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ちょっと赤い月を見上げながら

 それから12年後の3月。ある晴れた夜のこと。

 東イスタナ山脈にある標高8000メートル級のステコモッティ峰。人間世界ではヒマラヤ山脈東部にあるカンチェンジュンガ峰に該当する。

 その頂上直下にある落差1000メートルを超える南壁には、やっぱりケランとスハムがハンモックを吊るして寛いでいる。ノームは長寿なので、10年やそこらでは外観は大して変わらない。


 ケランがハンモックに揺られながら地元で売っている粟の地酒を飲んで、ヤギ肉の燻製をツマミにかじっている。

 さすがに標高7000メートル地点は冷えるので、スンガイ社のフィールドテスト用の試作服を着ている。手に持った地酒のコップから湯気が出ているところを見ると、炎の精霊魔法を使って酒を温めているのだろう。


「ああ……また流れ出したなー」

 きれいな満月を見上げて、ケランがつぶやく。

「ん? 何が流れ出したって?」

 隣のハンモックに揺られて、同じようにほろ酔い気分で寛いでいるスハムがケランに聞く。彼の服装も同様だ。


「溶岩だよ。月の静かの海の辺りの縁が赤くなってるだろ?」

 ケランも、ほろ酔い加減で月を指差す。


「おお……そういえば」

 大げさに驚くスハム。仕草はどう見ても酔っ払いのオッサンだ。


 ケランが少し目をキラキラさせて話を続ける。

「すごいよなあ。あの溶岩、この真下のマントル層から沸き上がって来てるんだぜ。それを魔法で転移してあんな場所に吐き出してよー」

 その魔法は、教授が提案してノーム総会で激論の末採決されたものである。未曾有の規模の転移魔法に、今さらながら感心するケラン。

「ものすごい数のパイルを、このイスタナ山脈と高原、大河の流域に打ち込んでさ、地殻とマントルの境目に空間転移ゲートを作ってしまったんだと。で、出口があそこ」

 粟酒を一瓶ぐいと空けて、ケランが月を指差したままで話を続ける。

「今じゃあ、あの大量の溶岩が固まってできた台地、人気の観光地になっているみたいだぞ。教授が苦笑しながら言っていたよ」


「くくく」と、スハムも笑った。

「じゃあ、そのうち、月でも岩滑降できる日がやってきそうだな。月の表面はどこもレゴリスだらけだからなあ。岩盤が露出してる場所が少ないんだよ。うむ、楽しみだ。そういえば、そのゲートを維持するためだとかいって、大地の精霊力の供給が一律3割カットだったよな。今もそうかい?」

 ケランは浮世離れした生活を続けている。


 呆れるケラン。

「あのなあ。たまには下界に降りて来いよ。ああ、今もだよ。産業界は大騒ぎだ。でも、おかげで空気や水はきれいになった」


「うん。それは分かるよ」

 スハムも同意する。

「この10年で、ずいぶん自然が豊かになった。リゾートだ何だと遊びに来る連中が、めっきり減ったからねえ。噴火の風評被害のおかげだよ。タバコあるかい?」


「あるよ」

 半分くらいに減ったタバコの缶を、ケランがスハムに投げて渡す。彼自身は吸い残しの詰まったパイプに火を点けた。

「イスタナ山脈も地熱の供給がかなり減ったから、温泉が冷たくなったそうだね。それは残念だよ。まだ、あと数十年間はこのままゲートを維持するとか言ってるしなあ」


 スハムもパイプに火を点けながら答える。

「いやあ、別に大したことじゃあないよ。精霊魔法で温めればいいだけだし。そうだ、この間、アルカリが強くてメタン臭いんだけど、良い温度の温泉を見つけたんだよ。後で行こうぜ、ケラン」


 その時、数十メートル下の闇の中から若いドワーフの哀れな声がしてきた。

「ケランさあん。眠れませええん」

 このドワーフは、スンガイ金属の若い技術者だ。新人社員に対する強制研修である『アウトドア衣料の現場着用体験』に参加している。

 ツルペン講の誰かに同行して、このようにして約3週間過ごすという内容だ。新入社員向けの必須プログラムとして、専務の強力な後押しで実現されている。


 冷やかすケラン。

「どうだい? 新製品のアイデアが浮かんだかい?」

「ひどいですううう、ケランさああん」

 今にも泣き出しそうな声が帰って来た。


 笑いをこらえながら、ケランがスハムに小声で話しかける。

「夜が明けるのが楽しみだよ。落差1000メートルの奈落の底がハンモックの下に広がっている。その絶景が朝日に照らされて、よく見えるからね」

 スハムもニヤニヤしている。

「はは。産まれて初めての経験というやつだな」

 そして、2人して満月を見上げながら、プイーと、紫煙をはき出した。

「うめー」


 了


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