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運命は世界を見つめる。彼は解答を見上げる。  作者: 鷲見屋 裕真
プロローグ
1/5

0話

「やっぱり! なんか! おかしい!」


 少年はビルとビルの隙間を走りながら、頭から漏れ出る言葉をせき止めることなく流し続けていた。深夜一時を回った頃、本来なら静まり返っているはずの帆掛町大通りに呪詛のような言葉が響き渡っている。ここが住宅街であれば、この喧騒を聞きつけた住人の一人や二人が出てきてもおかしくはないほどの騒音である。しかし、悲しいかな、少年が必死に走るここはビジネス街である。残業中のサラリーマンくらいならいるかもしれないが、明かりが一つも灯らないような路地裏の叫び声を聞き駆けつける者は誰一人としていなかった。


「助けてっ。マジで助けて!」


 少年は紺色のブレザーを身にまとっていた。ズボンは灰色で、ネクタイは臙脂、紺、白の三色が用いられた斜めのストライプ柄。地味すぎず派手すぎない、よくある高校生の制服である。上着の胸ポケットに光る緑色の小さいワッペンは、彼が二学年であることを示すものだ。髪は程よく短く切りそろえられている。どこをとっても普通の学生だ。まあ、強いてあげるとすれば、彼の髪はお世辞にも黒とはいえない茶色をしているが、いまどきの高校生なのだからちょっとくらい髪を染めたくもなるのだろう。至って健全である。目も少し明るい色をしているから、生まれつきなのかもしれない。

 さてここで問題である。推定高校二年生のどこを切り取っても普通な少年が、深夜一時過ぎにビジネス街を制服で駆け回っている理由はなんだろうか。しかも半狂乱で。


「槙夫くーん。西原槙夫くーん。えー、君は完全に包囲されてまーす。大人しく降伏すれば命だけは助けてあげましょー」


死に物狂いの形相で走る少年とは真逆の、呑気な声がどこからともなく聞こえる。スピーカーを使った拡声音が建物同士の間をすり抜ける。その声は少年ーー槙夫よりは高い少女のもので、怪談話をするかのようなおどろおどろしく滑稽な話口調だった。


「……止まれって言ってるのが分かんないかなあ」


先ほどまで機嫌の良さそうだった声色が若干の苛立ちを含む。もちろんそれもスピーカーを通して槙夫の耳に届いており、思わず冷や汗を流した。


「ああ、クソ、クソッ」

「往生際が悪いよっ? 追いかけっこだって大変なんだからね……。ねえ、マジでもう止めよ。アタシ疲れた」


深いため息と、低くなる少女の声。彼女が言い終わった直後、ブツリと何かの電源が切れる音がした。マイクの電源を切ったのだ。

少年は、追いかけられていた。それもかなりしつこく、心身ともに疲弊するまでつきまとわれていた。突然追跡を諦めたかのような行動を不審に思いながらも、槙夫は走り続けなければならなかった。ここで足を止めれば、命の安全は保証できなかった。


「グガッ!?」


無理やり体を叩いて駆け続けていた槙夫は、何かの拍子に立ち止まり、仰向けに転がった。足が絡まったり、何かにつまづいたりしたわけではない。それなら前のめりになるはずだから。では、何が彼の行く先を阻んだのか。

肩で息をしながら槙夫は目の前を見上げた。目の前には何もない。否、やはり背の高いビル群が所狭しと並んでいるのは変わりないのだが、もっと近くの話である。槙夫は、目に見えない壁のようなものに頭からぶつかってしまったのだ。


「なん……なんだ……これ」


彼の声は息も絶え絶えで今にも気絶しそうである。休みなく走り続けたため酸素が足りていないのだろう。頭を壁にぶつけたダメージも深そうだった。


「まーきーおーくん。追いかけっこ、楽しかった?」


奇妙な声が耳に届く。マイク音声ではなく、肉声だ。背筋が凍る。優しい口調だが、悍ましさを孕んでいる。男のようで女のような、アンバランスな声だ。


「いや楽しくはないよね……。だって高校生だもん。もうこんなごっこ遊びじゃ満足できないよね。分かる。アタシも高校生だし。アタシたち結構気があうかもね!」


テンションも低いんだか高いんだかよく分からない。とにかく掴み所のない少女が、背後に立っている。それだけで恐怖を煽るのには十分だった。少女は演説とともに一歩ずつ近づいてくる。恐らくローファーか何か、音がなりやすい靴を履いているのだろう。歩くたびに靴底が小さく鳴る。


「だから、次は話し合いをしよ。ここはひとつ頭を使って、お互いの理解を深めよう」


また一歩、一歩と近づいてくる。うずくまっているのは限界だった。槙夫は決心する。あと三歩、近づいて来たら振り返ろうと。


「そんでさ!」


一歩。


「協力して」


二歩。


「アタシたちの夢に」


三歩目はなかった。少女はそこで立ち止まった。拍子抜けしたのか、槙夫は自分の周りがふっと軽くなったような不思議な感覚を体験した。気が緩めば反応速度も遅れる。槙夫は、少女がワンテンポ遅れて踏み出した三歩目に反応することが出来なかった。

 しまった。口の中だけで反芻した槙夫の声は、実際に音となって誰かの耳まで聞こえることはなかった。少女が四歩目を踏み出す直前に振り返ると、目と鼻の先に、歪んだ顔が晒されていた。


「今、しまったって思ったでしょ? 分かるの。アタシ、分かるんだから……!」


 怒っているとも、喜んでいるとも、悲しんでいるとも言えない表情が視界を埋め尽くしていた。その不気味な顔が乗っかった身体は白くて華奢だ。黒地に白いラインが入ったセーラー服を着ている。少女は何も持っていなかった。しかし、差し向けられたその表情が、槙夫に恐怖を与える。どこからともなくやってくる死の恐怖を。


「大丈夫。きみは協力するだけ! 協力してくれたらそのあとはいい地位を約束するよ。特別待遇だよ? まあ、アタシが用意するんじゃないけどね」


 少女の言っていることはもはや意味不明だった。彼女としては話し合いをしているつもりなんだろうが、槙夫にとっては恐ろしい言葉の羅列のように聞こえてならなかった。会話は完全に成り立っていない。そもそもお互い会話をしようという意志がなかった。槙夫はというと、これから己の身に降りかかることから目を背けるため現実逃避に走っている。


「……沈黙はイエス! じゃあついてきて!」


 驚くほど爽やかに見切りをつけ、少女は夢の国に誘わんとばかりに右手を差し伸べた。伸ばした指先が槙夫に触れる瞬間、真っ白な稲光が弾け、バチンと鋭い音がした。次に少女の腕が肩ごと後ろへ吹き飛ばされる。慌てる暇もなく、少女は呻き声を上げながら指先を押さえた。あとには、肉の焼け焦げたにおいと煙だけが残る。


「いたわ」


 小さく呟いたのは、目の前で痛みに耐えているのとはまた別の少女である。声が聞こえたと思った刹那、今まで何もなかった槙夫の背後に人が現れた。例の透明な壁の辺りから。二人は男で、その間に立っているのが女だ。


「あ……」


 女の顔を見た瞬間、槙夫は目を丸くする。まるで、思いもよらぬ人物と再会したかのような表情だった。槙夫と目を合わせた女は、にこりと笑って言う。


「よかった、間に合って。まだ手遅れじゃないわよね?」


 先ほどの少女の声だった。

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