全ては暑いのがいけないんですよ
夏が盛りを迎えた。
連日の36度を超える暑さで、ケランは完全に仕事放棄していた。今は森の中で、ハンモックに揺られながら寛いでいる。
何とかゴーレムたちによって再建された石造りの講堂は、太陽熱を蓄積してしまう。ケランいわく「オーブンの中にいるのは嫌」だそうだ。
その講堂自体もリッチーが出現したせいで、石そのものが闇魔法に侵食されてしまったようだ。見事に粉を吹いてボロボロになってしまっている。近いうちに、石そのものを新品に入れ替える必要が生じている有様であった。
教授も忙しくて、伝統工芸講の仕事にまで手が回らない状態である。グラウとムカは、いつまでたっても帰ってこない。夏が終わるまでは帰ってこないつもりだろう。
ケランが暑さを苦手にしているという話は、客の中でも有名らしい。そのため、この時期は仕事依頼は入ってこない。この時期はケランの機嫌が一年中で最も悪いので、いつになったらでき上がるのか全く予測できないせいも大いにある。
一度避暑がてらにオーガのハラップに呼ばれて遊びに出かけたのだが……非番の日だったのにハラップに緊急招集がかかってしまった。ハラップがケランに謝りながらも、火災現場へ出場していく。そのため、結局日帰りでツルペン講に帰ったのであった。それ以来、ケランの機嫌は悪いままだ。
リッチーからは、あれから立体映像つき手紙が来ており近況を報告してくれている。
砥ぎ石探しを続けているようで、3姉妹が統治する魔法生物世界や、巨人とドラゴンが巣食う世界へも、何度か果敢に潜入して石探しをしているようだ。淡々とした文面だが、やってることは「壮絶だなあ」と、ケランが感心するようなことらしい。
「これは冒険家としても、有名になるだろうなあ」
最新の映像つき手紙を読みながら、ケランが森の木陰の中でハンモックに揺られながら苦笑している。
「リッチー君だからできる旅だな、これは。まあ、素敵な暇つぶしのネタができて良かったよ」
「よお。こんな所にくたばっていたか、ケラああン」
聞き慣れた声がする。すぐに岩滑降仲間のスハムが、講堂の出入り口前に設けられている転移魔法陣から現れてやって来た。首にパスをぶら下げている。親しい者だけが使用できる魔法陣である。一般の客には相変わらず森の中にある魔法陣を使ってもらっている。
「暑いなあ。避暑に行かないか?」
「避暑?」
きょとんとするケラン。しかしすぐに理解して、ハンモックから降り立ち悪友を出迎える。
「ああ……避暑ねえ。どこの崖が涼しそうだい?」
「そりゃあ、もう」
「あちち」と、急いで木陰に滑り込んだスハムが笑った。
「金のない我々には、近場のアマコダブラム峰しかないだろう、ケラン?」
ピトンをこれ見よがしにチャラチャラ鳴らす。この山は人間世界ではマッターホルンと呼ばれている。
ケランが額にシワを寄せてスハムを見る。
「だよなあ。でも、今頃は人だらけなんじゃないかい? 人混みの中で登るのは勘弁してくれよ、スハム」
「まあ、今頃は人だらけだな」
スハムが同意するが、すぐに指を「チッチッ」と振ってケランを見返す。
「だけど、それは頂上へ向かうルートだけの話だろ。頂上へ登れないルートは、年中ガラガラだよ」
「おお。そうか」
ケランが相づちをうった。
「頂上まで登る必要は『今回は』ないんだものな。避暑なんだし」
「そうそう、避暑なんだよ」
この時点で、数日後にはクライマーで賑わうアマコダブラム峰の絶壁の外れに2つ、いつまでもへばり付いている芋虫の話題が持ち上がることが約束された。
早速、準備を始めたケランの耳にまたもや悲鳴が届いた。森の中からだ。今回は怒号も混じって、なにやら騒々しい。
「何だよ、こんな時に」
ケランが毒づきながら、汗をふきふき森の奥に入っていく。
すると、アンデッドの貴族を中心にした100名余りのアンデッド兵士が、コカトリスと火食いトカゲ、巨大スライム連合軍と、壮絶な戦いを繰り広げていた。
「あ? 客じゃないのかよ。この暑い日に、何しに来たんだ?」
ケランが乱闘現場に近づくと、貴族がケランを指差して叫んだ。
「いたぞ、あのノームだ。討ち取れ! 貴様のせいで、我らはノームに負けたという、著しく不名誉な烙印を押されたのだ! あれは負けたのではない! 貴様が卑怯にも、魔法剣をいきなり使用したために虚を突かれたのだ。今度はそうはいかんぞ!」
ワーワー騒いで、ケランのほうへ襲い掛かろうとしている。
「あー……なるほど。逆恨み、ね」
一応理解したケラン。
「ったく。今頃になってようやく居場所が分かったのかい? しかも時期は最悪、場所も最悪なのに?」
アンデッドは基本的に不幸体質である。
貴族を始めとしたアンデッド連中が、攻撃魔法を発動させようとしているが……何事も起こらないので狼狽している。
ちなみに貴族ともなると、魔法の発動に術式を詠唱する必要はない。詠唱が必要なのは下っ端のアンデッド兵士だけだ。
わざわざ説明するケラン。無意識にポケットに手を突っ込んでパイプを探している。
「ああ……大地の精霊がかなり強いんだよ、ここ。相当、根性入れて魔法を発動させないと、全て大地に吸着されて分解されるよ。ちなみにコカトリスやトカゲには、最大限の大地の精霊魔力が供給されてるけど」
貴族が激高する。
「おおお、おのれ! どこまでも卑怯な奴め!」
コカトリスと火食いトカゲ群が、ケランを見ている。
(ねえ、食べていい?)
と、つぶらな目でメッセージを送ってきた。見ると、大地から大量に火炎蟻や、得体の知れない魔法生物群も湧いて出てきている。
「ああ。売られたケンカは買わないとね。いいよ、好きに食べな」
呆気なくGOサインを出した。
たちまち石化ブレスと猛烈な火炎放射が、貴族と兵士たちに襲いかかり大混乱状態になった。
これに数万匹の火炎蟻、長さ10メートルを超える鋭い歯をきらめかせた大ミミズ群、得体の知れないカビ玉や粘菌が、次々に大地から湧き出てくる。そして、アンデッド部隊に対する包囲殲滅作戦が実行された。
攻撃魔法が一切使えず、霧状になったり土中に避難したりする魔法も完全に封印されてしまうと、いくら高位のアンデッドである貴族にも対処方法がない。兵士たちは次々に石や炭にされて機能停止し、バタバタ倒れていく。
「ば、ばかな。このような下等な連中に、なぜだっ?」
100匹を超える火食いトカゲによって、体中を燃やされながら食べられていく貴族が狼狽する。アンデッド用の回復魔法が追いつかない。
「こうして見ると……あのリッチー君は、すごいんだな」
コカトリスと火食いトカゲ、火炎蟻などなどの、ウギャグギャな連中の、食事風景を眺めながらケランがつぶやいた。実は貴族も魔力は非常に高い。この大地の精霊による邪魔がなければ、ケランは対抗できないものだ。ツルペン講を含む敷地全てが一撃で消滅していただろう。戦術核兵器のような威力の闇魔法をいくらでも使用できるのが貴族である。ここ以外では。
ほどなく――
「うわあああっ」
恐怖の叫びを上げた貴族が肉体を捨てて、コウモリ状の飛翔体になって空中に飛び出してきた。
ケランが見上げる。
「あらら。ずいぶん小さくなったな」
「これで勝ったと思うなよ、小ざかしいノームめ。我らにも奥の手があるのだ!」
それでも、コウモリ貴族がパタパタと羽ばたきながら、ケランに高圧的な声はそのままで言い放った。
「いや……もう、逃げ帰ったほうがいいと思うが」
ケランが苦笑する。
「でないと、本当に消滅するよ? あんた」
「うるさーい! これを見てからほざけ」
コウモリが何かを森の外から召喚した。高さ10メートルほどの兵器用ゴーレムが数体ほど出現する。そして、地響きを激しく立てながらこちらへ向かって乱入してきた。オーガをさらに巨大化させたような姿をしていて、金属やセラミック製の鎧をまとっている。
ジト目になるケラン。
「結局、魔法使いの兵器かよ。欠陥だらけって、知らないだろ?」
「薙ぎ払えー!」
コウモリが攻撃命令を出す。しかし、炎も光線も出ない。今はコウモリ顔なのだが、明らかに驚愕と狼狽の表情を浮かべている。
「な? なぜだ! なぜ攻撃命令が無効化されるっ」
あきれ果てたケランが、とりあえず説明する。
「だから、何度も言ってるだろう? そのゴーレムの構成部品、金属やセラミックス、樹脂なんかが大量に使われているんだよ。全部属性は大地だよ。このバカ」
そのまま、「還れ」とケランが続けて言うと、たちまち巨大なゴーレムが停止した。呆気なく、砂や液体を撒き散らしながら崩壊し、大地に還っていく。ケランが哀れそうにコウモリを見上げる。
「やはり、1000年の遅れは相当なものだな。アンデッドのコウモリ君」
愕然としていたコウモリが我に返った。
「ひいいっ……」
慌てて森の外へ撤退しようとする。パタパタと羽ばたく小さな皮翼の音が寂しい。もはや転移魔法を使う余裕もない様子である。
ケランがつぶやきながら、森の一角を見つめる。
「もう、遅いよ」
その方角から巨大なスズメバチが数十匹も飛んで来た。羽の部分を除いても手の平サイズはある。
その大アゴでコウモリに咬みつき、簡単に体を砕いて食べていく。コウモリの羽が砕かれて胴体だけになり、それも砕かれて足がなくなり、頭がなくなり……そして丸い肉塊になってプルプルとかすかに震えていたが、それもあっという間に噛み砕かれてしまった。もう、何も残らない。
ケランが気配をしばらく探っていたが……(救いようがない)とばかりに首をすくめた。
「あらら……完全に消滅してるよ。だから言ったのに」
地面に転がっていたアンデッド兵士の成れの果ても、既に完食されてしまっていた。こちらももう、カケラすら残っていない。
満足した蟻やトカゲにコカトリスたちと、その愉快な仲間たちが森の中へ消えていくのをケランが見送る。
そのまま森を出ると、スハムがハンモックに寝そべりながら出迎えた。
「何があったんだい? 大騒ぎしてたようだけど。この暑いのに元気だな」
「アンデッドどもが100名ほど、ケンカを売ってきたから買ってきたんだよ。客かと思ったのに。この暑いのにまったく……でもまあ、おかげで餌代が少し浮いた」
そう言って、出発準備を再開するケラン。
それを聞いて、あくびをしながらハンモックをプラプラ揺するスハムだ。
「はあ……バカな連中もいるもんだね。暑くなると変なヤツが出てくるもんだな」
「だな。苦労してアンデッドになったのだろうに、無駄な消滅の仕方を選んだもんだよ」
リュックサックの紐を締めて、背負ってバランスを確かめる。
「よし。じゃあ行こうか、スハム。ここじゃ暑くてかなわないよ。涼みに行こう、すぐ行こう」