第六章 魔人 4
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遥か昔、幾世代も前。魔人との戦いの末、魔人の封印に巻き込まれた、今は忘れさられた一柱、輝きの神ルーディエを救い出すこと。
それが、一向に示された無駄に長いラブリンの神託であった。
それを、かたや忌々しげに、かたや残念そうに見守る影が隅に一つずつ。ダスティとギルフェウスだ。
「で、お前はなにしに来たんだよ」
ダスティが八つ当たりを含めた疑問を隣の男にぶつけると、聞かれて若干気を取り直したギルフェウスが微かに目を輝かせた。
「無論、我らが神託を実行に移す為!」
何やら筋肉を見せ付けるポーズをとりながら語るギルフェウスに、ダスティは思う。
(聞かなければ良かった)
「まあ、そう仰るな。我らが主神の従者よ」
「!? 心を読むな!」
「パットン殿は、そなたら人間を心底案じておられる、至高の神であらせられる」
「…………」
「たしかに、そなたと僅かな者達しか頼れる従者がおらぬのも事実だ。それゆえに苦労を強いられる事も多いだろう」
「ああ、信仰を捻じ曲げられたりとか、な」
めいいっぱい皮肉を詰め込まれたその相槌に、ギルフェウスは苦々しく表情を滲ませた。
その隙に乗じて、ダスティは腰の剣を鞘ごと取り外すと、右手に持って歩き出した。彼はまっすぐラブリンに向かい、その背後に立った。
彼女は神託を終え、いまや自身のありがたい教義を長々と演説していた。
そこへ、ダスティは無造作に剣を振り上げて、ラブリンの頭を殴りつけた。
「――! 痛ぁ……。あんた、何するのよ!」
「状況はもう理解できた。とっとと始めてくれないか」
「あんたねぇ! いくらパットンのお気に入りだからって、調子乗ってるとひどいわよ!」
「はっ! 従者の力を借りなきゃ戦う事もできねぇ、引きこもりの神の分際で何言ってやがる!」
「あんたねぇ!」
「お、やんのか?」
「お、落ち着けよ。ダスティ……」
「ラブリン殿、ここは堪えて……」
エリックとギルフェウスが、今にも戦闘を始めそうな人と神を引き離す傍らで、アニーが呟いていた。
「神様って、意外に普通の人なんですね」
その場の誰もがそれには反論出来なかった。
「では、私とラブリン殿でサヴァスの封印を解く。諸君らはサヴァス討伐を頼む!」
ギルフェウスが言うやいなや、両腕を神殿へと掲げて、なんらかの力を放った。
風が荒ぶり、木々がざわめく。
ラブリンもまた、何やら腰を落として身構えて、何かを待っているようだった。
やがて、石の神殿にひびが入り、割けはじめると、ラブリンもまた両腕を掲げて力を解き放った。
「ルーディエ。輝きの神。知恵持ちし白馬よ! 目覚めの時よ!」
神殿の裂け目から、白き物体が飛び出した。それは空高く駆け上がると、月の輝きに照らされて大地の人間達に姿を見せた。まるで星空を流れていくように見える輝く髪。頭上に生えた一本の角。一角獣。
そして、それを追いかけてきた灰色の霧が現れると、その白馬を瞬く間に覆った。
霧はサヴァスの声をして叫ぶ。
「とうとう! この時が参りましたか! この我が、この地に復活する、この時が!!」
「あんたの時なんてどこにもないよ!」
ラブリンの声が、それを阻害した。
それと同時に霧が弾け飛び、覆われていた一角獣が障壁に覆われた。
ギルフェウスとラブリンが、唸り声を上げて張り詰めた両腕を震わせていた。
ギルフェウスがサヴァスの動きを阻害し、ラブリンが一角獣を障壁で守っているのだ。
それを知ってか知らずか、霧は再び形を取り戻し、障壁ごと一角獣を飲み込んだ。
そこへ、地上の兵士達が放った矢が降り注ぐ。
「フハハッ! そんな玩具がどうして通用すると思うのです!」
霧は、矢を気にも留めず、ただ一角獣を飲み込まんとして空中でうねりを上げている。
「ならば、我が筋肉の洗礼ならばどうだ!」
ギルフェウスが腕の筋肉を必要以上に強調し、すかさず右手に掴んだ"それ"を霧へと投げ入れた。
それは空中を高速で飛びながら、小振りの剣を抜き、霧との擦れ違い様に一閃を入れる。そしてダスティの声をして呟いた。
「どうせ、こんな扱いだろうと思ったよ」
諦めに似た独白だが、その瞳は意志の光で満ちている。
ダスティが地上に着地した背後では、霧が人の形を取りつつあった。
その隙に障壁にて保護された一角獣が霧より逃れ、それを見た兵士達が喝采を上げる。
しかし、霧より実体化したサヴァスの姿に、歓声は一瞬の内に沈み、消えた。
「これは、これは。神殺しの剣にまともに斬られてはたまりませんねぇ……」
それは、人の形をした、だが別の何かであった。
人の頭蓋骨をふんだんに取り入れた鎧。背中から生やした竜の翼。毛に覆われた動物の尾。頭には山羊のような角。得たいの知れない爪は鋭く、長く伸びている。
それは人の口で言う。
「ダスティ……。貴方だけなら生かして差し上げても良いのですよ……」
「ちょっと! あたし達を無視するな!」
「この美しい肉体美が目に入らぬか!」
神々は、怒り、なんらかの力をサヴァスへと差し向ける。辺りの大気が振動し、力の本流が凄まじい暴風となって地上の人間達を襲っていたが、当の力の中心地にいるサヴァスは、それにびくともせず、ただ見下ろし、ただ冷笑する。
「おろかな。貴様らが崇め奉る四柱の神々ならまだしも、貴様らのような、あまりものの力を与えられたに過ぎぬ弱小者など」
「あまりものの力だと? よろしい、ならば、見せてやろう! このギルフェウスの真の力……」
言うと、ギルフェウスは両手を掲げ、何も無い宙から二振りの剣を取り出した。
反り曲がった剣、曲刀を両手に一振りずつ持ち、そして身構える。
「我が肉体美による剣の舞! とくとご覧あれ!」
ギルフェウスは宙に浮いているサヴァスへひと飛びで肉薄すると、その両手の剣を振るう。
対するサヴァスは、舞い踊り繰り出される剣をニ、三度爪で弾くと、一瞬で攻守を変えて攻撃に転じた。
一撃一撃が空気を振動させる戦いの最中、サヴァスの爪がギルフェウスの腹部を捕らえるが、それは突如ギルフェウスを覆った障壁によって防がれた。
「落ち着きなさい! ギルフェウス! あんたの役目はそうじゃないでしょ!」
それはラブリンによる何者も受け付けない防壁だ。
「ぐっ。不覚! 敵の誘いにまんまと乗るとは……」
「いいからもどりなさい!」
サヴァスの攻撃を避けつつも、踊るように後退を始めたギルフェウスの脇を、光の束が駆け抜けた。
一角獣、ルーディエがサヴァスとギルフェウスの脇に立っていた。ルーディエが角の先に輝きを集めると、サヴァスが苦い顔を露わにして飛び退った。
「また貴方ですか! あなたに封印されるのは、二度と避けたいものです……」
珍しく怯えた動作のサヴァスが後退ると、神々との間に距離が生まれた。
それを一人、遠くからに眺めていたダスティが呟く。
「やっぱ、神々(おまえら)だけでやればいんじゃね」
そこへ激怒の形相のラブリンが罵声を投げかけてくる。
「ちょっとそこ! なにサボってるのよ!」
「いやあ、剣とか弓とか効かないしぃ」
「あ・ん・た・の! その剣が頼りなんでしょ!」
「勝手に頼りにされてもなぁ。第一お前らがコイツの動き留めるんじゃなかったのかよ。その魔人がぴんぴん動いてるから、俺らの出る幕が全然無いんだが」
「うるっさいわね! 今やるわよ!」
金切り声を上げながらも、ラブリンが両手をサヴァスに向けた。三柱の神々が各々に力を発動し、全てが魔人を取り囲んだ。
それをただ見守っているサヴァスは、冷ややかに状況を受け入れ、だがダスティの方向へ首を動かした。
「何故、そうまでして神に仕えるのです」
「別に神なんてどうでもいいさ。ただ、俺が幸せを望む人々は皆、神を崇拝している。それだけなのさ」
「神も魔人も同じだ、と仰いましたね。では、我ら魔人を滅ぼした後はどうするのです?」
「そうだな。神を滅ぼすさ」
そう即答されて、サヴァスは微笑んだ。
「ならば、貴方に賭ける事としましょう。貴方が神々を滅し、全てを元通りにしてくれると信じましょう」
呟くようにそう告げると、サヴァスは両手を伸ばし、手の平を地へと向けた。




