砥ぎ師
地面に向けて打ち込む準備がされた、長さ2メートルほどのセラミック製の杭をポンと叩く。もちろん、ノームの背丈よりも長い。杭からは丈夫なゴム状の素材でできたロープが伸びてリールに巻かれ、後端は調整ができた観測機械につながっている。
それを見てケランが教授に訊ねた。
「なあ、先生。これって地中どのくらいまで潜るんだい?」
「ん? 今回は地下550キロまで打ち込む予定だよ。マントル遷移層の辺りだね。ここの亜大陸が乗っているプレートが、大陸プレートに沈み込んで分解する辺りだよ」
教授が専門用語を無意識に使いながら説明する。亜大陸というのはインド、大陸は人間世界でのユーラシア大陸に該当する。
そんな彼の横で、研究員が自慢げに機械の微調整を続けながらケランに補足説明した。
「これだけの大深度まで打ち込めるのは、この研究室だけなんですよ。岩滑りさん」
「ふうん? だったら、もう少し砥いだらどうだい? さらに100キロほどは潜れると思うよ」
ケランがパイルの先端部分を触りながら教授に顔を向けた。
「砥いでやろうか? 先生」
教授が苦笑して手を軽く振る。
「申し出はありがたいんだけどね。このパイルは特殊セラミックスに魔法処理をしてあるから、金属のように砥石で砥ぐ事はできないんだよ」
「任せなよ、先生」
ケランがリュックサックから砥石を取り出していく。
「せっかく一般人がこんな所まできたんだから、いい仕事をしたいだろ? 何、時間はかからないよ」
と、早くもパイルのそばに座り込んでしまった。
それを見て教授も折れて、微笑みながらケランの肩をポンと叩く。
「分かったよ砥ぎ師さん。調整が終わるまで頼むよ」
ケランの高山焼けの顔から白い歯が見える。
「よし、無料サービスにしとくよ、先生」
ちょうど調整を終えた研究員と学生が、教授に小声で抗議する。
「いいんですか? 先生。あんな薄汚いヒッピーみたいな人に触らせて」
「いいよ。1400度、19万気圧のマントル遷移層まで打ち込むパイルだよ。砥石ぐらいでは傷もつかないよ」
そう答えて、測定機器のモニターをのぞきこんだ。
「さあ、調整は……あれ?」
研究員も「あれ?」とモニターを注視したままである。
「パイルからの情報伝達速度が、ぐんぐん上がっています。先生」
別に言わなくても皆が見て分かっていることを学生が口にした。研究員もケランを見つめながら、教授に確認をとる。
「炎魔法回路の熱損失値も、みるみる下がってきています。これは、先生?」
「そうだね、これは……」
教授も冷や汗が流れるのを感じて、うなずいた。
「砥がれている……ね」
「ひゃああああっつ、ほおおおおおうううううっ」
突如、奇声が絶壁の上からこだまして響いてきた。
「うわ」
びっくりする教授と研究員たち。
慌てて声のするサラフの絶壁を見上げると、もう1人の岩滑り……もとい岩滑降野郎が奇声と大声を上げ続けながら、ものすごい速度で崖を滑り落ちてきているのが見えた。
ケランが先ほど見せたような速度をはるかに上回っている。しかも、描くラインがさらに優美である。
「おう。来たか」
ケランも見上げて笑い、そのまま砥ぎ仕事を再開した。
ケランの数倍のスピードで滑ってくる彼(奇声から女ではないことは分かったので彼)は、ケランと違って絶壁を右に左に鋭角にターンしていく。飛び出ている岩からジャンプして、そのまま数回転も体をねじりながら回って絶壁に着地し、さらに加速をつけて滑降してくる。
圧倒されて何も言えなくなっている教授たちに、ケランが手を休めないまま羨望の声を上げた。
「きれいなラインでダイブしてくるだろ? 自分も休みがもっと取れたら、練習できるんだけどねぇ」
ギャギャギャギャッと、火花を噴き上げてブレーキをかけ、彼が絶壁を滑りきってトン! と着地した。
そのまま、「ひょおおおおおっつおおおおおっ」と奇声をはばかることなく放って両手両足を振り上げ、蹴り上げして喜びと興奮を表現している。
「最っっ高だぜっ、最っっ高だぜっ、最っっ高だぜっ」
また奇声を張り上げた。ケラン以上にボロボロに高山焼けしていて、服も装備も100年以上は手入れをしていないんじゃないか、と思わせるような姿だ。少なくとも服はそうだろう。
「あの、先生?」
研究員が教授に、護身用の魔法の杖を渡した。
2人目の岩滑降の彼が、最後に飛びっきり頭に響く奇声を発しながらバタバタとケランに駆け寄って、容赦なく羽交い絞めにする。
「この、このっ。最高なピトンだぜ! 最高だあああああっ、ひょおおおおおおっ」
「へへ、そうかい。そんなに喜んでくれると私も嬉しいよ。どれ、ピトンは痛んでないかい?」
ケランも作業の手を止めた。
砥石を持ったままで、背後から羽交い絞めにしている彼の脚をすくい上げる。そのまま真後ろにのけ反って、彼を固い岩の地面に叩きつけた。どすううん、と鈍い音が。
2分ほど岩場を転がりながら寝技と関節技をかけあっていたケランが、スハムを抑え込んで紹介した。
「ああ、先生、紹介するよ。世界有数の岩滑降のスハム・メシュ・パスだ。3週間前に山で会って意気投合してね。スハム、こちらはルンプー大学のクンチ先生だよ。地質調査に来ているそうだ」
「お、おお。こんな場所に人が」
どうやら、初めて他にも人がいることに気づいたようだ。スハムが起き上がり、教授に向かってズンズン歩いていく。そしてボロボロの手袋を外し、これまた凍傷やら古傷やらで、岩のようになっている手を差し出した。
「スハムだ。ようこそ精霊の地へ」
教授たちは一ヵ所に固まって、護身用の魔法の杖をスハムに向けていた。が、教授が無理やり笑顔をこしらえて、スハムと握手を交わす。
やはりスハムの手も全く冷えていない。ボロボロの服装と装備を、自身の精霊魔法と防御障壁で補っているのだろう。
ケランが靴から奪い取ったスハムのピトンを手にとって感心している。
「うん、ピトンは正常だ。いいエッジラインで滑るから、刃こぼれも曲がりも全くないなあ、さすがスハムだね」
「照れるなあ。ケランの砥ぎでないと、こうはうまく滑れないぜ」
スハムは「ひっひっっひ」と笑いながらピトンを返してもらい、装備をバッグにしまい始める。
教授がそっとバッグの中をのぞくと、テント用具と登山用具、そして相当に古くなって固くなったパンが入っているのが見えた。
再びパイルの砥ぎを始めたケランと、早くも帰り支度を完了させたスハムを見ながら、教授がスハムに訊ねてみる。
「そのピトンを使いこなすには、相当の大地系精霊魔法を使いこなさないといけないと思うんだが、誰に師事したんだい?」
「うんあ? いないよ。50年くらい先輩や仲間と岩滑降し続けていたら、いいラインを描けるようになってきたんだ。こういったのは自分で覚えるのがいいのさ」
スハムがバッグの重心とバランスを確かめながら答えて、ケランを見た。
「ケランも、オレみたいにバイト中心の生活すれば、年間10ヶ月は滑ることができるぞ。あ、でも、そうなったらピトンを砥ぐ奴がいなくなるか。それは困るな」
考え直すスハム。
「よし、ケランはバイト禁止だ。決定だ」
独りで完結させている。
「先生、もうこのくらいで。観測パイルの打ち込みをしましょう……」
ヤバイ臭いをしっかり嗅ぎ分けた研究員や学生が、急かすように教授に提言する。
上空にそびえ立つサラフの鋭い尾根筋に巻き上がる、雲の勢いと量がどんどん増えてきている。風も時々風向きが変わり始めてきた。天気が変わるかもしれない。
教授もそれを理解してケランに歩み寄る。
「あ、ああ……そうだね。ケラン君すまないが、そろそろ……」
「よし、こんなもんだろ」
ケランがパイルを叩いた。
「いいよ、先生。砥ぎ終わった」
打ち込み装置の最終確認を済まし、観測機器のモニターを見ている研究員が教授に真剣な表情で報告した。
「先生、準備完了です」
教授も緊張した面持ちで指示する。
「よし。じゃあ、打ち込んでくれ」
「はい。では、パイルの魔法発動します」
バシュ! と、パイル全体が炎状の魔法障壁に包まれていく。先端部分が眩しく輝きだした。研究員が驚きの表情で報告する。
「すごいな。消費エネルギーが5.78%も低く抑えられています。先生」
「まあ、八分砥ぎしたからね」
ケランが澄ました顔でパイプを取り出して、吸い残しに火をつけた。
教授が訊ねる。
「では、完全砥ぎしたら、どうなるんだい?」
ケランが笑ってプカーと煙を吐き出した。
「本砥ぎ、っていうんだけどね。それすると2、3日かかってしまうから、ここじゃ無理だよ」
スハムもそれを見て吸いたくなったらしく、バッグの底からパイプを取り出した。
「タバコ葉あるかい? ケラン」
「ああ」
「大地と炎の複合精霊の魔法出力が目標値に達しました。パイルを打ち込みます」
研究員が緊張した声で観測機器を操作する。パイルを吊るしていた金具が外れて、自由落下でパイルが地面に落ちた。
しかし、地面と衝突する音も衝撃も何も起こらなかった。まるで水中に沈むように、スッとパイルが岩盤に飲み込まれる。そして、リールがすごい速さで回転してロープを送り出し始めた。
「うわ……すごいです。ほとんど自由落下並みの加速度を維持しています。先生」
研究員が興奮気味の声で教授に報告する。それを受けて教授がケランたちに振り返り、礼を述べた。
「さすが、砥ぎ師だね。この分だと、予定よりも早く目標深度まで到達できそうだよ。ありがとう」
「なに、無料サービスだよ。礼には及ばないさ」
プカーと、2人して煙を吐き出す。
「うめー」
教授と研究員、学生がモニターを注視してパイルの状態を確認し、届き始めたデータの処理を始めた。忙しく機器を操作している。
「うん。順調に観測ができているな。あ、そうだケラン君」
モニターからようやく顔を上げた教授。
「あれ?」
二人の岩滑降は、もういなくなっていた。
「足が早いなあ。ええと……ルンプー国民の、ケラン・ブバスカン・クルアールを検索」
感心する教授が端末を持ってつぶやいた。すると、端末の画面に彼の顔写真付きの個人情報が表示された。さすがに真っ黒には焼けていない。
「ツルペン研磨講の所属か。ほう、確かにどこの講にも所属していないな」
ちなみに『講』という組織は、商売をする同人サークルのようなものである。
去っていたと思われる方向を見下ろして腕組みする教授。相変わらずの砂埃舞うミゾレ混じりの風が吹き荒れている。
「もったいないな、あれだけの腕。伝統工芸講に加わってくれないかな」