夏にはリッチー
夏になった。セミを始めとする圧倒的な数の虫やカエルが、声を限りに鳴いている。
農場の大蟻は、相変わらず忙しそうにパトロールに精を出している。この時期になると、ネズミやイタチまで農場の作物を狙い始めるようになる。
それに対抗するために、大蟻の兵隊蟻が変化した火炎蟻が数万匹にも増殖していく。名前の通り火炎を吹いて大蟻を援護し始めた。
火食いトカゲもコカトリスも餌が増えてきたので大喜びである。繁殖して、数もさらに増えているようだ。スライムは相変わらず森の中をノタノタさまよって遊んでいる。
ツルペン講には、今日はケランしかいなかった。
先日ようやく20本のメスを砥ぎ終わり、納品を済ませている。その後は、うだる暑さにくたばってしまい仕事どころではないようだ。
教授は、地質調査のパイル打ち込みとデータ収集に忙殺されて、ここしばらくはツルペン講に顔を出す余裕もない。ケランの遊び仲間の岩滑りのスハムや、雪滑りのクルタスも、恐らくケラン同様どこかで暑さでくたばっているのだろう。何の誘いも入ってこない。
「あ~ち~い~」
息も絶え絶えのケランが石畳の床に転がっている作業場に、突如ゾクリとする冷気が吹き込んできた。陽射しも急激に暗くなっていく。
「これで、少しは涼しくなったかね? ケラン君」
霧の中から徐々に染み出るように、リッチーが姿を現した。やはり今回も、ここの防御障壁や精霊魔法が完全に無視されている。
「お、おおお……涼しい~生き返る~」
リッチーの足元へ、ズリズリ這い寄って涼を求めるケラン。
ミイラ顔が、まじまじとケランを見つめる。
「君は、炎系の精霊に通じているのだろう? このくらいの暑さで萎えてどうするのかね」
「うるさいよー。苦手なものは苦手なんだよう。ああ、涼しい。あと1時間こうしてくれえ」
ケランが猫のようになって、ゴロゴロ床に転がる。ミャーとでも鳴きそうだ。
あきれるミイラ顔。
「まったく……我をクーラー扱いするのは、君くらいだな。ああ、あまり長居はできないと思うぞ。我の瘴気は生気を吸収する性質があるのでな」
少し脅すミイラ顔。実際は、そのくらいのコントロールは簡単なのだが。そういえば、今回は講堂の石組みがそれほど激しく揺れていない。
「うう……この瞬間だけアンデッドになりたい気分だよ」
さすがに座りなおして、話を交わせる状態になるケラン。
リッチーが懐からナイフを取り出して、ケランに見せる。
「君に言われたように鉱石を得てみたが……これを鍛えることが出来るような生物は、いないことが分かってね。仕方がないから、我が鍛えてみた」
苦労性なリッチーが苦労して打ったのだろう、いかにも素人打ちのナイフをケランに手渡す。
「おおおおっ」
強烈な闇系魔力が全身を貫いて、思わず正気に戻るケラン。
「こ、これは、すごいな。一歩間違えれば呪いのナイフになりかねないぞ」
倉庫へドタバタと走っていく。闇系魔法に対する防御障壁機能つきの厳ついグローブを両手にはめて、すぐに戻ってきた。目がキラキラ輝いている。
「もしかして、これは特別な特別な、その中でも特別な鉱石かい?」
ナイフを持ってリッチーに聞くケラン。もうすっかり元気だ。
「その通りだ。我の魔力に耐えることができるのは、そのクラス以上の鉱石でないと無理だからな。それでも、それは最弱の鉱石だ。我も使う際には注意をせねばならぬ」
リッチーも正直に説明する。
ケランはキラキラ目でしげしげとナイフを眺めながら感心している。
「ほええ……希魔鉱石かあ。初めて見たよ。いわゆる聖剣、魔剣といわれる類の本物にだけ、微量に使われているそうだね」
「あまり見つめると、鉱石に魅了されるぞ」
リッチーに注意されて、我に返るケラン。
「そうだった、そうだった」
慌てて倉庫へ駆け戻って、これまた真っ黒くて銀縁の、この上もなくデザインに失敗したゴーグルを装着して戻ってきた。
「だよなあ。純度高そうだからなあ。でも、これを砥ぐ石がないぞ」
「心得ておる」
リッチーが滑らかな石を取り出した。それを見てケランがニヤリと笑う。
「用意がいいなあ。もしかして、自分で砥いでみただろ?」
「まあ……な。うまくいかなかったので、時間を巻き戻した」
これまた正直なリッチーである。
「よし、見てなよ。砥ぎ方を見せてやるよ」
ケランが、ポンとグローブでリッチーを叩いた。途端に大量の魔力を浴びて、壁に吹っ飛ばされるケラン。
「あまり、我に触れぬほうがよいぞ」
「それを、早くいえ」
仕切りなおすケランである。砥石の上にナイフをそっと乗せて、リッチーをそばに寄らせる。
「リッチー君の体内の魔力を液体化させて、それを潤滑剤としよう。血の代わりだ。この砥石の上に垂らしてくれ」
「うむ、こうか?」
リッチーのミイラ化した指先から、闇が液状化して滴り落ちた。
「うん、その調子だ。涼しいと仕事がはかどるよ」
ケランがうなずく。そのまま、一気にナイフを砥ぎ上げていく。
「リッチー君の魔力が格段に強いから、鉱石によくなじむね。オーガ君のときはこうはいかなくてねえ、何度か魔力が暴走して、この講堂を吹き飛ばしたんだ」
雑談をしながらも、見る見るナイフが砥ぎあがっていくのが分かる。リッチーの真っ黒な空洞になっている目の奥が光った。
「むう、さすがだな」
「よし……ここまでが荒砥ぎといってね。ナイフのデコボコや傷を滑らかに均す作業だ。次に本砥ぎといって、砥石を何度も変えていく。そうやって、魔力の流れを滞りなくさせるんだけど……残念ながら砥石がコレしかないから、ここは砥石を使う以外の方法にしよう」
ケランが強烈な闇の魔法場に曝されたせいで、フラフラだ。いったんナイフから離れて、リッチーに顔を向ける。
「じゃあ、リッチー君。ナイフを持って、刀身に沿って自分の魔力を流してみな。そうだな、感覚としては、魔力の流れで砥ぐということで」
「なるほど」
リッチーがナイフを持って、刀身の根元から切っ先に沿って視線を動かす。すると、闇が研磨粒子化したような感じになって、闇自体がナイフを砥いでいく。それに我ながら驚くリッチーだ。
「ほう。このような魔力の使い方は初めてだ」
目の奥の光が強くなっていく。彼なりのキラキラ目状態なのだろう。ミイラ顔なので表情には全く変化ないが。
「ははは。そう言ってくれると、嬉しいね」
ようやく息を整えたケランが腰を上げた。
「よし、そのくらいでいいよ。さすがだね。普通はこの作業で2、3日費やすんだよ。では、最後に寝刃を合わせよう。刃の線をよく見ると、微妙に波打ってないかい? それじゃあ、ぶれてしまって素直に魔力が発動できない。そこでだな……」
ケランがVマークの指サインをする。
「こうやって、両指で刃を挟む。そして、指で撫でながら魔力を込めて一気に砥ぐんだ。何度かやってみな」
リッチーのミイラ化した指のシワを、きれいに伸ばして滑らかにさせる。そうしてから、ナイフの刀身を指で挟んでもらう。
何度かリッチーが指で砥ぐと「おお」と、驚いたような声を上げた。ケランが笑いかける。
「分かるかい? だったら才能があるな。いい砥ぎ師になれるよ」
リッチーが感想を述べる。口調が熱を帯びている。
「うむ……言葉では上手く言い表せないが、微妙な感覚が心地良いものになってきた。まさしく、我の一部になってくるようだ」
上機嫌になっていくケラン。
「だろう? この感覚があるのとないのとでは、それこそ石ころと魔鉱石ほどの違いが出るんだよ」
「うむ。分かる気がする」
リッチーが一心不乱に指で研いでいくのをニコニコ笑顔で見守っていたケランが、目をキラリと輝かせた。
「さて、もういいだろう。見せてみな」
リッチーからナイフを受け取って砥ぎ具合を確かめる。
「……うん、上出来だ。及第点をあげよう。あんたの素直な性格がそのまま出てるよ。砥ぎ上がりだ」
リッチーに微笑んで、ナイフを返す。
「あとは、本砥ぎ用の石をいくつかと、最後の寝刃合わせ用の石を探してくることだな。最後は指の感覚で最終確認するんだが、魔力や生身の体で砥ぐのは、その時々の調子がどうしても現れるから避けた方がいいんだ。やはり手ではなくて砥石を使う方がいい。それができれば90点をあげよう」
ケランがいつの間にかリッチーを弟子扱いしている。どうやら、彼は情がこもるとこうなるらしい。
「うむ、了解した。やってみよう」
リッチーも、素直な性格が災いしたのか、すっかり弟子になっている。
「面白いものだな、ケラン君」
ここに――アンデッド世界の砥ぎ師が誕生した。
笑うケラン。
「分かってくれたら、結構結構」
崩壊の秒読みに入りかけている講堂から出て、興味深く何度もナイフを素振りしていたリッチーがケランに告げた。
「では、今日はこの辺りで帰るとしよう」
ケランも崩壊を止めることを諦めて外に出ていたが、いたずらっぽく笑う。
「なあ。そのナイフ、契約に使うのかい?」
「うむむ……むむ……」
しばらく考えるリッチー。やがて、ケランのほうを向いて答えた。
「いや、これは我の所有にしよう。この次のナイフから、契約に使うことにする」
満足気にうなずくケラン。
「だな。記念品は、そばに置いておいた方がいい。いつか初心に戻る必要が出るかもしれないからね」
同時に講堂が轟音を立てて崩れ去った。
「あーあ……今回は闇魔法を大量に使ったから、石を継ぎ足さないといけないだろうな」
ケランが瓦礫と化した社屋を眺めながら言う。
「光魔法でも同じことなんだけどね」
リッチーが絶えず場所を移動しながらケランに話しかける。少しでも長く同じ場所にいると、同様の崩壊がこの農場中で起こるだろうと思っているのだろう。
「講習謝礼として、大地の精霊力を口座に振り込もう。それで改築してくれ」
「アンデッドは精霊魔法を使えないんだが、さすがリッチーだな。よし頼むよ。赤字にならない程度に振り込んでくれよな」
ケランも気楽な声で答えてからリッチーにお願いする。
「しかし、そんな高純度の希魔鉱石をふんだんに使ったナイフ、魔法使いでも使いこなせる奴は少ないと思うがなあ。注意書きを忘れないようにな。防護ゴーグル、手袋着用のこと……とかね」
徐々に霧になって消えながら、リッチーがうなずいた。
「そうしよう」
完全に姿と霧が消えると、いきなり熱風と強烈な日差し、猛烈な虫とカエルの大合唱が襲い掛かってくる。
「うひ~、もうちょっといてくれ~」
ケランが慌てて、涼を取りに森の中へ駆け込んでいった。




