オーガの依頼
「ん? オーガ、か?」
曲がった(らしい)ピトンを手に乗せてクルクル回して遊びながら、ケランが日焼けで真っ黒になった顔を見上げた。
森の中に石化したオーガが1人突っ立っていて、コカトリスにせっせと食べられている。
「よかったなあ、お前たち。今日は御馳走じゃないか」
喜ぶケラン。コカトリスも嬉しそうにコケコケ鳴いている。
「ん? 階級証? か?」
見上げると、オーガの胸に何やらどこかの組織の階級証らしきものが服に貼りついている。このオーガの身長が2メートル半はあるので、身長1メートルちょっとのケランにはなかなか見えにくい。
しばらく下からじーっと階級証を見上げて、ようやく解読した時には……コカトリスはオーガの片足を砕ききっていた。
当然ながら巨大なオーガはものの見事に転倒して、ガラス細工のようにバーンと砕けてしまった。服だけは石化していないので無事だが。しかし、餌を見失ったコカトリスは、その服をヒズメとクチバシで器用に引き裂いて食べ始めている。
「あーあ……こらこら。こいつは客だよ。餌じゃなかったなあ。魔法使いの世界の消防士さんだ」
完全に砕けたオーガに付いていた胸ワッペンの階級証を拾い上げて、コカトリスに説明するケラン。
(なーんだよ、ちっ)とばかりに森の奥へ消えていくコカトリス。でも、そこそこ満足できたようで足取りは軽い。
それを見送ったケランがため息をつき、ピトンをポケットにしまった。
「さて……こいつを復元させるか」
「うわあああっ」
大声を上げて、床に寝ていたオーガが跳ね起きた。
「コ、コカトリスっ」
叫びながら拳を構えて臨戦態勢になって、ツルペン講の中でキョロキョロしている。ズボンだけはいている姿で、上半身は裸だ。ついでに裸足である。
「……あ、あれ?」
「やあ。起きたかい」
のんびり声でケランがお茶をすすりながら顔を見せた。彼の周囲には、床に乱雑に置かれたサーフィンボードやピトン打ちの工具が山積みされている。
「いらっしゃい。ツルペン講だよ」
ようやく、森の中ではないと理解できたオーガだ。その彼が、低い天井に頭と背中をガンガンぶつけながら、ケランのいる場所まで向かう。
「あなたがケランさんですか? 私は消防士長のハラップ・ドゥルマと申します」
「どこでもいいから気楽に座ってよ、ハラップさん。まったく、うちの親どもは食い散らかして帰るなよなー、もう」
ケランがそっけなく言い、床に散乱している小コカトリスの骨とクッキーの食べかすを拾い集めていく。それらを農場で使役している蟻の群れに投げ入れてから、調理場にうず高く積まれた皿やグラスなどを洗い始めた。
蟻たちが火炎を吐く赤い蟻を新たに呼び出してきて骨を焼き砕かせ、そのままクッキーくずと一緒に巣へ運び入れていく。ハラップも鼻を動かしてみると、確かにから揚げとクッキー、ハーブティーの残り香がする。
そのまま目を足に転じて――
「うわあああっ」
再び叫ぶハラップ。
「ズボンが、制服と靴があっ」
「ああ、すまないねえ。コカトリスが食べてしまったんだよ。君の左足もかなり食べられたんだけど、そこは傷の修復を済ませた。もう大丈夫だろう?」
食器を洗う音を忙しくさせながらケランがハラップに聞く。しかし全然、済まないと感じているとは思えない口ぶりだ。しかも制服と靴の再生はしない様子である。
「それで、何の用事でここに来たんだい?」
食器を洗い終えて、手を拭きながらケランが調理場から出てきた。ノームサイズのコップにハーブティーを入れて、オーガに差し出す。コップの持ち手に指が通らないので、湯飲みを持つようにコップをいただくハラップだ。
ズンと真っ直ぐに正面からケランの目を見て、単刀直入に言い放った。
「はい。仕事で使うに耐える斧が欲しいのです」
「あ? 仕事って、あんた、消防士だろ? 斧なんか使うのかい?」
キョトンとした顔で茶をすするケラン。
「はい。火炎の熱や爆発で建材が崩れて消火作業の邪魔になるのです。私はオーガ族なので、魔法は使えません。そのため斧やハンマーなどを使うのですが、問題がありまして」
かわいいノームサイズのコップのお茶を、一気に飲み干してハラップが一息つく。
「制式採用の斧やハンマーでは、私の力に耐え切れません。ものの一週間ほどで砕けて、使えなくなってしまうのです」
「へえ。魔法使いの世界の制式斧でもダメかい」
ここまで聞いていたケランが、ようやく興味を示した顔をし始める。
「そうだな。考えてみれば、連中は杖の代わりの感覚で斧を使っているものな。魔法を発動させずにそのまま壁や柱を叩き切れば……魔法で強化されているとはいえ、そりゃ、斧の刃がすぐに欠けるか。ああ……しかしだな」
オーガに向き合って、質問をする。
「君らオーガ族は、魔法は使えないだろうけど潜在魔力は持っているだろう? 自力では発現しないタイプの魔力だよ。それでも斧が壊れるのかね?」
魔力には大雑把に分類して2つあり、1つは顕在魔力、もう1つは潜在魔力とに分けることができる。
普段使う魔法では、顕在魔力を使う場合がほとんどだ。ウィザードは契約した魔神やドラゴン、巨人たちから魔法を発動させる際に、ソーサラーや妖術使いは自身が開発した魔法を発動させる際に、そして法術使いは信者ネットワークで蓄積させた法術を発動させる際に、呼び水というかスターターとして顕在魔力を使用する。
もちろん、顕在魔力が強力であればあるほど、得られる魔法の規模や強度も比例して大きくなる。
例えるならば、乾いた落ち葉に落とす火のついたマッチ棒の本数が多いほど、次の瞬間に燃え上がる炎が大きくなるのに似ている。
一方で潜在魔力は、火がついていないマッチ棒という感じだ。しかし、火がついた触媒と一緒にすると燃え上がる。その触媒として代表的なものが魔法の武器や道具になる。外部から作用する魔力に反応する魔力というところだろうか。
これも、潜在魔力が強力であるほど、使用できる武器や道具もより高性能なものが使用できる仕組みだ。同時に強度も上昇して壊れにくくなる。
とはいえ現在では、これも顕在魔力のみで動作する機構であることが多いのだが。というのも、潜在魔力は自覚することが難しく、正確にコントロールすることも難しいためである。
消防制式斧が顕在魔力に対応している場合、オーガ族では充分に使いこなすことはできない。そのために斧が壊れやすいのであるが……それでもある程度の潜在魔力は、魔法の武器の強度を支えていることには違いがない。
だから、たった1週間ほどで魔法の斧が壊れるという話に、ケランが興味を抱いたのである。
ハラップが真摯に答える。
「はい。定期検査では私にも潜在魔力があることは分かっているんですが、どんな系統なのかまでは詳しく検査していません。単年契約の派遣消防士ですので。それに我々オーガ族の魔法適性は、あまり研究がされていないと聞きます」
そう答えながら、コップをボードや工具が散乱している机の上の隙間に置こうとして、場所を探して手をウロウロさせている。
「ああ、そのコップは簡単には割れないから、どこに置いても構わないよ。そうだな。確かにオーガ族の魔法使いなんて聞いたことがないよ。巨人族の世界にいることはいるらしいがね」
ケランが曲がったピトンを手の中で回して、少し考えている。
ハラップが意を決したかのような表情でケランに訴えた。
「先日、リッチーとの契約を結んだ召喚ナイフのニュースを見ました。ここでなら、私でも使える斧が手に入るのではないかと思い、休暇を得てきたのです。はっきり言って下さい。どうでしょうか?」
ピトンをトスアップして空中で3回転させ、同じ手で受け取ってから、ケランがハラップに聞く。
「ふむ……消防士の仕事は何で選んだんだい?」
はっきりとした明瞭な声で、ハラップが答える。
「はい。私の故郷は戦乱が続いています。敵国や盗賊の襲撃からわが国を防衛するには、資金が必要なのです。それで、私は国費で人材派遣会社に登録、研修を受けて、今の仕事をして送金をしています。ですから、辞める訳にはいかないのです」
「もう一つ聞こうか」
再度ピトンをクルクルと投げ上げて受け取ってから、ケランがハラップの目をしっかりと見つめながら重ねて聞く。
「壊れなくなった斧だが、そいつを自分の世界に持って帰るつもりかい?」
ハラップは目を全く逸らさずに、力強く答える。
「はい。契約が終了して帰国すれば。しかし、敵を討つには銃を使うと思いますが」
それを聞いて、ふっと表情を緩めるケランだ。
「ははは。君は正直すぎるねえ。その勇気、気にいったよ。壁も柱も敵もぶった切れる斧。引き受けよう」
喜びで顔がみるみる紅潮していくハラップに、ピトンを投げてパスする。
「では、君の潜在魔力適性を観てみよう。これを床に突き刺してみてくれ」
「はい」
ピトンを受け取ったハラップが、素直に床に思い切り叩きつけた。
グワンと大きな音がして黒紫色の閃光が閃き、ピトンが砕け散って爆発した。破片がハラップに飛んでいくが、さすがオーガの体は強靭で全く寄せつけない。簡単に全て弾き返してしまった。
一方でグラウがせっせと砥いでいたサーフボードや、小さめのスラロームカヤックの船体にザクザク破片が突き刺さっていく。
「あらら。こりゃ、グラウが後で文句を言うなあ。ま、いいや」
と、ケラン。大して気にしていない。
「今のは大地の精霊魔法を帯びたピトンだ。音と閃光の具合からして、通常の精霊潜在魔法ではないね。むろん、ソーサラー魔術や法術、妖術の潜在適性でもない。どちらかというと、闇系の魔法に近いけど……それとも違うな」
ハラップに説明しながら、工具が大量に押し込まれている箱をひっくり返して何か探している。ますます乱雑になっていく講堂。
「すいません、ケランさん。しっかり検査をお願いすればよかった」
ハラップが恐縮する。
「ああ、気にするなよ。オーガを始めとする巨人族はね、独特な魔法適性を持つ場合が多いんだよ。ああ、これこれ」
ガチャガチャ工具箱を鳴らしながら、古くて黒っぽいセラミックス製のスパナを取り出した。
「多分、これで分かるよ」
またハラップに投げて渡す。身長差が大きいので、座っているハラップに対してもノームからすれば天井に向けて物を渡すのと同じ感覚である。
「はい。それじゃあ」
スパナを受け取ったハラップが振りかぶって、床にスパナを叩きつけた。ガイイインっと派手な音がして火花が散り、スパナの先が割れて飛ぶ。今回もザックリとサーフボードに突き刺さった。
「あやや……こりゃあ、修理が大変だ」
その突き刺さり具合を確かめてケランが笑いながら、恐縮しているハラップの方を振り返る。
「すいません。弁償しましょうか?」
「いや、構わないよ。こんな場所にサーフボードを置いておく奴が悪い。それよりも、分かったよ。君の魔法適性は、精霊魔法の一種の『無属性』だね」
キョトンとするハラップ。
「聞いたことがありませんが。属性のない精霊魔法なんて、あるんですか?」
「まあ、珍しい属性ではあるよ」
サーフボードに突き刺さったスパナに、ケランが杖を当てる。すると、スパナがたちまち分解して元の土に還っていった。
「ほうき、ほうき」
壁に埋もれて立てかけてあった、何かの木の枝を束ねたほうきを取る。それを使い、サッサと講堂の外へ掃きだしてしまった。証拠隠滅の完了である。
「結論から言うと、君の魔法適性と属性は消防士としての仕事には有効だな」
再び講堂に戻ってきたケランがハラップに告げる。
「無属性だから、あらゆる属性に対立する。苦手な精霊もない代わりに、得意な精霊もない。純粋に属性の発する力場の強さで関係が決まる事になる。簡単に言えば、君はこの潜在魔力を発揮させることで、現場で暴れている精霊を文字通り力でねじ伏せることになるね。適性値も高そうだし、威力も十分に期待できるだろう。オーガとしては、いいんじゃないかな?」
魔法の属性は項目で、適正は魔力量に相当する。ただ、魔法適性は属性と適性値の両方を含むようだ。
その説明を聞いたハラップがうなずく。
「力で、炎や光の精霊をねじ伏せる……ですか。確かに、火災は魔法や精霊の暴走が原因で起こることがあります。その際は精霊魔法使いに頼る場合が多いですね。その間、我々消防士は後方で待機しています」
ケランが今度はタバコのパイプを探し始めながら答える。
「そうだな。君の力と潜在魔力が、魔法斧で増幅されて無属性魔法を発動させることになる。まあ、虚無系オリハルコンを配合したセラミックスパナを、見事に粉々にした君だから相当な潜在魔力量だな。斧を触媒にして発動すると、かなり上級の魔法使いのような出力が得られるだろうね。大概の現場の精霊はイチコロだよ」
ケランがパイプに使い古しの燃え草を詰め込んで、指を鳴らした。たちまちパイプに火が点って、紫煙が立ち昇っていく。
「が、しかし。問題はだ」
プカーと、煙を吐き出すケラン。
ハラップが先に答えを導いた。
「斧の材料がないのですね」
「そうだな。ないな」
ケランが杖を振り、空中にディスプレーを呼び出す。
「念のため、検索してみるが」
月面のデータベースに接続する。ケランの目が点になった。
「ん? 復旧中だとな? まあ、いいや。なあ、ハラップさん。休暇はいつまでだい?」
「え? 明日までですが」
「それじゃあ、時間はまだあるな。じゃあ、鉱物探しにでかけるかい?」