納品
八日後。
「砥げました。確認お願いします」
ムカから連絡が入ったので、大学の昼休みの時間に教授が空間転移して森へ入り、ツルペン講にやって来た。
今回は、コカトリスもトカゲも遠巻きに威嚇してくるだけなので気が楽である。
気になっていた講堂は以前とは違った組み上がりではあったが……復旧工事が完了していたので、ほっとする。
中にはフライを巻いているムカしかいなかった。
シーカヤックは復元されて砥ぎ直され、サーフボードも同様の処理がされている。よく粉々になった破片と塵から復元できたものだと、感心する教授である。
毛糸玉の表面のようにささくれ立っていたカヤックやサーフボードの表面も、今は滑らになりキレイに砥ぎ直されている。水の精霊魔法がコーティングされているようだ。空気中の水分が凝結して結露となってそれらの表面に浮き上がって、石畳の床に滴り落ちている。
とりわけ念入りに研がれたサーフボードは、その表面全体が均一に濡れていて鏡のようになっている。教授が顔を近づけてみると、彼の顔が映しだされていた。
ムカの作業スペースにあったテグスとフライは、完全に灰になったようである。復元ができず、最初から作り直しがなされている。
フライの表面には、風の精霊がすでにいくつか巻きついているのが確認できる。フライは空中で動かすルアーなので、このような加工が施されているのだろう。水中で魚や虫のように動かすルアーの表面には水の精霊が施されていて、水が滴り落ちている。どちらの釣り針も相変わらず鋭い。
ここまで確認した教授に、ムカが仕事の手を休めて挨拶してきた。
「こんにちは、教授。遅れてしまいました。砥石の潤滑剤の調合に4日かかりまして。まだ、納品できますか?」
「こんにちはムカ君。この件は、どこの講も敬遠しているから大丈夫ですよ」
教授が笑い返した。
「あれ? グラウ君は?」
「ああ……昨日の天気予報で、大西洋沿岸で大雨になるという予報が出たんですよ。ですので、スラロームカヤックを担いで出かけていますよ」
ムカがそっけなく説明し、天気予報が流れているディスプレーを教授に見せた。確かに大きな積乱雲がいくつか発達しながら沿岸部を動いているのが表示されている。
「なるほどね。ああ、ケラン君は、まだ? かい」
少しずつ慣れてきた気がする教授。
「はい、音信不通です。いつものことですが。でも、そろそろ帰ってくるでしょう」
「そうだね。早く戻ってきてもらいたいものだよ」
教授が復元された壁をさわって違いを確かめている。
「あ。そうそう。召喚ナイフでしたね」
ムカが引き出しから砥ぎ終えたナイフを出して、教授に渡す。
「どうぞ。確かめて下さい」
「ありがとう。おお。きれいに砥がれているね」
ナイフを受け取った教授が率直な感想を述べて、「えい」と、闇の精霊魔法をかけてみる。
ナイフの刀身に霧が立ち込めて、それが模様を描くように刀身に沿って滑らかに動く。それを見てうなずく。
「うん。魔力の流れが非常に滑らかになったね。これならリッチーも満足するだろう。魔力の流れが滞ると、リッチー側と使う側の双方にストレスがたまってしまうものだからね。グラウ君に、ありがとうと伝えて下さい」
教授が続いて、新たな結界ビンを取り出した。
「それで、次の依頼なんだけどね」
解除すると、ビンの中から登山靴と、雪山登山用の防水防寒具が出てくる。
「これも試作品なんだけど、フィールドテストを誰かにお願いできないかな? 君たちのようなハードな環境で長期間使用すると、どうなるのか知りたいそうだよ」
ムカが少々呆れたような声を出す。
「私たちには少々派手ですね、これは。ゴテゴテしたデザインというのは、無駄ばかりで機能が洗練されていないものにしか見えないのですが。えてして派手な製品は、あまり役に立たないことが多いのですよ」
確かに新品でピカピカして、素材上を魔法が動いているのが分かる。
教授も苦笑して、服を壁のハンガーにかける。
「うん。これは、雪山でもオシャレしたい人向けだね。でも、結構多いそうだよ。フリーサイズだから、誰でも体型に合わせてジャストフィットする。それに、素材もリサイクルものを使用しているし。素材生産の過程での環境負荷もできるだけ抑えているそうだ。その点だけは認めてくれると私も嬉しいな」
教授が服のシワを伸ばした。
「しばらく、ここにかけておいていいかな? 誰でも気が向いたら着てくれていいからね」
了解するムカ。彼なりに表情を和らげている。
「じゃあ、この間のような爆発は遠慮しないといけないですね」
教授が大いに同意している。
「うん。そうしてもらえると嬉しいよ」
さてこの召喚ナイフは、リッチー会議でも好評だったようである。おかげで、めでたく試作品として採用された。今後は、この試作品を基にして量産品が製作されるのだろう。
早速ツルペン講の口座に、大地の精霊力を振り込んだという連絡が教授から送られてきた。
それを、川くだりから戻ってきたグラウが空中ディスプレーを出現させて確認し、大喜びでムカに知らせる。
「おい、結構な量だよ。激流下りで使う精霊魔法でいうと、300キロ分はある」
などと、彼なりに分かりやすい例えで説明する。
ムカもテグスの作成作業を少し遅らせて、目を細めてディスプレーの表示を確かめている。
「そうだね。セーリング1週間分の風調整に使えるね」
これも分かりやすい例えを使う。もちろん振り込まれてきたのは大地の精霊力だ。水や風の精霊力に変換しなくてはいけない。相当の変換ロスが発生するので、実際はもっと少なくなるだろう。それでも嬉しいことには変わりはない。
「おおっ。ニュースにも出ているぞ」
グラウがディスプレーで流れているニュースを見て叫んだ。
さすがにリッチーそのものは出演していない。リッチーは魔力が強いため、見る人によっては体調を崩してしまう恐れがあるためだ。
代わりにその広報担当として、死者の世界のアンデッド貴族が質問に答えている姿が画面に映し出されていた。
「しかも近隣世界共通ニュースチャンネルだぞ、これ」
「教授も必死ですねえ」
と、ムカ。
「少しでも伝統工芸講を盛りたてたい、のでしょう」
「そうだな。それは、いい志なんだけど……な。なあ、あの服と靴、弁償しないといけないのかな?」
ハンガーにかけられた、見るも無残な防水防寒具と靴をグラウが指さした。ハンガーにかかっているのが奇跡のような惨状を呈している。
「どうでしょう? 試作品ですし、フィールドテスト用ですから、このまま教授に返せばいいのではないですか? グラン」
ムカが冷静な声でハンガーを見る。
「でも、たった3日ですけど。誰に渡したんですか?」
グラウが残念がりながら、同じくハンガーを見る。
「東イスタナの落差2000メートルの川下りで、ウルスが使いたいっていうから貸したんだけどなあ。やっぱり1日で1600メートルの落差を下るには……ちょっとキツかったか」
ムカが杖を取り出しながら冷静に批判する。
「……ウルスに貸したのが、そもそもの間違いですよ、グラウ。これは川下り用ではなくて、雪山登山用の服と靴ですから」
そうだったらしい。
「では、教授に引き取りにきてもらいますか」
ノームの世界の大学は、ほとんどが国立だ。そこでは日夜様々な魔法の研究開発が盛んに行われている。企業との共同研究も多く組まれていて、ノーム世界での主要な産業といえる程の規模になっている。
セラミックス建材で建てられた大学校舎は、厳重に魔法加工されている。隣接する研究室で発動される、様々な魔法の相互干渉を防止するためだ。
かなり高度な防御障壁を何重にも空間に張り巡らせ、必要に応じて亜空間結界も併用して研究室の安全性と利便性を図っている。
こうした最新技術の塊のような大学設備だが、築千年を超える校舎自体は緑に囲まれた落葉樹林の中にある。大小さまざまな湖面に映える様を見ると、どこかの公園のような印象を与える。
研究員や学生達が数万人も在籍しているので、散策したり遊びに興じる者もかなりの数になるようだ。
さて、クンチ教授の研究室では、先日の中央イスタナ山脈での地質調査の観測データの集計と解析を進めていた。
今は、地下300キロまでで得られた膨大な観測データを整理している段階のようだ。研究員や学生が忙しく月面のデータバンクと演算施設を遠隔操作している。
光速通信でも往復十数秒間の遅延時間がどうしても発生する。そのため他の演算に影響を及ぼさないように、光と電子系の精霊魔法を駆使して時間調整を続けている。
そのデータが整理計算されて図表化されていくにつれて、教授の目に緊張が走った。
「ん? これは……」
「ほう。三日でこうなったかね」
ドワーフの野太い声がした。
教授がディスプレーから目を離して振り返る。と、初老の頑固そうなドワーフが研究室に入ってきていた。
その彼が、ボロボロの雪山登山用の防水防寒服を手に取って驚いている。その服はボロボロ過ぎて、ハンガーからほとんどずれ落ちかけていた。
「少なくとも20年間は、耐久性を発揮するように設計したんだがなあ」
恐縮する教授である。
「ああ。来られていたんですか。ウダン専務さん」
腰を上げてドワーフを迎え入れて、困惑気味な表情で謝る。
「せっかくの試作品ですのに……こんなにしてしまい、申し訳ありませんでした。雪山でなく、川下りに間違って着用したようで」
専務が「ぐはは」と笑った。
「いや、アウトドア衣料なんだから、雪山用であっても川下りにもある程度は対応できないといけないよ」
服を広げて破損度合いを確かめている。裂けたり穴があいたりして向こう側が見える。
「ワシの会社は繊維は門外だが、この試作品では障壁魔法の回路を組み込んだんだよ。その基盤も……おおう。見事にブチ切れてるなあ」
どこか嬉しそうな声を上げる。
「うちの技術者への、いい土産になったよ」
白くて大きな下駄のような歯が見えた。
「はあ……そう言って下さると助かります」
教授がほっとした表情を浮かべている。
「何しろ、一日半で落差2000メートルの激流を下ったそうです。そんなことをするノームがいるとは思いませんでしたよ」
「まあ……ドワーフにもいないだろうな。そんな狂ったような奴は」
今度は靴を調べている。これは完全に靴底が抜けて、足の甲部分がザックリと切り裂かれていた。
「なあ、教授。こいつを装備していたノームは無事なのかい?」
「はあ……ツルペン講に問い合わせても、よく分からないという返答でして。試作品を返してすぐにまた、川下りをしに出かけたとか」
信じられないような顔をして教授が告げた。専務も苦笑する。
「ほう、そうかい。ヤワすぎる、とでも文句を言ったんだろうな」
教授が苦笑いを浮かべたままで、川下りしたウルスからの伝言を専務に伝える。手元に小さな空中ディスプレーを呼び出す。
「ウダン専務さん。その試着をした冒険家からの伝言を1つ預かりました。川の水で洗剤を使わずに水の精霊を使って丸洗いするのですが、洗いにくいそうです」
ディスプレー画面を見ながら伝言を続ける。
「それと、すぐに乾いてくれないと食事休憩後に着る時に濡れているので気持ちが悪いとも。それから、川下りの途中でバーやシガーバーに立ち寄るそうなのですが……水から上がってそのままの足で店に入ることができるようにして欲しいと」
いずれも無理難題ばかりの注文や要望だ。
教授も冷や汗をかいて紹介したのであるが、当の専務は真摯に受け取った様子である。
そのプロ根性に感心しながら、教授が重ねて専務に質問をしてみる。
「しかし、そこまでの強度を求めるような装備が必要とは、一体……どんなユーザーを対象に考えているんですか? ウダン専務さん」
教授が不思議そうな顔をしている。
「こんなコアな冒険家は、あまりいませんよ」
「ぐはは」と専務が笑った。
「いるよ。結構身近にな」
そう言いながら、服と靴だったものを袋に入れる。
「消防官、軍隊、漁師、森林レンジャー、まだまだいるよ。生傷が絶えない連中がね。私はね、彼らの道具も含めた装備一式をまとめてサポートしようと考えているんだよ。斧や山刀、銛は、既に良い評価を得ているけど、身を守る装備はまだだったからね」
教授が「なるほど」とうなずく。
「道具と装備に服装までパッケージで売り込むというマーケティング戦略ですか」
専務も大きくうなずきながら、ニヤリと口元を緩ませていく。
「うむ。仕事着に荷物を背負った状態で、仕事道具である刃物を使うだろ。その動線を最適化させれば、仕事の効率も上がる。何より怪我をするリスクを減らせることができるだろう? そうすることで、他のメーカーと差別化できると思うんだよ」
専務の目が商売人らしい光を帯びていく。
「でなければ、結局安売りが最優先になってしまう。価格競争と宣伝合戦に巻き込まれて、我が社の経営が危うくなりかねないからね」
教授が感心しながら同意する。
「さすが、商売でしている方は違いますねえ。確かに怪我をするリスクが減っていると、数値で示すことができれば……これは強力な宣伝になりますね」
専務がちょっと胸を張る。
「我が社の品質が卓越していって、競争相手がいなくなるような方向で努力することが重要だと思うんだよ。同時に原材料やエネルギーの消費を抑えてゴミを出さなくして、工程数を単純化し、丈夫にする。そうすれば品質管理をする人員も減らせて、大きなコスト削減になるからね。そうしてやると利益を最大化できるんだ」