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十始族 ネオ=サピエンス  作者: 天照童子(サン・キッド)
 
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序章 遭遇

 満腹感を忘れて何年になるだろうか。俺だけなく、俺の周りに居る人々皆が同じだ。だからと言って、それが俺達を悩ませているわけではない。俺達は現状を受け入れていた。それが、俺達の未来へと進む方法だったからだ。

 


 昔のことを夢に見た。登場人物はあの日の友、その日の敵とバラバラだったが、確かにそんなことがあったとベットの上で寝ぼけながら思っていた。横たわったまましばらくその夢を整理していた。やがて、俺は季節外れの薄い布団を跳ね除け、両足同士をこすり合わせて現実に帰ってきた。窓ガラスは砂埃にまみれていて、それを通して見上げた空は相変わらず曇天だった。太陽がどれくらいの高さまで昇ったか分からず、今が朝の何時かは分からなかった。小動物の断末魔のような、ベッドが軋む音を聞いて俺は部屋を出た。室内はひび割れんばかりの寒さだった。だが、そんな寒さだって俺達は受け入れていた。


 外からは工事の音がした。ドリルやら電動ドライバーの振動や、金槌の、鼓膜を貫く音が響いていた。時計を見ると7時だった。俺はその時計が電池切れになっていることを確信した。この曇天続きでは無理もなかった。

 リビングルームには誰も居なかった。いつもならテーブルに業務内容が書かれたメモが置いてあるのだが、1枚も無く、俺はその日何もする必要がなかった。俺は散歩することにした。遅い朝食はその後に摂ることにした。俺は昔から朝起きてすぐに食べることが苦手だった。特に最近は、もう食べない方が気楽とさえ思えるようになっていた。



 灰色に汚れた綿を思わせる雲が空を埋め尽くしていた。それは頭上すぐそばとさえ言えるほど、低い位置まで降りて来ていた。圧迫感に襲われつつも、その日に限って言えば、俺は逆に居心地が良かった。曇天は俺にいつも頭痛をもたらしたが、今日はそんなこともなく、季節外れの南風が生ぬるかった。俺はこういった空気を、快晴の日和を凌ぐほど好んでいた。俺は心の中で安楽の笑みを浮かべていた。

 俺は裏起毛のズボンと、登山用の真紅の外套を身につけ、漁港を歩いていた。前髪が向かい風に巻き上げられる。俺はその度に髪を整えようとしたが無駄だった。

 

 俺は今朝みた夢の内容を思い返していた。場面としては15年程前のことで、俺はまだ8歳だった。


「さんてん、いちよん、いちさんきゅうにい、ろくはち……」

1人の少女が円周率と思われる数を答えている。頭髪は絹糸をふりかけたほどに薄い金髪で、顔面に対して目が大きい。彼女は延々と数字を答えている。口ぶりは童女のそれで、たどたどしい。

「この子は他にも、改革前の出来事を1日余すことなく覚えているんです」

顔の部品が無い女性が、自慢げにこちらを見て話している。

「1934年の40月52週間目、セゼメナ諸島においてエルメシナスの立法が……」

意味不明な内容を少女が話し始めた。夢だから滅茶苦茶なのは仕方ない。やがて彼女の顔から下が映された。その肢体は、頭に対してあまりに貧弱であった。

「あいつがいんせきを呼ぶんだぜ」

俺の隣に突如少年が現れた。懐かしい顔「サコ」だった。俺はその時、テレビモニターを目の前にして三角座りしていることがわかった。天才少女も女性もテレビ番組の出演者だった。俺とサコはテレビを見ていた。

「そしたらもうこの世界はお終いなんだ。誰も助からない。天国も地獄も無い。無い。無い。無い。死ぬ。死ぬ。死ぬ」

俺はサコの言葉を聞いていた。俺は不安になって、うろたえていた。俺は頭を抱えていた。

 俺はついに泣き出して、震える脚で立ち上がり駆け出した。風景はどんどん漆黒の闇に変わっていた。俺はそこで目を覚ましたのだ。

 

 その夢は2つの事実を表していた。サコの事実と、少女の事実だ。

 サコは7歳の頃、俺と同じ学年のクラスメイトだった。家が近所だったこともあって仲良くなった。サコとはテレビゲームをしたり、虫を取ったりして遊んでいた。

 そんなサコが世界の終わりを俺に知らせたのは1年後のことだった。宇宙の果てから無数の巨大隕石が飛んできて、世界を滅ぼす。それは神様の仕業で、俺達を罰するために起こすのだと、彼は嘘偽りないような口調で俺に言った。まだ幼かった俺はそれが怖くて怖くて仕方が無かった。俺だけではなく、大人の中にもそれを信じている人がいたから、余計に真実味を帯びていた。結局世界は滅びなかったが、サコはその後も、俺を怖がらせたり、落ち込ませたりするようなことを言った。

「お前は普通だ。普通なくせに暗い。暗いから、皆に不気味がられている。なんせ幽霊みたいに青白い。これは皆言っているからな」

俺の脳内にはその言葉が、溶接された金属同士のように離れず残っていた。俺はその言葉を聞いてから、対人恐怖と厭世観のある性格になっていった気がする。 

 ただ、そんなサコも、俺が同級生の女子から不条理なことを言われている時、まるで自分のことのように怒り、庇ってくれたことがある。その時俺は、サコの思いやりに対して涙したものだ。

 そして、サコとは13歳くらいから疎遠になった。家は変わらず近かったのだが、生活スタイルが違ったのだ。サコの記憶はそれまでだ。


 続いて、テレビに映っていた少女のことだ。彼女は西洋人で、天才少女と呼ばれた存在だった。彼女の年齢は当時10歳。夢でみたように、円周率、歴史的事実、文学などを一言一句記憶し、口述することが出来る超人だった。 

 しかし、そんな彼女の体は貧弱で、走ることはおろか、歩くことにも息を切らしていた。テレビでは車椅子に座っていたのを覚えている。しばらく俺の国でも話題になって、真似をするものが現れたが、次第に忘れられていった。

 

 夢を覚えていることは俺の趣味だった。何故自分が、そして世界がこうなったのか、そして、どうすればこれからを生きていけるかを示す手がかりがあったからだ。ただし、知人からはそれをしすぎると気が狂うと言われていたから、1週間にせいぜい1度、よほど意味深なものだけに留めていた。

 


 漁港はいつも通り寂々としていた。漁港とは名ばかりの船の墓場だ。もうここから漁業という人間の仕事は行われていない。やがて右前方に、漁協と呼ばれていた石造の建物が見えた。3階建てを示す数10枚の窓ガラスは大なり小なり全て割れ、入り口の開き戸には立ち入り禁止の張り紙が張られていた。

 その建物は言うなれば遺構であった。俺はそんな遺構も好きだ。特に、俺が子供の頃のもの。もっと言えば、俺が生まれる少し前の時代の、明らかに機能性を無視した、訪れなかった未来を空想させる奇妙な建物が好きだ。

 俺はその遺構に入った。どうしても入りたくなったのだ。普段なら入らないが、床が抜け滑落しても、ガラス片で指を切って血が出ようと、どうせ痛みらしい痛みも感じないことだし、入ってみることにした。

 

 遺構の中は薄暗く、わずかに差し込む光が埃の舞を映していた。地面はガラス片とコンクリート片が散乱している。俺はそれにつまずかぬよう、下を向きながら歩いていた。人の気配は一切しなかった。遺構内部は立ち入り禁止にしなければならないほど、俺にとっては危険ではなかった。


 俺は2階へと続く階段を登ろうとした。しかし、中間の踊り場では鉄製の棚が進路を塞いでいた。塞いでいたのはその棚だけであったため、これをなんとか動かして、わずかな隙間が生まれれば、そこから体を押し込み、先に進めると思った。

 俺は少しばかり力仕事をすることにした。真正面から徐々に体重を掛けていって向こうへ押すことにした。しかし、棚はびくとも動かなかった。俺はもはやこの際、棚を倒すつもりで精いっぱい押した。だが、それでもダメだった。

「ダメか」

俺がそう呟き、棚を押す力を弱めた瞬間、棚は向こう側に倒れた。並々ならぬ衝撃音が辺りに響き、埃が舞い上がった。俺はつい身をすくめ、耳元に手を当てた。不思議だった。俺は物理学者ではないからわからないが、こんなこともあるのだろう。少し不気味に感じたが、これで2階に進めるようになった。


 2階はいくつかの部屋に分かれていた。ドアが開け放たれ、部屋の内部が見える。職員が事務仕事をしていたであろう机や椅子、筆記具や書類の一部がそのままになっていた。俺はそれを左手に見ながらなおも進んだ。前方には3階に進む階段があった。その階段には鉄の棚のような障害物はなかった。俺は臆することなく進んだ。


 3階に到着すると、そこは今までにも増して雑然としていた。そこは大広間だった。辺りには、俺の見解ではガラクタとしか思えないものが散らばっていた。埃も大量に舞っていて、くしゃみが出そうになった。俺はそれでも内部を探索しようとした。何か生活の役に立つものや、見たこともない面白いものは無いかと思った。


 すると、前方の床面に敷かれた白い布が、波を立てるようにうごめいた。その下に何かあるようだった。俺は中型の獣を予測した。襲い掛かられでもすれば腕1本に傷を負わされるほどの獣を仮定した。だがいつのまにか布は動かなくなった。見間違いだったのだろうか。

 俺は布に近づくため、歩みを進めた。散らばっているゴミや遺物が足に当たる。その時だった。

「うおっ!」

突如、踏み込んだ地面が抜けた。どうやら脆くなった床面構造が、俺の体重に耐えかねたようだ。落下の事実を受け入れきれていない俺の体と、無慈悲な重力の下方への牽引がせめぎあった。勝者は無論、重力である。俺の体は2階へと向かっていた。予測される、しかし不確定な痛みに備えて、俺の体は硬直した。

 だが、2階の物々に触れることはなかった。信じられないことが起きたのだ。

俺の体と重力の勝負は、どんでん返しで重力の敗北となった。俺の体が突如浮き上がり、落下を免れたのだ。俺の体は綿毛が舞うように3階の地面へと戻り、強度が十分な床へと、ガラス細工を置くような静かさで降ろされた。俺は何が起きたかわからず、硬直したまま呆然としたが、やがて安堵に包まれ肩を降ろした。

「今のは、まるで空中浮遊」

胸の鼓動を抑えつつ、俺はふと視線を右下方にやった。白い布の下にあった何かの一端が見えた。丸みを帯びた白色だった。俺は恐る恐る手を伸ばし、布を取り払った。俺は驚愕した。

 

 そこに、10歳になるかという少女が横たわり、眠っていた。その頭髪は金色で、朝日に照らされ輝くシルクのようだった。肌は甘美な生クリームのような白色で、西洋の理想的夢幻世界の住人が、そのまま現れたような整った顔立ちであった。

 だが、その頭部に対して体躯は随分と貧弱であった。恐らく、彼女は走ることはおろか、歩くこともままならないだろう。決定的な理由として、彼女には両の腕と脚が無かった。肘、膝の先からあるはずの前腕と下腿が無く、先端が丸くなっていた。よって、横たわっているというより、転がっているという方が表現としては相応しかった。少女のこの体躯は生まれつきか、それとも後天的な悲劇によるものか。少なからず、この場にいる理由の1つに、この四肢欠損状態は含まれているだろう。

「お、おい、君。大丈夫か? どうしてこんなところで」

 俺は彼女の右肩部に触れて、意識の有無を知ろうとした。だがそれが果たされる前に、俺の手は並々ならぬ熱感を覚えた。発熱している。呼吸が速い。見れば眉間にも皺が寄っていた。苦しそうだった。彼女が身につけているものは、薄い布切れとも言える白いワンピース1枚だけだった。

 

 俺は自分の身に起きたこと、そして彼女が一体何なのか、それらを後で考えるとして、彼女を自室に連れ帰ることにした。それが俺の人道だった。


 続く・・・


次回 第一部 第一章 1 目覚

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