6 提案
俺の記憶は14歳を最後に途切れている。14歳までの記憶は、天才少女のことやサコのことのようにいくつか取り戻した。だがそれ以後はさっぱりだ。まるで道が突然暗闇の中に消え去ったように無くなっている。ウラジに来たとき俺は恐らく20歳だった。ならばその6年間、俺は何をしていたのだろう。何故この土地に流れ着くことになったのだろう。今のところ一切思い出せない。ともあれ、俺の14歳の最後の記憶としてあるのは、母の泣き顔だ。
母がどのような顔をしていたか、どのような人だったかさえも俺は忘れてしまった。その母は俺をひどく哀れみ、また、申し訳ないという気持ちで泣いていた。俺はそんな母を見て泣いていた。そんな気持ちに俺という存在がさせてしまっていることが申し訳なくて泣いていた。
「悪いのはあなたじゃない。すべては仕方がないことなんだ。許す、許さないの問題じゃないんだ」
そう言って俺は夢から覚めたらしい。ミゼールが言うにはその時俺はひどくうなされて、目は涙に溢れていたのだとか。
また、その母の記憶は、このウラジに来て初めて夢によって思い出されたことであった。
俺が家を出てしばらく、薄ら寂しい平屋が立ち並ぶ小道を歩いていると、後ろから見覚えのある赤い車が迫ってきた。車高が高く威圧感のある車で、その窓が開き、見覚えのある顔がそこにいた。
「乗れ」
「どうしたミゼール。またどこかへ行くのか?」
「まったく。現実ってのは格好良くいかねえもんだよな」
するとアタルが後部座席から覗いた。
「工事の音がうるさくてよ。ネンワなんちゃらが出来ねえんだってさ」
「なんと」
結局工事が終わるまで、旅の準備を、ミゼールの車に乗って行うことになった。ミゼールが運転席に、俺が助手席に、アタルは後部座席に座っていたが、景色が見たいと言うから俺の膝の上に乗った。彼女はミゼールの私物である灰色の毛皮を外套としてまとっていた。
「おもったイジョウにうるさかった。ネンワツウシンできなかった」
「運が悪かったな。もしこれで、好機を逃してしまったら、どうしたものか」
アタルは工事の騒音に対する否定を溢した。どうやらネンワツウシンとやらは、静かな環境を要するらしい。夜になれば工事も終わり、静寂の環境だから、存分に作業に集中してもらえる。
「とにかくよ、工事は17時には終わるだろうから、あと3時間以上はあるよな」
ミゼールはそう言って、後部座席を親指で指した。例の紙袋がそこに乗っていた。旅に必要な物品を大方揃えられる金額が、そこには入っているだろう。
赤い車は黒々とした砂塵を巻き上げ走っていた。
「では、アタル。まず君に必要なものを買う必要があると思う。俺は大体のものが自室にあるから後でいいが、君は丸腰だから」
「えっと」
そう言ってアタルはミゼールの方を見た。俺はアタルに必要なものは何かを考えた。まずは衣服、それは本人とミゼールに任せるとして、食料。この子の口に合う、それでいて保存の利く高栄養食物。それから。と考えていると、ミゼールが咳払いをした後、話し始めた。
「実はな、まず用立てるのはアタルの義肢だ」
義肢。すなわち、アタルの欠損した腕と脚を補うための装身具だ。外観を補うためだろうか。
「これはさっきお前が出て行った後すぐアタルに聞いた話なんだ。腕脚が無くても念力で色々出来るとは言え、やっぱり腕と脚はあった方がやりやすいって言うんだ。細かい説明はこの世の言葉とは思えなかったがな」
ミゼールは鼻で笑ってなおも続けた。
「それにオレはこうも思う。離れ離れになった十始族と再会した初っ端に、この姿を見せたら向こうもショックだろう。せめて感動の再会の時だけは、自分の体が無事であることを印象付けるべきだと思うんだ」
確かにアタルの姿は痛々しく、世の悲劇の一面を思わせてしまう。再会した十始族が心配するかどうかは彼ら次第だが、理由としては成り立っている。俺はミゼールの意見に賛成していた。旅の途中における好奇の目から守る役割も、義肢が担うと思ったからだ。
だが俺は1つ問題点を指摘した。
「しかし、この土地にそんな義肢があるのか? 義肢というものが俺にはよく分からないが、アタルの場合、かなり大掛かりで緻密なものが必要なはずだ。ただの鉄の棒を四肢に似せるようでは意味がないと思うぞ」
「導師。お前はやはり導師だ。義肢については何でも屋たるオレの方が詳しい。とにかく、先に行くべき場所がある」
「どこに?」
俺がそう尋ねても、ミゼールは行けば分かるという意味を込めて何も答えなかった。
無言のまま、やがて車は大通りに出た。大通りと言っても別段賑やかというわけでもない。飾り気の無い雑貨店、錆びた工具店、間の抜けた書店、汚らしさを売りにする飲食店、その他もろもろ小さな商店があるくらいで、平日の昼間ともなれば、車よりも野良猫の方が多いくらいだ。歩行者も散見された。皆背を丸め、下を見ながら歩いている。午前とは違って、南風が北風になっていたから無理もなかった。
「あ」
ミゼールが突如声を発し、俺は少し身がすくんだ。
「確か、そうだ。あー。でも良いか」
「何だミゼール。どうかしたのか?」
「いや、お前が来ちゃまずいとこだったぜ」
「何だって?」
嫌な予感がした。ちょうど車が右折し、左前方を見た俺は、つい顔に手を当ててため息をついた。何故、そんな重大なことをミゼールは忘れていたのか。
「ウラジ第一外科診療所。よりによってここか……」
「お前の天敵、ディム医師のとこなんだよ。まずあいつを訪ねないといけなかったんだ」
次回 7 口論