観測データ
研究員が興奮した声で教授を呼んだ。
「すいません、先生。お話のところ。このデータ、ちょっと見て下さい」
「ああ、ちょっと待ってくれ。すいません、ウダン専務さん。私はこれで。また試作品ができたら送って下さい」
「ああ。必ず送るさ」
ドワーフの専務が力強く宣言して、嬉しそうに研究室から出て行った。苦笑する教授。
(スンガイ金属の技術者達、またたっぷりと絞られるんだろうなあ)
「あ。それでどうだい?」
研究室の全員が、その次第にはっきりしたイメージを形作っていく図表に注目していた。
素人目には、単に色々な色で色分けされた無数の点と線で描写された、立体的なグシャグシャ落書きにしか見えない。が、彼らの目には非常な関心事に映るらしい。
研究員が教授に向かって緊張した面持ちで聞く。
「今の所、地下300キロまでのデータのみで描写中です。データ演算率は18%で、今後どう変化するか、まだ予測できませんが……これは?」
教授も深刻な表情になっていく。
「そうだね。演算率がもっと上がらないと、はっきりしたことは言えないけれど……」
一呼吸おいてから話を続ける。
「多分、ここの大地の精霊が狂乱状態になっていると、いえるかもしれない。特に、地下90キロの帯に大きな負荷がかかっているように見えそうだね。プルームの量も通常よりも多いような印象を受けるなあ」
「地震でも起こるのでしょうか? 先生」
と、とある学生。
研究員が「おいおい」と、その学生を見た。きつい口調で、興を殺がれた腹いせをする。
「地震のパターンじゃあ、ないだろ。何を今まで勉強してきたんだよ、君は」
教授がフォローした。
「うん、そうだね……地震も起こるだろうね。かなり巨大な地震になるかも知れないかな。それよりも、もっと異常な動きをしているんだよ。そうだね……例えて言えば、火山の噴火に似ているかな」
すかさず研究員がツッコミを入れる。
「でも、先生。ここには活火山はありませんよ」
軽く頭をかく教授だ。
「うん、まあ。しかし、この山脈の誕生自体がプレート同士の衝突で生じた結果だからね。精霊場の歪みは大きいと思う」
ここまで話してから、研究員と学生たちに頼む教授。
「済まないが……これと似たような精霊の動きをモニターした過去データがあるか、検索してもらえないかな。今までの仕事に追加させるようで、心苦しいんだけどね」
早速というか、更に研究室が忙しくなっていく。
研究員が教授に聞く。
「何だと思いますか? 先生」
また少しグシャグシャになった落書きを見て、教授が呻いた。
「うん……強いて言えば、火山の噴火の兆候だけどね。それにしては大きすぎる。大陸にある既存の火山の噴火規模を凌駕しているからね。地下550キロまでのデータを先に集計することが先決だろうなあ」
研究員もディスプレーを見ながら同意する。
「確かにそうですね」
いきなり電源が切れた。それも、全館一斉。
頭が真っ白になる教授と研究員である。
何が起こったのか理解するまでに10秒ほどかかった。あちこちの研究室から悲鳴と怒号が溢れ出す。
しばらくして電灯が点いた。大電力を使用する機器以外が復旧し、館内放送が流れる。
「大規模なサイバー攻撃を受けた模様です。月面の演算システムに深刻な被害が生じていると報告がありました。使用されていた研究室の各位は、直ちにバックアップを作成して演算システムから退避して下さい。繰り返します……」
それを呆然とした表情で聞いていた教授に、研究員が力なく笑いかけてくる。
「あ、あの……先生。基盤が焼けて、データが全て吹き飛んじゃいました。バックアップしようもないです」
学生たちも、これまた力なく笑いかけてくる。
「先生……現地の測定パイルへの魔力供給が、システムダウンのために途切れました。つながりません」
研究員が教授の顔を見る。
「防御障壁が切れた……でしょうか? 先生」
「……うん、そうだね。切れたね。あの辺りは13万気圧の圧力と高熱だ。測定パイルはもう、跡形も残っていないな」
がっくりする研究員と学生たち。
彼らをそっとしておいて、窓の外を眺め、独り言を漏らす教授である。
「……当分はシステム復旧と、調査のやり直し申請で大学に缶詰だなあ。伝統工芸講の仕事はお預け……か」
「何だ、誰もおらんのか」
「全く。息子は、どうしてこうマジメに仕事ができないのかねえ」
などなど。初老のノーム夫婦3組がツルペン講の中で文句を垂れている。どうやらケラン、グラウ、ムカの両親らしい。
「部屋も散らかし放題。掃除はしていない。石組みも歪んでいる。まったく、あのバカは」
「お父さん。どうやらここに出かけているようですよ」
母親ノームが天気概況を流しているディスプレーを見て告げた。
「まあ。台風が発生しているわ。最大瞬間風速が30メートル。いい風ね」
「むう……ムカは間違いなくここにいるな」
彼の両親があきれた声を出す。
「まあまあ。お茶をいれましたから、皆さんどうぞ」
勝手にツルペン講の薬草香草を取り出して、調合して煎じて出してきたのはグラウの母親であった。
それを見てこれまた勝手に、果樹園にうろついている小さい種類のコカトリスを捕まえに出かけるのは、グラウとケランの父親だ。
「小コカトリスもいたから1羽つぶしてくるか。お茶受けが必要だろう」
「から揚げにしますか? お父さん」
「そうだな。塩味がいいな」
味付けの話までしている。
「むう……水牛バターがあるな。小麦粉はどこだ」
ムカの父親は甘党らしい。オーブンを温めて、調理場で勝手にクッキーを焼き始めた。
「こんにちはー」
そこへ、がっしりして真っ黒に日に焼けたノームが2人、講堂に入ってきた。
「やあ、これはご両親。こんにちは。あれ? 3人ともいないんですか?」
受け付けたのは、ムカとケランの母親である。
「そうなのよー。ごめんなさいねー。まったく、あのバカ息子は」
「ああ、別に構いませんよ。いつものことですから」
と、笑う客。
「来月からサイガ猟が解禁になるんでね。どうかな、と、のぞきに来ただけですから。お気遣いなく」
母親たちが驚いた顔をした。
「サイガってったら、ずいぶん北の荒野にいる獣じゃないの。あなたたちそこから来たの?」
2人が日に焼けた顔で笑いながら答えた。白い歯がよく目立つ。
「ええ、まあ。私たちはタナハ国所属の猟師ですから。でも、長距離移動は苦にはなりませんよ」
この国は、人間世界でいうシベリアに位置する。
「まあまあっ」
さらに驚く母親たちだ。
「タナハっていったら、優に1万キロはここから離れているじゃないのっ」
大騒ぎを始めだした。
席を確保するために、部屋に散らかる道具やボードを容赦なく蹴飛ばしたり、杖で吹き飛ばしたりしていく。そうやって強引に応接間を作り出し、そこに客人を座らせた。そしてお茶を差し出す。
父親2人が果樹園から戻ってきて、手に持っている1羽の小コカトリスを客に見せる。
「おや、お客さんかね。ちょうどいい。お茶にしましょう」
すでに絞めて、羽もきれいにむしり終えている。見事な鳥肌だ。
「から揚げでよろしいかな?」
それを見た客人が、猟師のくせに感心した顔をしている。
「コカトリスをよく簡単に潰せますね。石化ブレスを吐くでしょうに。森の外にもたくさん放し飼いにされているから、パスを持っていないと入れないですよ」
母親たちがケラケラ笑った。
「鳥目でしょ。頭から黒い袋を被せたら、もうそれで大人しくなるんですよ。ですが野生種は、こう簡単にはいきませんでしょう?」
「そうですねー。警戒心が強いですから」
猟師たちも話のネタができたので、話が弾み始めていく。
ジュアーと、から揚げの心地よい音が調理場からしてきた。クッキーの焼ける香ばしい香りも漂い始める。
母親たちが談笑しながら部屋の中を見回していく。
「さて、お茶するには、もう少し部屋を片付けないといけないわね、この床に転がっているガラクタを外に叩き出しますか」