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祭りの後:二人の勇者


 折り合いを見たわけではないだろうが、弟君の批判が一段落する頃に、兄君が戻ってきた。


「回復したか。じゃあ、行ってきてくれ」


 と、兄君は言う。

 兄君が言うには、「違え人」の指揮官らが改めて弟君と面会したいのだそうだ。兄君に服属している彼らは、弟君との面会を心待ちにしていたのだという。


「今はカストロが応対してくれてるから、そっちまで行ってきてくれ。レスカも面会を求められてるからよろしく」

「わかり申した。しかし、拙僧に面会とは、なにゆえのことでしょう」


 と小首を傾げて兄君を見やるレスカ。

 それにしても、レスカが兄君を見るあどけない仕草を見ていると、彼女もまた年若い少女だったのだなと思い知らされる。大人びたいつもの姿とは違う、どこか可憐さを感じさせる仕草だった。

 そんな彼女に、弟君が半笑いで声をかけた。


「そりゃあねえ。兄さんの身内にきちんと挨拶にあがりたいって、そういうことでしょ」

「お前な、茶化すなよ。間違っちゃいないけど」


 と、兄君も苦笑いを見せてから、レスカの肩を叩いた。


「それが終わったら出発するつもりだから、そのつもりでな。じゃあ行ってきてくれ」

「じゃあ行こっか」


 先導する弟君が笑いながら、再び茶化した。


「よろしくね、義姉さん」


 目を白黒させたレスカを連れて、弟君は「違え人」の軍勢の方へと向かう。

 去りゆくレスカの頬に朱が差していたように見えたのは、たぶん気のせいではなかったと思う。

 ここに来て、パーティメンバーの(というかレスカの)意外な姿ばかり見せられていて、私としては目が点になる限りである。

 それはさておき、私は訊ねた。


「兄君殿、私は行かずともよいのですか」


 弟君はああ言っていたが、おそらく勇者パーティ自体と面会を求めているのではないだろうか。実際、カストロも向こうに居るのだから。

 兄君はあっさりと首肯した。


「ああ、行った方がいいよ、本当は。ローザンヌも勇者パーティの一員なんだから、当然面会を求められてるよ」

「ならば、私も行って参ります」


 と腰を上げかけた私を、兄君は制した。


「無理だろ。もう少し休んでおいた方がいい」

「無理などと」


 と次の瞬間、ふらりと、めまいのような感覚がする。

 気がつけば、後ろ手に座り込んでしまっていた。


「気持ちは分かるさ。いくらレスカやカストロが一緒とはいえ、あいつを『違え人』の元へとやるのが不安なんだろ? まあ、安心しなよ。あの連中が誰かを傷つけることはあり得ない」

「それは……」


 言いよどむ私に、兄君は反論を許さなかった。


「隠さなくていい。不安なんだろ?」

「……はい」


 繰り返し問われれば、ごまかしきれない。

 私の内には、どうしようもなく「違え人」への恐怖心がある。

 私が故郷を失ったのは、幼少の頃だ。その頃の記憶は、あるいは幸いなことに薄いものである。王都へと至るまでの道のりの辛苦こそ記憶にあるが、領主であった父の避難指示が早かったのだろう、自領が滅びる様は見た記憶がない。

 だが、私も騎士として帯同した親政の折りは違う。今もその記憶は、心の奥にはっきりと刻み込まれている。

 古ぼけた記憶に微かに残る郷里の、街の姿は、無惨に消え失せていた。建物も地面ですらも壊され、軍の停留すらままならぬ有様だった。そして夜には、夜闇を物ともしない「違え人」の襲撃。

 夜を徹した守護の任は、多くの団員を喪わせた。近衛の下働きをさせられていた私たち王都騎士団の者どもは言わずもがな、近衛の騎士らすら幾人もの死者、重傷者を出した。

 その恐怖は、いまも覚えている。鐘楼と鼓が鳴り続けたあの日は、深く心に刻まれているのだ。

 私はそこで活躍した。

 無我夢中であらがい、それゆえに戦果を残し、あまつさえ王の陣を犯しかけていた強力な「違え人」すら討ち果たした。

 その者がおそらくは襲撃の中心だったのだろう、彼を討ち果たしてから襲撃はやんだ。

 その功績があって、近衛入りという名誉を私は得たのである。

 だが、私にとってこの記憶は誉れなどではない。あのときの惨状はいまだに片時も忘れられないでいる。

 気がつけば周りにあったのは死体で埋まっていた。それが私の故郷だ。人も、「違え人」も、皆死んでいた。気のあった同僚も、とても敵わぬと思った近衛の武人も、誰も彼もが死んでいた。

 私はただ、無我夢中で戦っただけだった。同じことがもう一度できるのかは、わからない。

 だが、おそらく「違え人」どもは何度でも同じことができるのだろう。何度だって、王国の騎士団を壊滅させるに違いない。何しろ、親征後も変わらず、彼らの跳梁跋扈は尽きなかったのだから。


「私は、それゆえに、彼らが怖いのです」


 私の語りに、兄君はうなずいた。


「俺も、その辺のいきさつは聞いてるから。だから、いまは無理に顔合わせしなくてもいい」


 ただね、と兄君は言う。


「勘違いしないでほしいんだけどさ、森人らの多くは王国との抗争に関与していない。あれは一部の、ある種の過激派なんだ。彼らの振る舞いを、森人の多くは苦々しく思っている。申し訳なく思っている。そのことだけはわかってやってほしい」

「それは……。にわかには、心の整理をつけかねます」

「だろうね。いや、いいよ。戦争って、そういうものだろうから。この場に居る連中が俺たちを傷つけることはないって、今はそのことに納得してくれれば構わない」


 兄君が付け加えたところによれば、そもそも森人は部族単位で生活を行っているらしい。

 弟君が先ほど言っていたように、彼らは一様に人間の振る舞いを不快に思い、その危うさを感じ取って離反した。だが、攻撃まで加えようという勢力はごく一部に限られている。


「まあ、それは別にしても、ローザンヌはまだ動けないだろ。少し休んでいればいい」


 という言葉に、私は改めて気がついた。

 私はいま、疲労困憊している。緊張で気がつかなかったが、気が緩んだか、途端に疲労感が湧き出してくる。


「丘からここまでどれだけあると思ってるんだ。それを全速力で抜ければ、それだけで疲れるだろ」

「な、なるほど」


 今度こそへたり込み、身動きがとれなくなった私は気だるさを押し隠しながらうなずいた。

 弟君の身を案じて、必死に駆けたが、それにしても無理をしすぎたようだ。


「だから休みながら、適当に俺の話でも聞き流していてくれ」

「聞き流すなどと……」

「気楽にしてろってこと。本当に聞き流すなよ?」


 と兄君は笑う。そして、語り始める。


「今回の件、あいつはろくに説明してなかったみたいだから。パーティの全員にはきちんと話をしておくつもりなんだ。今頃、あいつもあっちで説明してるはずだから」

「弟君から、先ほど、説明を受けたのですが」

「ああ、どの辺を説明してあるんだ?」


 という問いに私が答えると、兄君は苦笑いを浮かべた。


「あいつ、適当に不満だけ言いやがって。穴あきだらけじゃないか」


 一つため息をついてから、兄君は私の隣に腰掛ける。

 そうして語り始めた。今度の件を。あるいは、勇者という存在についてを。




「そもそも、勇者ってのが、異世界から来る存在ってのは王国側も理解してるんだよな」

「はい。異なる世から現れる、ということは聞いております」

「勇者はこの世界の理(ことわり)から外れた存在である必要がある。並外れたことをしてもらわないといけないからな。だから、外から呼び出す。そして、一時的にこの世界に参加させる」


 私の理解を待つように、兄君はゆっくりと話を進める。


「理外の存在でありながら、『理』によって成り立つこの世界に干渉するってんだから、それは並大抵のことじゃあない。だから予備期間が存在するんだよ」


 少し理解が届く。私はうなずいて見せた。

 確かに過去の勇者の事績は、ここで見たような自然災害を防ぐようなものではない。王国の危難を救うものがほとんどだ。

 だが、それも、それが片手間の物だったのだと聞けば納得ができる。正直、先ほどの出来事がなければ「何を馬鹿な」と一蹴するだろうが、勇者の力を思えばむしろ当然だろう。

 都市の難題を解決するために思いつきで泉を掘れるほどの力ならば、片手間で王国の問題を解決していくことなど容易いだろう。


「それでも、馴染みすぎてはならない。帰らないといけないから。ここに居るのは仮住まいみたいなものだからな。だから、名は決して名乗ってはならないし、名付けるのもダメなんだ」

「なるほど。それ故の名無し」

「そうそう。名前が付けば、この世界の『理』に取り込まれる。神の祝福を受け、この地に生を受けた存在となる、って寸法だな」


 勇者という存在そのものは理外であり、それゆえに勇者という呼称は認められる。

 どこかで、私は引っかかりを覚えた。だが、兄君の話に私はついて行くのがやっとで、そのことに思考を巡らせる余裕はなかった。


「勇者が召喚されるほどの問題が生じる機会ってのは、実際はそれほど多くないんだ。王国の歴史で言えば、数えるくらいしかないはず。何回なんだっけ?」

「勇者の名は三回、記録されています」

「そんなもんか。実際は、王国が生まれる以前から、勇者は居た。勇者という名前そのものは王国で呼ばれるようになった仮称だ。都合がいいから神様もそう呼んでるけど、後付けだな」

「そ、そうですか」


 私はどもりながら、なんとかうなずいた。

 勇者のお二方は、親戚の話でもするかのように神の御名を出すので、正直心臓に悪い。


「王国が近代、現代を経て発展していく過程で、問題というかな、問題の種が急速に蒔かれた。汚染が急速に進んだんだよ。この辺はあいつから聞いてるんだよな、勇者召喚の意義の辺り」

「はい、弟君から説明を受けております」

「そっか。じゃあわかると思うけど、勇者召喚って儀式自体が神からのお告げで王院に命じられた、正式なお祓いなんだ。王院は世俗派と原理派で二派に分かれてて主流の世俗派が勇者召喚を有名無実化してる。だから、原理派は今の勇者召喚事業を苦々しく思っているってわけ」

「な、なるほど」


 図式が少しずつ見えてきた。

 神のお告げを、教団運営のために利用する世俗派と、それに反対する原理派。レスカやレンブラント司教などは原理派の人間なのだろう。王院が割れているというのはそういうことだったのだ。


「まさか、神様も自分の言葉がこんなに雑に扱われると思わなかったからさ、気づいたら汚染がどうしようもないほどに進んでいて面食らったわけ。で、慌てて勇者を用意して投入」

「は、はあ」

「あいつは説明してなかったんだっけか。その過程で、えっと、説明が難しいんだけどさ、召喚っていったん心と体を分けてから俺たちの世界からこっちの世界に移す作業があるんだ。そこで取り違えた」

「取り違え……?」

「そう、心と体が別の方に入った。勇者を二人用意する事態なんて初めてだったわけだから。神様方も、初めての仕事でとちったんだよ」


 取り違え、という言葉に、あたまが一瞬ついて行かなかった。

 心と、体が、別の物?


「……つまり、兄君のそのお体は」

「そう、あいつの、弟の体。あいつの体は元は俺の物。あべこべになって、予期せぬ状況に俺もあいつも心身ともにバランスを崩した。特にあいつは経過するはずだった何年かが飛んで、その心理的空白に心がついていかなかった。だから春先は倒れたんだ。瀕死だったって言っていい」


 次々に披露される事実に、私は息を呑みながら聞き入っていた。


「それでも、勇者ってやつは特別だから、徐々に体と心が適正化されていった。あいつが安定したのは秋になってからぐらいだろ?」

「た、確かに、弟君は秋口にはすっかり快復されていました」

「その辺、夏まで様子見してたんだけど、行けそうだったから俺もパーティから抜けるのを決めたってわけ。抜けるのは既定の流れだったんだけど、思ったより遅くなったからちょっと焦ったな」


 だから、夏のことは気にする必要はないよ、と改めて言う兄君に、私はつと目を見開く。

 抜けるのは、既定の流れだった?


「兄君殿は、当初から森へと向かうおつもりだったのですか?」

「当初から、でもないけどな。ただ、思った以上に王国内での信仰が薄くて、これはシャレにならんと思ってね。『違え人』の信仰心をこっち側に引きずり込まないと、下手すれば抑えきれないと判断したんだ」

「『違え人』の、信仰心……?」

「おうよ。信仰が王国の、人間だけの専売特許だとは思うなよ。敬虔さで言えば森人や谷人の方がよっぽど上だ。その信仰心を神へと捧げる舞や音楽に乗せて浄化に利用したってのが、ここでの事の顛末(てんまつ)だな」


 説明をさらに加える兄君に、私は少しずつ理解を深めていく。

 兄君が率いた「違え人」の、森人と谷人の軍勢は、あの狂ったような有様で信仰を表していたらしい。

 そもそもあの方陣一つずつが各部族の代表であり、危機にあって立ち上がった一団なのだそうだ。道理で軍にしては陣容に緩さがあったわけである。

 その集団を引き連れて、兄君は東の森林帯から西の果てまで急行してきたのだという。


「勇者パーティは先行してたわけだから、あいつから道の具合を聞きながらの急行だったけど、何しろ『違え人』ばっかりだから、ろくに街にも入れないわけだ。隠れ住んでるいくつかの『違え人』の集落に助けを求めながら急行したが、あれはきつかったな」


 「温泉入ってるよ、なんて連絡が来たときは殺意が芽生えたな」と兄君はしみじみと言う。

 王国では兄君の行方不明の第一報が告げられた頃だったが、その頃にはすでに森を発って進軍を進めていたらしい。


「そこまではお互い連絡を取りながら、まあなんとか進んでたわけだ。ところが冬に入ってから、連絡が途絶えてね。なんだと思ってこっちから連絡してみたら、繋がった先がレスカだったんだから驚いたのなんの」

「レスカが……?」

「そうだよ。しかも勝手にこっちが死んでる設定で話を進めてさ。ろくに話も聞かない。参ったよ。レスカとしちゃあ、夢でも見た気持ちだったんだろうけど、こっちは連絡が途絶えて、繋がった相手は話が通じないってんだから、どうしろと」


 あ、と私は気づいた。弟君はペンダントを貸したつもりだったと言っていた。そうか、あれが連絡用の物だったのだろう。

 すると、レスカの心の移り変わりが理解できる。弟君からペンダントを受け取って、その夢枕に自分の恋人が立って話しかけてくれた。それで、元気づけられたのだろう。

 ああ、なるほど。勘違いをしていた。レスカはあのペンダントを「勇者殿の形見」と称していた。私はてっきり、弟君が託した形見だと思ったのだが、あれはつまり兄君の形見という意味だったのか。


「そんなこんなで、ギリギリになってね。集合地点もわからん始末だから、とりあえずペンダントを目印にこっちまで急行したんだ。賭けだったよ。レスカを置いてあいつが一人で来てたなら、見当外れの場所に来てたってわけだからな」


 賭けに勝ててよかったよ、と兄君はため息をついた。

 実際、賭けだっただろう。弟君は、一人で旅立とうとしていたのだから。それが実現していたらと思うと、心底ゾッとする。


「後は、見ての通りだ。緊急で展開して、抑え込んでたあいつのバックアップをした。そのまま抑え込みに成功してから、汚染が進んでいたあいつ自身の浄化を俺がしようとして、そこにローザンヌが突っ込んできたって寸法だな」

「な、なるほど。済みませんでした、訳も分からず飛び込んで、邪魔立てしまして」

「いや、当然でしょ。化け物が大事な仲間を前にして大口開けてたら、俺だって止めるしな」


 からからと兄君は笑った。


「なんにせよ、ありがとな。勇者パーティが居なかったら立ち行かなかった。なんとか使命を果たせたよ。弟のこと、お願いしたが、ローザンヌもよく支えてくれた」

「私は、何もできずじまいでした。そのようなお言葉にふさわしい者ではありません」


 私は強く首を振って、否む。

 だが、兄君は笑いながら、それをさらに否んだ。


「そんなわけあるか。勇者が一人でいいなら、勇者パーティなんていらない。勇者召喚は儀式だが、意味のない形式じゃない」

「……?」


 私が理解できないまま、兄君を見ていると。

 兄君は簡単に、教えてくれた。


「勇者は信仰心を力に変えて、世界を救う。言い換えようか。信じてくれている人がいるからこそ、強くいられる」


 だから、と断ずる。


「弟が最後までしのげたのは、誰よりも貴女が弟を強く信じてくれたからだ」


 兄として、感謝しているよ、と。

 兄君はそう言って、深く頭を下げたのだった。




 兄君との会話は、穏やかに続けられた。

 あのとき、兄君が弟君を助けようとしたあのとき、私をひざまづかせたのは勇者の力だったのだという。


「この力もあべこべでね。本当はもっと強いはずなんだけど、二人で変に分けられてる。だから、半端だよ」

「半端、ですか」

「そう。勇者の言葉は億万の人を熱狂させるだけの力があるはずなんだ。特に弟は、その力を持っていた。だけど体と心が入れ替わって、その力は俺が半分受け持つことになった」


 でもなあ、と兄君は嘆く。借り物の力では本領を発揮しえない、と。


「実際、ローザンヌだって、俺の言葉に逆らって手を伸ばしてきてただろ。あんな程度なんだよ」

「それでも、恐るべき力ではありませんか」

「いや、だって、あれくらいレスカだってできるだろ。ちょっと時間はかかるかもしらんけど」

「それは、確かにそうですが」


 私はうなずくしかなかった。実際、私は先だって、レスカに抑え込まれていたのだから。

 それを一言で為した兄君の方が強い力を持っているにせよ、結果的には同程度のものと言って過言ではない。


「逆に、あいつも本当は持ってなかった物への干渉力を持たされて、それもあってバランスを取り戻すのに時間がかかった。ちょっと不憫だったな」

「干渉力?」

「温泉掘ったんだっけ? そういうのだよ。自然や人に干渉する。本来はあいつが言語的な影響を、俺が非言語的な影響を及ぼす力を持ってるわけだな。まあ、あべこべなんだけどさ」


 少し、難しい話だった。

 兄君が言うには、それぞれが元から持っていた力も自身に残っていて、ごっちゃになっているのだという。力が弱まった分、幅広く使えるということでもある。


「正直、単独行では危ないところもあったんだよ」


 と兄君は笑いながら言う。森では過激派に襲われる一幕もあったのだと。「違え人」らは敏感であり、本来ならば勇者の存在を認知できる。

 だが、中には人と見れば見境なく襲いかかる不信心な者共も居たのだそうだ。

 それも、元から持っていた自然の力でねじ伏せて、叩きのめしたのだと言う。


「結果的にはあべこべで良かったんだよ。力が弱いせいで苦労させられたけどさ、おかげで二人で一組になってる必要がなかった。二正面作戦もできた。ギリギリ間に合ったのも、そのおかげとも言えるっちゃ言えるな。怪我の功名だな」


 くはは、と笑った兄君は、最後に付け加える。


「長々と話したけどな、言いたいことは一つなんだ」

「と言いますと」

「あいつの言葉は、勇者の力と言うには弱い。嘘も誠もひっくるめて相手を動かす力なんて持ってないんだ」


 だから、と兄君は言う。


「あいつの言葉は素直に信じてやってくれよ。兄からのお願いだ」

「それは」


 それは、とても不思議な願いだった。

 私はコクンとうなずくと、しっかと答えを返した。


「それは、無論」


 くははともう一度笑った兄君は、つぶやいた。要らぬお節介だったかな、と。




 やがて、弟君が帰ってくる。


「そろそろ進軍、始めない? とりあえず公都まで行かないと」


 と弟君が言うのに、兄君は首をかしげた。


「進軍って、このまま行くのか? 森人は谷人と一緒にここに居てもらうつもりだったんだけどな。だからわざわざ今のうちに、顔合わせさせたんだけど。軍をチラつかせて行くなんて、恫喝外交じゃあるまいし」

「いや、ちょっとね。その恫喝外交をしようかと」

「なんじゃそら」


 と疑問顔の兄君に、弟君はゴニョゴニョと説明する。

 ややあってから、兄君はなるほどとうなずき、私の方を一瞥した。


「ああ、なるほど。そんなことになってるんだ。じゃあ、そうするか」

「兄さんと僕がいるなら、たぶん村や街でも食料調達くらいはできるでしょ。行軍の面倒は任せて。だいぶ力も小慣れたからね。必要なら温泉くらいは掘れるし、停泊用に整地だってするよ」

「心強い話だな、おい」


 わははと大笑した兄君は、一足先に軍団の方へと向かっていく。

 遠くに見えるのはレスカとカストロと、その傍らには森人と、そう兄君が呼んでいる「違え人」らの姿も見える。

 一つ深呼吸をしてから、近くにまで来た弟君を見やる。

 弟君は、気楽な風に笑っていた。


「ローザも行こう」

「はい」


 うなずいた私を、弟君は助け起こしてくれる。


「このまま軍を率いて公都に向かうから。『違え人』も参加して、大事な大事な王国の祭りの仕上げをしちゃおう。これで後始末は終わりになるかな」

「では、それでお二方は故郷にお帰りになるのですね」


 私が、と胸を突かれるような寂しさを覚えながら訊ねると。

 弟君は面食らったように目を瞬かせていた。


「いや?」

「……帰られるのでは?」

「いや、無理無理。兄さんから聞いたんだよね? あべこべな話」

「その件はお聞きしました」

「なら、なんで説明してないんだ……。体と心が別に癒着しちゃってるし、もう分離は難しいみたい。下手に違うもの同士を引っ付けちゃったわけだからね。元の世界に戻すのは、神様でも難しいんだって」


 無責任な話だよねーと気楽に弟君は言う。

 驚愕する私に、弟君は極めつけの一言を加えた。


「そもそも、僕は弟で、兄さんが兄。ただの勇者ってのっぺらぼうじゃない。勇者って以外に、もう、名付けられちゃってるんだ」

「名付け……? まさか!」

「そう。もうとっくに僕らは、この世界の、兄弟勇者なんだ。勇者だなんていって得体は知れないけれど、それでももうこの世界の住人で、仮住まいじゃなくて、ここに骨埋めないといけないことになってる」


 呆然とする私に、弟君は「だからこそ、焦土になんかできないって焦ったけどねー」と気楽に続けていた。

 急速に、事態が理解できてくる。私は慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ありません。我々のせいで、このような事態に」

「いやいや、気にしないでよ。どう考えても神様のせいなんだから。二人も呼び出しておいて、名付けんなだなんて無茶ぶりが過ぎるし」


 やっつけ仕事も過ぎるよね、と弟君は呆れ気味につぶやいた。

 それでも責任を感じ、謝罪を繰り返す私を、弟君は改めて許してくれた。それも気軽な風に。


「いいよ。ホントに。気にしてないし」

「……そうなのですか?」

「僕たちの世界でもね、節々で引っ越すんだ。僕や兄さんはまだ学生だったけど、卒業して職に就けば親元を離れるし、地元を離れるのだって珍しくない。そうなれば故郷の友達や親兄弟にだって滅多に会えなくなる。こっちでも丁稚奉公すれば、そんなもんでしょ」

「それは、確かにそうではありますが」

「それがちょっと世界を跨いだだけだって考えれば、大して変わらないでしょ」


 なんでもないかのように弟君は言う。


「こっちでローザやレスカ、カストロにも会えたんだから。それで構わないさ。兄さんも居るし、義姉さんだってもうすぐできそうだし」

「は、はあ、それはおめでたいことで」

「そりゃね、あべこべのせいで多少早く大人になったのは困ったけど、まあいいでしょ。誤差の範囲だよ、たぶん」

「大人、ですか」


 改めてまじまじと、私は弟君を見た。

 背の低い兄君よりは幾分高いが、それでも私の鼻に届く程度の背丈の弟君である。

 学生――それも学者に付く弟子の類ではなく、誰もが学ぶ類の学び舎で学んでいると聞いた――であるということから、私は弟君のことを一回り(十一年)と少し程度の年回りと思っていた。

 そういえば兄君の体に弟君の心が入ったのだから、本来の年頃より実際は上になっているのだろうか。いや、それにしてもまだまだ成長盛りの年頃であり、元服するか否かであろうと思うのだが。

 そんな私の怪訝な表情を見て、弟君は軽く笑った。


「あ、その顔は信用してない顔だ」

「す、すいません」

「まあ、いいよ。たぶん、この国の人たちには僕たちの故郷の人種は幼く見えるはずだから。たぶん、勘違いしてるんでしょ」

「と言いますと、兄君殿の体はすでに十五の元服を迎えておられると」


 私の質問に、今度こそ弟君は大口を開けて笑った。


「ちょっと笑わせないで。お腹痛いって」

「すいません……」

「兄さんは大学卒業前だったからね。この体は二十二歳だよ」

「……二十二?」

「うん。この国では二回りの年月になるかな。もうすぐ二十三になるから二回りを越えてるね」


 そして付け加える。


「僕も高校――高等教育機関を卒業する前だったから十七。この辺じゃ数え年、年を跨いだら一歳って計算でしょ? だから、僕は体でも心でも間違いなくレスカやローザより年上だよ」


 僕らの国ではその年でもまだ成人してないんだけどね、と軽く言う弟君を私は呆然と見つめた。

 ここに来て、様々な前提が壊れてしまっている。弟君が、年上? そうか、思えば、初等教育を受けている者にしてはあまりに物を知りすぎていたではないか、弟君も兄君も。高等教育を受けていた、というのは間違いない。

 分別の付く弟君に、幼いながらしっかりしてる童子だと思っていた自分が、途方もなく馬鹿げた存在に思えてきた。実際、馬鹿だろう。


「だから、余計しっかりしなきゃいけなかったんだけど。ごめんね、旅始めは迷惑かけてばかりで」

「あ……いえ……。そのことは兄君殿からも説明を受けましたので」

「まあ、それでもね?」


 弟君は肩をすくめる。


「年下の女の子に心配かけてばっかりじゃ、カッコつかないでしょ」


 だから、と弟君は言う。


「もう少し頼ってくれていいよ? ローザはなんでも自分の中に溜め込もうとするから。そういうの、心配だしね。お兄さんに任せてくれれば、だいたいなんとかするよ?」

「は、はい」

「だから、さ」


 弟君は手を差し伸べて誘ってくれた。


「一緒に来てくれるかな? もう少しで勇者パーティの旅は終わりだけどね」


 少し戸惑う。だけれど、それと同時に、肩から力が抜けたような気がしていた。肩肘張って頑張ろうとしてきた自分が、少し滑稽に思えた。

 ああ、そうか。思い出した。弟君が西行を主張した折り、レスカとカストロは私の発言を笑っていたな。弟君のような童子に責任を負わせられないと言う私の言葉を。

 なんだ、あの二人は、もうとっくに知っていたのか。なるほど、私は、確かに訊くことが少なすぎたのだ。

 だから、私は訊ねる。


「一緒に、とは、公都までのことですか?」

「とりあえずはね。でも、その後も僕はここで生きていく。だから、こう言った方がいいかな?」


 弟君は柔らかく笑っていった。


「ローザ、これからも付いてきてくれないかな?」


 その言葉への返答は、もう最初から決まっていた気がする。

 うなずいて握った弟君の手の平は、とても温かくて、どこか懐かしいような、名状しがたい感情が心を埋めたのだった。




【初春、女騎士の決心】


 それは春の日のことだった。

 対面したそのとき、彼は床に伏せていた。


 勇者召喚の混乱からすでに数日が過ぎ、朝会の席に参加した片割れが旅路に出ることを決定せしめていた。それゆえの、付け人としての対面であった。

 部屋に入り、片膝をついて挨拶を行いながら、実際のところ私は困惑していた。

 片割れよりは年長に思われたが、それでも幼い顔立ちである。身は細く、病に身を冒されてさえいる。とても長旅に耐えられそうには見えなかった。

 旅に用いられる予定の大型馬車には急遽、寝台をしつらえることとなっていたが、いかに王室から下賜された馬車とはいっても、その旅路は寝たきりの病人が耐えられるような生半なものではない。

 そんなこちらの不安を露とも知らぬ顔で、勇者は微笑んだ。


「ローザンヌ、って言うんだ」

「はい」


 顔を上げた私を眩しそうに、少しだけ目を細めて見やってから、彼は言う。


「ローザって呼んで、いい?」

「どうぞ、ご自由にお呼びください」


 再び微笑む彼へと呼びかけようとして、私は少しためらった。

 二人の勇者が現れたことは、これまで王国の歴史にない。一人であれば、勇者と呼べばよいのだろう。しかし、二人ならばどう呼ぶ?

 勇者は勇者、絶対に名付くな、と王院からの通達を受けていた私は、ためらいながら、問うてみた。


「その、貴方様方は、兄弟であるとお聞きしました」

「そう、だね。兄さんが、そう言ってた?」

「朝議の折りに耳にしました。ですから」


 私は無知であった。

 だから、なんの覚悟もなく、ただ思った通りに訊いたのだ。


「弟君と、そうお呼びしてよろしいでしょうか」


 私の、そんな問いかけに、彼は少し目を開いたけれど。

 やがて小さくうなずいた。


「そうだね。そんな風に呼んでくれて構わないよ」


 それから、彼は微笑みながらこう言ったのだ。


「よろしくね、ローザ」


 弱々しく差し出された手を握りながら、私はそのとき、確かに心に決めたのだ。この方を助けていこうと。

 守らねばならぬと。付け人としてだけではなく、もっと根源的に、そうしようと心に決めたのだ。


 それは春の日のことだった。



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