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仲秋:秋の長雨と、名も知れぬ集落での弟勇者の奇跡・上

 順調だった勇者パーティの旅も、仲秋にいたって困難に見舞われた。

 秋雨である。


 雨中にあっても旅を進めたい思いはやまやまである。だが、道のぬかるみや川の氾濫はよく整備された大陸公路であってもいかんともしがたく、雨足が強まれば視界も塞がれる。とても旅を進められる状態ではない。当然、雨に濡れるパーティと馬車馬の体力も心配されるところだ。

 すでに召喚当時の不調などみじんも感じられない弟君ではあったが、それでもさすがに体調が心配される日々であった。


「そんなに心配してくれなくても大丈夫だよ」


 と弟君は言うが、そうもいかない。

 私やレスカ、カストロのような付け人とは違って、代えの効く話でもないのだから。




 ある仲秋の日の昼下がりのことである。

 道なりに林立した木々の内、ひときわ大きな一本の下に停車しパーティは一休みしていた。

 昼までは薄明るい中で小降りだった雨も、気がつけば雨足が強まって大雨となり、間もなく黒雲で空が覆われた激しい雷雨となっていた。


「やれやれ。こうも雨続きではいかんともしがたいものですな」


 馬車に入ってきたカストロは外を眺めやりながら、額を伝う雨水を拭った。その横顔を稲光が照らしている。

 幌の付いた馬車内はともかく、御者を務めていた彼は、この豪雨の中で雨ざらしだったのだ。外套での雨除けも気休めに過ぎず、拭布の一つや二つではいかんともしがたい濡れ鼠である。

 せめての思いで、私はねぎらいの言葉をかけた。


「いやいや。ローザンヌ殿のようなご婦人にこのような雨中での御者を任せるわけにもいきませんからな。これも男ゆえの、致し方ないところでありましょう」


 と明るく笑う彼に、私は頭を下げた。

 貴族派の騎士である彼と王権派である私とでは立場が違う。それでもこの旅にあって、彼と対立することは多くなかった。むしろ、第三司教区での一件以外には覚えがないぐらいである。

 常に親身と言っていい態度で接してくれている彼は、こうした労苦も進んで引き受けてくれる得難い人であった。


「お疲れ、カストロ」

「おお、勇者殿。これはありがたい」


 と、弟君はねぎらいとともに湯気の立つ杯を手渡した。手早く脱いだ鎧を入り口に置いたカストロは、美味そうに口を付ける。

 次いで、弟君は私にも手渡してくれた。熟した果実を思わせるような甘みが鼻をくすぐってきた。


「……これは」

「道で摘んだハーブのお茶だけど、におい、気に入らなかった?」

「いえ、そのようなことは決して。ただ、湯はどうしたのかと」


 馬車内に蓄えてある飲み水を使ったのはわかる。だが、大木の下にあっても、雨足の強いいまはろくに馬車から出られないのだ。火を焚くことなどできようはずがないし、そもそも薪を拾い集めることからしてできるはずがない。

 不思議そうな私に、弟君はくすくす笑って答えた。


「それは、秘密」

「は、はあ」


 弟君は時折、このようなことを口にする。思えば、兄君もそうであったか。

 勇者方が住まう地には我々の見知らぬ火起こしの術でもあるのかと首をかしげて一服するうちに、馬車に入ってくる者があった。僧侶のレスカであった。

 すかさず弟君は薬草茶を手渡す。次いで乾布も手渡した。


「レスカ、はい」

「これはかたじけない」

「いや、そっちこそ、お仕事ごくろうさま」


 頭を下げるレスカに、弟君も頭を下げた。

 停めた馬車から出たレスカは、獣除けの処置を行っていた。この処置は、なにやら得体の知れぬ力(王院はこれを「理」の力と呼んでいる)を行使する僧侶にのみ行いうるものだとかで、旅の安全を守るための重要な仕事の一つである。

 身仕舞いを整え終えた二人が周囲に異常がない旨を述べてから、改めてパーティは今後のことを話し合う会を持った。


「この調子では、車中泊もやむをえんでしょうなあ。にっちもさっちもいかぬ雨勢ですぞ」

「雨は、もうすぐ弱まるよ」


 と断ずるのは弟君。空読みは勇者としての能力のようで、こんな風に時折口にする。そして、口にしたときは必ず的中していた。

 弟君の予見を受けて、一同は地図を眺めながら一考した。


「次の目的地はここ、サルバティエッラ。しかし、雨が引いてから進んでも、今日のうちにここまでたどり着くのは難しいだろう」

「そうでしょうな。まだまだ一刻二刻でたどり着ける距離ではありますまい」


 順調ならば問題ないはずだった。小雨でもその予定を押し進めるつもりだったのだ。だが、ここに来て、想定以上に強まった雨勢に予定が壊されてしまった。

 秋に入ってからは、これまでの好天続きとは打って変わって、いぶかしく思えるほど天候が不安定である。

 できれば旅を少しでも進めたいが、しかし、秋も深まったこの頃は夜の冷え込みもいたく厳しい。雨風をひとまずは避けられるこの場にとどまるのもまた選べる道だ。

 私は自分でも気づかぬうちに、弟君の方に視線を向けていた。


「なに?」

「……い、いえ」


 私は口ごもり、ごまかした。しかし、


「ローザンヌ殿は勇者殿の体調をおもんぱかっておられる。雨風を確実に避けられるここに止まるべきではないかと悩んでおられるのです。所構わず野宿をするにはいささか厳しい季節になってきている、それは確かでありましょう」


 とレスカが暴露する。思わずにらみつけるが、一瞥を返しただけでレスカは黙殺する。

 弟君は苦笑して、言った。


「ローザは少し、心配のしすぎかな。もう本当に、体は大丈夫だよ」

「パーティを指揮する者としては当然の心配りではありますぞ。まあ、いささか過剰ではありますが」


 とカストロも、擁護するようでいて追い打ちをかける。

 私が閉口しているうちに、カストロが話をとりまとめた。


「確かに、この木の下であれば雨風もいささかは防げましょう。ローザンヌ殿のお考えを採って、今日はここで旅を止めて明日改めてサルバティエッラを目指す、という旅程ではいかがですかな」

「でも、正直、遅れてるよね。急がないといけない」

「それは、まあ」


 弟君の指摘に、カストロは口ごもった。思わず、といった様子で顎ひげを撫でている。

 事実、雨続きで旅程に遅れが出始めていた。こうした事態も折り込み済みの旅程ではあるが、それにしても秋に入ってからの執拗な雨によって、少しずつ余裕が削られている。

 いかに北部が南部よりも温暖であるとはいえ、冬至も近づけば寒さは厳しくなり、雪によって悪路となる道とてあることだろう。万が一、大陸公路が積雪で閉ざされたならば一大事であり、旅は困難を窮(きわ)める。

 冬至に公都で行われる予定の儀式が延期されるのはともかくとして(そうした出来事は元来珍しいことではない)、旅が困難になるのは不味いことだ。下手をすれば、とんでもないところで立ち往生しかねない。

 いまのうちに少しでも旅を進めておきたい、というのは正直なところではある。


「しかし、逗留先の目先がないというのも……」


 と、カストロは眉根を寄せた。

 無理をして進めても、その無理は後から響いてくる。それもまた事実だった。もし馬車馬が道半ばで倒れでもしたら、本当に立ち行かなくなる。


「じゃあ、こっちにあるドノスティアって方に進むのは? サルバティエッラの次に行く都市だったよね。行けそうにも見えるけど」


 と弟君は地図を指さす。直線距離で見れば、サルバティエッラよりは近い都市だ。

 だが、私は首を横に振る。


「勇者殿。確かにドノスティアの方が地図上は近い。しかし、土地勘のない我々が道から外れるのは、自死に等しい行いです」


 私はそう諭した。

 その地の地理に明るい者の先導があるときは別だが、そうではないときに道から外れれば、元の道に戻ることさえままならぬ。間道があれば別だろうが、ならされていない地面を馬車で進むというのも厳しい。


「勇者を迎える都市の面目もありまする。進む道の変更は難(かた)きこと」


 とレスカが付け加えた。弟君は「なるほどね」とうなずく。

 だが、私は渋い顔をした。生臭い政治の話だ。年若な弟君にそのような話題を聞かせることに、私は以前から賛同していない。

 私はそのことを咎めようとした。しかし、それより先に、レスカが話を続けていた。


「地図には記されておりませぬが、このあたりに集落がありまする」


 と指さしたのは、何も記されていない森林帯の一角だった。


「そこであれば、たどり着けましょう。都市のごとき歓待は望めませぬが、雨風を避ける程度のことならば障りはありませぬ」

「野宿とは比べものになりませんな。自分はレスカ殿の提案に賛成しますぞ」


 と即座にカストロがうなずいた。

 それは確かに、手放しにうなずけるような理想的な提案だった。だが、あまりに理想的に過ぎる。私は、不審げにレスカを見やった。


「その話、まことなのか?」

「無論」

「そこまで馬車を進めておいて、ろくに雨宿りもできぬような廃村であった、では笑うに笑えぬぞ」


 辺境にあっては珍しいことではない。廃村にはぐれの「違え人」が住み着いていた、といったことや、場合によっては盗賊団のねぐらになっているようなことさえあるのだ。

 私の懸念を、レスカは鼻で笑った。


「心配無用である」

「その言葉、確かなのだな」

「ここなるは故地」


 地図を指でなぞって、付け加える。


「文のやりとりぐらいしておるわ。心配召されるな、ローザンヌ殿」




 弟君の予見の通り、雨勢は間もなく弱まり、小雨の中で旅は再開された。

 旅路に戻ってから、私はレスカに抗議を入れていた。寄れる故郷があるのなら、なぜもっと早くに提案しなかったのか、と。

 レスカは皮肉げに当てこすった――「ゆかりの地に立ち寄るのが気に食わぬ者がおるではないか」と。

 いまとあのときとでは状況が違うではないか。憤然と口を閉ざした私に代わって、何やら道で拾ったらしい種を鉢の中ですりつぶしていた弟君が口を開いた。


「レスカはこっちの出身なの?」


 レスカはうなずいて、答えた。


「故地の名もなき僧院を出て、第三司教区で奉公したのです。そちらで推薦を受けて王院に参った次第」

「なら、こっちには詳しいんだね」

「居ったのも一回り前のことですから、詳しいとは言いかねますが」


 となんでもないように応えるレスカに、弟君は首をかしげた。ついで、こちらを見る。


「ローザ、一回りってどれくらい前なの?」

「王国では、十一の年を重ねて一回りと言います」


 質問に答えてから、改めて驚いた。十一年前に司教区に奉公して、王院に上がっただと?


「じゃあ、レスカはずいぶん幼い頃に王都に来たってわけだ」

「奉公に上がったのが五つを数えた折り、王院に上ったのが七つでありますな」

「へえ。神童ってやつだったんだ」


 そう言って目を丸くしている弟君以上に、私は驚いていた。

 王院で司教補という高位にあって、それに似つかわしくないほどに年若なレスカが将来を嘱目(しょくもく)された存在であることは理解していた。だが、ここでの話は、そんな認識すら甘く思えるほどの衝撃があった。まさしく、神童ではないか。

 私が向けた視線には目もくれず、なんでもないかのようにレスカはうなずいていた。


「神童と申されますか。なるほど。で、ありますな」

「あはは、そこでうなずくんだ」


 きゃっきゃと手を叩いて笑う弟君は、話を続けた。


「僕と兄さんの故郷ではね、こういうの、故郷へ錦を飾るって言うんだ。上京した人が、色鮮やかな着物で着飾って故郷に凱旋する。立身出世してからの里帰りってわけだ」

「綺羅を着飾るどころか、水浴びもろくにできぬ旅路ですが」

「だよね。まあ、でも、それはしょうがないよね」


 忌々しげに語るレスカに、弟君はすり鉢へと見知らぬ薬草を放り込みながら応対していた。

 ようやく驚きの納まった私は、少しばかり意外な面もちで二人の会話を眺めていた。

 確かに、兄君がおられた頃は会話をする様も見られたレスカだが、近頃は、話す姿などめっきり見かけなくなっていたのだ。

 てっきり寡黙な質だと思っていたが、なかなかどうして、楽しげに話しているではないか。笑みの一つも見せないでいるが、これがレスカなりの談笑なのだろう。


「ならば、おぬしの郷里に少しばかり逗留してみるか?」


 気遣いで、私は提案した。息抜きも必要だろうと。

 レスカは蔑んだような目で私を見た。


「旅路の遅れを知らぬのか」

「む……」

「そもそも、地方の集落に長らく逗留なんぞして、冬越しのための食料を供せしめるなど、厚かましいにも程がある」


 この愚か者め、と言わんばかりのレスカに私はいたく立腹したが、弟君の仲裁を受けてどうにかこうにか自分を鎮めた。

 レスカはどうも、人によって態度が違いすぎる。頭の痛い話であった。




 大陸公路を外れて間道へ入ってからはその都度レスカの指示を受け、夕闇の迫る頃には勇者パーティは集落へとたどり着いていた。

 ちょうど雨足が強まり始めた頃合いで、なんとか間に合ったといったところだろう。


「僧院の裏に厩(うまや)があったはず。駐められるよう、話をつけてきます」


 集落を囲んだ牆壁(しょうへき)の前で馬車が止まるなり、レスカはさっと立ち上がる。外套を頭から被って出て行き、二、三の問答を経てから開門させ、集落の中央に見える僧院へと歩いていった。

 姿勢正しく歩みを進める姿は、常と変わらぬ様子である。


「故郷に帰ってきてはしゃいでる、って感じでもないよね」


 と私の心を代弁するように述べたのは、弟君であった。

 レスカと入れ違いに馬車に入って、戸口で鎧を磨いていたカストロが応じる。


「レスカ殿は責任感の強いお人ですからな。職務の合間に気を緩ませたりはせんのでしょう」

「そっか」

「何しろ、少人数での旅路ですからなあ。気を緩ませて誰かが風邪の一つでもこじらせれば、それだけで旅が止まる。軍の行軍とは勝手が違う。代えが効かないというのは、難しいものです」

「そうだよね。ごめん、旅始めの頃は迷惑かけたよね」


 と申し訳なさそうに謝る弟君に、私は慌てて声をかけた。


「それは、また違った話ではないですか」

「そうですぞ。勇者殿、お気になさらず。こうして厳しい旅路の中で快復されたのですからな、むしろご立派なことではありませんか」

「そうやって言われると、なんか逆に恥ずかしいんだけど」


 そう言って照れ笑いを見せる弟君。

 だが確かに、カストロの言うように、弟君の快復は驚嘆すべきことだった。旅路にあっては、安静などということはひどく難しい。当初は立って歩くことさえままならなかった弟君の回復力の高さは、並大抵のものではない。

 これもまた勇者ゆえの特別な力と想像がつくが、正直、旅前はどうしたものかと思い悩んでもいたのだ。病人を抱えて本当に旅を進めることなどできるのだろうかと。

 同様の心配があっただろうカストロが、改めて忠告した。


「なんにせよ、勇者殿にはご自愛いただきたいですな。いや、なに、勇者殿のお体が特別弱いと言うわけではないのですが、長旅での無理は禁物ですからな」

「本当にもう大丈夫だけどね。でも、心配ありがとう」


 一度笑顔で応えてから、弟君はしっかりとうなずいた。

 その姿を見ながら思う。一見すると、蒲柳(ほりゅう)の質と言うべきか、ほっそりとした宮中官女のごとき柔和な体つきには不安を禁じ得ないところだ。だが、ここまでの長い旅路で弱音一つ吐かずに、どころか笑顔を絶やさずに過ごしてきた弟君は見た目の通りの体力ではないのだと。

 私がそうして少し目を細めていたところ、弟君はふと目をパチクリとさせた。


「あれ?」

「どうかされましたか?」

「いや、あれ。どうしたんだろ?」


 そう言って指す先、馬車の小窓から見える集落の方を見れば、少なからぬ人を引き連れて、門から出戻ってきたレスカが見えた。

 手に武具や農具を携えた人々は物々しく、とても勇者パーティを出迎える姿には見えない。

 思わず傍らの得物に手が伸びた私とカストロを、弟君は制止した。


「いや、そういうのじゃなさそう。武装はやめて」

「しかし」

「ローザンヌ殿、勇者殿の指示だ」


 そう言ってカストロはためらいなく槍を手放す。私はやや不安を覚えながらも、剣器へ伸ばしたままになっていた手を戻した。

 一つ間を置いて、レスカ率いる一同は馬車脇にて止まった。


「勇者殿」


 と呼ぶのはレスカであった。窓越しに弟君が応える。


「どうしたの?」

「先刻、僧院の僧侶が一人、川べりへと向かったと聞きました。その者を探しに行って参りまする」

「急を要するってこと?」

「空読みが、川の増水を予見したと」


 レスカの言葉に、弟君は馬車から身を乗り出して空を眺めて、うなずいた。


「確かにまずいね」

「お三方は逗留の準備を進めてくだされ。話はつけ申した。拙僧は捜索を手伝いまする」


 そう述べて、レスカは去ろうとする。

 それを弟君は呼び止めた。


「済みませぬ。急ぐ必要が――」

「レスカ」

「どうされました」

「僕も行くから」



(下に続く)

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