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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒後家蜘蛛の被害者のオフ会

作者: さとちゃん

 その女性の名は「奏子かなこ

 プロフの自己紹介は「未亡人です」の一言だけだった。

                 ・   

                 ・   

                 ・   


 いつものコンビニのバイトから誰も居ない部屋に戻った健太は、早速PCを立ち上げて、最近入会した某アダルトSNSにログインした。

「ちぇっ、今日も空振りか。」

 何通か送ったメッセージはすべてスルーされ、今日も受信メールは0件だった。健太はやりたい盛りの二十歳の大学生。このアダルトSNSに入会したのも完全にナンパ目的だ。


 入会してしばらくは、あれこれと女性の日記にコメントを付けたり、メッセージを送ってデートに誘ったりしたが、収穫はさっぱりだった。どうやらこのSNSに集まる女性は、皆一様に男性に対する警戒心が強いらしい。特に誰彼ともなくメッセージを飛ばして、いきなり女性と会おうとする男は「精子脳」と呼ばれ、忌み嫌われる存在の様だった。


 健太は仕方なくターゲットを絞って、じっくりと事を構えることにした。このSNSは友達申請をすることで、少しだけ関係を深めることが出来るらしい。まあmixiでいうマイミクの様な機能だ。もっともいきなり友達申請をしたところで断られるのがオチなので、最初は日記やコミュニティーでのコメントのやり取りからになる。スグに犯れる相手を探している健太にとってはまどろっこしい事この上ないが、千里の道も一歩からだ。健太は少しずつ友達を増やしながら、じわじわと外堀から固めて行った。


 ただ、そんな中で気になった女性が一人居た。それが冒頭の奏子だった。彼女はこのアダルトSNSには珍しくプロフに顔写真を上げていた。さすがに前髪で隠れている為、目線までは見えないが、輪郭や口元を見る限り、十分美人であることが分かる。


 また彼女は稀に日記を上げていた。日記の内容はいつも同じで、鏡に向かって自撮りした写真。その上、服装もいつも同じで、決まって背中に赤い模様の付いた黒いドレスだった。

 黒ドレスは露出度が高いとは言えないが、体のラインがくっきりと出る。そこから判るスレンダーながら整ったスタイルは、世の男性の琴線に触れるらしく、日記を公開する度に精子脳たちからワラワラとコメントが付いたのだった。


 奏子についてもう一つ気になることがある。彼女は1年ほど前に、このSNSに入会したらしいが、友達の数はかなり少なく、たったの6人だった。しかも皆が皆、このSNSに飽きてしまったのか、最終ログインが3日以上前になっていた。ただ、これはチャンスかも知れない。健太は何度か日記にコメントを付けた後、思い切って奏子に友達申請をしてみることにした。これで駄目なら諦めよう。


 清水の舞台から飛び降りる思いで送信した友達申請メールは、実にあっさりと許可され、奏子の友達は健太を含めて7人になった。友達になって初めて判った事だが、彼女は友達限定の日記を書いており、驚いたことに彼女はそこで前髪に隠れてない素顔と、自らの素裸を惜しげもなく晒していた。


 豊かな黒髪にやさしげな眼差し。すっきり通った鼻筋にやわらかそうな唇。一見スレンダーだが必要な箇所だけは十分に成熟した肢体。慎ましやかな乳房とつんと上を向いた乳首。写真で見る限り、奏子は男の欲望を具現化した様な、まさに理想の容姿の持ち主だった。

 もう一つ健太を満足させたことがある。彼女の友達は健太以外は誰もこのSNSにログインしていない。つまり彼女の裸を鑑賞しているのは、世界中で健太一人ということになる。健太は幾分の優越感を持って、奏子の裸体を堪能したのだった。


 ただ、奏子の友達になって数日後のある日の事だった。彼女から信じられないメッセージが届いた。


「健太さん。お願いがあります。厚かましいと思いつつも健太さんしか頼る人が居ないのです。もし迷惑でなければ、私を抱いて頂けないでしょうか?」


 健太は何度もメッセージを読み返し、その度にほっぺたをツネり夢でない事を確認した。あの美しい未亡人を抱ける・・・健太は天にも昇る気持ちになり、2つ返事でOKしたのだった。


 その後、彼女と何度かメッセージを交換し、逢瀬の詳細を詰めた。彼女は都内の外れにある「裏野ハイツ」という賃貸に住んでいたが、理由有ってそこから離れられないらしく、健太に来てほしいとの事だった。「裏野ハイツ」は健太の住んでいる場所からだと、電車を乗り継いで1時間でいける場所だったので、健太はその条件に合意した。というより貧乏学生の健太にとっては、ホテル代を出さなくて良いのが助かる。


 ただ、その後、彼女から切り出された話は、いささか奇妙なものだった。

「私が住んでいるのは二階の202号室ですが、直接行っても鍵が閉まってて開きません。まず最初に同じ二階の201号室を訪れて、そこにいるおばあさんに。「奏子さんに会いにきました。」と言ってください。話は私が通しておきます。」

 健太の頭にいくつもの?が浮かぶ。奇妙で仕方が無いが、どうやら奏子を抱くにはそうする必要が有るらしい。


 次の日、健太は早速電車を乗り継いで「裏野ハイツ」に向かったのだった。近くで見る裏野ハイツはいかにもバブル前にやっつけで作ったマンションで高級感はゼロだった。どう考えても奏子の華やかなイメージにそぐわない。


 健太は狐に包まれたような思いで、とりあえず二階へ上がると、約束どおり202号を素通りし、201号のドアホンを押したのだった。


「はーーーーーい。」


 中から間延びした嗄れ声が返って来る。しばらくしてドアが開き、奏子の言ったとおりお婆さんが出て来た。何歳くらいか見当が付かないが、顔の皺から判断するに、優に年金をもらえる年齢なのは間違いない。その、おばあさんの両手には酷い火傷の痕が有った。

「すみません、奏子さんに会いに来たのですが……」


「はい、はい聞いておりますよ。お兄さんが健太さんですね。ちょっと待ってくださいね。」


老婆はそう言って、いったん部屋の中にすっこんだかと思うと、今度は鍵を持って現れた。


「こちらです。お兄さん。」


 老婆は健太を先導して202号室に向かうと、持ってきた鍵をドアノブに差し込んで鍵を空けた。


「どうぞ、ごゆっくり……」


 老婆はそういい残して、自分の部屋に戻ってしまった。

健太は奏子のメッセージを思い出して一瞬呆然とした。

「私が住んでいるのは二階の202号室ですが、直接行っても鍵が閉まってて開きません。」

 つまりこのドアは外側から施錠されると、内側からは開けないことになる。一体なんの目的で? 一瞬、物凄く悪い予感が身を過ぎる、心の何処かでアラームが鳴り「このまま帰れ!」と騒ぎ始める。


 ただ、しばしの葛藤の末、結局、奏子の魅力が健太の脳内で競り勝ち、健太は202号室の扉を叩いたのだった。


「奏子さん、居ますか……失礼します。」


「健太さんですね。お待ちしていました。」


 扉を開くと、すぐそこに奏子が居た。彼女を見た瞬間、健太は思わず心臓が飛び出そうになった。漆黒の髪に優しげな濡れた眼差し、整った鼻筋に悩ましげな笑みを浮かべた口元。真近で見る奏子は写真でみるより遥かに魅力的な女性だったのだ。奏子の服装はいつもと同じ、背中に赤い柄の付いた黒いドレスだったが、この下に何度も日記で堪能したあの裸体があるのだと思うと、健太の胸は高鳴った。


 健太は奏子に導かれるまま、リビングに通された。そこはちゃぶ台と座布団が2つあるだけの殺風景な空間だったが、奏子に見蕩れていた健太は少しも気にならなかった。リビングはキッチンやダイニングと接してるのに関わらず、不思議と生活臭がしない。


「どうぞ、これでも飲んでゆっくりなさってください。」

 健太は座布団に腰掛けると、そのまま麦茶を薦められた。緊張でノドがカラカラだった健太は、迷わず麦茶を飲み干した。


「すみません。わざわざこんな所まで来ていただいて。」


「いや、こちらこそ押しかけてすみません。でもどうしてお家なんですか?」

 健太の常識からして、妙齢の女性が異性と出会うのに、自宅という選択肢は有り得ない。


「ええ、私はちょっと理由が有って、ここから出られないんです。」

 その一言に健太は違和感を感じた。真近でみる奏子はごく普通に健康そうで、立ち振る舞いを見る限り、特に身切れた処も無さそうだ。

「そうなんですか、それはちょっと不便ですね。」

 詳しい事情を聴きたいのはやまやまだが、とりあえず話を合わせることにする。


「いや、身の回りの事は、隣の方が色々お世話をして下さるので、それほど不便では無いんですよ。」

 恐らく201号室のおばあさんの事だろう。彼女との関係が気になるが、これも聞かないでおこう。


「寂しくは無いですか?」


「ええ、だから時々、健太さんみたいな人に来て頂いてるんです。」


「じゃあ、たまにこういう事をされるのですか?」

 健太が一番引っ掛かった点はそこだった。彼女ほど美しければ、男など選り取り見取りだろうに、何故わざわざネットで知り合った相手を選ぶのだろう。


「ええ、こんなとこに一人で住んでいると、時々、誰かに確認して頂かないと、自分が女で居ることを忘れそうになるんです。本当に私で良いんですか?」


「良いかなんてとんでもない!僕は奏子さんみたいな綺麗な女性、生まれて始めて見ましたよ。」

それは偽らない健太の本心だった。


「本当ですか。」

奏子が少しうれしそうに微笑む。


「ええ、今日お会いできたのも何だか夢みたいで・・・」


「ふふっ、じゃあ今からそれを現実にして頂けます?」

 奏子はそういうと、立ち上がってドレスの肩紐をずらした。ドレスはストンと足元に落ち、彼女の白い体があらわになる。驚いたことに、奏子はドレス下に何も着ていなかった。いきなり現れた奏子の裸身に、健太の頭は真っ白になった。


「奏子さん!」

 抑えきれない雄の衝動に突き動かされ、健太は本能に導かれるまま奏子に抱きついていた。


「待って、待ってください……隣の洋室にベッドが有りますから・・」

 奏子は若い雄の欲望をやんわり往なすと、視線で健太を隣の部屋に誘導した。健太が素っ裸の奏子を姫抱きにしたまま隣室の扉を開けると、そこは6畳ほどの洋室で、窓際にはベッドが置かれていた。


ただ、一歩その部屋に踏み込んだ瞬間だった。


「誰だ!」


 押入れのある引き戸の辺りから、複数の視線を感じ、健太は思わず誰何していた。ただ、そこには誰も居なかった。気のせいだろうか??


健太は気を取り直して、窓際にあるベッドに奏子を横たえた。


「来てください!健太さん!」

 無邪気に求めてくる奏子に、健太は思う存分自らの欲望をぶつけた。健太は性行為こそ初めてでは無かったが、今までに抱いてきた女が霞むほど、奏子の肉体は素晴らしかった。健太は若い欲望を何度も奏子に放ったが、奏子はどこまでもその要求に答え続けたのだった…


 嵐の様な情事を終え、ベッドに寝そべった健太は、いささか気恥ずかしくなった。欲望を満たした後の気だるげな部屋の空気に、沈黙が重くのし掛かる。


「ねえ、何か話してほしい。」

照れ隠しに健太は奏子に話しかけてみた。


「話??」


「うん、何でも良いから。奏子さんの話が聞きたい。」


「私の話なんて退屈だと思うけど。」


「そんなこと無い・・・君の事が知りたい。」

健太の本心だった。


「じゃあ、ここ『裏野ハイツ』の話を聞かせてあげるわ。たぶん知らないと思うけど、ここは昔は神社だったの。」


「へえ、そうなんだ………」

寝物語に聞くには少し退屈な話だが、沈黙よりはマシだ。


「その神社ではちょっと珍しい神様が祭られていたの。」


「珍しい神様って。」


「蜘蛛の神様」


「蜘蛛ってあの昆虫の蜘蛛??」


「そうよ。」


「へえ、蛇や牛がご神体ってのは聞いたことが有るけど、確かに蜘蛛ってのは珍しいな。」


「その蜘蛛の神様はね、かなりご利益のある神様だったの。だから神社の有った村は、その神様の力を利用して栄えることが出来たわ。ただ、その代償も大きかった。」


「代償???」


「ええ、その神様は村の加護と村人の無病息災を約束する代わりに、二ヶ月に一人、生贄を要求したの。」


「それはちょっと法外な代償だな。」


「そうかしら??」


「だって二ヶ月に一人と言えば、一年に6人だろ。それだけ生贄を捧げたら、村が立ち行かなくなっちゃうよ。」

少し引っかかる……一年で6人、何処かで聞いた数だ。


「それは今の人の感覚よ。昔は流行病があれば簡単に三割くらい人口が減ったし、地震や台風で人口が半減する事も良く有ったわ。蜘蛛の神様はそれらの災厄から村を守ってくれたよ。」


「なるほど」

 どこまで作り話でどこまで実話なのか怪しいが、奏子の話は妙に牽かれるものが有る。


「でもやっぱり、時代が下るにつれて村では神様は不要だって意見が強くなったの。だって医学の進歩で流行病は克服できるし、土木技術の進歩で天災に対してもある程度備えられるようになったわ。」


「それじゃ、結局どうなったの。」


「ある日、村人は結託して、神社ごと神様を焼くことにしたの。」


「世話になった割に恩知らずな村人だな。」


「ふふっ、確かにそうかも……でも考えてみて。今までずっと一年で6人の生贄を捧げさせられたのよ。長年続いたしきたりだったから、どの戸も最低一人は家人が犠牲になっている。そりゃあ、恨みも積って当然だと思うわ。」


「確かにそうかも……で、結局どうやって神社を焼いたの。」


「ええ、生贄に選ばれた女の子を騙して社に灯油を撒かせたの、神社を清める聖油だって言い含めてね。後は外から火矢を放って終わり。」


「酷いな・・その女の子ごと焼き殺そうとしたんだ。」


「村人もどうせ最後の生贄だって考えたんでしょ。」


「で、神様と女の子はどうなったの。」


「焼け跡からは何も出てこなかった。」


「女の子はともかく神様なんて最初っから居なかったんじゃないの。」


「それは違うわ。村人に騙された事に気付いた女の子は、燃え盛る炎の中で、神様に助けを求めたの。神様はその願いを聞き入れて、最後の力を振り絞りその女の子を助けようとしたわ。」


「二人は結局どうなったの。」

フィクションに決まっているが、なかなか良く出来た話だ。


「幸いにも二人とも、何とか生き残る事ができたわ。ただ神様は女の子を助ける過程で、その力の大半を失ってしまったの。で、女の子は助けてもらったお礼に、その神様に尽くす巫女になった。」


「へえ、なんか不思議な話だな。続きが気になる。」


「弱りきった神様は、とりあえずそこでじっとしてすることでジワジワと力を取り戻して行ったわ。神社のあった土地はね、地脈という土地の持つエネルギーが溢れた場所だったの。巫女になった女の子は神様に言われるまま、周りに結界を張って、邪魔が入ってこない様にしたの。ただ、そんな中でこの裏野ハイツの建設話が持ち上がったのよ。」


「げっ、じゃあ結局どうなったの。」


「一度張った結界は、むやみに動かす事が出来ない。巫女の女の子はここの地主さんと掛け合って、昔ここに神社があった事と鎮守神として祭られていた蜘蛛神の話をしたの。地主さんは話のわかる人だったので、マンションの中に小さな社を作ることを許可してくれたわ。おかげでその神様は最近になってようやく生贄を食べれるくらいにまで回復したの。」

 奏子はそう言うと、ペロリと一回、舌なめずりをした。その赤い舌を見た瞬間。健太の背中をいやな汗が流れる。年に6人の生贄を食らった蜘蛛神。一年で6人の友達は皆、最終ログインが3日以上。あれはログインしなくなったのではなくて・・


「そう、ようやく判ったようね。その神様は私。生き残った巫女は201号室のおばあさん。私は結界のあるこの202号室から出られない。健太くん貴方は大事な生け贄なの。」

 奏子はそう言うと健太に剥き出しの欲望をぶつけてきた。彼女の切れ長の美しい双眸が、太古の欲望にまみれて怪しく光る。ただ、その欲望は性欲ではなく、紛れも無い食欲だった。その目に射竦められた健太は己の人生の終焉を悟った。ああ、死ぬ。俺は紛れも無く。今ここで死ぬ。

 それは天敵を失った人類が忘れて久しい感覚。絶対的な捕食者に出会った獲物の感覚だった。健太が己の命運が尽きた事を知ったその瞬間だった。

「ガリッ」

 奏子はいきなり健太の首の辺りに噛み付いた。その口にはいつの間にか大型の肉食獣の様な犬歯が生えている。どういう仕掛けなのかわからないが、まったく痛みは無かった。ただ


「か、体が動かない。」

そう奏子のその一噛みで、健太の首から下はまったく動かなくなった。


「ええ、今貴方の体内に麻痺毒を注いだわ。これで貴方は絶対に逃げられない。」

 その時になって健太はようやく、彼女の赤模様の付いた黒いドレスの意味を知った。

セアカゴケクモ!

猛毒を持ち交尾の後で雄を食う蜘蛛だ!


「うわーーーーー!」

 健太は唯一動く頭を必死に動かして何とか逃れようとした。ただそれは無駄な足掻きだった。奏子はそんな健太を冷ややかに見下ろすと、やがて健太の手を持ち上げて顔の前に持っていった。そして・・・

「カリッ!」

 小枝をへし折る様な音がしたかと思うと、健太の右手人差し指が無くなった。そう、奏子に食われたのだ。ただ・・・・

「痛くない……」

 手には多くの神経が集まっている為、指を失うと激痛が走るはずが、何故か痛くもかゆくもなかった。それどころか無くなった指の傷跡からは血が一滴も出なかった。


「ええ、安心してください。私の毒には体を麻痺させるのと同時に、痛覚も麻痺させる作用が有ります。今から貴方を食しますが、その間、痛みは一切感じずに済みます。」


「じゃあ、血が出ないのは?」


「ええ、私の唾液には強力な凝血作用が有ります。なので貴方がいくら傷ついても、血はほとんど出ないでしょう。」


一通り説明を終えた為か、奏子は食事を再開した。

「カリッ!」「カリッ!」「カリッ!」「カリッ!」と立て続けに音がしたかと思うと、瞬く間に、健太の右手の指が全部無くなった。通常ならのた打ち回るほどの激痛を感じるはずが、奏子の毒の為に痛くもかゆくも無い。健太にはその無痛がたまらなく恐ろしかった。


 奏子は健太の右手指を全部平らげた後、今度は手のひらにむしゃぶりついた。白くて綺麗な歯を健太の右手に突き立てながら、硬い煎餅を齧るように、奏子は少しづつ少しずつ、まるで愛撫のように優しく優しく、健太の右手を食べていった。結局右手首から上が無くなったところで、奏子は満腹したらしく、健太の隣ですやすや寝息を立て始めた。その無邪気で美しい寝顔を見ていると、さっきまでの処遇が嘘のように思える。ただ、その正体は人を食らう化け物なのだ。

 健太は動かない体を必死で動かそうと試みた。しかし、いくら力を入れようと首から下の部分はまるでマネキンと入れ替わったかのように、ピクリとも動かなかった。手首の骨が剥き出しになった右手を眺めながら、健太はシクシク泣いたのだった。


 その日からある意味、判を押したような毎日がやって来た。奏子は朝早く起きては、朝食代わりに健太の体の一部を平らげ、やがてスヤスヤと横になっては、お昼ごろに起きてまた健太の体の一部を平らげ、またスヤスヤと横になっては、晩におきて健太の体の一部を平らげた。面白いことに、化け物である奏子の食事周期もどうやら一日三食らしい。そして奏子の食事の度、少しずつ健太の体は減っていったのだった。


 2日目……両手首がなくなった。

 5日目……両腕が無くなった。


 肘から先が無くなった両腕を視界の端に捕らえながら、健太の頭を過ぎるのは、自らの余命だった。奏子の話によると生贄は二ヶ月に一人、つまり健太は二ヶ月掛けて奏子に食われることになる。当然ながら二ヶ月目の最終日までは生きていないだろうから、何処かの時点で健太は絶命することになるだろう。健太が死ぬのは、心臓を食べられた時だろうか、肝臓を食べられた時だろうか。自分はあと何日くらい、生きていられるのだろう。いやあと何日くらい、生きたいと思えるのだろうか。


 8日目……両肩から先が無くなった。

12日目……右足が無くなった。


そして

20日目……両足が無くなった時、健太はついに自らの人生を諦めた。


「お願いだから一思いに殺してくれ!」


 健太は泣きながら奏子に懇願した。命を助けて欲しいと頼む事を命乞いというのなら、命を奪って欲しいと頼む事はなんと呼べば良いのだろう。ただその涙ながらの懇願を、奏子は聞き入れてくれなかった。


「それは出来ないんです。死なれちゃうと肉が腐っちゃいますから。健太さんには出来るだけ長い間生きていて貰わないと困るんです。」

 世にも恐ろしい言葉を、奏子はしれっと口にした。そういえば聞いた事がある。寄生蜂の幼虫は、宿主である芋虫をなるべく殺さない様に食するらしい。まずは性殖器、次に筋肉や皮下脂肪、最後に消化器や循環器と……驚くべきことに幼虫に体組織の8割を食されても、芋虫は生きているらしい。


 健太はやむ終えず自ら命を絶つ方法を模索した。ただ、しばらく考えて諦めざるを得なかった。首を吊るにも体が動かないし、今では四肢も無い。舌を噛む事も考えたが、あれは激痛が原因で死ぬらしいので、痛覚が麻痺している身には意味が無い。達磨のようになった自らの手足を見ていると、思わず自嘲の笑いが込み上げてきた。もし痛覚が有れば今頃はとっくにショック死してるだろうし、傷口から血が流れたのならとっくに失血死しているだろうが、どちらも無いのなら死に様がない。


 健太は素直に自らの命を奏子に委ねる事にした。どうせしばしの命なんだから、慌てて死ぬ必要も無いだろう。そして、どうせ痛くならないのなら、この際いっそ楽しむことにしよう。こんな経験は文字通り一生に一回しか出来ないのだ。


 両足が無くなってから、奏子はとうとう健太の胸の肉を齧り始めた。そして30日目で胸の肉がすべて無くなり、内臓が丸見えになった。自らの内臓が見えるというのは、非常にシュールな光景だった。ひたすら脈打つ心臓に、赤褐色の腎臓や肝臓。肌色をした胃と小腸はウネウネと蠕動し、ピンク色の双肺は呼吸のたびに収縮する。恐らく何処かの臓器が食べられた時点で自分は絶命するだろう。健太はその瞬間を今か今かと待ちわびたのだった。

 

 31日目、奏子はとうとう健太の内臓を食べ始めた。最初は腎臓だった。内臓は生物の部位ではもっとも美味な部分らしい。健太の内臓もよほど美味かったらしく、奏子は「美味しい、美味しい。」と言いながら、健太の腎臓を貪った。その双眸を涙が伝っているのを見て、健太は自分にも同じような記憶があったことを思い出した。2年ほど前だろうか、生活費の大半をパチスロで溶かしてしまい、3日ほど絶食したのだ。幸い三日目にバイト代が入ったので、何とか吉野家で腹を満たすことができたが、あの時の牛丼は食ってて涙が出たな……。ただ、恐らくあの時自分が食べたのは、牛の肉なんかじゃない。牛の命そのものだったのだ。

 涙を流しながら自らの内臓を貪る奏子を見て、健太はいかなる怒りも沸いてこなくなった。それどころか赤子に乳をやる母親の様に、どこか幸せで満たされた気分になった。ああ、自分はたくさんの命を貪ってきた。そうして養ってきた命を、今ここで神に還しているんだ。


 結局奏子は一日で腎臓二つを平らげた。驚いたことに健太はまだ死ななかった。次の日、奏子は健太の肝臓を平らげた、健太はまだ死ななかった。ここにきて健太は、自らの生存を疑問視した。腎臓にしろ肝臓にしろ、いわば人体の急所だ。それを失って生きていることが有りえるのだろうか?


 ただ、次の日に心臓を食べられても生きている自らを見て、健太はようやく真実に行き当たり、おもわず笑い転げそうになった。なんだ自分はとっくに死んでいたんだ。生きててもらわないと困るんですと言う奏子の言葉は、恐らく健太に生きてると思い込ませて、新鮮な肉を手に入れるための方便なのだろう。

 健太が死んだのは、腎臓を食われた時だろうか?両手両足を失った時だろうか?もしかして最初に首筋を噛まれたときかも知れない。

 いずれにせよ死んでしまった自分にとって、怖いものなどは何も無かった。50日目でとうとう健太の胴体は全て無くなり、首から上だけになった。このころになると、奏子は少し健太に飽きてきたらしく、部屋の隅に置いてあるPCに向かう時間が増えた。恐らく次の生贄を物色しているのだろう。


 胴体を食べ終わってから、奏子はいよいよ健太の頭部を食べ始めた。この頃になると、健太はとうに自らの死を受け入れていたので、客観的な視点で奏子に食われる自分を眺めることが出来た。奏子は最初、健太の頬を食べ始めた。そのあと耳、鼻、目と食べ続けた。

そしてびったり60日目で健太の体は完全に無くなった。ある程度想像していた事だが、体が無くっても健太の意識は無くならなかった。どうやら健太は己の肉体から解放され、完全な幽霊になったようだ。

 重力という物理的な束縛からも解放された健太は、ゆらゆらと202号室を漂った。そしてその時になって初めて気付いたことがある。壁際の押入れのある引き戸の辺り・・・最初にこの部屋に入った時に視線を感じた場所に、健太と同じ幽霊が居たのだ。幽霊の数は6人・・・その顔には全員見覚えがある。間違いない、あのアダルトSNSで奏子の友達だった男たちだ。健太は引き寄せられる様に、ふらふらと男たちの居る場所に向かったのだった。


「このたびはご愁傷様でした。」


 壁際の幽霊の一人が健太に向かって放った一言に、健太を含めた7人が爆笑した。もちろん笑ったといっても肉体の無い幽霊の音声が空気を震わせることは無い。新入り幽霊の健太はその6人の幽霊といろいろな話をして、すっかり意気投合してしまった。どうやらその6人も健太と同じような方法で、この裏野ハイツ202号室に呼び寄せられたらしい。驚いたことに、その6人は6人とも、自らの生涯を終わらせた奏子を恨んでは居なかった。

「ああ、いい連中だな。」健太は思った。わずかな時間ではあったが、同じ女性に惹かれて集まった男たちの間には、何か目に見えない連帯感の様なものが存在した。


「彼女、一体何者だと思う。」

 健太は奏子に食われている間、ずっと気になっていた疑問を6人の先人に尋ねてみた。


「アトラク=ナクアって知っています? クトゥルフ神話に登場する蜘蛛の神様なんですが、僕は彼女がそのアトラク=ナクアじゃないかと思っているんです。」

 6人の中で唯一眼鏡を掛けた、一番賢そうな男がそう答えた。


「それってどんな神様なの。」


「アトラク=ナクアは広大な深淵に巨大な巣を張りつつ、無限の幽閉期間を送っている神様なんです。その姿は人間と同じくらいの大きさのクモで、一説には巣が完成した時が世界の終焉の時だと言われています。

ただ、僕はそこが違うと思うんです。彼女の巣が完成したとき、彼女に食い尽くされた僕たち人類は、巣の中で彼女の子供として再生されるのです。」

 眼鏡の男はそういって明るく笑った。


「確かにそうかも知れないね。」

 幾分己の願望が含まれた男の意見だが、健太はなぜか首肯せざるを得なかった。


 ずっと、神社に幽閉されていた彼女。その後は202号室から出られないと言っていた彼女。そんな彼女が巣(Web)を張ったのは、インターネットという広大で深遠な世界だった。もっとも一年に6人のペースだと、今の人口の人類を食い尽くすのに12億年掛かる計算になる。まあ、それだけ未来になると、どうせ世界は滅びているに違いないが……


「どうやら、8人目のお出ましらしいぜ。」

誰かの呟いたその一言に、今居る全員が洋室の入り口に注目した。


 その瞬間、入り口の扉が開き、素っ裸の奏子を姫抱きにした男が入ってきた。男は部屋に入った瞬間、健太たち幽霊のいる押入れの前を睨み付けて「誰だ!」と誰何した。

 その様を見て健太たち7人の幽霊は、決して誰にも聞こえない笑い声を部屋中に響き渡らせたのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 最後まで呼んでタイトルの意味が分かりました。 こんなオフ会はやだ!って大喜利っぽいですね。 楽しく読ませて頂きました。
[良い点]  実に良いホラーでした。  蜘蛛神である奏子のキャラクター性も全然嫌になりませんでしたし、主人公も前半でしっかりと語られていたこともあり、自然と物語に入り込めました。  ホラーなんだか…
2016/07/18 02:48 退会済み
管理
[良い点] 蜘蛛とネットの世界がうまく融合していて世界観的におもしろかったです。 あと、グロテスクな部分も主人公が痛みを伴わないことで、それほど気持ち悪く感じませんでした。 こういう不思議な神様ってい…
感想一覧
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