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第六章 魔人 1

第六章 魔人


 神々は、己が神性に相対する地獄の者達を魔と呼んだ。地獄の獣達を魔獣と呼び、生前の人間の意志を残した者達を、魔人と呼んだ。

 魔人は、強い意志を持った人間が死に、冥府に掬われず地上から堕ちてしまい、他の生き物の魂を喰らい、尚自我を保つ事で誕生する。

 ただ喰らい合いに打ち勝っただけの魔獣や、人の姿に近いだけの魔の者達と違い、魔人には人の知恵があり、そして獣達の力をその身に宿し、尚且つそれらを自在に操るのだ。

 その力は時に神すらも凌駕しする。神々は地上に辿り付いた魔人を最優先の脅威とし、神々とその従者はその脅威を排除する為に全力を尽くす。


 かつて、ダスティとエリックもまた、地上に現れた魔人と相対した事がある。

 神をも凌駕するであろう魔人の一柱を倒す為、彼らは神託の元、決死の覚悟でそれに挑んだ。結果、彼らは魔人を打ち倒す事に成功する。しかし……、その代償として、共に戦い、共に笑った半神の仲間を死神の生贄に奉げる事となった。

 その事件は、神託に従い戦ったダスティの信仰に修復不可能なひびを入れ、エリックは仲間を守れなかった己の弱さを隠す為、よりいっそう信仰にのめり込んだ。


 1


 いつしか彼女は、まだつい最近の、しかし忘れ去ろうとしていた初めての血の記憶にたどり着いていた。

 ユージェンが、最も近くに居た家臣が向ける、獣に似た形相。その手に持つ血に塗られ、朝日で赤く輝く剣。

 彼女には分からなかった。どうして、こんな事になるのだろうか。

 彼女の元から大勢の者が消え、そのほとんどが血塗られ、死んでいったのだろう。

 そして、自分の手の平を見た。そこには真っ白な手があるだけだ。しかし、その手で多くの者を殺したのだ。杖から伝わってきた衝撃と、ぼとぼとと落ちる魔獣の光景が蘇る。

 胸から喉を通って熱いものがこみ上げてくる。

 だが、それが吐き出されるよりも早く、肩に、手が優しく置かれた。

「大丈夫か」

 その声もまた優しげで、釣られるように見上げると、ダスティが無表情に見下ろしていた。

 気が付けば、周囲の騒音は小さくなっていた。

 何も言えず、ただ口を開いて見つめていると、ダスティは照れくさそうに目をそらした。

「お前のお陰で随分と戦いが楽になったよ。ありがとうな」

 ダスティは消えいるようにそう呟くと、立ち上げり、後退る。

 アニーが慌ててそれに抱きつくと、ダスティが身動ぎして、それを離した。

「おい、よせ」

「ご、ごめんなさい」

 拒絶され、顔を赤くして俯くと、ダスティの手がまた肩へと置かれた。

「返り血が付くだろうが」

 言われて、今度は思いっきり抱きついた。

「お、おい!」

「いいんです」

「……なにが!?」

「わたしも、たくさん殺したんです」

「…………!」

 これまでぼんやりと霧がかかったように思い出せなかった、身近な家臣の最後が思い出せる。

 血に塗れたユージェンの姿。

「わたしも、血が付いてもいいんです」

「……そうか」

 アニーがダスティの胸に顔を埋めると、彼はそれに答えるように背中を抱いてきた。

「でも、泣くのはこれで最後にしておけ。……お前が行く道は、これからも、血が流れる。俺と同じ、血塗られた道だ。いちいち泣いてたらきりが無いぞ……」

 悲しみを感じてはいたが、不思議と、涙は出なかった。それどころか、暖かいもので胸が満たされていく。

「……ダスティも、国を追われたの?」

「俺は、神に全てを奪われた。神の敵を倒さねば、自分の命は無かった。友の命すら犠牲にして、生きてきた。人の命を操れるパットンでさえ、死に行く命を助けてはくれない」

 ダスティはしがれた、霞むような声で一人の女神の名を口にした。

「海と安らぎの女神メイエリンの名に誓って。何も全てを一人で背負い込むことなんてない。ただ穏やかに、ただ静寂を求めればいい。辛い出来事も、血塗られた道も、いつかは終わる」

 安らぎの女神の名の下に静寂が訪れる中、二人はただ寄り添い続けた。


 それは後からやってきたエリックが、愛の女神の名の下に引き離すまでの僅かな間ではあったが、二人にはずいぶんと長い時間に感じられていた。

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