祭りの後:派閥と二人の付け人
今日、明日はエピローグを二話分更新します。
書いた本人が言うのもなんですが、長いです。ここまでお付き合いくださった方には申し訳ないのですが、良ければ今少しだけお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
異形のモノが、すっとその身を脱いで脱皮したときは、私は腰をぬかさんばかりに驚愕した。
それが被り物だったのだと気づいてからは、ただただ恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。なんと精巧に作られた異形の姿なのかと憾(うら)みに思ったほどである。
だが、現れた人に、今度こそ私は本当に腰を抜かした。
――私が追い出した、あの兄君だった。
東部森林帯で消息を絶ったもう一人の勇者。その人がそこには居た。
よもや幽鬼の類かとすら思ったが、
「俺とこいつの国では、これ、なんというかな、聖獣みたいなもんでさ。破邪の力があるってんで、年が明けてからこの被り物を被って踊る風習があるんだ。で、子供に噛みつく素振りも見せるんだけど、それも祓い物の一種なんだよね」
ぺらぺらと喋る兄君を見ていれば、そんな疑いなど一瞬で消え失せた。こんなに生気の溢れた幽鬼など、いるはずがない。
黙りこくった私に、兄君は「大丈夫?」と声をかける。
私は嗚呼と呻いてから、伏して罪を詫びた。
「兄君殿。罪を詫びます。許しは乞いません」
「え、なに。なんの話?」
「ローザはさ、兄さんを追い出したこと、ずっと気に病んでたんだよ」
ハッと驚き、弟君の顔を見る。
気づかれているとは、思っても見なかった。だが、それは当然ではないかと、今更になって理解する。並外れた力を持つ勇者に、隠し事などできるはずがないのだ。
と、とっさに思ったのだが、
「みんな心配してたんだけどさ。ローザは真面目だから、ずっと悩んでたんだよね」
「あらら、なるほどね」
「ちょ、ちょっと待っていただけますか」
不穏な話の行き先に、私はあわてて待ったを掛けた。
「私が悩んでいること、あの二人も知っていたのですか」
二人して、目を瞬かせる。
応えがあったのは背後からだった。
「痴れ者が。あれほど露骨に顔に出しておいて、何をいまさら。よく言いよる」
振り返れば、玉のような汗を流し息急きったレスカが膝に手を置いて立っていた。
傍らにはカストロもいる。
「くよくよと悩みおって。拙僧と、カストロ殿と、弟君がどれほど心を配ったと思っておるのだ」
「レスカ殿。よしなされ」
とカストロも合いの手を入れながら、苦笑している。
カラカラ笑いながら、弟君はあげつらった。
「レスカだって人のこと言えないくせに」
「む。いや、それはしかしですな……」
とレスカは言葉を濁し、弟君はそれを見てさらに楽しげに笑う。
それを不思議そうに見ていた兄君は、カストロから耳打ちをされてから、なるほどねとつぶやいた。
弟君と二、三のやりとりをしてから、そして、呼びかける。
「レスカ、ちょっといいか」
「……はい」
不可思議なほど、レスカは素直にうなずく。
そうして、二人は離れたところへと移っていった。
そんな二人を眺めながら、カストロが弟君に声を掛ける。
「勇者殿、お疲れさまでした」
「カストロもね」
「何もしておりませんが、そうですな。確かに疲れた」
苦笑いを浮かべながら、カストロは続けた。あれはなんであったのか、と。あの違え人の軍勢はなんであるのか、と。
いまだ力の入らぬ身で、へたり込んだまま、私はその会話に聞き入っていた。確かに、あれはなんであるのか、私も知りたかった。
軍勢に動きはなく、いまは整列したまま停止している。歌も、踊りも、鐘や太鼓の音も絶えてそのままだ。それはあるいは、いままで以上に不気味な様である。
だが、弟君は笑って質問をかわした。
「そういう説明は、兄さんに聞いてよ。僕はちょっと、口べただから。うまく説明できる自信がない。ちょっと疲れてもいるしね。とりあえず、襲われるってわけでもないから、いまは置いておいて」
「そうですか……。しかし、それにしても此度のこと、少しでも事前に説明を頂きたかったですな」
肝を冷やしましたぞ、と言うカストロに、弟君はごめんねと謝る。
「でも、たぶん、カストロは前もって言ってても、あんまり信じなかったんじゃない? まさかそんなことが起きるのかって。その辺、懐疑的っていうか、ちょっと認識甘かったし」
「それは……」
と困ったように、カストロは顎をさする。図星だったらしい。
「貴族派は全般に、ちょっと自信がありすぎたんだよ。どんな状況だってどうにかなる、たとえ勇者なんて居なくても大丈夫だって、どこかでそう思ってたんでしょ。だから兄さんの追い出しにせよ、僕の暗殺にせよ、そういう話が出る」
「返す言葉がありませぬ。面目ない」
「現実主義なのはいいけど、そういうところは実態をきちんと把握してもらいたいとこあるよね」
現場の意見は大事だよ、という言葉に、黙ってカストロは頭を下げた。
そこで話は終わったように見える。だが、私は、聞き捨てならない言葉に、口を挟まざるを得なかった。
「カストロ殿。暗殺とは、どういうことなのだ」
「ああ、ローザ。そこは気にしないで」
弟君は、気楽に手を振って言う。
「貴族派の中にはそういう意見もあったみたいなんだよ。よくわからない存在である勇者二人は処分して、当初の予定の通りカストロを勇者役にすげ替えた方が面倒がない、ってね」
「まさか……カストロ殿」
私が視線を向けると、口元に苦さを残してカストロはうなずいた。
「大勢に影響するほどのものではありませなんだが、旅始めにいくつか。ここ最近の混乱の中で再び注目を浴びた意見のようでありますな」
「まさしく官僚的な考え方だよね。臭い物に蓋というか、事なかれ主義というか」
「しかし、カストロ殿は、弟君を害する素振りなど見せては……」
と半信半疑で私が述べると、カストロは強く否定した。
「そのようなことは決して。派閥内にそのような考えを持つ者が居たと、そういう話です。自分はそんな話を絶対に認めませぬ」
「カストロってば、強硬派がこそこそ会いに来てアレコレ言ってくるのをね、一人で追い返してたんだ。間者のわりに案外情に篤いよね」
「旅仲間を思うなど、当然のことではありませんか」
「まあ、うん。そうかな」
ありがとね、と弟君が笑うと、カストロは少し照れたような素振りでそっぽを向いた。
そうして、関係ないようなことを口にする。
「……兄君殿が戻られたら、此度のこと、詳しく話を聞きたいものですが」
「まだちょっと無理じゃない? それとも呼んでくる?」
「まさか」
「だよね。故郷ではこういう状況をね、こう言うんだよ」
楽しそうに、弟君は言う。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ、と。
「くはは、まこと至言。逢瀬の邪魔立てなど、とても正気ではできませんな」
「あれで、レスカも結構単純だから。純情って言った方がいいのかな? 相当恨まれるよ」
「空恐ろしい」
めまぐるしく展開される会話の中で、私は置いてけぼりにされているような、何か大事なことをろくすっぽ理解していないかのような、そんな確信があった。
そんな私の、ともすれば寂しさのようなものを含んでいたかもしれない物問いたげな視線に気づいたか、弟君は振り返って笑いかけた。
「ああ、そっか。ローザってば知らないんだっけ?」
「何をでしょう」
「レスカがうちの兄さんと付き合ってるの」
「はあ。付き合っていると」
「うん、そう」
「ほお……つまり、付き合ってる……。付き合ってる……?」
あまりに場違いな話に、理解が遅れる。
私の顔を見ながら、弟君はけらけらと笑い出す。
「そうそう。付き合ってるの。恋人同士」
「まさか。そんな素振りなど……? い、いや、そもそも、いつの間に」
「わりと最初の方から、ですなあ。いやはや、若いというのは、よろしいことです。惚れた腫れたと感情一つで飛び込む無謀さがある上、話の進みが本当に早い」
カストロも小さく笑いながら、説明に加わった。
「だから、レスカ殿は兄君殿を追い出した直接の原因であるローザンヌ殿にきつく当たっておったでしょう。あれについては、本人も反省しておいでだ」
「理性でローザは悪くないってわかってても、どうしてもカッカしちゃってたみたいでね。ついツンケンしちゃってたみたい。許してあげてね」
「は、はあ……」
そういえば、秋口の頃は、妙にキツく当たられたような記憶が……。
いや、そうか、なるほど、あれはレスカの性格のためか、あるいは派閥闘争ゆえのものと思っていたが、最近の応対を思えば、あれこそが異常だったのだ。
妙に得心がいって、私は何度かうなずき直してしまった。
「僕はよく知らないんだけど、秋の終わりくらいに兄さんの訃報か何かが届いたんだっけ?」
「訃報と申しますかな、森で行方を見失ったと、そういう報がありましたな」
「あれでレスカもかなり気落ちもしちゃったみたいでさ、倒れちゃったでしょ。まあ、相当北に来てたから、その関係もあるんだろうけど」
急に、クラクラしてくる。
この大変な旅路の中で、自分の知らないとうちにそんな別の物語が展開されていたのか。
「それでさ、兄さんから託されてたペンダント渡したら、それだけで随分元気になっちゃってさ。ホント、意外なくらい単純だよね」
「すると、あの日の快復は、勇者殿のお力ではなかったと」
「そりゃ治癒の手伝いくらいはしたけどさ。あのペンダントも悪気退散くらいの効果はあるし。でも、病は気からって言うしね」
「なるほど。まさしく気落ちでしたか」
レスカ殿が謝っておられたのもうなずけますな、などとカストロは相づちを打つ。
「あのペンダント、ちょっと貸しただけのつもりだったんだけど。返してって言いづらくて」
と困ったように言う弟君に、カストロは声を上げて笑った。
そうして、二人仲良く、遠目に観戦を始める。
「おや、レスカ殿、罰当たりにも兄君殿をぶちましたぞ」
「レスカ、兄さんが出てく直前まで相当粘って『一緒に連れて行け』って言ってたみたいだしね。心配掛けてたわけだし、一発くらいはいいんじゃない?」
「しかし、もう一発入りましたなあ」
「痴話喧嘩だし、そんなもんでしょ」
そんな出歯亀は、二人が戻ってくるまでのんびりと続けられた。
私はそんな、窮地から一転した状況についていけず、少し目眩がするような思いで出歯亀する二人を見ていたのだった。
やがて、戻ってきた兄君とレスカであったが、開口一番に兄君が弟君をなじった。
だいぶ強くぶたれていたようだったが、ケロリとして堪えた様子がなかったのは、さすが勇者と言うべきなのか。私は密かに戸惑った。
「あれ、お前まだヘコたれたまんまなの? とっとと回復しろよ。忙しいんだから」
「無茶言わないでよ……。兄さんが来るのが遅かったから苦労したんじゃない」
「しょうがないだろ、行軍なんて初めてだったんだし。連絡取ろうにも、お前、ペンダント外してたんだし」
「それも仕方ないと思うんだけど」
お互いブツクサ言いながら、段取りを立てている様子だった。
「じゃあ、とりあえずレスカに祈祷してもらうか。あっちの連中には先にカストロと掛け合ってくるから、さっさと回復しろよ」
「わかったから。ホント無茶言うんだから。あ、そうだ、レスカ。ローザもキツそうなんだけど、一緒に頼める?」
「わかり申した。勇者殿、くれぐれもお気をつけくだされ」
軽く手を振って、兄君はカストロを連れて、手近に居た方陣へと歩いていく。
残された私と弟君の前で、レスカは古語を唱え始めた。古式の舞にも似た仕草も交えて唱えるその姿には見覚えがあった。勇者召喚の後に見せていた、弟君の賦活祈願の儀式だ。
あの頃はたかが儀式と思っていたものだが、当事者になって初めてその効用の凄まじさに驚かされる。目眩にも似た、どこかで地に足が着いていないかのような感覚が急速に薄れていく。
それは弟君にしても同じだったのだろう。何かを振り払うかのように一つ顔を振ってから、感謝を述べている。
「ありがとね、レスカ。だいぶ楽になった」
「お安い御用です」
と、そのやりとりに、慌てて私も頭を下げた。
レスカは笑いながら私の感謝を受け取った。次いで、皮肉げに付け加える。
「『理』の力も、悪くは無かろ?」
「それは……。そうか、私が『理』を眉唾に思っていたのも、気づいていたか」
「当たり前よ。あれほど露骨に顔に出しておいて、よく言いよるわ」
カラカラと笑うレスカに、私は改めて頭を下げる。
旅の始めの頃は、レスカの険悪な態度を苦々しく思っていた私だが、思えば私の態度にも問題があったのだろう。思った以上に表情を隠せていなかったようだし、それも仕方ないことなのかもしれない。
「でも、仕方ないんじゃない?」
と弟君は擁護してくれる。
「もうこの時代には、『理』だって、勇者だって、時代遅れの迷信のように思われてるってことだよ。時代が時代だから、ローザだけが責められるような話じゃない」
「それでも不信心は、誉められたものではないではないですか」
「そりゃあね。でも、仕方ない。時代の流れを理解しながら信教を得る必要があるってのに、王院は『違え人』が去るのを傍観してたわけでしょ。そのせいで結局、勇者まで呼ばなきゃいけないことになっちゃった。そういう流れを作った王院の責任も無視しちゃいけないでしょ」
「その点は面目ない次第です。拙僧も、思うところはありまする」
真面目にうなずくレスカを、私は見やった。
そういえば、レスカは言っていたのだったか――王院には教団を宰領するのを生業とする者と教えを生き道とする者がおる、と。あの言葉が関係しているのだろうか。
私の物問いたげな視線に気づいたレスカは、深々と謝した。
「拙僧らの不始末は詫びねばならぬ。すまぬ」
「いや、私には何がなんだか、わからないが。不信心が此度のことに関わっているのか?」
「深くな。ゆえに、王院の罪は重い」
ため息をつくレスカに代わり、弟君は解説を加えた。
「そもそもね、『理』って何か、ローザはわかってる?」
「いや、なにやら怪しげな術の類と……。そう思っておりました」
「それが一般の見方なんだろうね」
と、弟君は肩をすくめてから、説明してくれる。
「『理』って、つまりは法則だよ。法(のり)と言ってもいい。物事を正しく行い、神の御心に適う振る舞いをすることで世界を汚す汚れを減らす。その生きる指針が『理』なんだ」
「まさしく。その通りでありまする」
レスカが深くうなずいた。心清らかに、正しき振る舞いを行うことこそ「理」に適った生き道であると、それを善導するのが院の任された仕事であると、レスカは弟君の言を継いで説明を加えた。
弟君もうなずいて、さらに話を続ける。
「そうそう。あるいは『理』に適うがゆえに行いうる力を『理』とも言うんだけど、基本的には生き方のことなんだよね」
近代までは、院の善導も問題なく機能してたんだけどね、と弟君は言う。
「ところが、近代以降は信心が薄れ、そうした生き方への意識が希薄になったまま人の活動は活発となった。特に決定打になったのが大陸公路の完成だ。あれで人の往来が増え、人の活動で消費される物が莫大に増えていった」
つまり、と弟君はややこしい話を一言で言い表す。
「ゴミが増えたの」
「ゴ、ゴミですか」
「うん。で、ゴミの掃除が足りてないから、どんどん世界が汚くなっていった。それが地中に流れ込んで、北へ北へと流れていく。で、この地溝の辺りに溜まっていった。汚れが溜まりきって、流れがせき止められちゃって、耐えきれずに爆発したのがさっきの噴火」
ぽんぽんと説明される事柄に頭がついて行かない。
混乱気味の私に、弟君は笑いかけた。
「そうだなあ。この旅の目的地に公都があったけど、あそこは河口に街があるんだよね。そこってたぶん浚渫(しゅんせつ)をやってると思うんだけど、要はそれと同じなんだ」
「浚渫……?」
「川って水が流れてるけど、一緒に砂やゴミなんかも流れててさ、河口にどんどん溜まるの。それを定期的に除かないと、川の底がどんどん埋まっていっちゃう。で、船が座礁しちゃったりするわけ。だから、取り除く作業が必要で、それを浚渫って言うんだけど。ああ、内陸の王都方面の人には馴染みがないのかな?」
「確かに馴染みはありませぬな」
とレスカも興味深そうに聞きながら、うなずいた。
うなずきを返して、弟君は続けた。
「そもそも勇者召喚って事業そのものが、浚渫なんだよ。信仰心を高めて、人々の生活を正し、ゴミが耐えられる量になるようにする。川がせき止められるような状態にしないための事業だ。人が生きて活動するのは仕方がないし、そうしてゴミが出るのも仕方ない。そもそも世界だってさ、自浄作用があるから、許容量に納めればいいんだよ」
「だから本来は、勇者を呼び出す必要なんて、まだないはずだった」と続けた弟君の言葉に、レスカの言葉が頭をよぎった。レスカは勇者召喚を祓除と表現していたが、おそらくこうした意味だったのだろう。
レスカも、自分の存念の裏付けを受け取り、うなずいていた。
「勇者召喚を前に、勇者降臨のお告げもありませなんだ。あるいは告げる暇すらないほどの窮状であったのかと、王院派も深刻に考えておったのです」
「というか、お告げを聞ける人が上層部にいなかっただけってのが真相なんだけどね」
「それは……」
思わず絶句するレスカに、弟君は肩をすくめた。
「それを別にしても、王院派の対応はお粗末だったしさ」
「それは……確かに」
レスカは目を伏せる。
それを見て、弟君は「レスカのせいではないから」と慰めるが、舌鋒の鋭さは変わらずだった。
「ほとんど公害だよね。大陸公路が完成してからは人の往来が激しくなったのに、ろくに対策も採られてなかったんだから。『理』に適う信者がどれだけいたんだって話だよ。その上で、勇者召喚自体を換骨奪胎しちゃったなら、ダメに決まってる」
「謝る言葉もありませぬ」
「気にしないで。ホント、レスカの責任じゃないからさ。レスカはきちんと僕らのこと、本物の勇者だってわかってたんでしょ?」
「それは無論」
「でも、王院の上層部にはそれさえわからない人がいた。どれだけ世俗に染まってるんだって話だよね」
舌鋒鋭く王院をなじった弟君は、話を戻す。
「で、神様方も定期的に地上の観察を行ってるわけだけど、ここ百年くらいでとんでもなく汚染が進んでたものだから、慌てて勇者を送り込んだわけ」
あの方々はのんびりしてるもんだから、土壇場でこういうことになっちゃうわけだよねー、と呑気にとんでもないことを語り始める弟君。
これにはさすがに、レスカも顔をひきつらせていた。もちろん私も同様である。
「これはいかんって二人も放り込んだはいいけど、慌ててたもんだからずさんな仕事をしちゃう。下が下なら、上も上だよ」
「そ、その、勇者殿、拙僧から申し上げるものでもありませぬが、そのへんで……」
「いや、もうね、腹立ってきちゃって。ろくなバックアップもなしに放り込んでさ、挙げ句に一人で汚水掃除なんてさせられたんだ。文句ぐらい言わせてもらわないと」
ああもう、ホント気持ち悪かった、と心底嫌そうに弟君は言う。
「しかも取り違えてあべこべなんて、メチャクチャ過ぎる。地上の信仰が衰えて神託が届きづらいからって、事前の通知もなしに、半死人二人を放り込んだんだよ? そりゃ王国の皆さんだってポカーンでしょ」
「は、はあ」
私もレスカも、それこそポカーンと話を聞いていた。弟君の批判を神への冒涜だなどと咎め立てすることすらできぬ、理解が届かぬ領域の話である。
あまりにスケールが大きすぎて、これもまた勇者ゆえのことか、とどこかで変に納得してしまうほどの話だった。
そんな私たちの反応に、弟君は「あ、ごめんね。話がそれてた」と謝る。
「まあ、それはともかく、大陸公路の完成で汚染が急速に進んで、そのことがきっかけで『違え人』の離反が起こったわけ。彼らの方が敏感だから、このままじゃダメだって気づいたんだろうね。たぶん、離反する前にはもうちょっと穏当に、たとえば抗議なんかもあったんじゃない?」
「それは、拙僧にはわかりかねますが……」
「レスカが聞いてないのか。じゃあ、王院派内の世俗派が陰で握りつぶしたか何かしたんだろうね。で、人間以外の種族の離反と反目が起こる。特にこっちの『違え人』、谷人たちにとってはちょっと噴火しただけで全滅なんだから、死活問題なわけだし」
「な、なるほど」
「っていうか、あっちの森人だって他人事じゃないよ。だって、あの噴火はそのまま王国を飲み込むくらいの力があったんだからね。そりゃ必死にもなるよ」
軽く言う弟君の言葉をすんなり受け取ってから、やおらドキリと胸が高鳴った。
王国を飲み込むくらいの力と、弟君はいま、そう言った。私は物問いたげに弟君を見やる。横目に見れば、レスカも似たような表情で弟君を見ていた。
弟君は目を瞬かせてから、「ああ」と一つうなずいた。
「あの噴火、間近で見ていたのは僕だけだったか。あれはね、本当はここから公都にも、王都にさえも届く、森も山も埋め尽くすぐらいの噴火だったんだよ。すべてを焼き尽くすような勢いで噴き出して、果ては海まで届くほどのね。あのままだったら、王国一帯が不毛地帯になってるところだったよ。なんとか抑え込んで最悪の状況は防いだけど、それでも崖を削ってつぶての一部がポンポン飛び出てくるくらいにとんでもない圧力だったよ」
「まさか……それではまさしく、世の終わりではありませぬか……」
「そりゃあね。勇者が必要なくらいだから」
事も無げに答える弟君に、私とレスカは絶句した。
今になって、ようやくわかる。川渡りも、泉堀りも、弟君は小手先と言っていたが、それも当然なのだ。規模が違いすぎる。この半島が滅びるほどの大地の働きを押さえ込めるのが勇者なのだとしたら、あんなものは確かに小手先に過ぎない。
そして、こうまで危機的な事態であったなら、弟君があれほど強硬に西行を主張したのもうなずける。公都で祭りなどやっている場合ではない。
弟君は肩をすくめて、やれやれとこぼした。
「本当は、ここまでならないようにするのが王院の仕事なんだけど、すっかり世俗の考えに冒されちゃってさ、世俗派が権力を握っちゃったりする体たらくだからね。レスカが世話になったレンブラント司教さんみたいな物のよくわかった人が王院に居ればまた違ったんだろうけど、あんな優れた人が地方院に回されてるんだから世話ないよ。それだってどうせ派閥内のドロドロが原因でしょ。レスカにろくなバックアップがなかったのも、そうなんだよね?」
呆れた様子で、弟君は断じた。
「もう一度言うけど、これ、もう立派な公害だよね」