第三章 影ありし所…… 1
第三章 影ありし所……
地上に存在する全ての生命は、死と同時にその魂が重力に引かれ、地と海を越え落下する。
それらは一体どこへ行くのだろうか。それは地上の全てを司る神々ですら知らない事だった。
ある時、一体の怪物が地上に現れた。
ライオンの体、サソリの尻尾、そして人の頭を持つそれは、地上に住む生き物を殺し、食らい尽くしていった。
神々は問うた。お前は一体どこから来たのだ、と。
怪物は人の頭脳、人の口を使い、こう言った。大地よりも遥か下、地の底にある、魂の牢獄だ、と。
故にそこは、後に地獄と呼ばれた。
そこは落ちた魂たちが、日夜食らい合いを続け、凶暴な怪物を生み出しているのだと言う。
その怪物が来た日を境に、多様な生き物が交じり合った、様々な怪物が地上に出没するようになった。
大地を司る神は考えた。このような怪物が生まれぬよう、地の底に、死せる魂達を再び地上に戻すための世界を作ろう。
そして彼は、彼と同じ主神と呼ばれていた海の神、炎の神、風の神を呼び会合を開いた。
大地の神は言った。
「私は地の底に、死せる魂達を救い上げる、死の世界を作り上げようと思う」
それを聞いて海の神は喜んだ。
「ではわたしはその世界を海で囲い、死せる者たちにも安らぎを与えましょう」
炎の神はそれを嘲笑う。
「愚か者め。そのような世界を作ろうものならば、地獄の軍勢がこぞってその世界を狙うだろうよ。そうならぬよう、このオレが地獄を炎で埋め尽くしてくれよう!」
風の神は、炎の神に賛同し、付け加えた。
「ただ燃やすだけでは生温い。その炎、ワシの風を使い、地獄の隅々にまで送り届けてやろうぞ」
炎の神は激しく笑った。
「そいつはいい。燃やし甲斐があるというものだ!」
……こうして神々は死せる魂の世界、冥土を作り上げ、地上の生命を守るべく戦いを開始した。
やがて、半端に知恵をつけた人間は言う。死者の魂を捕らえるとは傲慢な。大地の神はなんと愚かな神なのか、と。
それでも神々は、人々に地獄の存在を告げず、地獄と戦いを続けている。
戦いは激しく、終わりの目処は立っていない。炎は地獄を薙ぎ払い、怪物達の多くは焼かれて滅ぶ。だがそれでも、いくばかの怪物が地上にまで辿り着き、地上と冥土は徐々にその足場を削られている。
大地は、少しずつ崩れ落ちている。まるで……砂時計のように。
魂は冥土から転げ落ち、地獄では常に新しい怪物が生まれている。地上では人間達が文明を築き、大地の神を死神と呼び、弾圧する。
……地獄は、目を凝らせばすぐそこに見えるだろう。だが人間は……。
1
オールト草原を北に抜けると、モール台地と呼ばれる起伏の激しい土地がある。
人や物を隠しやすい凹凸のある地形である事から、訳在りのならず者達が少なからず生息している。
エリックからそんな説明を受けて、アンヌフローラは周囲の岩地を不安そうに見回した。
「だ、大丈夫なんですか。ここ」
草薮の中の野宿で一夜を明かした彼らは、今はこのモール台地を通りかかっていた。ここを西に抜ければ、ザールドルフと呼ばれる街に着く。
「まぁ、ダスティもならず者みたいなものですし」
「…………」
押し黙るアンヌフローラを他所に、エリックはかなり先を歩くダスティに声をかける。
「ダスティ! そろそろ休憩にしないか!」
太陽は真上に昇り、朝から歩き詰めの彼らを無遠慮に見下ろしている。
「あ、ほんとだ。ソーセージがたくさんありますよー」
「あぁ、それは多分ハーナソーセージですねー。おい、ダスティ、ほんとにここ使って大丈夫なのか」
「多分。……いや、おかしいな。引退騎士のじいさんしか居なかったはずなんだが、なんだこの高級宿屋並の設備は」
「おぉ、ビール樽がたくさん! ……飲んでもいいですよね?」
「賊の住処とかじゃないだろうな」
「まぁ、何年か前の話だし、持ち主が変わってても不思議じゃないか。そうだ、念のため入り口に文字、描いとこか」
賞金稼ぎの女、フィオーレはほとほと困り果てていた。
盗賊団灰色熊の団長、賞金首ケヴィンを追って彼らのアジトを見つけた彼女は、ケヴィンを待ち伏せするべくしてアジトに忍び込み、その日数は三日を数えていた。
にしてもどうしてだろうか。アジトにやってきたのは三人組の男女。そのどれも賞金首ケヴィンの風貌とは一致しない。
影の神シンドウの従者である彼女は、あらゆる影を利用して姿を隠すことが出来る。お陰で部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいる彼女は、その存在を悟られていない。
だが、あろう事か、予期せぬ侵入者達はアジトに居座って食べ物を物色し始めたのだ。
最初は来るべき場所を間違えたのかと思い込んだが、会話を聞いている内に、彼らは旅の途中で立ち寄ったのだと分かってきた。
しかし彼らがここの住人でない事が分かっただけで、盗賊達が今すぐに帰ってこないとも言い切れない。奴らが帰ってきて彼らを人質にでもされては、仕事がやりにくくなるだろう。
なんとか姿を現してすぐにここを去るように言いたかったが、一体なんと言えばいいのだろう。
申し訳なさそうに作り笑顔で影から姿を現して――
(怪しい者じゃないんです。どうか聞いてください。ここは盗賊の――)
いやいや、怪しいだろう。どう考えても。
ならば、どうする。刃物を見せびらかし、出来る限り低い声音で――
(ここが盗賊団灰色熊のアジトと知っての事か! 死にたくなければ今すぐ立ち去れ!)
いやいやいや、盗賊を捕まえるために盗賊を名乗るのか。本末転倒ではないか。
ならば、どうすればいいんだ。
彼女が頭を抱えたい気分で虚ろな目で宙に視線を漂わせていると、アジト内を大声が響き渡った。
「大体、ダスティは自分勝手すぎます!」
「なに!? お前のために言ってるんだぞ!」
「わたしが何時そんな事を頼みましたか!?」
「まぁまぁ、落ち着けって。愛する仲間達であるお前達がだな、喧嘩をするだなんて――」
「お前は黙ってろ」
「愛の戦士は愛だけ説いといてください」
「……ひでぇ。ひでぇよ」
(痴話喧嘩が始まったよ)
どうすれば、こいつらを追い出せるんだ。そんな絶望的な思いで事の推移を見守っていると、いつのまにかアジトの入り口に現れていた複数の影の一つが、大きな恫喝の声を上げた。
「誰だ貴様ら! 人ん家で何してやがる!」
盗賊団灰色熊、団長ケヴィン一行が帰宅したのだ。




