晩夏:兄弟勇者の訣(わか)れ
この作品に興味を持ってくださったことに、まずお礼申し上げます。プロローグを開いてくださってありがとうございます。
作者の未熟ゆえ、つたない作品であるとは思いますが、楽しんでいただけたらと思います。
感想は批判も含めて歓迎しております。感想(と評価)を頂けますと作者は大喜びしますので、気軽にどうぞ。
それは、忌々しいほどに晴れやかな夏の終わりの日のことだった。
大陸公路を進む勇者パーティの旅は順調で、そこになんの憂いもなく。春に公路西端の王都から始まった旅もこれまでは大過なく進んでいた。
だが、それもこれまで。
この街でも大いに歓待された勇者お二人の笑顔を盗み見ながら、私は胸に差し迫る痛みに耐えなければならなかった。
これほど仲の良い兄弟を、引き剥がさねばならないのだから。それもほかならぬ私自身の手で。
二人の元を訪ったのは、私たち勇者パーティが領主宅にて存分に持て成しを受けた後のこと。夜もとうに更けてしまった頃のことだった。
出迎えてくれたのは、兄君であった。
「静かに。もう寝てるから」
そっと指し示す先には、あどけない顔で眠る弟君の姿が見えた。
そのおあつらえ向きの状況にホッと胸をなで下ろす。反面、まるで誰かが裏で糸を引いているかのようなその都合の良さは、どこか空恐ろしくさえあった。
「何か用事があるのか? それなら、どこか別の場所で聞くけど」
瞼を擦りながらの兄君に促され、私は自分のために用意された隣室へと彼を招いた。座椅子と卓がしつらえられただけの殺風景な待機部屋だ。だが、不寝番を担う私にとって不足はない。
窓から夜風が吹き入っていて、残暑で温くなったままの部屋をかすかに冷やしている。
卓に用意されてあった水差しを手に取り杯に水を注ぎながら、兄君は手短に問うた。
「それで?」
「……はい。これを」
ためらいながら、私は懐から封書を取り出した。それは王都から送られてきた兄君への依頼書であった。
王国印で蜜蝋された手紙を開封して、兄君はしばし読みふけった。
「なるほど」
なんの感慨も面に乗せず、兄君はうなずく。座椅子に座る彼は、立ったまま控えていた私を見上げた。
「ローザンヌは、この手紙の内容を知らされてるのかな?」
「はい。別途、通達を受けております」
「一応、確認しておこうか。間違いがあってはならないからね」
文面に目を落としながら、彼は淡々と確認を進める。
「まず、俺はここでパーティを離れる、ということで間違いないかな」
「……はい」
「そっか。で、東の森に向かって、そこで異民族――『違え人』と書いてあるが、そういうことなんだよな? その異民族と王国の抗争の仲介をすると」
「はい」
「その理由として、勇者はその昔『違え人』をも従えただなんて記述が歴史書にあるからとかなんとか書いてあるんだけど、そういう記録が残ってるの?」
「はい。そのような事績も勇者の功績の一つとして王国の記録には残っております」
勇者の付け人として抜擢された私は、そうしたかつての勇者の事績について、事細かに学習している。
正直、眉唾の類には違いないが、東の森林帯や西北の辺地に棲まう「違え人」らを従えたという伝承が確かに存在することを、私は知っていた。今となってはどちらも国内最大の紛争地帯だ。だが、それでも、確かに記録は存在する。
だから、私は何も言わず、ただそうやってうなずいたのだった。それがどれだけ私の良心の咎める行為であったとしても、だ。密書を彼に手渡すこと、それだけが任務なのだから、それだけを執り行う。それだけで、いいのだ。
さらに二、三のやりとりをして、末に兄君は瞑目した。
「そっか」
背もたれにもたれかかって思案に耽る彼を、私は改めて直視した。
その顔立ちは、さすがに弟君とよく似ている。こうして見ていると、意外なくらいその顔立ちには幼さが見えた。むしろ弟君の方が年上ではないかと思えるほどだ。背丈も弟君の方が高く、姿だけを思えば、兄と弟、あべこべに思えてくる。
だが、兄君は体調の優れない弟君を思いやって、支えながら、ここまでやってきた。時にはこちらの提案を否んで、だ。その強さは確かに、兄の姿だった。
それゆえに、こうして追い出されるのだと。そう思うと、不意に抑えていたはずの強い憐憫の情が湧いてくる。
――だめだ、抑えないと。
「なるほど、わかった」
いつの間にか目を開けていた兄君は、なんの気負いもなくあっさりとうなずいてくれた。
「明日からローザンヌたちとは別行動だな。弟のこと、よろしく頼むよ」
思わず言葉に詰まって、私は小さくうなずくことしかできなかった。
「なら良かった。ローザンヌは今日も不寝番をしてくれるんだっけ?」
再びおとがいを上げた私は、ふと、動きを止めた。
旅に出て以来、護衛の命を――つまりは、そうした名目での監視の命を――遂行してきた私に、本来、別の選択肢などない。
だが、この程度なら許されるのではないか。気の迷いには違いない、しかし、腹の底から湧き起こった情動が私を突き動かしたのだ。
気づけば私は首を横に振っていた。
「……いえ、この館であれば問題ありますまい。今日は私も、休ませていただきます」
「へえ」
このとき初めて、兄君は表情を動かした。
目を丸くして驚き、それから確かに――苦笑いを浮かべたのだ。
「そっか。いつもお疲れさま、今日はゆっくり休んでくれたらいいよ」
そのねぎらいの言葉に、私はただ頭を下げたのだった。
その日、私はついぞ眠りにつくことができなかった。
東の森林帯は「違え人」の叛徒どもが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する辺地である。その猖獗(しょうけつ)たるや、遠く離れた王都の者の、王国を動かす人々の想像をはるかに超えたものであることを、東部辺境の出である私はよくよく知っている。
一度は命令を拒んだのだ。一介の近衛騎士に過ぎない私にとって、それが許されざる行いであることはわかっていた。だが、それでも拒まねばならなかったのだ。その頃はまだ弟君の体調が優れず、兄君の助けがなければここまで到ることもおぼつかなかっただろうから。
一度目は密使を相手に、私の説得も通じた。だが、二度目の此度は、家門を引き合いに出されて脅しを受けた。
「命令を受けよ、さもなくば」と、そう来ることは意外なことではなかった。然(さ)もあらん。
そして、そうされれば、もう私には拒むことができないことも、わかっていた。
――「違え人」の慰撫だと?
何が慰撫だ。体のいいお払い箱ではないか。
兄弟最後の夜を思い、私には、どうしたって眠ることなどできようはずがなかったのだ。