教授の勧誘
ムカは相変わらず鼻歌を続けながら無口でフライを巻いている。教授が話を続ける。
「私は大学の教授の他に、国から命じられて伝統工芸講の理事も兼任しているんだ。あ、刀剣、鎧兜、織物、小物、楽器、漆器、陶器、高級食器などが代表的だよ。しかし、後継者不足の上に、土産物程度でしか売れないから収入も悪くてね、国からの補助金で動いているような、斜陽な講なんだよ」
教授が一気に話し始めた。
「しかし、私はこう考えたんだ。現代の製造業の発展を支える役目を果たせるのではないかとね。そこで伝統工芸の職人達をネットでつないで、製造業の試作品の製造依頼を受けてみたんだよ。これが好評なんだ」
ここでお茶を飲んで一休み。
くどいようだが講という組織形態は、商売もできる同人サークルのようなものである。職人気質のノームが多いので、民間会社や政府系組織に加えて、このような組織形態が発達している。
しかし2人のノームは、相変わらず釣り針とカヤック砥ぎをしている。
グラウがようやく口を開いた。
「ふうん……で? 先生?」
シャーシャーと規則正しくカヤックの底面を研ぐ音が続く。
反応の悪さに少々がっくりきた教授だったが、めげずに頑張って勧誘を始めた。
「うん。君たちもこの伝統工芸講に加わってくれないかな? 特に砥ぎ師という職人は、今やいなくて。刀剣の時代ではないから、全部機械砥ぎなんだよ。これじゃあ、繊細な試作品や型枠を作ることはできない」
「でもねぇ……教授」
カヤックを砥ぐ手を休めずに、グラウが口を挟む。
「私たちはお金には困っていないんだよなー。仕事したら遊びに行く時間が減るだろ?」
奥のほうでは、ムカが「うん」とうなずいている。
「そ、そそそれは、そうだね。でも、こう考えてはくれないだろうか? 伝統工芸講は国からの補助を受けて、それなりに大地の精霊力を割り振られているんだ。君たちが加わってくれれば、その一部を自由に使ってもらって構わない。自由に……そう、遊びに使っても良いんだよ」
「おお、本当かい?」
グラウが大声をあげた。さすがに巨大シーカヤック底面を砥ぐのを止めて、教授の方へ駆け寄ってくる。
教授が内心で安堵しながらも、冷静な表情で勧誘を続ける。
「うん。お金の代わりの報酬として、仕事に応じて精霊力をツルペン講の口座に振り込むよ。これは違法ではないから、大丈夫」
「よし、いいよ! 任せときな、バンバン砥いでやるよ!」
グラウのガハハ笑いが部屋にこだまする。
ノーム世界は貨幣が流通する経済であるが、精霊力も仮想通貨として流通しているのである。
精霊力を貨幣に両替もできるし、そのまま精霊魔法の原資として使うこともできる。しかも、ちゃっかりと変動相場制である。
「その……ムカ君も同意してくれるかな?」
教授が講堂の奥で8つ目のフライを巻き続けているムカに聞いた。ムカは手を休めることなく冷静な声で、口を開く。
「……そうですね。基本的には同意できますよ。伝統工芸の存続がかかっていると聞けば拒絶はできませんし」
ほっとする教授。
「しかし、確認したいのですが」
と、ムカ。
「その委託は、期日が切ってあるのですか?」
「え? ああ。普通はそうだが」
何を質問されたのか理解できない様子の教授。
「それは残念です。いい風が吹くと、私たちは全ての仕事を投げ打って遊びに直行します。ここは、それでも構わない、という人が注文する場所なんですよ」
冷静にムカが、とんでもないことを口にした。
あうあうしている教授に、追い討ちをかけるムカ。
「1回出かけたら、3、4ヶ月間は帰りませんよ。それでも良いんですか?」
「おいおい、あんまり一般人をいじめるなよ。ムカ」
グラウが助け舟を出した。
「大丈夫だよ、先生。ムカもオレもケランも遊びに行く時期というものは決まっている。その時期には仕事を持ってこなければいいんだよ」
これまた無理難題を気楽な顔で持ち出した。全く助け舟になっていない。
「ケランは雪山シーズン、ムカは季節風が強く吹く時期と台風シーズン、オレは大雨と高波の時期になると、仕事どころではなくなるんだ。天気予報を調べてから来てくれると、確実だな」
ガハハと笑うグラウ。道理で、延々と各地の天気予報の番組をディスプレーに流し続けているわけである。
「グラウ。あなたが一番住所不定なんですよ。分かっていますか」
ムカがあきれた顔で言う。
「大雨や高波なんかは、1週間前では予報されないでしょうに。クンチ教授、こいつはですね、大雨や高波の予報が出たら10分後にはカヤックかサーフィン担いで、いなくなる人種ですよ。だからホラ、見ての通り仕事が溜まっているでしょう」
確かにツルペン講の講堂の半分以上は、サーフィンボードとカヤックで占められている。
どれもこれも相当に酷使されたのだろう、ざっくりと切れていたり割れていたりして傷だらけである。細かい傷も無数に刻まれていて、それらがささくれ立って、まるで毛糸のセーターの表面みたいになっている。
「確かに、仕事が雄弁に語っているね」
苦笑する教授。
「それでも、いいよ。成功報酬にすれば良いわけだからね」
それを聞いて、きょとんとするムカ。でも、すぐに理解して笑った。
「ふふふ、成功報酬ですね。それなら良いですよ」
教授が軽く肩をすくめてから話す。
「実は試作品作成なんてものは、成功報酬なんだよ。頼んだ会社の意向に沿わない試作品であれば、頼んだ意味がないからね。仕様を作成して、それを我々の講にも頼むし、他の講にも同時に頼むのが通常なんだよ。で、それぞれの講から送られてきた試作品をテストして、一番意向に沿った品質の物を採用して、代金を払う。企業の世界だからね、こんなもんだよ」
「成功報酬なのは、今までもそうだったしな。気にしてないよ」
グラウも了承してくれたので、ほっとする教授である。
「では、残るはケラン君だけか」
「彼には私たちが説得させますよ」
ムカが冷静な声で返してくれた。10個目のフライを巻いている。
「うん。そういうことであれば……だね」
教授が早速カバンの中から結界ビンを取り出して、解除術式を唱える。ポンと音がして、ビンの中から1振りのナイフがビンから飛び出てきた。
同時に作業場のサーフボードや釣り針が、奇妙な振動と音を立てる。ムカとグラウの顔が少し真剣な表情になり、砥ぎ作業が初めて止まった。
教授も同じような表情になって説明を始める。
「召喚ナイフだよ。ある会社が、死者の世界のリッチーと契約してね。これは、彼らの魔法を呼び出して発現させるための、触媒機能を持たせた新製品の試作品なんだ」
魔法使いたちは、伝統的に魔神やドラゴンに巨人たちと契約している。彼らの魔力を使ってウィザード魔法やソーサラー魔術、妖術などを発動させているのだ。
死者の世界のリッチーたちも魔神には及ばないものの、中級クラスのドラゴンや巨人に匹敵する魔力を有しているとされている。
そんなリッチーと契約して死霊術や闇魔法を使えるようにする契約道具が、この召喚ナイフである。
なぜナイフかというと以下の理由らしい。リッチーたちが住む死者の世界は、私たちが住む世界とはかなり違う。そのため彼らから魔力を呼び出す際には、世界に切れ目を入れる必要があるという説明だった。
説明を終えた教授がナイフを手にして、困ったような表情を浮かべる。
「この試作品なんだけどね。魔力の流れがいま一つなんだよ。何とかできないかな?」
「どれどれ」
グラウがナイフを手に取り、指を刃の腹沿いに滑らせて流れを確認する。
「うむ……確かにところどころ流れがヨドミになっているな。合金だね。成分の混ざり具合が均一でなかったせいだろうな、これは。薄膜の重ね具合も波打っているようだ」
感心する教授。
「さすがに詳しいね。どうだい、砥げばいけそうかい?」
「やってみよう。えーと、リッチーだったね。だったら砥石は闇属性だな。どこにしまっていたっけ」
グラウが講堂の奥の、多分倉庫に飛び込んでいった。
講堂中に奇妙な振動が続いているので、ムカが立ち上がって杖を振る。すると、何事もなかったかのように静寂が戻ってきた。
「すいませんね。この家、相当古いでしょ。すぐ石組みが崩れるんですよ。仕事の最中に、これまで何度も魔法が暴走して、崩れたことがありまして」
しばらく石組みの様子を確認しているのか、天井を見上げる。
教授も不安になって見上げる。確かに天井や壁の石組みには隙間が見える。これは雨漏りが大変だろう。
ムカが、天井から垂れているテグスを確認しながら教授に聞く。
「……大丈夫ですね。しかし、教授。リッチーも仕事しないといけない時代なんですか? 彼らに仕事って、一番似合わないイメージがあるんですが」
教授が軽く肩をすくめる。
「確かにね。お金儲けというよりは、ヒマつぶし目的らしいよ。アンデッドだから時間があり余っているんだ」
ピピピとポケットから音がして、杖の先からルンプー国歌が流れてきた。
「あ。失敬」
教授が杖を少し振って、先端に小さな空中ディスプレーを出現させて見る。どうやら急用が入ったようだ。
そこへ、ドタドタとグラウが黒い砥石を持ってやってきた。
「おまたせ、先生。お? また変な着メロだね」
「ははは。仕事上、これでないといけない人が多くてね。すまないね。私はもう大学に戻らないといけない。砥ぎ終えたら呼び出してくれないかな。これが私のアドレスだよ」
教授が弁解して、杖で空中にアドレスを表示する。
ムカとグラウがそれぞれ杖を取り出して、アドレスに触って記録した。
「それじゃあ、また後で」
講堂から出ようとする教授に、ムカが声をかける。
「あー……教授。ツルペン講への入場パスです。これがないと、また石か炭にされますよ」
そう言って杖を振る。すると、風の精霊が現れて、教授の杖にまとわりついて消えた。
「ありがとう、ムカ君。では」
教授が三角帽子を振って、杖を振った。
「あれ? 転移できないぞ」
ムカが笑って三角帽子を振りかえした。
「まだツルペン講の結界内ですよ。森まで行かないと空間転移できませんよ」
「了解したよ。では、また後で」
歩いて森へ向かっていく教授である。
部屋ではグラウが黒い砥石を魔法ナイフに当てて、上から潤滑液を垂らしているところだった。
「さて。砥げるかな……と」
ナイフを砥石の上で滑らせた。
ピカと閃光が走り、ドオンと爆音がして……ツルペン講の講堂が吹き飛んだ。見事な爆発だ。
爆風が教授の元まで吹き渡る。
「え?」
驚愕する教授。
「大丈夫ですよ、教授。魔力が暴走しただけです」
瓦礫と化した講堂からムカの声がする。
「むう……潤滑液の調合ミスだな。これでどうだ」
元気なグラウの声もする。
再び大爆発が起こり、さらに講堂がバラバラになった。あ然とする教授。
「教授、いつものことですから気にせずに。砥げたら連絡しますよ」
瓦礫と土煙の中からムカの声がする。
「本当に、大丈夫なのかい?」
教授が駆け寄るが、再びの爆発で近づけない。
「はい、大丈夫ですよ。では、また後日」
あくまで冷静なムカの声。
「う、うむむ……君がそういうなら、大丈夫なんだろうね。あ、あの……無理はしなくていいからね」
教授が気遣う。
(とは、いうものの、こんなになって大丈夫なのか?)
冷や汗が背中を伝っていく。
「こら、グラウ。いつ調合した潤滑液を使っているのですか。そんなもの、とっくに有効期限切れですよ」
ムカが文句をいうのが聞こえる。
「むうう……そうだな。これは古すぎたか。あっ。これならどうだ? まだ28年しか経っていないぞ」
グラウも、こちらもめげない。
で、やっぱり大爆発が起きた。グラウの叫びが上がる。
「あーっ。砥いだばかりのシーカヤックがああっ」
「そんなもの、また復元すればいいでしょう。私のテグスは、どうしてくれるんですか」
瓦礫の中でムカが冷静に突っ込みを入れている。
「フライもチリチリに焼けてしまいましたよ。もう……」
野菜の出荷調整をしていたゴーレムが、のっそり、のっそりと、ヤル気なさそうに災害現場へ向かってきて、教授のそばを通り過ぎた。どうやら、復旧作業を開始するらしい。
それをみて、ようやく気が落ち着いた教授である。再び杖の先から国家着メロが流れだした。
「いやはや……」
帽子をかぶりなおして、森の方向へ足早に歩いていく。
それを目ざとく発見して、コカトリスとトカゲが突進してきた。が、教授が杖をかざすと「ちっ」と、でも言わんばかりの仕草で立ち止まる。そしてチロチロと石化ブレスと炎を口から漏らしながら、ふてぶてしく教授を見送った。
「……いやはや」