並ぶのである。中には待ち時間を嫌がり居酒屋サムライに流れてくるお客も多かった。飛田は、こういうお客が来るのを前々から計算をしていた。それが的に当たり昨年末の売り上げは一昨年と比べると倍になった事は、隠しきれない事実であった。レジェンドは、今晩はキャストの頭数50名は出勤しているはずで満員御礼とは大盛況もいいところだった。また、キャストの容姿も粒揃いを集めていたから最強である。
「なあ。俊よ。レジェンドに入った事あったっけか?」
飛田が、焼き鳥を焼く手を止めてこの男の顔を見て目で合図した。
「ない。」
この男が、ビールのジョッキを片手に持ち、飛田の顔を見てニヤリとした。
「それじゃ、後で行って店内の様子を見て来いよ。特別に良い席取ってもらうから。」
飛田が、また、焼き鳥を焼きながらこの男の顔を見た。
「駄目だよ。今日は持ち合わせかないから。」
この男が、左手で頭をかきながら飛田の顔を見た。
「金なら心配するな。俺がもつから。ちょっと楽しんで来い。いつも、居酒屋サムライを利用してもらってるお礼だ。」
飛田は、にやけながら、この男の目を見た。焼き鳥を焼く手は止まらなかった。
この男は、その後マンモスキャバクラ レジェンドの入り口に立っていた。閉店までの一時間ではあったがレジェンドの扉を押して中に入った。エントランスに女性の案内人が立っていた。
「いらっしゃいませ。お一人様でいらっしゃいますね。」
女性案内人は、この男の目を見た。
「あのう。居酒屋サムライの飛田の....。」
この男が、左手で頭をかきながら、女性案内人の目を見てそう言いかけてたが、それを女性案内人が遮った。
「飛田社長から伺っております。ありがとうございます。それでは、席までご案内いたします。どうぞこちらへ。」
女性案内人は、笑顔でこの男の目を見つめ頭を下げ、右手で誘うように店内に招き入れた。
店内に入るとすり鉢状で中心にステージがありそこでは、外国人の女性が奇抜な衣装をまといポールダンスを踊っていた。この男は、横目でそれを見ながら女性案内人が案内してくれた席に座った。座った席は、VIP席だった。ちょっと「場違いな所に来た」とこの男は、心の中で思って店内を見渡した。意外にも店内は明るく、キャストとお客の会話や音楽で賑やかだ。この男は、ポールダンスを踊る外国人女性を無意識に見ていた。
しばらくすると綺麗な黒のロングドレスに身にまとったキャストがこの男の隣に座った。
「いらっしゃいませ。失礼いたします。」
キャストは、この男の目を見て笑顔で頭を下げた。
「お客様。この店初めてご来店ですか?」
キャストは、この男の目を見て静かに微笑んだ。
「はい。そうですよ。」
この男は、キャストの大きなキラキラした目を見た。
「あっ!そうでしたか。初めまして、かおりと申します。」
かおりは、ニコッと笑って大きなキラキラした目でこの男を見つめた。あまりのかおりの目力にこの男は、圧倒されていた。
「何、お飲みになりますか?何でも御用意出来ますよ。」
かおりは、笑顔でこの男の目を見つめ頭を左に少しだけ傾けたずねた。
「それじゃぁ、生ビールありますか?」
この男は、かおりの目を見てそう答えた。
かおりは、右手を上げてボーイを探すと
「生ビールひとつ、お願いします。」
そう黒人のボーイに真顔で告げた。目の前にあるグラスを手にとると氷を入れて、ウーロン茶を注いだ。かおりのマイドリンクだった。すぐにボーイが生ビールとおつまみをこの男のテーブルの上に静に置いた。黒人のボーイは、軽く会釈をし、さがって行った。
「それじゃぁ、乾杯しよ。ふたりの出会いに。」
かおりは、微笑んで右手に持ったグラスを前に出して乾杯を誘った。この男も左手でビールジョッキを前に出してお互いに重ねた。かおりは、その間もアイコンタクトを外さなかった。
「差し支えなかったら、お名前をお聞きしてよろしいですか?」
かおりは、この男の目を見て、本当に素敵な笑顔でたずねた。
「赤間川 俊といいます。」
この男は、そう答えるとかおりの顔を見てニコッと笑った。
「赤間川さん。ありがとうございます。私の中に記憶しておきますね。」
かおりは、ニコッと笑って左胸を右手で軽く叩いた。
「失礼だと思うけど、かおりちゃんは、有名な女性マジシャンに似てますよ。ナマエは?ええとー。引田天功!」
この男は、急に口を開いたと思ったらその人の名前が出てこなかった。左手で頭をかきながら困った表情をし、下を向いた。
「うふふ。よく言われますよ。だから、意識して寄せて化粧をしてます。」
かおりは、笑ってそう答えると下を向いた。顔を上げたかおりの顔を見てこの男も笑い始めた。そして、ふたりは顔を見合わせて声を出して笑った。
かおりは、レジェンドのナンバー1ホステスであった事を後から飛田に教えられた。 レジェンドのママが飛田社長の知り合いと言う事で気を使ってくれ、かおりをこの男の隣に座らせたのだった。
「どうですか?このお店?まだ、オープンして1年経っていませんが、私は好きです。こんなお店で働ける事、誇りに思っているんですよ。」
かおりは、この男にお店の感想をたずねると、ちょっと遠くを見ながら自分の気持ちを打ち明けた。
「そうだね。噂通りに良い店だ。それに女の子もここから見える範囲だけどみんな綺麗だと思う。」
この男は、少し微笑むとかおりの顔を見た。
「あら、あら。素敵な女の子が多くて目移りしちゃいますか?でも、気に入っていただけたならそれはそれは、嬉しいですよ。」
かおりは、笑顔でこの男を見た。
「赤間川さん。この街によくいらっしゃるんですか?」
かおりは、ウーロン茶をひと口飲むとグラスをテーブルに置いてたずねた。
「そうだね。ここ6ヶ月は、毎日来てます。この店の前の居酒屋サムライに。」
この男は、ビールジョッキを左手に持ちひと口飲むと答えた。
「あっ!飛田社長の焼き鳥屋さん。よく出前を頼みます。とてもおいしいです。焼き鳥。出汁巻き玉子も。」
かおりは、ニコッとして、続けた。
「飛田社長って、男前でしょ!結構女の子に人気あるんです。この店にもファンがいます。私もその中のひとりだったけど、、、。」
かおりは、言葉じりをあやふやにして、下を向いて話しを続けた。
「大変失礼だと思いでしょ。初対面の人にこういう事言うなんて。でも、言わせてね。赤間川さん。とても素敵な人だと思います。私の中ではアリですよ。」
かおりは、この男の目を見てはっきりとした口調で言うと、ステージの方に目を向けた。
「赤間川さん。失礼ついでにすいません。お年は、、、。」
かおりは、この男の目を真剣に見て、また、不躾にたずねた。
「51歳です。飛田社長とは、高校時代の同級生です。」
この男は、かおりの目を見て微笑んだ。
「飛田社長と同級生ですか!イケメン同士、高校時代はモテモテでしたでしょ?2人とも?」
かおりは、目をキラキラさせて身を乗り出して来た。
「そうですね。ふたりの前には女性がいつもいました。飛田社長は、年上に強かったと記憶してます。自分は、年下でしたね。懐かしい思い出ですね。」
この男は、また、ニコッと笑ってかおりのキラキラした目を見た。
「私、お二人のその時代を覗いてみたくなりました。その時代に私もいたら多分、周りの女性たちのひとりだったに違いありません。」
かおりは、目をキラキラさせてこの男の顔を覗きこんだ。
「ありがとう。営業トークでも嬉しいです。最近、かおりちゃんみたいな若い子に言われなくなったから、自分の中では新鮮だな。」
この男は、かおりに最高の笑顔を見せた。
「そんな、営業トークだなんて。失礼しちゃう。私は、私からそう言う男性に好意を持った話はまずしませんよ。赤間川さん。だからしたんですよ。」
かおりは、目を丸くして口をとがらせてこの男目を睨んだ。
「私、今、24歳です。父は、赤間川さんより若いです。でも、赤間川さんは、父より若く見えます。頭の毛は白くてもそう見えるんですよ。赤間川さんには男の色気を感じます。それは、昔から培われたものなんでしょう。私はこの仕事で男性の匂いを感じる事が出来るんです。これはいけない事でしょうけど16歳からこの仕事しています。もう8年ですよ。」
かおりが、この男の目を見てちょっと気持ちを口にして、空となった自分のグラスの中に自分で氷を入れてウーロン茶をなみなみ注いだ。そこで大きく溜め息をついた。
「かおりちゃん。自分も生ビール頼んでもらえますか。」
この男は、空になったビールジョッキを左手でかおりに見えるようにあげた。かおりは、この男が元芸能人だとは、気づいていなかった。
「ごめんなさい!私、話に夢中になってしまって。ホステス失格ですね。」
かおりは、少し焦った表情をした。右手をあげて、黒人ボーイに何も言わず空のビールジョッキを手渡した。しばらくすると黒人ボーイが生ビールを持って来た。テーブルを離れる際、やっぱり会釈は、忘れていなかった。
「かおりちゃん。まだ、24歳と若い君だけど、これは自分の想像の域だけどいろんな体験をしてますね。それは、君の宝物ですね。良いホステスになって下さい。そして、良い女性になって下さい。自分は応援したいと思います。」
この男が、かおりの目を見つめ、いきなり右手で握手を求めた。かおりも笑顔でこの男の目を見つめ右手で握手を交わした。すると先程の黒人ボーイがかおりに耳のそばで一言告げた。
「赤間川さん。私に指名が入りました。今晩は、これでサヨナラです。もっと話をしたかったけど、残念。またの楽しみに取っておきますね。」
かおりは、初めて見せる悲しそうな表情をし、この男の目を見つめた。胸元から名刺ケースを取り出して、名刺に裏書きをしてこの男に手渡した。
「わかった。」
この男は、かおりの目を見て 一言だけ口にした。
「また、会えますよね。」
かおりは、席を立ってこの男の顔を振り返った。この男は、無言で頭を縦に二回動かした。かおりが裏書きした名刺にはメールのアドレスが書いてあった。この男は、生ビールを一気に飲み干した。
2~3分すると今度は、白のロングドレスに身をまとった外国人のキャストが隣に座った。と同時に右手をあげて、黒人ボーイを呼んだ。この男の目の前のテーブルに空になったビールジョッキが目に入ったらしい。
「生ビールでよろしいですね。いらしゃいませ。イブです。初めましてですよね。宜しくお願いします。」
イブは、流暢な日本語であいさつをし、艶っぽい 瞳でこの男の目を見て言葉を続けた。
「私、さっきまで三つ隣の席にいたんですよ。VIP席にかおりさんと素敵な紳士がいるのを横目で見ていました。でも、近くで見るともっと素敵でした。ちょっとドキドキしています。この感覚は、なかなかないですよ。あ~あ。どうしょう。」
イブは、東南アジア系の彫りの深い小さい顔をした美人だった。それが、この男の隣に座ると同時にいきなり思いを口にして笑顔を振り撒いた。
「初めてのお客様にいきなり告白ですね。イブさん。」
この男は、微笑んでイブの顔を見た。
「ごめんなさい。取り乱して、ボーイさんから、VIP席にと言われた時から緊張してあなたと何を話そうか考えていたら、、、。」
イブは、困った表情をしてとりつくろった。
「かわいいですね。今はそれで良いんですよ。思いのままに生きて楽しければね。」
この男は、イブの目を見てまた、微笑んだ。それと同時に黒人ボーイが生ビールを持って来た。イブもテーブルの上のグラスに氷を入れてアセロラを入れてマイドリンクを作った。
「すいませんでした。仕切り直しで乾杯しましょ。」
イブが、笑顔で右手で持ったグラスを前に出した。この男も生ビールの入ったジョッキをそのままイブのグラスに重ねてふたりはグラスに口をつけて。
それからのふたりの会話は、イブちゃんの身の上ばなしが中心だった。イブは、フィリピン生まれの25歳、5人兄弟の末っ子とか、彼氏はいないとかこういう席のお決まりの話題だったが、この男は、イブの顔を見て久しぶり美人を見たと思った。つい、一年前までは、自分の周りに綺麗な女性がたくさんいた事を思い出してこの男は、話をしていた、イブちゃんの目を見て、微笑みを返した。一時間は、あっと言うまに過ぎていた。しばらくすると、閉店間際のチークダンスタイムに入ると場内アナウンスがあった。この店では、毎日恒例のサービスであった。好きなホステスと肌が触れあえると人気であった。
「私と踊っていただけませんか?是非、お願いいたします。」
イブは、ニコッと笑って右手をさしのべた。
「いいですよ。」
この男も、ニコッと笑って右手をさしのべ、手をつなぎ広いホールへと階段を降りていった。ふたりは、左手を背中に、右手を腰にまわして、身体と身体を密着させて、チークダンスを踊った。イブのこの男を見る目に艶っぽさを感じるに気づいていた。その時、この男は、腰のあたりにある右手に力をいれ、イブの身体をいっそう密着させた。チークタイムは、音楽が止まり終わりとなったが、ふたりは、そのまま、じっと動かなかった。
「もっと、続かないかなぁ。この時間。」
イブが、この男の肩の辺りで呟いて、顔を上げて、この男の目を見て微笑んだ。ふたりは、手をつなぎ階段を上がり席についた。
「男と女に歳の差がない事、初めてわかりました。」
イブは、この男の目を見つめた。
「イブちゃん。」
この男は、一言言うと頭を上下に降った。
「あっ!名前聞いていません。舞いあがっていて。」
イブが、慌てた顔をして言った。
「俊。赤間川 俊。」
この男は、イブの顔を見て答えた。
閉店を知らせるラストソングがお店の中に流れた。
「少しの時間だったけど、、楽しかった。あなたとまた、お逢いできますように。私、待ってます。」
イブは、名刺をこの男に手渡して、また、この男の顔舐めるように見渡して笑顔で、手を振りながら席を立った。
お客様の見送りにキャスト達が出口に一列に並んだ。この男も、席を立ち、階段を降りて出口に向かう。今晩、この男の隣に座ってくれた、かおりとイブの前を通った。目は合ったが言葉は交わさなかった。キャスト達の甘い香りが、この男の肩をかすめた。