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第五章 光は其の者を照らし 2

 2


 深い森の中で、何かとてつもない咆哮を聞いた気がした。

 もうすでにカルステ山脈の一部である、その木々に覆われた斜面を登っていた彼らは、突如聞こえてきたその咆哮に辺りを見回した。

 大地を司るパットンの従者であるダスティには、大地から気配を察知する能力がある。

 影を司るシンドウの従者であるフィオも、影を伝って周囲の進入者を把握する事が出来た。

 だが、そのどちらも咆哮の主を捕らえる事は出来ないでいた。


 また、咆哮がする。今度は随分と近くに来ている様だった。

 四人は互いに背を預ける形で四方に注意を傾ける。

 風と小動物がこそこそと動く音、鳥達のざわめき、木々が鳴らす葉の波風。

 そして、それらに交じって微かに羽ばたく音を聞いたのは誰が最初だったのか。

 最初に叫んだのはエリックだった。

「空だ!」

 彼が言ったそのすぐ後に、巨大な何かが彼らの上を横切った。

 それを見上げる彼らに、恐ろしげな咆哮が降り注ぐ。

「ドラゴン……!」

 エリックが絶句する。

 アニーは、この現象にどこか見覚えがあるのを感じた。

 前に見た事があるのだ。暗く不気味な夜道に、去り行く彼女を見届ける彼女の臣下達。これは――

「くそっ……。忌々しい神々め! あんなもんと顔合わせさせるつもりだったのか!」

「……違う」

 ここぞとばかりに神を罵倒するダスティに、アニーはぼそり、と呟いた。

 大きく深呼吸をして冒涜文の続きを吐き出そうとしたダスティは、その呟きに大きく口を空けたまま振り返った。

「あれは、バルトロメオ軍だわ……」

「では、あれが音に聞くバルトロメオの竜騎兵隊ですか!」

「構えろ! こっちに戻ってきたぞ!」

 羽ばたく音がまた段々と近づいてくる。

 フィオがナイフを抜き放ったのをきっかけに、彼らはそれぞれに武器を持って身構えた。


 バルトロメオの竜騎兵隊。

 バルトロメオが保有する空を飛ぶ事を得意とした竜、ワイバーンを主軸に構成された騎兵で、高い攻撃力と機動力を持った部隊である。

 ワイバーンを初めとしたドラゴン達は、遥か東の大地にのみ生息していると言う。

 海洋国であるバルトロメオは海路を使い東部諸国と繋がりを持つ事で、僅かながらだがワイバーンを輸入しており、それらと名のある騎士達で構成された軍隊の名は、近隣国の市民の噂レベルにまで轟いている。


 業火が、森を薙ぎ払う。翼を大きく広げた竜達が空を高速で駆け巡り、口から放たれた炎は容赦なく彼らを狙って着弾する。

「くそっ、パスメラも大喜びな燃え具合じゃないか!」

 どこか投げやりげにダスティがぼやく。

 彼らは一瞬にして別世界と化した真っ赤な森を、安全な場所求めて走り回っていた。

「たしか、アニーさんはバルトロメオの王子と結婚するんじゃありませんでしたっけーっ!?」

 その叫びはアニーに向けられたものだったが、アニーはフィオに抱えられ、逃げるだけで精一杯のようだ。

 エリックの言葉に返答を返したのはダスティだった。

「それがなんだってんだーっ!」

 気がめきめきと音を立て倒れ落ち、炎はさらに激しさを増す。それらの騒音に負けぬよう、自然と彼らの声は大きくなっていっている。

「どうして問答無用で狙われるんだーっ!」

「知るかーっ! 奴らに聞けーっ!」

 空から祈りの叫びが聞こえた。

『ゼーフスよ! その腕を持ってして疾風を起こせ!』

 どうやら空にいる竜の主の一人に、は風の神ゼーフスの従者がいるらしい。

 大風に吹かれて地を這う炎が勢いを増し、煙が風に乗って吹き寄せる。

「アニーさん、しっかりするんだ!」

 フィオに抱かれて走るアニーは、煙をもろに吸い上げ、ぐったりとしていた。

「ごほっ、このままじゃまずいな……」

 その様子を腕に口元にあて眺めていたダスティは、空を見上げた。

 竜騎兵は空から炎を降らせ、風を撒く。

 彼らの持つ武器は大抵が近接武器で、空を飛ぶ相手にはほとんど効果を成さない。エリックのクロスボウも、焼け石に水、高速で移動する物体には当て様がない。

 地に印を刻み地に這う生き物を飲み込む冥府の門は効果を成さず、四方から迫る炎に愛の盾は通用しない。

 ――万事休す。

 思いたくは無いが、その言葉だけが頭に浮かぶ。

 逃げるを諦め一箇所に固まった仲間達に、ダスティは一つ提案を出した。

「皆、一か八か冥府に行くか? 出口はどこになるか分からんが、確実に生き延びられるぞ」

「行って、気軽に帰ってこれるものなのか?」

 アニーの様子を伺っていたエリックが疑心を露わにする。

「パットンはいい顔しないし、出口はこっからかなり遠くになるかもしれないが、仕方ないだろう」

「しかし、歌の神との約束は」

「約束ってお前、アイツらが勝手に頼みごとをしてきただけだろう。俺らが守る必要はないさ」

「お前! 仮にも神の導きだぞ!?」

 その場の誰もが男二人の深刻な言い合いに発展するのを予想した。

「あの、竜騎兵の攻撃、止んでないか」

 気を聞かせたのかフィオ話しを逸らそうと努力する。

 見上げると、いつのまにか竜騎兵達が空高くに舞い上がっていた。

「なんだ?」

 男二人の口から思わず間の抜けた声が転がり出た。


 燃え広がる炎から遠く離れ、しばらく空で旋回する竜騎兵を見守っていると、まだ火が広がっていない木々の間から複数の黒い騎兵が姿を現した。

 全てが黒い馬で構成され、鉄色の鎧に黒いマント。胸に埋め込まれた薔薇の紋章はヴァルターの物だ。

 ヴァルターの黒騎士団。その色とその紋章で彼らは、有名なその名を連想する。

 ぞろぞろと姿を現した総勢十四の黒騎士は、あっという間に彼らを取り囲んだ。

 そして、鎧に金の刺繍を施した一際目立つ鎧が、男の声で言った。

「アンヌフローラ王女殿下は御無事ですか」

 ダスティは、ぐったりとフィオにもたれかかるアニーをちらり見て、黒騎士の彼に向き直った。

「彼女は無事だ。あんたらは?」

 彼は慌てて馬から飛び降り、ヘルムを外して、口を開いた。

「これは失礼しました。私はヴァルター帝国、黒騎士団メルホルン隊の隊長、レオンハルト・メルホルンと申します」

 まだあどけなさの残る赤髪の青年は、物腰柔らかに敬礼をした。


 彼らが合流するのを見届けた竜騎兵は、南に進路を変えるとあっという間に飛び去った。

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