教授のお仕事
数日後。人材派遣会社のワジブ部長がツルペン講へやってきた。彼は今回、通行パスを有しているので五体満足だ。
「こんにちはー」
講堂の中をのぞくが誰もいない。消し忘れのディスプレーから流れる、天気予報とニュース番組だけが聞こえる。
「あれれ? 誰もいないのかい? 困ったな」
灼熱の講堂内から、外の木陰に避難する。
「まあ……この暑さじゃ仕事どころではないか。トロル貴族所有の魔法剣を砥いでもらおうと思ったんだけどなあ。残念」
そのまま、汗をふきふき森へ引き返していった。
ディスプレーでは、ノーム総会の発表が中継されている。総会としては、かなりの数の研究者と資金に魔力を投入して大深度地下の調査事業を行うらしい。
教授がよそ行きの小奇麗な服装で、インタビューに答えているのが映っている。こういうことに全く慣れていないのだろう、目が泳いでいるのがよく分かる。
しかし、これはノーム世界300万年の歴史の中でも、深海底や月面での大規模演算装置と情報倉庫の建設という大事業に匹敵すると予想されているようだ。今回の地下調査の意気込みには、並々ならぬ雰囲気がある。
一方で、大量の魔力や資源、資金を費やすことになるため、全世界のノームたちへの説明責任はきちんと果たさなくてはならない。
教授が目を泳がせて意味不明な手振りを交えながら、頑張って涙ぐましい説明をしている。「あー」「うー」「えー」というセリフが半分以上を占めているようだが。
専門用語を慌てて一般向けの単語に置き換えたり、意味不明なオヤジギャグや、顔を引きつらせた愛想笑いなどの無駄な部分も多々ある。それらを差し引いて教授の説明を要約すると、以下のようなものであった。
ノームは大地の精霊を使役したりできるが、それはごく表層にいる精霊だけだ。専門家でもせいぜい地殻にいる精霊までしか関与できないのが現状である。
地球の磁場を発生させているような強力な精霊が棲んでいるのは、もっと地球の内部だ。液体の鉄で構成されている外核という層になる。地球の表面から順に、地殻、マントル、外核、内核と大まかに分類されている。
外核とマントルとの境界面辺りでは、地球の自転速度を決める精霊が棲んでいる。これらは地表から遠すぎて、ノームでは関与できない相手だ。魔力量も顕在と潜在ともに非常に高い。
マントルは岩石の層なのだが、非常にゆっくりと流れている。最深部である外核と接する地下2900キロの深さに棲む精霊は、パテ状の火山の溶岩の元を作り出している。
溶岩の元は周囲よりも比重が小さいため、地表へ向かって浮き上がってくる。そして、地下数キロの地点まで浮き上がると、パテ状から液状の溶岩になっていく。そうして最終的には地表へ噴き出す。
この流れをプルームと呼び、噴き出す場所をホットスポットと呼んでいる。よく見かけるホットスポットが火山の火口である。
火山の噴火はノーム社会にも大きな影響を及ぼすのだが、その溶岩の生まれ故郷は地下深すぎてどうすることもできない。しかし、観測を強化することでプルーム、溶岩の元が地表に噴き出して被害を及ぼす前に対処することが可能になる。今回の事業は、その監視網の構築を主眼に置いている。
教授によれば、既に小規模なものは昔から稼動しているそうだ。亀大陸のパヘロドゥンガという場所にある巨大な火山を監視をしているらしい。ここは人間世界では北米のイエローストーンに該当する。
そこでは液体の溶岩が溜まっているのだが、その規模は南北90キロ、東西30キロ、厚さは10キロという巨大なものである。
溶岩は周辺の岩石よりも比重が小さくて軽いので浮力がある。それを地殻が押さえつけている状態なのだが、浮力が押さえつける力を上回ってしまうと、地殻を破って地表へ出てしまい噴火することになる。
パヘロドゥンガでは、これまで60から80万年の周期で噴火している。監視網のおかげで対処する時間が確保でき、噴出する溶岩をその都度、魔法で安全な深海底に転送しているそうだ。他の巨大火山でも同様のシステムが採用されている。
300万年の間、このようにしてノーム世界では噴火の被害を抑えている……という説明だった。
それから別の先生へのインタビューになったが、どの先生も緊張しきっているようだ。やっぱり目が泳いでいる。しかしオヤジギャグを間に入れるのは、地質学者の流行なのだろうか。
ともあれ彼らの話を総合すると、以下のようなものであった。
複数の研究者が最近、パヘロドゥンガ以上になるかも知れないプルームを観測している。
彼らの観測では、地下90キロの辺りで数多くの溶岩溜まりが成長しているという話だ。これら1つ1つは小さい規模だ。しかし、今後浮き上がってくる本隊の先行隊である可能性がある。そのための観測網の強化だということだった。
……とまあ、このような話である。
読んでの通りの地味な話で、有名人のスキャンダルやスポーツのネタではない。ほとんどのノームは「はあ……そうなんだ」程度の感想しか持たなかった様子だ。
それを研究室の生徒たちから指摘された教授が苦笑している。
「あはは。そうかあ、退屈で寝てしまうかあ……ちゃんとした広報さんにお願いすれば良かったかなあ」
それでも、ノーム社会から事業の容認を得られたので、俄然やる気になっている教授と生徒たちである。
「世界中の研究者が多く参加してくれることになったから、これからは、もっと研究発表が熾烈になってくるだろうね。徹夜の期間が長くなるかもしれないけれど、休暇はしっかりとらないといけないよ」
教授が少し遠い目をしてから話を続ける。
「もしかすると、これは数十年どころじゃなくて100年単位で取り組む事業になるかもしれないからね。君たちの論文作成も大事だから、バランスよくつき合ってくれると私も助かるよ」
そう言って、教授が生徒や研究生たちに差し入れを手渡していく。
「ケラン君の弟子にアンデッドがいるそうでね、彼からのお土産だよ。ドラゴンの脱皮殻から削り出したキーホルダーだそうだ」
生徒がキーホルダーをしげしげと眺めて感心している。
「先生。このナイフさばき、相当なものじゃないですか? 伝統工芸講の職人たちの立場がないですよ」
「だよね。ドラゴンのウロコでキーホルダーなんて聞いたら、鎧つくりの職人さんが卒倒しますよ」
まだまだ暑い夏が続きそうな空である。涼しくなるのは、もう少し後になるのだろう。
実際この観測網は、その後大いに役立つことになった。
スーパープルームと呼ばれるようになった巨大なプルームが、地球の奥深くから次第に地表へ迫ってくるにつれて、大地震が頻発するようになってきたのである。
しかし、大地の精霊と親しいノームにとっては、地震は大した懸念にはならなかった。
地震が起きる1ヶ月前には、将来起きる大地震の震源に向けて、数十キロほどの距離を移動しながら起きる小さめの地震が起きる傾向がある。大地の精霊がそれらの動きをノームに逐次伝えてくるため、準備を整える期間が確保できる。
また、大地震が起きる1週間前ほどから、大陸プレートと海洋プレートが重なる場所では、その間に挟まっていた土砂が動き始めるものである。特に、その速度が1日で4キロ程度まで速くなると、精霊が警報を発する。
そうして準備態勢が整えられていく。
地震発生の瞬間には、地面が青みがかった炎のような光で覆われる発光現象が起きる。昔、玄武岩質の溶岩が盛り上がってきてそのまま冷えて固まって、巨大な杭のような岩になっている場所が多いようだ。岩に急激な電荷がかかり、それが地表に達した際に起きる現象である。
そのような岩石がない場所でも、急激な地磁気の変動が起きる。それを感知した精霊がノームに地震の発生を知らせる。
これは人間世界で標準的な、縦揺れのP波や横揺れのS波の観測よりもはるかに早く検知できるので、より確実な対処ができる。
ひとたび発生した地震への対処だが、震源を含む空間を結界で囲んで、その外には地震の揺れやエネルギーを出さないという手法が主に用いられている。検知が早いほど、より小さい結界で済むために経済的にもなる。
大地震は海底でもよく発生し、その結果として津波が発生するのであるが、これも同様の手法で結界に閉じ込めている。しかし、震源域が数百キロの長さと幅に及ぶ場合も時々あり、結界で収納しきれない事もある。
その場合は、ノームが居住している海岸沿いの町や村、養殖施設などを中心に防御障壁が展開され、これがちょうど堤防の役目をして津波を防ぐことになっている。
津波自体も磁場と電場を有している。いわゆる海洋ダイナモ効果と呼ばれているものだ。それを水の精霊を通じて観測することで、津波が向かう方向と速度を早期に予測できている。
海底や沿岸の地形効果については、既に各種シミュレーションによって演算されている。この演算によって到着時の津波の高さと速度も分かり、それを基にして防御障壁の強さが決定されている。
その後、地殻にできた亀裂により、海底深くに眠っていた石油や天然ガスが噴き出したりした。その近くの火山が活発になり、有毒な火山性ガスを大量に噴き出す事態もになったのであるが……それも、事前に予測できていたので結界で囲んで封じることができた。
しかし、津波が直撃した海域の生物、特に海底に棲む魚や甲殻類への被害は回避できない。結果として2年間ほどは種類も数も半減してしまった。減少した原因としては、大量に巻き上がった泥に埋まったことが大きかったようである。
地震や津波の他に、火山の噴火も起きるものだ。
火山が噴火する前には、溶岩溜まりや水蒸気の動きが活発になる。その通り道の岩盤が崩れるために、火山性の地震や振動が発生する。同時に低周波の音が発生し、そして噴火直前になると鳴り止むことが一般的である。
また、宇宙線由来の素粒子ミューオンを使って、火山内部を三次元レントゲン撮影する手法も採用された。
これによってリアルタイムでの直接観測ができるので、火山が噴火する前に結界処理を施して被害を抑えることができた。
このような大事業は、一介の大学教授だけでは到底成し遂げられるものではない。世界中のノームの学者や政治家、軍や警察、企業などの協力があったのは言うまでもないだろう。