初秋:第三司教区への訪問
初秋の晴れやかな日のことである。
この日、私が御者を務める勇者パーティの馬車は、よく整備された間道を進んでいた。
実った麦穂が揺れる様を横合いに眺めながらの旅路は、心地の良いものだったと言っていい。昼下がりの日差しは柔らかく、昨日降った雨のおかげか、大気は際だって澄明なものだった。
落ちた街路樹の葉も昨日の雨露をすっかり大気に吸わせてしまったようで、馬に踏まれ車輪で轢かれる度にパリパリと小気味の良い音を鳴らしていた。
しかし、私はどこか、釈然としない思いを抱えたまま馬車馬を御していた。
それを見抜いたかのように馬車馬が鼻を鳴らす。
ハッとなった私は、御馬に乱れがないことを確認してから、ホッと小さくため息をついた。
兄弟勇者の片割れである兄君を追い出してから、すでに幾ばくか、時は経っていた。
その影響がすでに出始めていたと言っていい。
大陸公路から外れてこんな間道を進んでいたのも、それゆえのことだった。
勇者パーティの旅路では、朝方にパーティで旅程について話を持つ習慣ができていた。確か、旅程についての説明が欲しいと、そういう申し出が兄君からあって生まれた習慣だったはずだ。
その日も、朝食を済ませたパーティは、街道をどのように進むのか、どこで逗留するかについて話を持った。
「一つ、よろしいですか」
と、このとき声を上げたのは僧侶のレスカであった。私は面食らい、思わずそのまま聞いてしまった。
レスカは国教会を指揮する王院から派遣されたパーティの一員である。痩身短躯ながら背筋をすっと伸ばし、ゆったりとした一枚布で作られた僧服を緩みなく着こなす。居住まい正しく、応対にも隙がない、実に僧侶らしい怜悧な人である。
それゆえか、寡黙で、不要な言葉を口にすることがない。よく声をかけていた兄君が居なくなってからはなおさら、声を聞く機会も少なくなっていた。
そんなレスカの発言自体が驚きではあったのだが、驚きはそれだけではなかった。これまで旅程について口を挟むことのなかったレスカが、この日、初めて異見を述べたのだ。
「此度は西北の第三司教区に足を延ばしたいのですが、いかがか」
私はその提案に、再び面食らっていた。大陸公路西端の王都を始点として発した勇者パーティは、これまで一度たりとも寄り道などしていない。端的に言えば、大陸公路から外れることはなかったのだ。
そのため旅は順調で、冬が深まる前には目的地の公都までたどり着けることだろう。だが、それにしても旅というものは予想外の出来事が連続するものであり、そうそう寄り道などしていられない。
たしなめようと私は口を開きかけた。だが、私より先に口を開いた者がいた。
「おお、それは良いですな。第三司教区と言えば、レンブラント司教猊下の区でしたか。レスカ殿とも関わり深い御方ですから、あちらの院を訪問するのもまたよろしいでしょうな」
訳知り顔でうなずいたのは、騎士のカストロだった。近衛から派遣されている私とは違い、南都騎士団から派遣された付け人である。
そんな彼の相づちに、レスカと対立する立場にある私は、そこで詰まってしまう。レスカが司教とどのような関係を持っているのか、私は知らない。知らないまま迂闊に言葉は吐けない、と思ってしまったのだ。
一人が提案し、一人がうなずく。そして私は、言葉に窮してしまった。
三者の意見がこうしてまとまってしまい、間が空く。
「そこは近いの?」
とその隙に弟君が問う。
口を挟む暇などない。レスカは間髪入れずうなずいた。
「夕刻には着きまする。翌日には発ち、またこの街に帰ってくる。旅程にそう響かぬものと考えます」
「司教区への表敬訪問は重要ですぞ。レスカ殿は封書で勇者パーティの旅路を各地の院に伝えておられる。しかし、やはり勇者殿ご自身が訪れるというのが一番大事。レスカ殿が所属する王院にとって、地方院への義理立てにもなるのです」
とカストロも援兵となった。
首をかしげた弟君は、重ねて訊ねた。
「レスカは寄らないと困っちゃう感じ?」
「無論。でなくば、言いませぬ」
と生真面目な風にうなずくレスカに、弟君もうなずいた。
「そっか。じゃあ、今日行って、明日ここに帰ってくることにしようか」
トントン拍子でそう取り決めてしまってから、弟君は私の方を見た。
「ローザもそれで構わない?」
その言葉に、不承不承、私はうなずいたのだった。
レスカが発案し、カストロがうなずき、弟君が決断したのなら、私が抗弁したところでいかんともしがたい。
ただ、兄君がおられたのならどうであったか、と心のどこかで思うところはあった。レスカの発案が、頭から否定すべきものだとは思わない。理屈の上でも隙がない。
しかし、兄君ならいま少し、事情を詳しく問うたかも知れない。付け人の意向を聞いただけでそのまま納得するということはなかったのではなかろうか。
そう思った途端、心の奥底でうずくまっていた罪悪感が鎌首をもたげた。ズキリと胸の内が痛んだ。
その痛みは存外大きなもので、私は表情を隠すのに苦労させられたのだった。
そのような経緯から決まった司教区への訪問は、レンブラント司教猊下御自らの歓待を受けるほどの厚遇であった。しかし、私はそれでも釈然としない思いを拭えないでいた。
司教区への訪問そのものは問題ない。これまでも行われてきたことだ。しかしそれも、これまでは道なりに進みながら行われてきたものであり、大陸公路からわざわざ外れてまで訪問を執り行ったのは今回が初めてだったのだ。
夜も更けてから、付け人の三人で集った折りを利用して、私はレスカに抗議した。
「このような訪問は、本当に必要だったのか」
「無論」
とレスカはすげなく応じる。私はやむなく言葉を重ねた。
「こうした詮索をしたくはないのだが、おぬしは個人的な交誼を優先してこのような提案をしたのではないかと、そうした疑いが消えないのだ」
横目で一瞥したレスカは、「下衆の勘繰りである」と蔑むように一言で切って捨てた。
思わず気色ばんだ私をなだめるように、カストロが割って入った。
「ローザンヌ殿がそう思われるのも無理からぬこと。しかし、レスカ殿は本当に必要だと判じた上で提案されたのです」
「カストロ殿」
「自分が妙なことを言ったばかりに勘違いさせてしまったようですな。相済みませぬ」
「いや……勘違いであれば、いいのだが」
正面から謝られてしまっては、どうしようもない。
思わず口ごもった私に、カストロはさらに説明を加えた。
「王都の王院と、各司教区の地方院とでは、元よりこの『勇者召喚』――勇者パーティの旅に対しての認識が大きく異なるのです。王院でさえ勇者への見解が一様ではなく、一枚岩ではない。しかも、今回のような事態ですからな。なおさら、各区へ説明に訪れるべきなのです」
「貴女は、勇者殿――あの兄君がいなくなったがために、拙僧が好き勝手に提案したものと思うたのでしょう」
と続けざまに口を開いたレスカが、核心を突いた。
答えようのない私に「だから、勘繰りだと申したのです」とレスカは続けた。ぐうの音も出なかった。
そんな私を見かねて、再びカストロが割って入った。
「これこれ、レスカ殿。旅の友をそう追いつめるものでもありますまい」
「ただ、事実を述べたまでですが」
「正しき言が常に良きこととはかぎらぬ、と前にも忠告差し上げたはず」
そう言って頭を掻くカストロを後目(しりめ)に、レスカは一つ、わざとらしくため息をついた。
そして、私に向かって深々と頭を下げる。
「言葉が過ぎました。許しを乞いたい」
「……いや、私も、下らぬ詮索をしてしまった。済まない」
こうあっては、私も謝らざるを得ない。
謝罪が形だけのものであることは明らかだった。しかし、そのことを咎めて、事を荒立てるわけにもいくまい。そもそも、今回の寄り道はさして重要なことではないのだ。レスカの言うように、旅程に影響が出るほどの寄り道ではない。
しかし、どうにもままならぬ旅路である。
頭を上げたレスカから目線を外した私は、これからも似たようなことが起こるだろうことを想像して、密かに苦虫を噛み潰した。
そんな気詰まりするような時間も、程なくして終わった。
「――お三方とも、よくぞ参られた」
貴賓室に集った私たちが迎えたのは、レンブラント司教であった。
公に勇者パーティを歓待した折りに着ていた礼服などは脱いでの、平服での面晤(めんご)である。しかし初老に差し掛かった司教はさすがの立ち居振る舞いで、迎えるこちら側の居住まいを矯(ただ)すような気品があった。
背を伸ばして一礼する私たちに、司教は楽にするよう気軽に語りかけたのだった。
「勇者殿はもう眠られたのかな?」
「左様で。夕食の後、水浴びをし、間もなく眠られました」
「勇者殿は育ち盛りの若人ですからな。よく食べられるし、よくお休みになる。うらやましいものです」
とカストロが礼を逸さない程度に軽口を叩いて場の空気を和らげてから、目語して私に名乗りを促した。
「私は王立騎士団の末席に名を連ねております、衛士のローザンヌ。猊下の歓待に感謝いたします」
「王院司教補のレスカでありまする。同じく、感謝を」
「自分は南都騎士団に所属する騎士のカストロ。勇者パーティへの厚遇に感謝しております」
鷹揚にうなずいた司教は、形式的なやりとりに時間を割くことなく、率直に報告を促した。
「それで、此度の『勇者召喚』に関し、おぬしらがその委細を報告するとのことであるが。さて、どのような経緯があったのだ?」
「はっ。レスカ殿がしたためた書簡の通りではあるのですが」
と前置きをしてから、私は勇者召喚の経緯について、司教へと報告を始めたのであった。
前代未聞の、「本当に召喚されてしまった勇者」についての報告を。
王国には、勇者召喚という事業がある。あるいは、祭りと言ってしまっても良いかもしれない催しがある。
この事業においては、まず勇者召喚の儀が執り行われる。
次に、そこで召喚されたとされる者――つまりは勇者に扮した者――を中心に一団が組織される。これが勇者パーティである。この一団が西南の王都から北東の公都までを、その両都をつなぐ大陸公路を旅すると、簡単に言えば勇者召喚とはそうした事業である。
勇者召喚の儀は春先に催され、間もなく旅路につき、冬至までには公都を訪れて祝いの席を設ける仕来たりとなっている。
また、旅路にあっては、大陸公路上の都市で歓待を受け、時にはそこでのもろもろの問題を解決するような「勇者らしいなにがしか」を勇者パーティは執り行う。
古くはどことも知れぬ地より誠に召喚されていた――とされている――勇者の御歴々の事績を検め、明らかにし、その行いを偲ぶ機会を設けると共に王国・公国の安寧を祈念する行事なのである。
――そう。
あくまで、行事なのだ。
召喚の儀も、古来からの仕来たりに従った正式なものであり、国教会を指揮する王院が自ら執り行うれっきとした宗教行事であるが、そうした体裁であらかじめ選定されてある勇者役を奉戴するだけの式次第なのである。
それが、今度の儀においては本当に勇者――とおぼしき誰か――が召喚されてしまったのだから、王国の中枢は一同して泡を食った。
付け人としてパーティの先導役を任じられる予定だった私も、当然その場で泡を食った一人である。
予期せぬ出来事に、式場は騒然としたのであった。
何より場の一同を困惑させたのは、召喚された者が二人であった点だ。
王国の歴史をひもといても、召喚された(とされる)勇者が二人であったなどということはない。王国歴の記述のみならず、巷間に伝わる伝承、伝説の類でさえ、必ず勇者は一人だった。
二人の童子を前にして、誰もが物怖じし、誰何(すいか)の言葉も上がらぬままささやきあった。最初は、どういうことなのか、と。次いで、あれが勇者だとすればそれはどちらなのか、と。
ややあってから、召喚された二人のうち、片割れが声を上げた。
「弟の体調が優れない。よければ、休めるところを提供してもらいたい」
その言葉にはそれとわかるほどの神韻があった。直後に上がった、勇者パーティの一員となる僧侶の――つまりはレスカの――「これなるは勇者の言である」という言葉と、それを追認した主教の声により、一気に物事は動き始めた。
宰相閣下の指示ですぐさま滞在用の(あるいは軟禁用の)部屋が用意され、大将軍の命により護衛兼監視として人が配された。主教の申し出によって二人の片割れ――弟君の快復を祈願するための祈祷もただちに執り行われた。
兄君の最初の一言によって、場は救われたと言って良いだろう。その場にいた人間はみな、所属がある。それぞれに立場がある。それゆえに、第一声を発するのがひどく難しかった。それは国王陛下や主教であってさえ、である。
勇者召喚そのものは国王陛下主導による事業だが、今回の事態そのものに誰が対応すべきかは、その場では誰もが判断しかねたのだ。物事が動き出せば、それからは各々で適した対応ができるという寸法である。
一応、召喚の儀は秘儀であり、表向きは本当に召喚されたという体で進められる儀式であるから(庶人などはおおかた、勇者の召喚を疑いなく信じていることだろう)、この非常事態は表沙汰にはなっていない。だが、もちろん、国王陛下を始め王国の中枢は一同に集っており、その場にいなかった有力者もまた、間もなく情報を得ることだろう。
その場での対応こそ一段落したにせよ、その日の晩は修羅場であった。
王国の中枢権力たる三派の首脳は各々で集って話し合いを続け、この非常事態に対し採るべき態度について、大いに苦慮させられたのであった。
もともと王国中枢を担う三派――国王陛下の下に集う王権派と、国教会を統括する王院派、それに官吏らを動かす貴族派――にはそれぞれの思惑があって、この非常事態に対して、各々の態度もおのずと異なっていた。
事業そのものを推進する立場の王権派としては、どうあれ儀式を全うしたい。事業を進めるための根回しは済んだ後のこと、すでに事業そのものは始動しているのだ。いまさら中止になどできるはずもなかった。
一方、もとから勇者事業そのものに対して懐疑的であった王院派は、一時的に儀式を取りやめてでも状況を見るべきだと考えていたようだ。
いつものことであるが、日和りがちな貴族派はそんな両者の対立を様子見していたと聞く。
召喚された折りの弟君が立つことさえままならぬほどに体を弱らせていたのも、事を難しくした。王院派の反対意見もなおさら強硬なものとなり、朝議の話し合いは紛糾した。膠着したと言っても良い。
そんな折りのことだ。
何度目かの話し合いに参加した兄君が、一言で道筋を決定付けたのだった。
「俺も弟も、旅に出ることを望んでいる。それも、早急に」
式場においてもそうであったが、召喚された二人の片割れ――兄君の言辞には力があり、不思議なほどよく人を動かした。このときもそうであった。
一応「ただ、弟の体調が落ち着くまでもう二、三日は待ってもらいたい」という但し書きはあったが、それは取り違えようのない明確な意思表示だった。
勇者自らの言葉に、王院派も折れた。そうなれば話は早い。三派それぞれの代表として派遣される付け人は、そもそも最初から決まっていたのだ。旅の準備もとうの昔に済んでいる。
数日の遅れを経てから、勇者パーティの旅は始められたのだった。
――そうした経緯を説明し終えて、私は口を閉じた。
レンブラント司教は難しい顔で考えにふけりながら、しばしの間、押し黙っていた。
「……なるほど」
沈黙を破り、おもむろにうなずいてからレスカへと目を向ける。
「レスカ、相違ないか」
「大過はありませぬ」
「そうか。しかし、いま、このときに、勇者が召喚されたとは」
絶句した司教には、戸惑いの色よりも深い何かがあるように思われた。だが、それがどういう意味を持っているのかは、私にはよくわからなかった。
ややあって、嘆息するかのように大きく息を吐いてから司教は改めて訊ねてきた。
「ところで、話では兄弟とあったが、おいでになった勇者殿はお一人。これはいかなることだ」
「それは……」
避けては通れぬ質問だった。私は思わず言葉をよどませたが、素直に答えた。答えるしかなかった。
「兄君殿は王国からの依頼を受け、東の森林帯へ、王国へと刃向かう『違え人』らの慰撫へと旅立たれました」
「なんだと」
目を見開いた司教は、またも絶句した。だが、そこにたゆたう感情はハッキリ見てとれた。
怒りだ。激怒と言っていいほどに深甚の。
「それは、いかなることか……! レスカ、説明せよ!」
「王権派はこれまでの経緯をふまえ、弟君を正式な勇者であると目したのでしょう。それゆえ、二人は不要である、旗頭は一人で構わぬと。貴族派もそれにうなずいた、ということです」
「愚かな。王院はなにゆえそのような愚行を妨げられなんだ!」
「他ならぬ勇者殿――兄君が望まれたのです。我ら付け人に後を任せ、自ら去られた」
司教の一喝にも動じず隣で淡々と述べるレスカへと、私は思わず振り返っていた。
兄君が望んでいた? まさか! そんなことなど、一言も述べていなかったではないか!
「……では、王国の選択も誤りではないと」
「拙僧は『理』に適うものと考えておりまする」
思わず口を開きかけた私の肩を押さえた者がいる。この場にいるのはもう一人しかいない。
振り返った私は、カストロをにらみつけた。
「邪魔立てするのか、カストロ殿」
「レスカ殿はいま、報告されておるのです。貴女こそ、邪魔立てするべきではない」
「しかし、あのような……」
「あのようなことを、レスカ殿は判断された。貴女の考えとは違うにせよ、ここで口論をしてどうなるのです」
「無益なことはやめなされ」とたしなめるカストロに、私は歯噛みした。
確かに、勇者パーティ内での意見の相違など、外部の者に見せて益のあることではない。足並みが揃っていないという印象を与えてしまうのだから、有害であるとさえ言える。
だが、あのような嘘八百の物言いを、本当に許していいのか。良いはずがないではないか。
憤懣やるかたない私は、その気持ちをぶつけるように、カストロに訊ねた。
「カストロ殿は、レスカ殿の報告をなんとも思わぬのか」
「レスカ殿は嘘を言うような方ではない。それだけですな」
なんでもないかのように返したカストロに、私はただただ、どうしようもない無力感を覚えたのであった。
翌朝、朝食の折り、私は弟君に声をかけられた。
「ローザ、どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
首を振った私に、弟君は首をかしげてから付け加えた。
「そっか。何か言いたいことがあったら遠慮なく言ってね」
その飾り気のない好意が、私には、ただただ痛かった。
一晩も経てば、私の怒りがどれほど滑稽なものであったか、そう気づきもする。
そもそも、誰が兄君を追い出したのか。それは私だ。私を派遣した王権派に他ならないのだ。
朝食後、朝礼に集った群衆を前に、弟君は宣教を行った。レンブラント司教たっての願いを引き受けてのものであった。
壇上のその姿を後方から眺めながら、私は自問した。このままでいいのか。三派が各々の思惑で勇者を操り、動かしているような現状のままで。とても、いいとは思えない。ジクジクと何かに蝕まれるような、そんな呑み込みがたい感覚が心を覆っている。
だが、それを、私が言っていいような立場か。この状況を生みだした私が言っていいはずがないではないか。そもそも、誰に、なんと言えばいいというのか。
さまざまな思いが交錯し、半ば混乱している私の面前で、すでに体調不良から快復している弟君が宣教を行っていた。
その幼さには似つかわしくないような平静さで、静かに聞き入る群衆へと言葉を述べていたのであった。
「信仰篤きことは誇るべきことであり、そこに貴賤はなく、老若男女に別はありません。いかなる者であれ『理』に適う、神の御心に適う行いを行いうる存在であり、言うなれば、一人ひとりが勇者足りえるのです」
(次話「仲秋:秋の長雨と、名も知れぬ集落での弟勇者の奇跡」に続く)
【会談】
宣教の後、出立の準備を進める付け人らを後目に、弟勇者は呼び止められ、物陰で密やかに会談した。
「仮にも勇者の道を妨げた王院の行いを恥じます。申し開きの言葉もありませぬ」
「ああ、兄さんのこと?」
弟勇者は苦笑いして、首を振った。「気にしないで」と慰める。
「だって、あの人たちは何もわかってないんだから。仕方ないよ。そもそもさ、僕と兄さんが本物の勇者だって最初に言ったのはレスカだったんだけど、その話も聞いてる?」
「いえ、いま初めて。しかし、まさかそこまで……」
「そこまでだから、こんなことになってるわけだしね。とやかく言ったって始まらないよ」
それにさ、と弟勇者は続ける。
「勇者の道を妨げることなんてできるはずもないしね」
ほう、と対面者はため息をつく。深く感銘を受けた様子でうなずいた。
会談はそれで終わった。別れの挨拶を交わす。
「くれぐれも、ご自愛を。お体に気をつけてくだされ」
「あはは、それもわかるんだ? うん、ありがと。でももう慣れたし、大丈夫」