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厳冬:破綻・上

【前回までのあらすじ】


 名も知れぬ村に続き、王国北部国境沿いのドノスティアにおいても勇者は奇跡を起こした。

 その報が王国を揺るがした一方で、勇者パーティらも兄勇者の行方知れずの報に揺らぐ。

 すでに終わりの見えた旅は、冬に至り、そして。


 大陸に、忌むべき冬が来た。

 南方に位置する王都近郊は初冬から雪が降り始める。厳冬にあっては時に道も閉ざされるほどの豪雪だ。日頃人いきりの絶えない王都の市であっても、夕刻にあっては人通りが尽きる。何かの拍子で居場所を追われた物乞いが、街の片隅で朽ちるように死んでいる。そんな季節だ

 そんな冬の苦難も、温暖な北部にあってはいささか和らぐ。だが、それも南部に比べれば、という話に過ぎないらしい。

 特に今年の冬は、始まりからして冷え込みが早く、初雪も異例なほどに早かった。ドノスティアで見たあの日の初雪は、例年よりも一月も早まったものだったと聞く。

 積雪によって旅路が阻まれることは、今のところない。だが、際どいところを行っているのは間違いなかった。

 終盤に差し掛かった旅路は、しかし、いささかの立ち止まりをも許されない状況にあった。


 そんな忌むべき冬に押しつぶされ、耐えかねたように。

 勇者パーティには亀裂が入り、見るも無惨に壊れかけていた。




 それは、弟君の言葉から始まったのだった。


「あのさ」


 なんでもないかのような口振りで、弟君は言ったのだ。


「ここからは西に行きたいんだけど」


 それは、目的地である公都ビルボまでいま少しに差し迫った頃のことだった。

 いつもの朝の、逗留先での旅程の確認。大陸公路を道なりに進むだけの、その確認以上の意味などないはずの、そんな話し合いの折りだった。

 そんな場での突然の発案に、私も、レスカも、カストロも揃って困惑した。


「……勇者殿。目的の公都は東にありますぞ。ここから西に進んでどうします」

「冬至も迫っております。寄り道をするには、少し時期が悪いかと」


 カストロと私の説得に、レスカもややあってからうなずいた。


「西は……いけませぬ。勇者殿、どうかご翻意を」


 かすれたような声で乞うレスカに、弟君は「大丈夫だよ」と安心させるようにうなずいて見せた。


「レスカが心配するのはわかるけど、大丈夫。レスカは厳しいだろうし、来なくても構わないよ」

「そういう、わけには……」

「大丈夫大丈夫。カストロとローザもしんどいようなら来なくて大丈夫だからね。僕一人ででもなんとかするよ」


 再び、カストロと私は戸惑っていた。

 一人で行こうとしている弟君は、こちらに気を配って言っているらしい。だが、その含意が伝わらない。


「いえ、その、勇者殿。公都では予定通り冬至に祝いの席を設けます。それに間に合わせねば」

「え。そうなの? 延期してないの?」


 と目を丸くした弟君は「なんだってまた」とつぶやいた。


「例年は遅らせることも間々あったのですが、此度は、その、なにしろ本物の勇者殿がおられるのですからな。さすがに、やむにやまれぬ事情でもなければ延期はできませんな」

「ああ、なるほどね」


 カストロの説明に、弟君はようやくうなずいた。

 唐突な提案に面食らっていた私とカストロは目配せして、胸をなで下ろした。

 ここで、遅滞するわけにはいかないのだ。

 それというのも、ドノスティアでの奇跡が多方面において影響を及ぼしていて、いかんともしがたい雁字搦めの状況を生んでいたのだから。


 名も知れぬ集落における川渡りに続き、ドノスティアでの湧き泉掘り。

 弟君が起こしたこうした事態は想定外のことであり、それだけにいくつもの問題を引き起こしていた。カストロが危惧していた通りに、である。

 特に王権派は面食らっていた。勇者という存在を完全に見誤っていたと言っていい。それゆえに、これらの事態によって王権派は「これほどの力を持った勇者に何もさせなかった」という大きな負い目を負うことになったのだ。

 当然、王国の要請により勇者パーティを素通りさせた街々は、王国を突き上げた。なにゆえドノスティアだけがあれほどの恩恵を受けたのだと。この補償はどうしてくれるのだと。

 さらに厄介なことに、ドノスティアでの事態は王国をも巻き込み(この点、弟君が言うようにドノスティアの領主はよほどやり手だったらしい)、勇者事業への国費割り当てだけでなく、国費の一部を投資として回す必要が出てくる事態となっていた。

 貴族派にとっても大公の影響力が強い微妙な地域での出来事だけに無視できず、勇者が関わる事態に王院もまた支援を強いられることとなった。

 三派が互いに様子見をしながら、投資を行っていく。そんな三竦みがここでも繰り広げられている。

 こうなれば、さらに突き上げは強くなる。ならざるを得ない。どうしてドノスティアだけが優遇されるのか、というのは当然の声だろう。


 こうした事態を詳らかにして、王都からの連絡を伝える密使は私を脅した。

 勇者の放恣を許すなと。此度の件も、追って沙汰を伝えると。

 国内政治に大きく影響を与えた事態は、それを引き起こした勇者と、その事態を止められなかった勇者パーティの付け人に恨みを向ける結果となったのだった。

 派閥からの締め付けが強くなったという点では、貴族派のカストロにせよ、王院派のレスカにせよ、立場はそう変わらないだろう。窮状にあると言って過言ではない。

 それぞれ立場は違えど、いまはとにかく冬至の祭りに合わせて公都にたどり着くこと。これ以上の厄介事を作らず、つつがなく旅路を終わらせることは至上命令となっていたのである。

 そうした苦境にあっては、さすがに勇者の言葉と言えど、そうそう旅路の変更など許される状況ではなかった。


「とにかく、いまは公都を目指すことを第一に考えてくだされ。勇者殿が西に用向きがあるのでしたら、それはその後と致しましょう」


 取り乱した様子を見せないカストロであるが、内心ではよほどホッとしていることだろう。

 言い聞かせるようにゆっくりと弟君に声を掛けた。

 だが、弟君は軽く笑って、拒んだ。


「無理だよ。それじゃあ間に合わない。西には行くから」


 それは勘違いの余地のない、意思表示だった。

 私とカストロが言葉を尽くして説得に当たるも、弟君は西行の意志を頑として曲げなかった。

 ここまで頑迷な姿は初めて見る。

 私は次第に、どうしていいのかわからなくなってしまっていた。


「レスカ殿も、説得してくださらんか」


 言葉少なだったレスカへと、カストロは頼んだ。埒が明かないと、三人での説得を望んだのだろう。

 レスカは暗鬱な表情でうなずき、重い口を開いた。


「勇者殿……」

「うん」

「二人はわかっておらぬのです。そも、誰もが、わかっていなかった。ですから」

「うん」


 途切れ途切れに語るレスカは、青ざめた顔で口元に手をやった。


「ですから、許してやってくだされ」


 それだけ述べると、レスカは力無く身を崩して、床に倒れ伏した。

 ゴボッと言う鈍い音が響く。慌てて寄れば、ほとんど消化されないまま残っていた朝食が吐瀉物となり、床にばら撒かれていた。それでもえづきは止まずにいる。

 体を折り曲げてその身を抱きかかえ、耐えるようにレスカは弱々しくその身を震わせていた。

 私と同じく寄っていたカストロに、弟君は声を掛けた。


「カストロ。悪いけど、館の人に言って白湯と着替えを用意してもらって。水の張った桶と、掃除道具もお願い。ローザはレスカが落ち着いてから着替えを手伝ってあげて」

「わかり申した」

「はい」


 突如の事態に、だが弟君は取り乱した様子を見せず指示を出す。私とカストロもひとまず説得を脇に置いて動き出した。

 飛び出していくカストロを横目に、弟君はレスカの傍らに寄った。吐瀉物で汚れた身を布巾らしきもので拭ってやって、手を握る。そして、優しく声を掛けていた。


「レスカ。大丈夫。大丈夫だから」




 ――憂鬱だ。本当に。

 つい、兄君を「違え人」の跋扈(ばっこ)する森に追いやったときのことを思い返してしまう。私にはいかんともしがたい、このどうしようもない事態に、私はあの時を思い返すほどにただただ気を落としていた。

 急がねばならない。レスカの昏倒で旅が滞るだろうことを思えば、なおさら急がねば、冬至の祭りには間に合わない。

 そう、なおさら、弟君が言うような西行など、できるはずもなかった。

 説得しなければならない。だが、どう説得していいかわからない。

 いや、むしろ、あれほど強く言う勇者の言葉に反することが正しいのかどうか、そのことにそもそも疑問すら湧いてくる。我々は勇者パーティなのだから。だが……。

 やがて、領主の元へ逗留が延びることを謝りに行っていたカストロが帰ってきた。

 部屋の前で、暗鬱に立ちすくんでいた私に問いかける。


「勇者殿とレスカ殿は中ですかな」

「ああ。レスカも、いまは静かに眠っている」


 えづくのが収まってから、私は吐瀉物で汚れてしまったレスカの衣服を取り替えた。そのときになってようやく、私はレスカが恐ろしいほどの高熱に冒されていることに気がついた。

 弟君は最初から気づいていたように、手慣れた様子でてきぱきと看病を進めた。

 濡れたタオルで頭を冷やし、寝台で寝かしつけながら、時折安心するように励ましの声を掛け、手を握ってやる弟君。

 私にはできることがなかったから、部屋の外でカストロを待っていたのだった。


「しかし、突然でしたな」


 そう言って、カストロは外の景色を窓越しに見やる。私もつられて、窓の外を見やった。

 領主宅の庭は冬枯れの姿で、庭園を彩るはずの花々は一本も見えない。例年にない厳しい冬が影響しているのだろう、冬の花も姿を見せていない。

 ところどころ剥きだしになった地面に、曇天からこぼれ落ちてくる粉雪が少しだけ雪化粧を施しては消えていくような、そんな有様だった。


「やはり、長旅の疲れが溜まっておるのでしょう。むしろここまで、よく何事もなかったと見るべきですかな」

「旅慣れない僧侶に、この強行軍なら、仕方があるまい」


 半ば上の空で、状況をなぞるように口々にそう言う。突如の事態に浮き足だったままの会話だったが、そこに嘘はない。

 よくよく考えれば、春先こそ順調だった旅路は、秋から塞がれることが多く、この頃はもうずっと急ぎ足だった。

 時に雨にも散々に打たれながらの旅路である。ろくに旅の疲れも癒せぬまま次の街へと旅立つ、そんなことの連続だったのだ。ここに来て疲れが出ても仕方がない。

 しかも、そんな強行軍ができたのも、獣を払って寄せ付けぬレスカの力があってこそだったのだ。

 旅の前には、僧侶らの言う「理」などというものは眉唾に思っていたが、露宿であってさえ一度も鳥獣に襲われることがなかったのだ。その力には敬服するほかない。

 この期に及んで、彼女が代えの効かない存在であったことを再認識する。


「やはり、『理』なる力は、消耗を強いられるものであったかな」

「でしょうな。レスカ殿は弱みを見せるようなお人ではない。耐えておられたのでしょう。長旅の疲れに、休むことの許されぬ日課の獣除け。消耗し、体調を崩すのもやむを得ぬことです」

「代わりの人員でもいれば良かったのだが」

「レスカ殿ほどのお力を持っている者が他にいれば、というお話ですかな? 僧侶らの力は年々衰え、『理』を知る者も減る一方。レスカ殿ほどの力の持ち主は他にはおりませぬ。彼女の存在でさえ奇跡と言われておるのです、高望みはいけませんぞ」


 そうなのか、と私が驚いて問えば、カストロは苦笑いしながらうなずいた。


「ローザンヌ殿は、いささか事情にうとすぎますな」

「……すまぬ」

「まあ、事情に詳しすぎるのも、それはそれでまた好ましくないと、王権派はそうお考えなのでしょうが」


 つぶやかれた意味深な言葉に、私は改めてカストロを見る。

 だが、カストロは「余談が過ぎましたな」と、あっさりと話を変えた。


「しかし、それにしても、どうしたものやら」

「それは、旅路のことか?」

「無論。勇者殿があそこまで頑なですと、いかんともしがたい」


 苛立ちを見せるでもなく、いつものように愛想の良い人好きする表情で話をするカストロ。

 そんな彼に、私は素直に訊いてみることにした。


「勇者殿があそこまで仰るのだ、西行には理由があるのだろう。カストロ殿はそのことをどう思われるのだ」

「それは間違いなく。何かあるのでしょう」


 とうなずく彼だったが、「しかし」と続ける。


「今の情勢を思えば『何か』では動かせませぬ。余程のことがあったとしても、予定は変えられませんな」

「それも、そうだが」


 ためらいながら、私は正直に述べた。


「私は、勇者殿がああまで言う以上、それを叶えることが勇者パーティのあるべき姿だと思うのだ」

「ほお」

「動かしがたい状況はわかっているが、どうにかならないかと考えてしまう。この考えは誤りなのだろうか」

「不躾ながら、正直に答えてよろしいですかな?」

「ああ」


 カストロの表情は変わらなかった。口調もそのままだった。


「正気とは思われませんな。貴女はご自身の立場というものを本当に理解しておられるのか」


 だが、口から出た言葉は辛辣極まりないものであった。


「良いですか、予定通りに進めねばならぬのは、他ならぬ貴女なのですよ。その通りに進めてさえ、以後のことが心配されるお立場だ。あるいは、事後に近衛からの除名さえありうるのです」

「…………」

「それほど切迫した状況なのです。このパーティを主導するのは貴女だ。パーティの責任を一手に担うはずの貴女が、こんな状況にあって、予定を変えられぬかと考えるなど、狂気の沙汰だとしか言えない」


 無言のまま見つめる私を、カストロは諄々(じゅんじゅん)と説き伏せ、揚げ句にため息さえもらした。


「勇者殿を翻意させる前に、ローザンヌ殿、貴女の翻意を促さねばならぬとは。さすがに呆れましたぞ」

「……済まぬ」


 ただ頭を下げた私に、カストロは言葉を続けた。


「いま一度申し上げる。誰よりも予定通りに進めねばならないのは貴女だ。そのことを自覚してくだされ」

「ああ。わかった」

「なにも一人で説得せよと言っておるのではないのです。自分も微力を尽くします。ですから、ローザンヌ殿も腹を括ってくだされ」




 ――だが、その後の説得も失敗に終わった。

 言葉が届かないのだ。弟君は言を左右にして煙に巻いているのではない。ただただその決心が固く、私とカストロにはその結び目を解きほぐす術が見当たらなかったのだ。

 代替案として、代理で誰か、私やカストロを西に送るのはどうかと問うた。

 きょとんとした弟君は一言、問い返した。それにどんな意味があるのかと。

 私とカストロは言葉に詰まる。意味など、わかるはずがない。なぜ西に行かねばならぬのかすら、ろくにわかっていないのだ。

 弟君は急に苦笑いを浮かべて、言葉を続けた。


「ああ、うん。そっか。つまりね、勇者が西に行かなきゃ意味がないってことだよ」


 そうして弟君はつぶやいた。兄さんがいればまた別だったんだけど、と。

 それは、責めているものではなかった。だが、それでも私の胸には、旧悪をなじられたような鋭い痛みが走っていた。

 口ごもった私に代わって、カストロが説得を続ける。

 公都での祭りは伝統的なもので、どうしても執り行わなければならないものなのだと。勇者召喚における最も大事な局面なのだと。


「でも、それは、国にとって大事って話だよね?」


 と弟君は首をかしげる。


「勇者は、この国のためにいるわけじゃない。そのために召喚されたわけじゃないし、そんなために旅してきたわけでもないんだけど、まさかそのこともわかってなかったの?」


 私とカストロの表情を順々に見て、弟君は「なるほどね」とため息をついた。


「道理で、兄さんを追い出そうとしたりするわけだ。本当に何もわかってなかったのか」


 その瞬間、確かに、壁ができた。そのことだけはわかった。

 弟君は「そろそろレスカの様子を見ないと」と席を立った。説得の場となった隣室に、私とカストロは置き去りにされる。

 そして、去り際に、


「兄さんは文句一つ言わずに出て行ったんだろうけど。僕はね、別にさ、兄さんを追い出そうとした件のこと、納得してるわけじゃないから」


 と弟君は言った。

 そのことにハッキリと言及したのは、初めてだった。付け足された、こちらを思いやるような言葉がむなしく耳朶を叩いた。


「カストロやローザに恨みはないけど、この国に義理立てするつもりはないよ」



(下に続く)

【冬の夜と僧侶の夢】


 重い病態に、レスカはどこかで諦めを覚えていた。この北の大地の様は、己が想像していた程度のものとはかけ離れて重篤だった。

 息一つする度に、内奥にまで毒気が染み込む。それは、疲れを溜め、気すら弱っていたレスカにとっては致命的なものだった。

 死への恐れさえ、衰えていた。もうずっと前から、彼女は心が挫けていたのだ。


 高熱に浮かされるレスカには、それが夢のことか、うつつのことか、判断することができない。

 ただ、弟君が手渡してくれたものだけは、確かに受け取っていた。


「これ、持っておいて」


 手渡されたのは、ペンダントだった。薄汚れた北の大地にあって、その装飾具が放つ光はまばゆいもので、夢うつつにあってさえ、レスカは思わず身を震わせた。

 なんたる神気。慄然とし、怖気すら走った。

 だが、それはどこか懐かしい匂いも伴っていた。

 勇者殿の匂いだ、とレスカは直感した。

 弟君が貴重な品を授けてくださったことに、ありがたいという思いだけを抱きながら、レスカはすっと意識を手放した。

 死への恐怖はなかった。必ず勇者殿が守ってくださると、そう信じた。


 それゆえに、レスカは夢幻の中で勇者と出会ったときに、それは当然のことと思った。


「勇者殿……」

「――レスカ?」


 不思議そうに問いかける勇者を見て、レスカはどこかおかしく、くすくすと笑ってしまう。

 彼の姿はあまりに自然で、生身であるかのように思えてしまうほどに生々しい。己の心が生み出した夢幻の、その精確さが、おかしかった。

 何を話したかは、あまり覚えていない。夢ならば、それも当然だろうとレスカは思う。

 だが、確かに、己が身を勇者殿が守ってくださったのだとレスカは確信した。




【冬の明け方と騎士の暗躍】


 夜明け方に、カストロはレスカの部屋へと赴いた。

 扉の前で、静かに語りかける。


「勇者殿。このような折りに済みませぬ」


 音を立てずに扉が開く。するりと弟勇者は現れた。


「大丈夫。レスカも容態は安定してるから。っていうか、もうほとんど快復してるよ」


 当然のように、弟勇者は問いかけた。


「で、カストロは表の掃除?」

「はい」

「それなら、表口から始めた方が段取り良く進むと思うよ」

「なるほど、そうですな。確かに」


 うなずいてから、カストロは不意に顔をしかめた。


「本当に、このような折りに、申し訳ない次第で」


 心底恥じらって、カストロが頭を下げる。

 弟勇者は小さく笑った。


「気にしないで。こういうものでしょ。危機的状況でみんなが一丸になって対処するなんて、そんなの夢物語だよ」


 そう言って許してくれる弟勇者に、カストロは再び頭を下げた。

 朝食には遅れる旨だけ伝えて、カストロはひっそりと表口から出て行った。


 カストロは勇者召喚において勇者役を拝命していたが、それはただただ単純に南都騎士団の中で最も実務経験に長けていたがためだ。いろいろと詳しく、知り合いが多いこともあったが、そちらは余録である。

 であれば、南都から遠く離れたこの地に派遣された程度の汚れ役などは、物の数でもない。

 この期に及んで、なぜ、と問いかけたのは、ドノスティアでカストロを唆(そそのかし)したあの連絡員だった。

 カストロが彼ら側の意を汲んでいるものと信じ切っていたのだろう。

 カストロは答えなかった。必要を感じなかったためだ。


 そうしてカストロは、掃除を済ませてから、朝食の席へと向かったのだった。


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