第一章 二人の物語 3
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アンヌフローラは頭痛で目を覚ました。じんじんと、頭を何かでえぐり続けているような痛みを感じる。
まだおぼろげな視界の中で始めに目にしたのは、赤々と燃える焚き火だった。
寝返りを打つと、暗がりの空に星空が微かに瞬いていた。
星々を見ていると、何故か荒んでいた心が静かに落ち着いていく。
何か、ひどく恐ろしい夢を見ていた気がするのだ。それが、なんだったのか。思い出せず、ぼーっとして、空を見続けていた。
きらきら瞬く星々に、時折流れる流れ星。
どれくらいそうしていたのだろう。若い男の声が彼女の平穏を遮った。
「目が覚めたのか?」
慌てて声がした頭上を見上げると、そこには地面に腰掛け、木の枝で焚き火を突付く、一人の男がいた。
「誰!?」
「……あんまりな対応だよな。せっかく助けてやったってのに」
「ここはどこなんですか!? ユージェン! 誰か、誰か居らぬのか!」
男は、そんな彼女の様子をただ眺めている。
やがて、彼女は自分が置かれている状況――暗がりの森の中で男と二人きり――を把握すると、見つめてくる男を気まずそうに見つめ返した。
「俺はダスティ」
「…………」
「どこの貴族様かは知らんが、自己紹介くらいは出来るだろう? ……それとも無礼な平民とは口も利けないか」
「……わ、わたしは! アンヌフローラ・ブルレック・カステレード、です……」
「!」
ダスティと名乗った男は、驚きを顔いっぱいに表し、ややあって動揺したのか座ったまま後退った。
「ブルレック、だと!? 忌々しい神々め! 何が、一人の女を救え、だ! 一国の王女じゃねぇか! ……とんでもねえ厄介事を持ってきやがったな!!」
「あ、あの、あなたは一体……」
言われてダスティはアンヌフローラを再び見つめなおし、なにやら小声で神を罵ると、頭を振った。
「……ああ、くそっ、すまない。俺はダスティ。……神託でアンタを助けろと言われている」
「神託! では、神々は、私の臣下やブルレックの国民も救って下さるのですか!」
「さて、な。俺が指示されているのは、アンタを救え、という事だけさ」
「そんな」
項垂れたアンヌフローラを気にした風でもなく、ダスティはなにやら深刻な表情をして、再び焚き火に目をやった。
彼は焚き火のそばの串刺しの肉を二本、手に取った。ひとつをかじり、もうひとつをアンヌフローラに向けて差し出した。
「とりあえず、食っとけ。明日から強行軍でこの山を脱出する。今のうちに体力をつけておけ」
肉を強引に手元に押し付けられて、彼女は困り果てた。
「……お皿はないんですか? それにナイフと、ホークは?」
「…………」
ダスティは短く唸り、やがて座ったまま器用に地面を数回蹴り付けた。一体それに何の意味があるのか、彼はその後無言で肉を頬張り続け、一言も口を利かなくなった。
「だ、ダスティさん……。待って……!」
翌日の正午ごろ、ダスティは本日数回目のその悲鳴に、深々と溜め息をついて振り返った。
そこには脚をよろけさせながらも、健気に歩き続けようとするアンヌフローラが、はるか遠くに見て取れていた。
彼らは翌朝から北へ向けて出発していた。バルトロメオの追っ手から逃れなければならないのだ。一刻の猶予も無かった。しかし――。
彼女が側にやって来るのを仁王立ちで待ち終えると、静かに口を開いた。
「お前、自分が命を狙われる身だって事を、分かっているのか?」
ダスティの足元に崩れ落ちたアンヌフローラは、息切れも荒く、その質問には答えそうにもない。
根気強く待ち続けていると、彼女はぽつ、ぽつ、と呟き始めた。
「……だって……疲れて……もう歩けないです。……帰りたい。お父様。ユージェン。会いたいよ……」
そのまま泣き崩れたアンヌフローラに、ダスティは苛立たしげに頭をかきむしった。
「もう少し行けば川があるようだ。そこまでは歩け」
無情にもそういい捨てて、ダスティは歩みを再会した。
抱えて連れて行かねばならないか、そう思いもしたが、靴裏越しの地面から彼女が歩く足音が伝わってくると、ダスティは振り返らずに先を歩き続けた。